077●フロー編●68.最初で最後の
──フロー様……お下がりくださいませ……わたくしが、確認いたしますわ──
ツェツィーリアがそう言ってくれた。
手が震えて開けられないフローリアンの代わりに。
開けるのが怖かった。だから、ツェツィーリアに託した。
そのツェツィーリアが扉の鍵を開けてノブを回した瞬間。
「きゃあああああ!!」
扉が倒れ込むように開き、赤髪の騎士が倒れ込んできた。
「ラルス!!」
フローリアンが駆け寄ると、むっと血の匂いがする。扉の向こう側は血の海で、誰もピクリとも動いていない。ツェツィーリアはその光景を子どもたちに見せまいと、急いで扉を閉めている。
「ラルス、ラルス!!」
「……王……すみ、ません……」
「ラルス、なにを謝ってるんだ……!」
「疲れて、返事、できませんでした……」
はっはと息を切らしながら、ラルスはそう言った。
全身血だらけではあるが、ほとんどが返り血のようだ。大きな外傷は見当たらず、フローリアンはほっと息を漏らす。
「もうっ、死んだかと……思ったよ……ばかぁ!」
「死にませんよ……剣帯に、刺繍、してもらいましたから……」
ラルスはそう言いながら、体を起こして床に座り、壁に背をつけた。
「これ、僕に渡しちゃうんだもん……ラルスが持ってないと、意味ないのかと思うじゃないか……っ」
「はは、すみません……俺はこの通り、無事ですよ。ちゃんと、帰ってきました。あなたの元に」
ラルスの笑顔を見るとようやくほっとして、涙が込み上げてくる。そんな震えるフローリアンを見て、ラルスは優しく目を細めてその唇を開いた。
「言ったじゃないですか……必ずただいまと、あなたの元に帰ってくるって」
「……うん」
もしもの話で結婚をした時の約束。ラルスは、ちゃんと戻ってきてくれた。
「ただいま、フローラ」
「おかえり……っ」
フローリアンにしか聞こえないくらいの小さな声を耳元でささやかれて、ラルスにぎゅっと抱きつく。
無事で良かった。生きていてくれて、本当に。
少しの間そうしていると、ようやく冷静になれたフローリアンはラルスの胸から離れた。
「ここにいた者は、みんな死んでしまったのか?」
「王の声は聞こえていたんですが、相手に引く様子はなく……仕方なく、討つしかありませんでした」
「それはもう、仕方ないよ……ご苦労だったね、本当にありがとう……ラルスが生きてくれててよかった……っ」
「シャイン殿は……」
「大丈夫、怪我してるみたいだけど、生きているよ」
「そうですか……!」
もうどこからも剣戟の音は聞こえてこない。クーデターの失敗が伝達されたのだろう。
外からは、〝愛しのあなた〟がツェツィーリアに聞かせるようにしてずっと流れている。
その優しいメロディで癒されて、ようやく終わったのだとフローリアンは実感することができた。
「じゃあ俺、シャイン殿に報告に行ってきます」
「大丈夫?」
「もう回復してきたんで、大丈夫です」
笑いながら立ち上がる姿は、大きく痛む様子も見られなかった。凄惨な死闘と繰り広げたとは思えないほど元気だ。それだけ、ラルスが強いという証拠でもあるが。
「じゃあ、行ってき──」
「お待ちくださいませ、ラルス様!」
部屋を出ようとするのを止めたのは、ツェツィーリアだった。
「ツェツィーリア様、なにか?」
「どうしたの、ツェツィー」
ツェツィーリアのその真剣な表情に、フローリアンとラルスは二人して首を傾げる。
「フロー様……お願いがございますの。このツェツィーリア、一生に一度のわがままを言ってもよろしいでしょうか」
「わが……まま?」
ツェツィーリアが、わがまま。
思えば、彼女とは長い付き合いだが、わがままを言っているのを聞いたことがない。ネックレスをずっとつけていたい、だなんてことは、わがままにすら分類されないと思っている。
優しくて聞き分けの良すぎるツェツィーリアは、常に自分ではない誰かを優先して生きてきた。
婚約者になってくれと言われたときでさえ、嫌な顔を見せずに嬉しいとさえ言ってのけたのだ。
そのツェツィーリアが、初めてわがままを言ってくれる。
「なに? もちろんツェツィーのわがままなら、なんだって聞くよ!」
そうフローリアンが伝えると、ツェツィーリアはぐっと瞼を閉じ──それから、意を決したように口を開く。
「では、フロー様……わたくしを……わたくしとリーゼを、今、この場で死なせてくださいませ」
予想だにしない、ツェツィーリアからの願い。一瞬なにを言われたのか理解できず、フローリアンはふらりと足をよろめかせた。
「……え?」
「どうか……どうか、こんなわたくしをお許しくださいませ、フロー様……っ」
理解できない言葉。ツェツィーリアのまさかの願い。
その瞳は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。




