060●フロー編●53.騎士の剣帯
ラルスとイグナーツが、フローリアンたちの寝室へと通うようになって三ヶ月。
二人は、ほぼ同時期に懐妊した。
つわりのひどかったフローリアンは、家臣たちに妙な病ではないかと心配され、バルバラの嘘の診断によって療養と称し、王家の別荘に行くこととなった。
懐妊を発表したツェツィーリアもその別荘で産むことを勧められた、ということにしておく。
そして護衛にラルスを、胎教のために楽士のイグナーツを連れて行けることになった。
他には女医のバルバラと、エルネスティーネが自分の侍女のヨハンナをつけてくれた。
王と王妃が別荘に行くにしては人数が少なすぎるが、事情を知るものがこれだけしかいないのだから仕方ない。
シャインは王のいない間の政務をこなさなければいけないので、残念ながら連れてはこられなかった。
王家所有の別荘の中でも、王家だと知られていない山奥の隠れ別荘を使うことにした。
そこはなぜだか、ラルスと登った山が思い出された。別荘に辿り着くまでずっと、ラルスがおぶってくれていたからかもしれない。
「ご気分はいかがですか、陛下、王妃様」
女医のバルバラがフローリアンとツェツィーリアに問いかけてくれる。
「私は大丈夫ですわ、おばあさま。それよりもフロー様が……」
「ぼ、僕も大丈夫だよ……木の香りのおかげかな……王都にいるときより、ましな気がするよ」
王都では体型を隠すために無理な締め付けをしていたから、というのもあったかもしれない。
ここではみんな事情を知っている人たちばかりだから、ゆったりとした格好で過ごすことができる。
「もうつわりは終わってもいい時期なんですが、個人差がありますから……」
バルバラ曰く、つわりが続く人は出産まで続くらしい。それはいやだとゾッとしていると、ラルスがフローリアンの目の前にカップを出してくれた。
「王、お茶を淹れてきました。飲めますか?」
なんのお茶かとバルバラに聞かれたラルスが、ラズベリーリーフティーだと答えると、許可が出る。
こくりとそのお茶を飲むと、ほっと息が漏れた。
「ああ、飲みやすいハーブティーだね。香りもいい。最初、ひどい紅茶を淹れていた人間と同一人物とは思えないよ」
「ちょ、それ、七年も前の話じゃないですかー! さすがに今は普通に淹れられます!」
「あはは、普通に淹れられるまでに時間がかかってるけどね」
くつくつと笑うと、ラルスは苦笑いしながらぽりぽりと頭を掻いていた。
イグナーツはリュートを取り出して優しい音楽を奏でてくれ、ツェツィーリアは生まれた子供のためにと靴下を二足編んでくれている。
フローリアンは別荘に来てから一ヶ月はつわりがひどかったものの、二十五週が過ぎる頃にはようやくましになってきた。
ツェツィーリアは靴下やミトンを編み上げていて、今度はなにやら針でチクチクと縫っている。
「ツェツィー、なにを作ってるの?」
「これはスタイですわ。赤ちゃんって、すごく涎が出ますでしょう? 服が汚れないように、こうしてスタイを作っておくと便利なのですって」
「なるほど、服が濡れちゃったら赤ちゃんも気持ち悪いだろうし、いちいち全部着替えさせるのも大変だもんね」
「ふふ、スタイはいくつあっても足りないと聞きましたので、大量に作っておきますわね!」
「うん、ありがとう」
ツェツィーリアは飽きもせず、ちくちくとスタイを製作している。手持ちぶさたなフローリアンは、どきどきしながらツェツィーリアに話しかけた。
「あ、あのさ、ツェツィー」
「はい、なんでございましょう?」
「それ……僕にもできるかな?」
編み物や縫い物など、女の仕事だとして一度も習ったことはなかった。できる自信なんか、これっぽっちもない。けれど、ツェツィーリアが自分の子を思って縫う姿に、触発されてしまった。
「できますわよ! 慣れれば誰だってできますわ!」
思った以上に食いついてきたツェツィーリアが、あれこれと教えてくれる。
スタイのワンポイントに刺繍までしていて、ツェツィーリアはその都度わかりやすく楽しそうに教えてくれた。
「まさか、フローリアン様と一緒に刺繍ができる日が来るなんて、思ってもいませんでしたわ。うれしい……」
うっとりとそう言われると、フローリアンもうれしくなってくる。
夕方にはラルスとイグナーツが町の買い物から戻ってきた。みんなで夕飯をとるのが、ここでのルールとなっている。
「あれ? 王も縫い物をしてるんです?」
荷物をキッチンに置いて戻ってきたラルスが、ソファの後ろからフローリアンの手元を覗いた。
「ちょ、下手だから見ちゃダメだよ!」
「えー」
「ふふ、先程フロー様が作ったのは、これですのよ」
ツェツィーリアがそう言って、今作っているものより下手な一枚をラルスに見せてしまった。
「へぇ、上手いじゃないですか! 刺繍まで! 初めて作ったんですよね?」
「そうだよ、もうっ」
曲がりもたわみも突っ張りもない、ピシッとしたツェツィーリアのスタイに比べると、フローリアンのはよれよれのぐにゃぐにゃだ。言われた通りにしたはずなのに、まったくの別物に仕上がってしまった。
「王、俺にも刺繍してくださいよ!」
「え! ラルスにも涎掛けがいるの?!」
「俺がスタイしてどうすんですか!! 違いますよ、ほら、その、あるじゃないですか」
「……なに?」
ラルスがなにを言いたいかさっぱりわからず、フローリアンは首を傾げる。いつもはハッキリ言うはずのラルスが、妙に言いにくそうだ。
「もしかして、剣帯ですの?」
ツェツィーリアが含み笑いをしながらそう言った。剣帯と言われて、ラルスに腰に目を移す。
「剣帯って……それだよね」
剣をつるすための帯が、騎士には国から支給されている。
(そういえば、シャインの剣帯に刺繍がされてたっけ)
そう思い出していると、ラルスは少し恥ずかしそうに口を開いた。
「シャイン殿の剣帯って、王は見たことあります? 一部にきれいな刺繍がしてあるんですよ」
「わたくしも、ちらりと見えた時に、見せてもらったことがありますわ。」
またもツェツィーリアがうふふと含み笑いをしながら教えてくれた。
「あの刺繍は、シャイン様の奥様がなさったらしいのですわ。騎士の間では、愛する人に刺繍を剣帯にしてもらうと、『無事に帰ることができる』と言われているのですとか」
「へぇ……」
そんないわれがあったのは知らなくて、素直に初耳だと驚きを見せる。
ラルスを見るとどこか恥ずかしそうにしていて、フローリアンも恥ずかしくなってきた。
「ぼ、僕、今日刺繍を始めたばっかりで、下手だし……」
「それでもいいんです。やってください!」
「上手い人にやってもらった方が……」
「それじゃあ意味ないんです。フローリアン様じゃないと」
真剣に目を向けられて、顔が熱くなってしまった。隣ではツェツィーリアが「あらあらうふふ」などと言っているし、リュートを持っていたイグナーツがいきなり『愛するあなたへ』という曲を弾き始めて、勝手にムードを盛り上げられている。
「じゃ、じゃあ、もうちょっと練習してからでいいかな……下手な刺繍をするの、僕も嫌だし……」
「やった! ありがとうございます、楽しみにしてますね!」
子犬のように喜ぶラルスを見ると、『やっぱりやめておく』とは言えない雰囲気だ。
「も、もう、仕方ないなぁ……」
そう言いながらもにやけそうになる口元を押し隠し、フローリアンは一生懸命スタイに刺繍を続けた。




