078●フロー編●69.器
「死なせてって……どうしてそんなこと言うんだよ、ツェツィー!」
ツェツィーリアの考えていることがまったく理解できず、フローリアンはツェツィーリアの肩を持つと強く揺さぶった。ツェツィーリアはフローリアンのその手首にそっと手を置き、悲しく笑っている。
「わたくしは幼少の頃より、ずっとフロー様をお支えしたいと思ってまいりました」
「だったら……」
「しかし、わたくしは……クーデターが起こって怖かったのです……フロー様のためならなんだって我慢できると思っていましたのに……本当は、フロー様を置いてでも逃げたくて、逃げたくて……!」
ずっと気丈に振る舞っていたツェツィーリアの胸の内は、限界だったのだとフローリアンは初めて知った。
大事な親友だというのに、極限状態だったことに気づいてやれなかったのが情けない。
「ツェツィー、ごめん……ツェツィーはいつも僕を励ましてくれていたから……ぜんぜん、気づかなくて……っ」
「わたくしは、本当にフロー様と命運をともにするつもりでしたの……ですが、もう……っ! わたくしは、王妃の器などではなかったのですわ!」
王妃の器と聞いて、ドキリとする。
自分が王の器ではないと思っていたように、ツェツィーリアもきっとそのことで思い悩んでいたのだ。つらく、申し訳なく、胸が痛い。
「でも、そんな理由で死なせてだなんて、納得いかないよ!」
「いいえフロー様、どうかお許しくださいませ。わたくしとリーゼは死んだことにしていただきたいのです!」
「死んだ……ことに?」
「はい……わたくしの一生に一度のわがままでございますわ……」
思い違いがあったことに気づき、フローリアンはほんの少しだけ息を吐いた。
しかしツェツィーリアはそんなフローリアンには気づかず、自分を責めるように次の言葉を口にする。
「わたくしは気づいてしまったのです……フロー様のおそばにいるより、わたくしは……わたくしは、イグナーツ様とリーゼの三人で暮らしていきたい……! フロー様を裏切ってでも……裏切っ………あぁぁああ!!」
ずっと泣き顔の見せたことのないツェツィーリアが、わぁっと涙を流し始めた。
泣きながら何度も「申しありません」を繰り返しているツェツィーリア見ると、涙もろいフローリアンはもらい泣きしてしまいそうになる。
けれど、ここで泣いてはいけない。ツェツィーリアがずっと涙を我慢してくれていたように、今度は自分が大丈夫だということを示すためにも。
フローリアンは優しくツェツィーリアの頭を撫でて、笑顔を作った。
「ばかだな、ツェツィー。それは、裏切りなんかじゃないよ。愛する人と一緒に暮らしたいって、自然な気持ちじゃないか」
「けれど……わたくしは……フロー様のおそばを離れることを、望んで……っ、ひどい、ひどい王妃ですわ……っ」
「ひどくなんてない! ずっとずっと、僕のために我慢してくれたんだ。感謝してもしきれないよ。ツェツィーには幸せになってほしい。本心だよ」
「フロー様……っ」
ボロボロと涙を流すツェツィーリアをぎゅっと抱きしめる。
ツェツィーリアが自分のためのわがままを言ってくれてよかった。
確かに、死んだことにできるチャンスなどそうそうない。この機会を逃せば、ツェツィーリアがイグナーツと夫婦として暮らせることは、一生ないかもしれない。
「ラルス」
「っは」
扉の前に立ったままのラルスはもう体力が回復したようで、ピンと背筋を伸ばして立っている。
「抗争の際、ツェツィーとリーゼが巻き込まれて亡くなったと、シャインに伝えて発表させるんだ。それからすぐにシャインとイグナーツを連れてここに戻ってきてほしい。混乱のうちにイグナーツとツェツィーとリーゼを、ここから脱出させる」
「わかりました」
「ツェツィー、扉を開けるから、リーゼと一緒にベッドの上に横になっていて。一瞬でも、起きているところを誰かに見られるわけにはいかない」
ツェツィーリアはすぐに指示に従ってベッドの上に横になった。血が出ていないのを不審に思われないように、上からシーツを被せる。
それを確認してからラルスは部屋を出ていき、フローリアンは重い扉を閉め、自分で鍵をかけた。
そして、ベッドに横たわる美しいツェツィーリアとその娘のリーゼロッテをみやる。
この部屋で動いているのは、フローリアンとメイベルティーネだけだ。
指示を終えると、頭がぼうっとした。この二日間は夢だったのではないかと思ってしまうほど。
フローリアンは部屋の窓から外を覗いた。
もうすぐ、伝えられるはずだ。
王妃のツェツィーリア、そして次女のリーゼロッテが死んだことを。
ラルスの姿が見えて、傷の手当てがされているシャインに向かって話をしている。そして──
イグナーツのリュートの音が、止まった。
嘆き悲しむイグナーツの姿を見ると、胃が痛くなる。
そんなイグナーツの背中を押すようにしてラルスが城に入ったのを確認し、フローリアンは少し息を吐いた。




