074●フロー編●65.熱
イグナーツがその手にリュートを持って、クーデターに賛同する者たちの後ろに立っていた。
そして、さらに彼の後ろには。
「あれは……ドリス?」
シャインの娘のドリスが見える。それだけではなく、何人もの女性たちがイグナーツの後ろに立っている。
「あんなところでなにをしようというんだ……危険だよ……!」
ツェツィーリアも隣にきて、一緒に様子を覗った。やめろと叫ぶわけにもいかず、フローリアンたちには見守るしかできなかった。
イグナーツはクーデター派の注意を引くためか、そのリュートを爪弾く。男たちの怒声が響く中、力強くも優しいリュートの音が響いて、ざわりと皆がイグナーツに注目し始めた。
「なんだ、てめぇは! こんなときに音楽なんぞ弾きやがって、殺されてぇのか!!」
クーデター派の一人が、その中からイグナーツに向かって歩いていく。ツェツィーリアが体を震わせつつも身を乗り出した。しかしイグナーツは、いかつい男に睨まれても怯むことなく、堂々としている。
「曲を弾いただけで人を殺そうとする集団の、どこに正義があるんだ。このクーデターの、いったいどこに正義がある!!」
叫ぶイグナーツに、ツェツィーリアが「熱くなってしまっていますわ……」と手を震わせて祈るように彼を見守っている。武器を持たずに無茶をするイグナーツに、フローリアンも心臓が痛くなった。
「この国の王はよう、頭がイカれてんだろうが! 女に権利を? バカバカしい! 俺たちはなぁ、この国を正常化しようとしてるだけなんだよ!!」
男が剣を鞘ごと乱暴に振り上げ、後ろにいた女たちが小さく悲鳴をあげている。
「クーデターなどしても無駄だ。この国の女性たちは、すでに未来があることを知っている。トップが替わり前の体制に戻ったところで、女たちの歩みを止められる者はいない!!」
イグナーツの高らかな宣言に、後ろにいた女たちが一歩前に出るように、そうだそうだと叫び始める。
「女に、権利を!!」
「このクーデターを即刻やめなさい!!」
「フローリアン王は、私たちの希望です!!」
その女たちの声に、フローリアンの胸は熱くなる。
己のやっていたことは、無駄ではなかったのだと。希望になっていたのだと。
しかし女たちから声が上がると同時に、組織側からも苛立ちの声が上がり始めた。
「女が権力なんか持ってどうすんだ! ろくなことにならねぇ!」
「黙って男に従っていればいいんだ!」
「調子に乗ってんじゃねぇ!」
なんの理由にもなっていない理不尽な言い分を、女たちが聞き入れるわけもない。
ますます反対の声を上げ始めると、家に閉じこもっていた人たちが次々と現れ始めた。
「いい加減認めなさい! 男が支配する時代は終わりを迎えようとしていることを!」
「うるさい! 黙れ!!」
「時代に逆行して、恥ずかしくないの?!」
「男にメシを食わせてもらっている分際で生意気な!」
「フローリアン様の政策が理解できないなんて、この国の恥よ!」
「あんな若造に国政なんぞ任せられるか!!」
「頭の硬いあんたたちなんかより、よっぽど素敵よ!!」
「なんだとぉ?! 女と思って甘く見てやりゃあ!」
男の一人が剣を引き抜き、女たちはキャアと悲鳴をあげる。
フローリアンとツェツィーリアも冷や汗が流れたが、上から見ているだけではどうしようもできない。
「っけ、なんの力ももたねぇ弱い女がよ、つけ上がるな! フローリアン王の前に、お前たちを先に黙らせてやった方がいいようだな!」
男がこれ見よがしに剣を上げ、なにも持たぬ女たちは青ざめて震え始めた。
「クーデターに反対する女どもから殺してやろうぜ! なぁ、みんなぁ?!」
「やめろ!!」
男が周りに同意を求めた瞬間、イグナーツが大きな声を上げた。どうするつもりかと、フローリアンはツェツィーリアの震える肩をぎゅっと抱きしめながら状況を見守る。
「なんだぁ、さっきからてめーは!! 男のくせに女の味方なんかしやがって、恥ずかしくねぇのか!」
「恥ずかしくなどない。国は、女がいないと成り立ちはしないんだ」
「お前の言っているのは、女は子どもを産む道具ってだけだろうが。お前もこっち側なんだよ!」
「違う!!」
遠くからでも、イグナーツの怒りの表情がわかる。それほどまでに彼が怒っているのをビリビリと感じる。
「女は優しく、強く、聡く、そして悲しみを知っている生き物だ。権力を与えたとて、お前のように傍若無人な振る舞いはしない。この国の発展のために与える権利を、なぜ否定しようとする!!」
「邪魔してんのはお前らの方だ!! 俺たちが暮らしよい世の中にするために、お前らは殺す!!」
男の苛立ちも最高潮で、ツェツィーリアがこれ以上刺激しないでと願うように手を胸の前で組み合わせた。しかしイグナーツにそんなツェツィーリアの気持ちは届いていないようで、またも声を張り上げる。
「お前には恋人や妻はいないのか?! 娘は! 母親、姉、妹、姪、愛する女が一人もいないのか?! 彼女らの不遇を改善してやりたいとは思わないのか!!」
イグナーツの口から、熱く語られる言葉。
ツェツィーリアのことを言っているのだと気づき、胸が熱くなる。
大親友が愛する人に大切に思われていることが、嬉しかった。イグナーツの想いがたくさん詰まった言葉に、フローリアンは涙腺が緩みそうだ。
しかし、残念ながらその男には通じなかったようで、さらに半狂乱状態となっている。
「うるせぇ、皆殺しにしてやる!! おい、みんな! この男とここにいる女どもを皆殺しにしろ!!」
乱暴に命令する男に、イグナーツは男を見下ろしながら言った。
「そう思っているのは、お前だけのようだぞ」
「へ?」
間抜けな声を出して振り返る男。味方のはずの周りの男たちは、次々とその男から目を逸らし始めた。理解できないといった様子で、さらに男は続ける。
「なんだよ、さっさとここにいるやつらを殺しちまおうぜ! クーデターに反対するやつは斬るって話だっただろうが!」
一人で興奮している男に、周りはぼそぼそと何事かを呟き始めた。
「あそこに僕の妻がいる……剣を向けることはできない……」
「俺の彼女もだ」
「僕の妹も」
「私の娘もいる……」
「っく!」
風向きが変わったのを見て、女たちが殺されることはなさそうだと、フローリアンはほっと胸をなでおろす。
傍若無人な男は悔しそうに女たちを睨みつけて、ギュッと剣を握り直した。
そんな姿を見た組織側の男が、ゆらりと歩み出てくる。
「女は放っておけ」
「ブルーノ!」
ブルーノと呼ばれた頭の切れそうな若い男は、冷たい目を女たちに投げたあと、すぐに男に視線を戻した。
(ブルーノ? ブルーノって、確か……ラルスの後輩で、シンドリュー子爵家の私的騎士だったか……)
記憶を掘り起こしながら、フローリアンはブルーノの行動を注視した。
「どうせ騒ぐだけで女にはなにもできはせん。それよりも王を仕留めればそれですむ。どうやら手こずっているようだから、我らにも王の首を取るチャンスはあるぞ。行こう」
そういってブルーノは王城に入ろうとしている。しかし傍若無人男はプライドを傷つけられたのか、すごい目をイグナーツに向けた。
「くそ!! てめぇだけは許さねぇ!! ぶっ殺してやる!!」
男はそういったかと思うと。
土を蹴ってイグナーツに飛びかかり、その剣を振り下ろした。




