041●フロー編●36.惚気
馬車に揺られて、泊まる予定の町に辿り着いた。ずっと馬車の中でサインの練習をしていたため、アルファベットの形は覚えられたが、ラルスのようにスムーズには出せないし、人が出したものを読み取るのはさらに難しい。
「もう、なかなかうまくいかないよ、これ……!」
「充分に優秀ですよ、陛下。あとは練習あるのみです」
シャインは「ラルスと比べてはいけませんよ」と言って、宿の中に入って手続きをしてくれている。
やはりシャインの目から見ても、ラルスは規格外らしい。
「悔しいなぁ、もう……」
「王はいっつも難しい本とか書類とか読んでてすごいじゃないですか」
「まぁ、仕事だからね」
そんなこんなを話していると、シャインが〝き・て〟と簡単な合図をゆっくり送ってくれた。わかると嬉しいなと思いながら、それぞれの部屋に入る。
一応、フローリアンが一人部屋、シャインとラルスが二人部屋ということになっている。しかし実際には、就寝の時間にどちらかがフローリアンの部屋に入り、扉のところで椅子に腰掛けて眠ることになっていた。
ラルスは元気そのものだが、シャインはさすがに疲れが見えてきている。
この日はそのシャインが就寝時の護衛担当で、フローリアンはベッドの中から声をかけた。
「大丈夫かい、シャイン」
「まったく問題ありませんよ。慣れていますから」
「でも……せめて、椅子を繋げて横にならないか? 座ってなんて、疲れが取れないだろう」
「なにかあったときにすぐに動けなくては、護衛騎士とは言えませんので。お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」
そうは言ったが、シャインは正式な護衛騎士ではない。ディートフリートの時は確かに護衛騎士だったが、フローリアンに対しては直属の部下というだけだ。
本当なら引退していてもおかしくないというのに、無理をさせてしまっていることが申し訳なくなる。
「ごめんね……僕の側近護衛騎士がラルス一人なばかりに、シャインにまで無理させてしまって……」
「なにか、理由がお有りなんですよね?」
シャインのゆっくり流れるような言葉に、一瞬言葉を詰まらせる。
「な、んで、そう思うんだ?」
「私の同僚が以前、王の護衛騎士をしていまして……」
どの護衛騎士だろうか。たくさん変わりすぎていて、どの人物か検討がつかない。
「彼はたった一年で、当時王子だったフローリアン様から、護衛騎士を外されました」
「それは……ごめん……」
「いえ、謝る必要はないのです。けれど彼は、フローリアン様から不興を買った覚えもないし、どうして外されたのかわからないと言っていまして……他の護衛騎士だった者たちにも確認すると同じでした」
なにも答えられずにフローリアンは黙り込む。
けれどシャインは責めるようには言わず、穏やかに続けた。
「きっと、陛下も断腸の思いだったのではないかと思っております。大変な生活をしていらっしゃると……」
大変な生活。どうしてシャインはそんなことを言うのだろうか。
王族は衣食住に困ることはない。一般的にいう〝大変な生活〟とはかけ離れているはずなのに。
フローリアンが眉間に力を入れると、シャインはそっと笑みを見せた。
「お綺麗ですよ。女性の格好をした陛下のお姿は」
「!!」
(まさか、バレてる!?)
フローリアンの額から、変な汗が流れた。とにかく誤魔化さなくてはと、動揺しながらも口を開く。
「じょ、女装を褒められて喜ぶような男はいないよ」
シャインの目を見られず、ふいと視線を逸らした。
しかし、シャインの声のトーンはまったく変わらない。
「私は陛下の味方です。どうしようもなく困った時には、どうぞ私を頼ってください」
穏やかな顔と声。しかしなにを考えているのかわからない。話すとボロが出てしまいそうだ。それでなくても勘の良いシャインである。
なにか別の話題をしなければと視線をずらすと、ふとシャインの剣帯が目に入った。
「あれ……シャインの剣帯って、ラルスと違うね」
「ああ、これですか?」
剣帯を見やすくするために、シャインは剣を外してくれた。
騎士服や剣帯は、国から支給される。階級や役職によって色や形が違ったりするが、シャインはラルスと同じ服のはずだ。
「妻が刺繍をしてくれたのですよ」
「へぇ、すごいな」
布製の剣帯に、ぐるりと一周刺繍が施されている。
騎士服と同系色の紺色でまとめられているが、普段は剣で隠れる目立たない部分には、夕日と鷹の刺繍が顔を覗かせていた。
「刺繍があると、剣帯も長持ちするのです。目立たない部分にだけ刺繍する者もいますが」
「全部刺繍するとなると、大変だろうしね。それにしても、騎士はみんな刺繍してるの?」
「ルーゼンも奥方にされていましたよ。既婚者や恋人のいる者は、刺繍をした剣帯を持っているかもしれませんね」
「ふうん……」
ラルスは元恋人から刺繍をしてもらっていたのだろうか。
それとも知らないだけで、もう新しい恋人ができているのだろうか。
(バカだな、嫉妬しても仕方ないのに……)
フローリアンは刺繍をしたことがない。男には不要なものだとされているから、教えてくれる者などいなかった。
愛する人に刺繍をしてあげられる人たちが羨ましい。
「見せてくれてありがとう。いい奥さんだね」
「ええ。私にはもったいないくらいの素晴らしい妻です」
まさかシャインの惚気を聞けるとは思わなかったフローリアンは、思わず笑みを漏らす。
「ははっ、そんな結婚ができて羨ましいよ」
「……陛下」
言ってしまってから口が滑ったとハッと気づく。
フローリアンは慌てて背を向き、布団に潜り込んだ。
「じゃあ、僕は寝るよ。おやすみ」
「……おやすみなさいませ、陛下」
早く寝てしまうに限ると、無理やり目を瞑る。
すると目に焼きついたシャインの剣帯が浮かんできた。
(刺繍……僕もやってみたかったな……)
目を瞑ったままでも涙は溢れそうになる。けれど泣いているのを気づかれてはいけないと、思考を眠りに集中させるしかなかった。




