075●フロー編●66.訴え
「い、いやあああ!!」
隣でツェツィーリアが叫んだ。
音楽家である丸腰のイグナーツに、男が剣を持って飛びかかる。
もうだめだと思ったその瞬間、ガキィンと剣の交差する音が響きわたった。そこにはイグナーツをかばって立ちはだかる、金髪の騎士の姿。
「シャイン殿!」
「パパッ!!」
イグナーツとドリスの言葉に、シャインが生きていたと喜んだのも束の間、その体は全身血だらけで立っているのが不思議なくらいによろめいている。
「イグナーツ殿、ドリス、下がって……っく!!」
「なんだなんだぁ、死に損ないが出てきやがったぞ!」
男は笑いながら剣を振り下ろす。シャインはなんとかそれを防ぐも、いつものようなキレのある動きではない。
「ひゃはは、よろよろじゃねぇか! 弱ぇ弱ぇ!」
「黙りなさいよっ! パパはあんたなんかより強いんだから! 万全の態勢なら、あんたに剣を抜かせる暇だって与えないわよ!!」
「ああ?!」
その言葉に、男は一瞬にしてターゲットをドリスに切り替えて走り出した。男を追おうとしたシャインは、その傷のためによろめいて片膝をつく。
「逃げろ、ドリス……ッ!!」
あっという間にドリスの前に行った男が剣を振りかぶった。
「きゃああああ!!」
ドリスの顔に剣の影が落とされた、その瞬間。
「あっぶね、間に合ったか!」
その声と同時に、男の剣はギイインと音を立てて弾き飛んでいた。
いつのまにか剣が手から消えていた男は、「ほえ?」と間抜けな声を上げている。
「おっと、ドリスだったのか。久しぶりだな!」
「ルーゼンさん!!」
力強さを感じさせるその顔は、フローリアンもよく知るその人だった。
「シャインに似て美人になったなぁ〜」
赤髪のルーゼンは、剣を男の額に突きつけながら笑う。
シャインは膝をついたまま立ち上がれず、目だけでルーゼンを見上げている。
「遅いですよ、ルーゼン……」
「これでも不眠不休で急いだんだぜ!」
「私だって不眠不休ですよ」
「間に合ったか?」
「ギリギリです」
「ならよかっただろ?」
ルーゼンは男の顎を容赦なく蹴り上げて気絶させると、シャインの前に行き手を差し出した。
シャインがその手を握ると、ルーゼンにグイっと引き起こされている。
「ボロボロじゃねーの。俺がいいとこどりして構わねーか、シャイン」
「どうぞ……私より、元気そうなあなたの方が効果があるでしょうから」
「よっしゃ、任せといてくれ」
ルーゼンにポンと背中を叩かれたシャインは、ドリスの方へと一歩足を出した。
「パパ!」
「あなた!!」
シャインの娘と妻が、歩くのもやっとなシャインを支える。
「ドリス、無事で良かった……エマも、よくやってくれた」
「私はあなたに言われた通り、政策に肯定的な者をリストアップしていただけですよ。こうしてまとめて率いてくださったのは、あなたがうちに寄越してくださった、イグナーツさんです」
「ふう、あとはルーゼンとイグナーツ殿に任せよう……さすがに、疲れた」
シャインが下がると同時に、ルーゼンとイグナーツが前に出る。
一人は剣を片手に、もう一人はリュートを携えて。
「さーて、お前ら。今すぐに侵攻をやめれば、命までは取らねぇ。悪いことは言わない、降参しとけよ」
ルーゼンがニヤリとそういうと、冷たい目を放っていたブルーノが落ち着いた声を放った。
「一人増えた程度で、なにをいきがっている。我らの目的が変わることはない」
「たった一人で来ると思うか?」
「なに?」
ブルーノはハッとして王都の入り口に目を向けている。何人もの騎士たちや国民が、王城に向かって来ている。
「まぁ一晩ではこれくらい集めるのが関の山だったがな。けど、あんたも先王を覚えてるだろ? あの方は優秀だから、明日には増援がこの王都に送られてくるぜ」
「……く」
「今、あんたらがフローリアン王を討ったところで、すぐに俺たちが政権を取り戻す。一日たりともお前らに天下は取らせねぇよ。お前らは、死に損だ! それでも戦いを続けるのか!!」
凄むルーゼン、睨み返すブルーノ。
「俺には俺の正義がある……っ! 今さら引き返すなど……っ」
ブルーノが言い返し始めたとき、イグナーツの奏でるリュートが緩やかに響き渡り始めた。
曲名は、誰もが知る〝愛しのあなた〟だ。
イグナーツは弦を弾きながら、よく通る声を上げた。
「お前たちの正義とは、女性を貶めることなのか? 虐げることか? みなはこの曲を、誰とともに踊った?!」
ざわりと男たちが動揺する中、ルーゼンとシャインが声を上げた。
「昔、メルミと踊ったことがあるな」
「私も、妻のエマと……娘のドリスの練習にも付き合ってやった」
二人の言葉を皮切りに、ブルーノの周りにいた男たちも次々と声を上げ始める。
「僕も恋人と」
「妹の練習に付き合わされて……」
「妻と初めて踊った曲だ」
「この曲のときに、俺はプロポーズをしたんだ」
ざわざわとそれぞれの思い出が広がっていく。男たちの覇気がだんだんと薄れていく。
イグナーツはそんな彼らを確認して、もう一度訴えた。
「あなたたちは、今思い浮かべたその女たちの顔を、絶望で染めたいのか? 彼女たちの微笑む顔を見たいとは思わないのか? 幸せだと、笑っていてほしいと思わないのか!!」
イグナーツのその言葉は、きっとツェツィーリアに対しての気持ちだ。本気の言葉だとわかるからこそ、誰の心にも深く刺さっていく。
「お願い、あなた……こんなことはやめて戻ってきて……」
イグナーツ側にいる一人の女が、涙を流しながら一歩前に出てきた。
「私たちは、今よりほんの少し自由になれれば、幸せになれるの……」
「どうか、未来を奪わないで」
「私たちを思う心があるなら、認めてください!」
「娘の未来を、あなたは少しでも考えたことがあるんですか?!」
口々にそれぞれの想いが吐露されたとき、誰かがガシャンと剣を落とした。
するとそれに呼応するかのように、手に持っていた男たちの武器が次々と地面に落とされていく。
両手の空いた男たちは駆け出すようにしてその場を抜け出ると、愛する者を見つけ出しては抱きしめ始めた。
〝愛しのあなた〟はその間もずっと心に訴えかけ続け、組織から離脱していく者が増えていく。
そしてブルーノの周りの者たちが少数派となったとき。彼はもう無理だと悟ったのだろう。
「……降参する」
ブルーノがガシャンと剣を落とした。その瞬間、周りは歓喜の声を上げ、愛しい人と抱きしめ合っていた。




