039●フロー編●34.お忍び
フローリアンが王となり、三ヶ月が過ぎた。
執務室でいつものように書類に目を通していたが、たまらずため息が漏れる。
最近、ノイベルト……つまりツェツィーリアの父親が、結婚を暗に急かしてくるのだ。それだけではなく、国民の期待も高まっている。
前王のディートフリートがまったく結婚する様子がなかったので、みんな不安になっているのだろう。
いつかはツェツィーリアと結婚しなければならないということはわかっている。けれど、なるべく引き伸ばしたい。決心など、つくはずもなかった。
「王、シャイン殿です」
机の上で唸っているフローリアンに、ラルスのしっかりとした声が飛んできた。
「いいよ、入れて」
書類を放り出すように手放すと、シャインが五十歳になっても変わらぬ端正な顔を綻ばせながら入ってくる。
「陛下、良いお知らせです」
「なに?」
「ディートフリート様とユリアーナ様の結婚式が、エルベスの町で行われるそうです」
「わ、ほんと!?」
兄たちの結婚。王族を離脱したディートフリートは、ささやかに式をあげるらしい。
そんなところに王である自分が行っては、大騒ぎになってしまうだろう。
「僕は……行っちゃ、ダメだよね……」
「そうですね。公式訪問は難しいかと」
「じゃ、非公式で行っちゃいましょうよ!」
ラルスは純然にもそう言ってのけた。そんなのシャインが許すはずがない……と思ったが、彼もまたうっすらと笑みを見せている。
「そうですね。非公式で行きましょうか」
「え!? ……いいの?」
「かまいませんよ。ディートフリート様だって、何度お忍びで王都を出ていたことか」
シャインはもっとお固いイメージがあったのだが、そんなことはなかったらしい。お忍びという初めての言葉に、ドキドキと胸が高鳴る。
「おそらく、遠くから見るにとどまると思いますが、それでもよろしいですか?」
「うん、いいよ。兄さまの結婚式を見てみたい。それはシャインも同じだろう? 一緒に行こう!」
「はい。陛下、ありがとうございます」
シャインは誰より嬉しそうに笑っている。フローリアン以上にディートフリートとずっと一緒にいて、色々と苦労もしているのだろうから、俄然彼のためにも結婚式を見に行きたくなった。
「となると、変装道具が必要ですよね! 俺、王の分も用意しておきます!」
「その必要はないですよ、ラルス。ツェツィーリア様にご協力をお願いしましょう」
「え? ツェツィーに?」
そういうとシャインは、にっこり笑って部屋を出て行った。
***
はらりと翻るスカート。
いつもよりも赤い唇。
目の前の嬉しそうなツェツィーリアの顔。
「聞いてないよ、女装するだなんてーーーー!!」
部屋にはツェツィーリア、それにラルスとシャインがフローリアンに注目している。
「わたくしのワンピースがよくお似合いですわ!」
ツェツィーリアがイグナーツのコンサートに、ひっそりと行く時のためのワンピース。
彼女好みのミントカラーは派手すぎないけど華やかだ。だからこそ、気恥ずかしい。しかしシャインはなぜ、ツェツィーリアが一般庶民の着るような服を持っていると知っていたのだろうかという疑問が頭を過ぎる。
ただそれより今は、スカートから顔を出している足が恥ずかしくて仕方ない。
「僕、ツェツィーより背が高いから、足が出ちゃってるよ……!」
「膝が出ることはありませんから大丈夫ですわ。最近、城下ではミモレ丈が流行りなのでしてよ」
「僕にそんな流行を着させてどうするんだよ!」
「とーってもお似合いでしてよ! ねぇ、ラルス様?」
話をいきなり振られたラルスは、ぼうっとしていた顔をハッと引き締めている。
「め、めちゃくちゃ綺麗です……! 王に惚れてしまいそうです!」
「ば、ばか! 僕は男だよっ」
「わかってますけど……でも、すごくかわいいです!」
「も、もうっ!」
目の前ではツェツィーリアが「うふふ」と口元を隠しながら、フローリアンに目を向けてくる。
ツェツィーリアにはバレているだろう。今のラルスの言葉が、死ぬほど嬉しいという思いを。
「その姿ならば、誰も陛下だとは気づかないでしょう」
シャインは人の気も知らず、優しい笑みを見せている。
気づかれないためとはいえ、とんでもない提案をしてくる男だ。
「まぁ、誰も王が女装してるとは思わないもんね……もしバレるとスキャンダルじゃないの? 〝王が結婚をしないのは、女装癖があったから〟なーんて見出しで新聞に載らないよね」
「バレないようにお守りするのが私たちの役目です。道中、ラルスもしっかり頼みますよ」
「はい、任せてください!」
ほんの少しだけ不安はあったが、今日からしばらく、ラルスとシャインと一緒に旅をする。
王家だとはわからない簡素な馬車に乗って、往復で十日の日程だ。
仕事の調整は全部シャインがやってくれていて、のんびり旅行気分で出かけられるのが嬉しい。
思えば、公務でないただの旅行なんて初めてだ、とフローリアンは胸を高鳴らせた。
そして、極め付けは鏡に映った女である自分の姿。
喜ぶ姿を見せてはおかしく思われる……とわかっていながらも、その心までは打ち消せなかった。




