053●フロー編●46.小屋
柔らかな赤で染まって行く風景。
優しくそよぐ風。
そばにいてくれる、誰よりも大切な人。
この陽が沈むまでここで見ていたい……とフローリアンはうっとりと景色を眺める。
「じゃ、急いで山を下ります!」
しかし、フローリアンのそんな思いを打ち砕くような言葉がラルスから放たれた。
「ちょ、今登頂したばっかりだよ! 早くない?!」
「陽が落ちると真っ暗になって危険ですから! 山の中腹に小屋があるので、そこまで駆け下りましょう!」
「無理だよ、僕もう歩けないから!!」
「背中に乗ってください!」
「え、それは危ないだろう?!」
「王一人くらい、余裕で担いで行けますよ! じゃないと護衛騎士なんて務まらないですからね!」
そういうやいなや、フローリアンの体はグイッと小麦袋のように肩に担がれて宙に浮いた。
「ひゃあ!!」
「大人しくしといてくださいねー」
「やだ、ちょっと待って! せめて安定させて!」
「じゃあおんぶにしましょうか」
そういうとラルスは一度肩から下ろしてくれる。
ラルスが改めて背を向けて腰を落としたので、後ろに立って肩に手を置いた。
「よっと」
その声と同時に足が地から離れ、ぐんと景色が高くなる。
「お、重くない? ラルス……」
「へーきです! 王は軽いですから。それよりも、もうちょっとくっついてくれません? 危ないですし、その方が安定するんで」
「う、うん……」
促されて、その広い背中に抱きつくようにして覆い被さる。
(胸はちゃんと締め付けてきたから、女だとはバレないはずだよね……?)
そう思っても、自分の胸がラルスの背中に当たっている事実は変わらず、勝手に顔に血が上ってくる。ひどく照れ臭くて恥ずかしい。
「じゃあ行きますよ。しっかり捕まっててくださいね!」
そういうなり走り出され、グンっと顔が後ろにのけぞった。
「ちょ、ラ、普通走る?!」
「陽が落ちるまで、時間がありませんから!!」
ラルスは人を一人背負った下り道だというのに、ものともせずにぐんぐんと走っていった。
***
「はぁ、はぁ! ギリセーフ!」
「ギリセーフじゃないよ、ばか!」
下り道を滑り落ちる勢いで降りてきたラルスは満足そうだが、フローリアンは寿命が縮まるかと思った。
あれだけ苦労して登った山を、中腹までとはいえわずか数分で降りてくるこの男の脚力はどうなっているのか。凄すぎて理解が追いつかない。
夕方の明るさは消えかけて、空は紫色に変わりつつある。夜の帳が下りる寸前で小屋に到着したことには安堵した。
ラルスの背中を降りると、彼の後ろをついて小屋の中に入る。
倉庫のようなところかと思いきや、簡単な調理器具が揃っていた。薪やかまどやベッドまである。
「ここ、誰かが住んでるんじゃないのか?」
「数年前まではね。今はもう誰もいないですよ」
「知り合い?」
「俺の祖父ですよ。年のこともあるし、山での一人暮らしは危険なんで、今は農業区でのんびりしてます」
以前会ったラルスのおじいさんのことだと、フローリアンは顔を思い浮かべる。
「ガキの頃ここで住んでたから、この山は庭みたいなもんなんで安心してください」
「そういうことは最初に言ってよ、もう!」
「あはは、すみません!」
ラルスは手慣れた様子で家の裏から薪を持ってきて、かまどで火を焚いている。
いつの間に摘んでいたのか、野草を鍋の中に入れて、手早くスープを作ってくれた。
「本当なら、町まで戻っている予定だったんで、こんなものしかなくてすみません」
「いいよ、登るのが遅かった僕のせいなんだから」
「途中で諦めて引き返すこともできたんですけどね。どうしても王に、頂上まで行ってほしかったんです」
「ふふ、それってラルスのわがまま?」
「そうですよ。俺ってわがままなんです」
くすっと目を細められ、フローリアンは胸の高鳴りを隠すために渡されたスープをこくりと飲んだ。
「どうです?」
「うん、なんていうか、素朴でワイルドな味。味付けは塩だけ?」
「そうですよ」
「ちょっと青くさいけど、美味しいよ。疲れた体に染み渡る感じがする」
食べたことのない、初めての味。おそらく、普通に王城で出されていたら、ひとくち食べただけでやめてしまっていただろう。でもなぜか、ここではものすごく美味しく感じた。
「王、明日は日の出と共にここを出ましょう。さっきみたいに王を背負って降りれば、明日の十時までには王都に間に合うはずです」
「うん、そうだね」
「不便でしょうけど、一泊だけ我慢してください」
「大丈夫だよ。……ラルスが、いるから」
そう告げると、ラルスは目を細めてそっと頭を撫でてくれる。
(勘違いされるようなことは言ってないよね……?)
心の中で確認するも、胸はどきどきと落ち着かない。
ラルスはフローリアンのことを男だと思っているはずだし、ふたりっきりでも間違いが起こることはない。その点では安心だ。
(安心なはずなのに、寂しく思うなんて……ばかだな、僕は)
そんなことを考えながらスープを飲んでいると、夜は次第に更けていった。




