061●フロー編●54.もしもの話
ヨハンナとバルバラが夕食の準備をしてくれている間は、いつも四人でわいわいと話をする。
子どもが生まれたらどんな名前をつけようかとか、ツェツィーリアとイグナーツの学生時代の話だとか、行ってみたい場所だとか、本当にたわいもない話だ。
この日はなぜか、『もし王族や貴族でなければ、なにになりたかったか』という話になった。
「そうですわね、わたくしは編み物や縫い物が好きですので、そういうお店で働くか、教室を開いて人に教えるのもいいですわね」
「へぇー、素敵じゃないか!」
「そういうフローリアン様はどうですの?」
「僕? うーん、僕かぁ……」
すぐに思い浮かばなかったフローリアンは、イグナーツの方に視線を向けた。
「イグナーツは、やっぱり音楽家だよね」
「俺はもう、貴族ではなくなってその道を歩んでいますから」
「だよね。ラルスは?」
「俺は王族や貴族じゃないですよ」
「じゃあ、もし騎士にならなかったら、なんになりたかった?」
フローリアンの問いに、ラルスはうーんと少し悩んでから答えてくれる。
「そうですね、俺はレジャーガイドとかやってみたかったです!」
「レジャーガイド?」
「そうです。山や川や湖や雪、主に自然で遊ぶ時に安全に楽しく過ごせるよう、手助けするサービスですよ」
「へぇ、ラルスにぴったりの職業だね!」
「え、俺、騎士職も合ってると思ってるんですけど!?」
「あはは、そうだけどさ!」
フローリアンとラルスが笑うと、ツェツィーリアたちも楽しそうに笑っている。
「それで、王はなにになってみたいんですか?」
「う、うーん……それが、特にこれって思い浮かばないんだよ……」
「子どもの頃、なりたいって思ったものでもいいんですよ!」
「……僕は子どもの頃、兄さまを手助けしていくものだと思ってたから……」
そういうと、途端にみんなの顔から笑みが消えた。せっかく楽しくおしゃべりをしていたというのに、空気の読めない発言をしてしまっていたことに気づく。
「あはは、僕、なりたいものがなんにもなかったみたいだ。中身が空っぽだね」
自嘲気味に笑いに変えようとすると、ツェツィーリアが怒ったように口を開いた。
「空っぽなんてこと、ありませんわ! フロー様は幼少の頃より、誰よりも、誰よりも頑張っていらっしゃること、わたくしは知っております!」
「そうですよ! あれだけ勉強なさってて、なにもないわけがないです!」
「そうですわ、フロー様なら経営コンサルタントなんて手腕を発揮しますわよ、きっと!」
ラルスとツェツィーリアが必死になってフォローしてくれる。その気持ちに、胸がじんわりと温かくなる。
「ありがと、二人とも」
「それに、もしやりたい職業がないなら……」
ラルスが発した言葉に、なんだろうと視線を向ける。
「俺の、お嫁さんでいいじゃないですか」
にっこりと微笑んで、とんでもないことを言い出したラルス。フローリアンの頭はどかんと爆発するように熱くなった。
隣ではツェツィーリアがきゃーきゃー言いながら、両手で口元を隠している。
「お、およめ、さ……っ?!」
「嫌ですか?」
「いや、じゃ、ない……けどっ」
脳が沸騰しているんじゃないかと思うほど、熱い。ツェツィーリアは「いいですわ、すてきですわ!」を連呼しているし、どうにも恥ずかしくて体がもぞもぞする。
「仕事から帰ってきた時に、フローリアン様がおかえりって迎えてくれたら、俺、絶対仕事がんばれます! だから、俺のお嫁さんになってください」
「ちょ、ばかっ、これってもしもの話だろ?!」
「そうですよ」
わたわたとしているとラルスがやってきて、目の前で跪く。
「もしもの話でも構いません。俺と結婚してください」
予想だにしていなかった、求婚の言葉。イグナーツがリュートでムーディな曲を奏で始めた。それを聞くと余計に耳が熱くなって、今にも火を吹いてしまいそうだ。
けれど、ラルスの優しい笑顔の裏では、本当の夫婦にはなれないという寂しさがあるのかもしれないと気づく。もしもの話の中でだけでも……そう思ったフローリアンは、こくんと頷いた。
「うん……僕も……ただいまって帰ってくるラルスを、待っていたいよ」
そんなこと、できないとわかっている。
それでも、ラルスがそう思ってくれているだけで嬉しい。
「必ず、ただいまと、あなたの元に帰ってきます」
そういってラルスはフローリアンの手をとると、その甲に唇を当ててくれた。
くすぐったくて、照れ臭くて……だけど、その気持ちが心地よくて。
「ご結婚、おめでとうございますわ! フロー様!!」
「ちょっと、やめてよー、恥ずかしいんだから!」
「ああんもう、すてきですわすてきですわ!!」
「ツェツィーたちも、もしもの中でなら結婚すればいいじゃないか!」
「うふふ、二番煎じでは面白味がありませんわよ? もしもの中で結婚するのは、フロー様とラルス様だからいいのですわ!」
くすくすと楽しそうに笑って、「お幸せになってくださいませ」と定番の言葉をかけられる。
照れ臭さが最高潮になってラルスを見ると、嬉しそうに「ありがとうございます、幸せになります」と答えているものだから、本当に結婚した気分になってしまった。
「あら、みなさま楽しそうになにをお話なさっているんですか?」
バルバラが、少し離れたテーブルに食事を用意しながら話しかけてくる。
「うふふ。おばあさま、フロー様とラルス様がご結婚されたのでしてよ」
「も、もしもの中! もしもの中の話だから!」
フローリアンが慌てて付け足すも、バルバラと後からやってきたヨハンナは目を細めて微笑んでしまっている。
「それはそれは、おめでとうございます、陛下」
「すてきな旦那さまでございますわ。エルネスティーネ様がお聞きになれば、きっと涙を流してお喜びになりましょう」
「も、もう、二人してー!」
涙を流して、と言っていたヨハンナの方が、なぜか涙目になっている。
それを見ているだけで、フローリアンの胸はだんだんと熱くなってきた。
「どうか、どうか幸せになってくださいましね……このヨハンナ、それだけが望みでございます……」
「や、やめてよ、ヨハンナ……僕、涙もろいんだから……」
言い終わるやいなや、フローリアンの緩い涙腺からぽろぽろと流れ落ちた。
「絶対、幸せにしますよ。約束します、ヨハンナさん」
そういって、ラルスの指が涙を拭ってくれる。
「うふふ、花嫁の涙は定番ですわね」
イグナーツの奏でる曲は、徐々に盛り上がっていて。
「一生、大切にすると誓います」
ラルスの真剣な瞳に、溶かされそうになる。
「ラルス……」
「愛しています」
その言葉と同時に、みんなの前でキスをされ。
喜びの声があげられる中、フローリアンは恥ずかしさで倒れそうになっていた。




