033◾️王妃(エルネスティーネ)編◾️01.盛られた薬
エルネスティーネがフローリアンの部屋から出ると、そこにはラルスだけではなく、ルーゼンとシャインの姿があった。
きっと二人はフローリアンの説得に来たのだろう。
赤髪のルーゼンと金髪のシャインは、ディートフリートが幼い頃からの護衛騎士だ。もちろん二人もユリアーナの存在を知っている。
エルネスティーネは敬礼を見せる三人に「ディートフリートとフローリアンをよろしく頼みますよ」と声を掛け、そのまま自室へと戻っていった。
(ディートには、もちろんユリアーナと幸せになってほしい……けどそうするとフローが……)
大切な二人の子どもの未来を考え、胸が痛んだ。
子どもと言っても、成人をとっくに超えているいい大人である。
いつまでも親があれこれ口を出す年ではなくなっているのだ。
自分がどうこうすべき話ではないと思いながらも、罪悪感だけが胸の奥で渦巻いている。
息子であるディートフリートの婚約者、ユリアーナ。
彼女を見た瞬間、未来の王妃の姿が脳裏に広がったのを、エルネスティーネは覚えていた。
十歳の時にディートフリートと婚約関係となったユリアーナは、王妃教育のために王城に住んでいたのだ。
王妃さま、と少し舌足らずな声で話しかけられた時、エルネスティーネは素直に可愛いと感じた。
王妃であるエルネスティーネは、未来の娘になるユリアーナをとても可愛がっていた。
小さな頃から知っていた彼女を、すでに本当の娘のように思っていたのかもしれない。
ここハウアドル王国では、兄弟戦争という、継承争いで苦しんだ歴史があった。
だから現王であるラウレンツと結婚した時に、話し合って決めたのだ。子は男児が一人生まれた時点で、もう作らない、と。
エルネスティーネは、女の子も欲しかった。けれど、最初に生まれたのが男の子だったから、諦めざるを得なかったのである。
ディートフリートが生まれた日から、ラウレンツがエルネスティーネを抱くことはなくなった。もちろん、浮気をされることもない。ラウレンツは立派な、立派すぎる王だった。
エルネスティーネもまた、そんな王の意向に従う、素晴らしい王妃に見られていたことだろう。
不満はすべて飲み込み、口に出すこともしなかったのだから。
その反動もあってか、エルネスティーネはユリアーナを可愛がり、時に厳しくし、本当の娘のように愛し育てた。
しかしそれも、エルネスティーネが三十六歳の時までである。
ある時、ユリアーナは息子のディートフリートに婚約破棄をされ、王都を出て行った。
その事情はわかっているから、誰を責めるわけでもなかったが、心にぽっかりと穴が空いたのだ。
可愛い娘が、目の前から消えてしまった喪失感。虚無感。
落ち込む姿を見せてはならぬと振る舞ったが、心は常に虚しさしかなかった。
そんな折、ディートフリートからこんな提案がなされたのである。
「父上、母上。僕に弟を作ってください」
唐突の申し出。夫を横目で見ると、ラウレンツの困惑した様子がわかった。
「……突然、どうした?」
「弟が、欲しくなったのです。そもそも、王位継承者が僕だけという状況が好ましくない。もし僕が事故に遭ったり病気になったらどうするんですか」
それは、確かに懸念していたことではある。しかし骨肉の争いを防ぐためには、必要な措置だったのだ。
「もしも弟が王位を願うなら、僕は喜んで譲りましょう。もちろん、弟がいるからと遊んで暮らすつもりはありません。帝王学も引き続き学び、王となるべく精進します」
エルネスティーネはラウレンツと目を合わせる。そもそもこの夫に、自分を抱くつもりはあるのだろうかと。
「けれど、もう産めるかどうかもわからないわよ?」
「母上はまだ三十六歳ではないですか。大丈夫、可能性は十分にあります。お願いします」
お願いされても、そもそも行為がなければ不可能なわけで。
ディートフリートはお願いをするだけして、出て行ってしまった。
「あなた、どうします?」
「……」
返事はない。熟考しているのだろうと、エルネスティーネは返事を急かさずに待った。
しばらくして口を開いた王から出てきたのは、言葉ではなく、ため息。
「あいつは、王族を離脱するつもりがあるのかもしれんな……」
「ええ?!」
思わず声を上げると、ラウレンツは力なく笑った。
「どうする、エルネス。もう一人子をもうけて、ディートの好きなようにさせてやるか……ディートを手放したくないなら、このまま一人の方が良いが」
そう問われては、今度はエルネスティーネの黙る番だった。
ディートフリートは大切な息子だ。王族を離脱しても親子でなくなるわけではないが、今までのようにはいかなくなる。もちろん、手放したくなんかない。
けれど……娘は、欲しい。
「まぁ、ディートには子作りしていると適当に言っておけばいいだろう。私もお前も年だし、そうそう簡単に子を成せるとも思えんしな」
「そう……です……わね」
ラウレンツはエルネスティーネよりも十二歳年上の、四十八歳だ。もう十七年以上も何もないし、年齢的にもそういう行為は疎ましくなっているのかもしれない、と自分を納得させる。
しかし、その日の夜のことだった。
エルネスティーネが己の体調に異変を感じたのは。
食事を取っている最中から、なにかおかしい気はしていた。もしかして毒かと思ったが、先に食べた毒見役のメルミはなにも言っていないし、おかしな様子も見られない。
連日の騒ぎで少し疲れたのかもしれない……そう思って食事の後はすぐに就寝することにする。
広いベッドに一人で寝転ぶと、体が熱ってきた。これは本格的に風邪かもしれないと思っていると、執務部屋にいたはずのラウレンツが駆け込んでくる。
「大丈夫か、エルネス……」
そういうラウレンツの方が苦しそうに息を切らしているのがわかった。
「ど、どうしたの? ラウレンツ……」
「薬を盛られた」
「ええ!?」
ベッドから飛び降りようとすると、ラウレンツの方がベッドに……いや、エルネスティーネに倒れかかってきた。
「大丈夫ですか、あなた!」
「っく、やられたよ……ディートに」
「え……ディートフリート?」
急に息子の名前が出てきて、エルネスティーネは困惑する。
「心配するな……これはおそらく精力薬だ」
「精力……」
「エルネス、そなたはなにも盛られていないか?」
「それが私もさっきから、体が熱っぽくて……」
「媚薬、だろうな……料理人も毒見役も、王子に弟が必要だから協力しろと言われれば、断れんかったのだろう」
そう言いながら、ラウレンツは押し迫ってくる。
「ディートの策略に乗ってやるか?」
「それは……私は構いませんが、よろしいのですか?」
「あの息子は、子ができるまで毎日薬を盛ってくるだろう。さすがに……我慢しかねる」
そう言うとラウレンツは、優しくエルネスティーネを押し倒し。
十七年ぶりに触れ合ったのだった。




