037●フロー編●32.和解
シャインとルーゼンの陰に隠れるようにして兄の部屋に入室すると、「どうしたんだ、二人して」という声が聞こえてきた。
ルーゼンが振り向いて、そっとフローリアンの背中を押し出してくる。
「フロー? どうしたんだ?」
ディートフリートは驚いたように声を上げ、目を広げていた。
気まずいと思いながらも、フローリアンは恐る恐る声を上げる。
「兄さまは、どうしても王族を離脱したいんですよね……」
フローリアンの問いに、ディートフリートは真顔向けている。
「うん。私は王族を離脱しなくてはいけない。約束をした人がいるからね」
「兄さまは、僕をお見捨てになるのでは、ないのですか……?」
その訴えに兄はゆっくりと首を横に振り、しっかりと目を合わせてくれた。
「それは違う。フローは大切な私の弟だ。見捨てるなど、あり得ない」
「本当……ですか」
「当然だろう」
ディートフリートの言葉に嘘はないとわかっている。なのにずっと、わがままで兄を引き留めてしまっている。
「僕……兄さまがいなくなるのが寂しくて……どうしても、嫌で……!」
「……フロー」
嫌われるのが怖くて秘めていた本心。それをフローリアンはぶちまけた。
どんな反応が来るかと肩をこわばらせていると、その両肩に力強い手が置かれた。
「フローになにかあったときには、必ず助けるつもりだ」
「兄さま……」
「フローが愛する弟であることに変わりはないよ。私もフローと離れるのは、寂しい」
フローリアンの視界がぼやける。兄の真剣な瞳。ディートフリートも寂しいと思ってくれていたのだ。
その気持ちを知れただけで、フローリアンの胸は熱くなった。
「王族を離脱しても、ここに遊びにきてください……」
「ありがとう……わがままを言ってごめんな、フロー。また遊びにくるよ」
ディートフリートがフローリアンを抱きしめてくれる。
会う機会も話す機会もほとんどなくなってしまうのかと思うと、『やっぱり嫌だ』というわがままが出てきそうだ。
寂しい。行ってほしくなんかない。
けれど、ここでちゃんと兄を送り出す決意をしたなら……ラルスが『頑張りましたね』と褒めてくれるような気がして、フローリアンはぐっと言葉を飲み込んだ。
「シャイン、頼みがある」
「わかっております」
ディートフリートの言葉に、シャインの即答する声が聞こえた。
フローリアンはこれが最後なのだからと、兄をぎゅっと抱きしめる。
「わかってしまうか?」
「何年ディートフリート様と一緒にいると思っているのですか。護衛騎士としてはもう無理がありますが、これからは新王の家臣としてこの体が持つ限り、お仕えいたします」
「助かるよ……ありがとう」
その言葉を聞いて、フローリアンはディートフリートからそっと離れた。
誰よりも信頼しているであろうシャインを、フローリアンの臣下においてくれる。フローリアンはディートフリートの気持ちをようやく心から理解できた。
兄は弟のことを本当に心配してくれているのだと。大切に思ってくれているのだと。そこに、真の愛はあったのだと。
「ありがとうございます、兄さま……」
「大丈夫、フローならやれるさ。ずっと、ずっと応援しているよ」
泣くまいと必死に涙を堪えて、こくりと頷いてみせる。
やっぱりディートフリートは、優しくてかっこいい、自慢の兄だ。
ようやく心がスッキリとしたフローリアンは、ディートフリートの部屋を出て自室へと急いだ。
早くラルスにこのことを伝えたい。聞いてもらいたい。
「ラルス!」
扉を開けて飛び込むと、ラルスが茶菓子の用意とお茶を入れ終えたところだった。
「王子、どうでしたか!?」
ティーポットを机に置いて、ラルスが駆け寄ってきてくれる。
「うん……兄さまは、僕のことをちゃんと大事に思ってくれていたよ……ずっと、応援してくれるって……」
兄の部屋で我慢していたはずの涙が、ラルスの顔を見るとぽろりと流れてきてしまった。
「王子、良かったですね!」
そう言ってラルスはぎゅっと抱きしめてくれた。その瞬間、ドキンと胸が跳ねる。
頭を撫でられたり、手を握られることはあっても、抱きしめられることはまずない。庭園で抱きしめられた時は悲しみが大き過ぎて気にならなかったが、今は心臓がドッドと跳ねてうるさいくらいだ。
ディートフリートに抱きしめられた時と全然違う。兄とは少し違った男らしい香りが、フローリアンの耳を熱くする。
ラルスは子どもにするようにトントンとフローリアンの背中を叩いてくれている。嬉しいような恥ずかしいような、子ども扱いされていて納得いかないような、そんな気分でいると、ラルスはゆっくり離れていった。
「はは、泣き虫ですねぇ王子は。顔、真っ赤ですよ!」
「も、もう、うるさいよラルス」
顔が赤いのは、自分のせいだということにまったく気づいていないラルスに、フローリアンはふっと笑みをもらした。
「ラルス」
「なんですか?」
「ありがとう。兄さまと話す勇気をくれて」
ラルスがいてよかった。
そうじゃなければ、いつまでもいじけていて、わだかまりを持ったまま兄と離れなければいけなかったに違いない。
「王子が頑張ったんですよ。お疲れ様でした。一緒にクッキー食べていいですか?」
「っぷ、もう、ラルスはー!」
最後の一言でいい雰囲気が台無しだ。
それがラルスらしいといえばラルスらしいのだが。
「じゃあ、一緒に食べよう」
「はい! 新王誕生のお祝いクッキーですね!」
とうとう王座に着く決心をしてしまったのだなと、フローリアンはどこか他人事のように思いながらクッキーを頬張る。
しかしいつも明るく応援してくれるラルスがいれば、なんとかなりそうな気もしてきた。
「僕、王になるからには頑張るよ。ラルス、僕に力を貸してくれるかい?」
「もちろん。俺にできることがあれば、なんだってしますよ!」
力強いラルスの言葉が嬉しくて、心が温かくなって。
二人は笑顔で祝いのクッキーを口にしていた。




