042●フロー編●37.罪悪感
そのまま寝入ってしまったフローリアンは、どこか遠くでノックの音を聞いた気がした。
「シャイン殿、交代しますよ」
ラルスの声が脳内で響く。夢かなと思いながら、その声に耳を澄ました。
「大丈夫ですよ。今日は私の番ですから、ラルスはゆっくり寝ていてください」
「早めに休んだんで、もう五時間は寝てますよ。朝までの五時間、もう寝られないんで交代させてください」
どうやらラルスがシャインを気づかって交代するつもりらしい。夢ではなさそうだと思いながらも、フローリアンは夢心地で二人の会話に耳を傾ける。
「王は?」
「ぐっすり眠っておられますよ」
「そっか、よかった。ディートフリート様の結婚式を見て号泣してたから、なんか思うところでもあったのかなって心配しました」
「陛下は、あんな結婚をしたいと思われたのかもしれませんね。相思相愛の」
シャインがそう言っているのを聞いて、なぜあんなにも涙が溢れていたのか、ようやくわかった。
フローリアンは、あんな風に結婚したかったのだ。
心からの言葉で誓い合い、たくさんの人に祝福されて誓いのキスをする。
それをあの結婚式を見たことで、強く憧れてしまったのだと。
「それは……いや、王だって、ツェツィーリア様のこと……」
「ツェツィーリア様には他に想い人がいるでしょう? 知っていますよ、あなたがツェツィーリア様を夜な夜な連れ出していることは」
「お、俺じゃぁありませんよ! ツェツィーリア様の相手は!」
「しっ、わかっています」
ラルスの慌てっぷりが目に浮かぶ。
実際に見てみたいと思いながら、布団の下でじっと我慢した。今度は呆れ声のシャインの声が耳に届く。
「というより、そんなに簡単に鎌にかからないように。側近失格ですよ」
「う! シャイン殿だしいいかなーって……」
「ダメです。騙すつもりなら全員を騙すつもりでいなさい。まぁ、今回はよしとしますし、深くは聞きません。言うならば陛下の許可を得てからにしなさい」
「はい……」
きっとラルスは今、しょぼくれているに違いない。
しかし、シャインは鎌を掛けるのがうますぎではないだろうか。ある程度の予測がついているからこその鎌かけなのかもしれないが。
「ところで、ラルスもそろそろ結婚を考える年だと思いますが、その予定はあるんですか?」
ドキっと胸が鳴って、一気に目が覚めた。起きていることがばれないよう、身を固くさせる。
ラルスはもう二十七歳だ。いつ結婚してもおかしくない。
結婚なんて言葉を、ラルスの口から聞きたくなかった。耳を塞ぎたくとも、動けずできない。
「いえ、結婚の予定はないです」
その言葉に、止まってしまっていた息をゼーハーと吐きたくなる。バレないように息を小さく往復させて、耳を澄ます。
「恋人は?」
「いません」
「作るつもりは」
「今んとこないですね」
ドキンドキンという心臓の音が、ラルスたちにまで聞こえてしまわないだろうかと心配だ。
ラルスに恋人はいない。前の恋人と別れてからは、誰とも付き合ってはいないようだ。
嬉しさが込み上げると同時に、今恋人を作るつもりはないと言っているのは何故なのか気になってしまう。
「立ち入ったことを聞いて申し訳ないですが、どうして今恋人を作る気はないのです?」
フローリアンの疑問は代わりにシャインが聞いてくれて、心の中で感謝を述べた。
「王には言わないでくださいね」
自分には内緒で。なにを言われるのか、鼓動がおさまらない。
しかしフローリアンの覚悟が決まる前に、ラルスは話し始める。
「王とツェツィーリア様が本当に愛し合えるその日まで、俺は恋人を作らないって決めたんです」
それを聞いた瞬間、錨を下ろされたようにずんっと心が沈んだ。
フローリアンがツェツィーリアと愛し合える日は、永遠に来ないのだ。
「それは、いつ決めたんです?」
「五年前ですかね。彼女とうまくいかなくなって別れてから、言い方がおかしいかもしれないですけど、王のことが気になって」
「気になる、とは?」
シャインの問いに、ラルスは一拍置いてから話し始めた。
「王は、絶対にツェツィーリア様のことがお好きなんですよ。なのに、なんかやってることはチグハグで。結婚もいつまでも引き伸ばしてるし……王は多分、なにかに苦しんでる。それなのに俺だけが幸せになるのは、なんか違うんじゃないかって思っちゃったんですよ」
ラルスの言葉に胸が痛くなった。嬉しい反面、ものすごく苦しくて泣きそうになる。
ラルスの幸せを邪魔しているのは自分だった。ツェツィーリアとなかなか結婚しようとしない自分に、内心腹を立てているのかもしれない。そう思うと胸が張り裂けそうになる。
今起き上がり、恋人を作ってもいいと言ってあげたら、解決する問題だ。
そうした方がいいのはわかっている。ラルスのことを思うなら、そうすべきだろう。
(……だめだ、言えない……言えないよ……っ)
ラルスに新しい恋人ができる姿を想像するだけで、頭がおかしくなりそうだ。
もうなに考えたくなくて、フローリアンはそのまま身じろぎせずに寝たふりを決め込んだ。
その胸に、罪悪感を抱いたままで──




