025●フロー編●23.議会の反対
「フローリアン様、大丈夫ですか?」
馬車の中で、ラルスが心配そうな顔で眉を下げていた。
ウッツが投獄されてから二年。
あの日から、フローリアンは兄の仕事をかなり振られるようになっていた。
今はベルガー地方の視察を終えて、ようやく王都に入ったところだ。
「大丈夫だよ。兄さまは今までこれを、全部一人でこなしてたんだから、僕も手伝えるくらいにはならないとね」
「それにしても、最近は王子に任せてばかりじゃないですか? 気づけば陛下もシャイン殿もいないことが多いし」
「忙しいんだよ、兄さまたちは。頼ってもらえているなら、僕は嬉しいよ」
いつもあっちへこっちへと忙しく出かける兄を支えたい気持ちは本当だ。
しかし、フローリアンが王としてやっていくための試練を与えられているような気にもなって、不安になる。
『手伝い』であるならいい。いくらでも兄を手伝うつもりでいるのだから。
けれど、王になるための実績を積まされているのだとしたら。
(そんなはずないよ……さすがの兄さまも、ホルストの嫌疑を晴らすのは諦めたはず。兄さまが王を続けるのが一番だ。なんたって、賢王なんだから)
どうにかして王になるのを回避したい気持ちは、今も変わらない。
ディートフリートさえ、誰かと結婚して子を成してくれれば、フローリアンは王にならずに済む。今の法のままでは男性にしか継承権はないため、女児しか生まれないと結局はフローリアンが王位に就くことになるのだが。
だからフローリアンは普段の公務と並行して、女性の権利保護政策をしたいと思っていた。
参政権の確立、教育の機会の平等化、労働市場での平等な待遇、性的自己決定権の確立だ。
教育の機会の平等化については、兄のディートフリートがほとんどを終わらせているから、実質残りはみっつである。細かく言い出せばいくらでも不満は出てくるが、基本の柱となるものを制定したい。
一般女性の地位が向上し、男女が平等になれば、女王もあって然るべきという世論に流れていくだろう。いつか生まれるかもしれない、兄の子が女児であったときのために。
(兄さまが本当に結婚するかどうかはわからないけど、やっておいて無駄にはならないはずだ)
城に戻ると、視察地域の資料をまとめる。
今日行った地域では不作が続いていて、改善案を盛り込んでいくのだ。
しかしいくら王族でも、すべて自分の思い通りにことが運ぶわけではない。貴族の代表がほとんどを締める議会で、承認を得なければならないのだ。
現在ディートフリートは不在のため、フローリアンが代わりに話をつけなくてはならない。
「王子、もうお休みになった方がよろしいんじゃないですか」
王都に帰ってきてからもずっと後ろで控えてくれていたラルスが、心配そうに声をかけてくれた。
「ああ、ごめん。ラルスはもう帰っていいよ。僕もこれだけやったら終わるから」
「王子が仕事をしてるのに、帰れないですって。今日は詰め所で寝るんで、終わるまで付き合いますよ」
「ごめん、ありがとう」
それから結局たっぷり一時間は仕事をしていたが、頭がだんだんぼんやりとして眠気が襲ってくる。
「ん……」
「王子?」
ラルスの心地良い声が、ぼわんと膜が張ったように聞こえた。
「……お疲れ様です」
体が浮いたような気がする。暖かい雲の上に乗せられた気分だ。
(あれ……僕、いつベッドの上に来たんだろ……)
そんな疑問をうっすらと感じながら、フローリアンはそのまま意識を降下させた。
翌日の議会では、視察したベルガー地方の現状と改善の必要性を訴えた。
議員はほとんどが貴族だ。少し前までは全員が貴族で構成されていたが、このままではいけないとディートフリートが庶民の声も届くように一般代表者も加わるようになった。
それでもここにいるのは全員男であったが。フローリアン以外。
ラルスも護衛として、円卓の後ろに控えている。
フローリアンは起立して全員の顔を見ながら話を進めていた。
「ベルガー地方はどうしても雨が少ない。農産物の生産を安定させるために、農業用地の灌漑施設の整備を進めていくべきだ。堰を作って貯留し、必要な時に放流する。どの農家にも分け隔てなく灌漑水を行き渡らせられるよう、水路の建設も必要だ」
フローリアンの提案に口を挟みたそうにしている者はいたが、そのまま政策案を続ける。
「各工事により雇用を創出する。農業生産が増加し、食料が安定供給させれば、地域社会が発展する。インフラが整えば、地域のサービスも向上していく。だからまずは灌漑施設を──」
「しかしその費用はどこから出るのです。たかが一地方を救うのに、我らの血税が使われるのですか?」
明らかに嫌そうな顔をしている貴族議員の一人に、鼻で笑うように言われた。
彼にすれば、直接関係のない地域などに、ほんの少しのお金も出したくはないのだろう。
フローリアンにしても、なんでもかんでも国庫金に頼ろうとは思っていない。本当に使わなければならない時は他にある。だから、今回は。
「心配しなくていい。民間投資を募るつもりだ」
「民間投資ですと?」
驚く彼に、フローリアンは首肯してみせた。
「灌漑施設の整備によって農地の生産性が向上すれば、農産物の収穫量や品質が上がる。つまり収益性が向上するということだ。それにより、市場での競争力は強化。市場が拡大され、生産物の販売や加工などのビジネスでも収益の増加が期待できるだろう」
円卓を囲む者たちの、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。にっこりと微笑んで、フローリアンはさらに続ける。
「地域経済全体の発展が促進されるんだ。企業が地域内でビジネスを展開している場合、地域の経済成長に連動して収益が増加するということ。つまり灌漑施設への投資は、長期的に利益という恩恵にあやかれるということだ」
「そ、そこまで言うのでしたら仕方ありませんな。特別に私が投資して──」
「ずるいですぞ、ハーデン卿! 殿下、ぜひ私も投資をしたく存じます!」
ビジネスチャンスをものにしたいと考える者が、こぞって名を上げてくれた。
最終的には税収も増えるので、民間の介入はありがたい。
これを境に、ベルガー地方の議論は熱を帯び、より具体的な話で煮詰めていくことができた。
「じゃあ、この話はこれくらいにしよう。次は女性解放運動の話に移りたいんだが……」
そこまで言うと、議員たちはなにを勘違いしたのか、苦々しい顔をした。
「ああ、それですか。まったく最近の女どもの増長ぶりにはかなわんですな」
「本当ですなぁ。女など、男の言うことを聞いておけば良いというのに生意気な」
女性解放運動は、まだまだ大きな動きを見せてはいない。だというのに、この言われようだ。
あまりに感覚が違いすぎて、フローリアンの唇は凍ったように動かなくなる。
「思えば、女どもが生意気になり始めたのは、あの時の政策からですなぁ」
「ああ、二十年前の、あの政策は余計でしたな……」
二十年前というと、現在十九歳のフローリアンが生まれる少し前の話だ。
(その頃された政策は……確か兄さまの、職業選択の自由だ。)
一部の業種を除き、女性でも職種を選べるように法を整備したディートフリートの政策。
女だからというだけで雇用しない場合は罰則を設け、全体の一割以上の女性を雇った企業には、国から女性雇用達成の報奨金を与えた。
これで女性の社会進出が爆発的にとはいかないものの、大きな一歩になったことは間違いなかった。
それまでの女性は家業を〝手伝う〟か、農業くらいのものだったと把握している。
一般女性は特に、自分で職業を決めるものではないと思っていたらしい。その固定観念をガラッと変えたのが、ディートフリートだ。
(さすが兄さまだ。だけど、男である兄さまが、どうしてその政策を?)
考えてもわからないが、下地は兄が作ってくれている。発言を怖がっている場合ではないと、フローリアンは口を開いた。
「僕は、女性解放運動を支援する政策を打ち出したいと思っている。つまり女性の権利保護政策だ。まずは女性の参政権についてだが──」
「はは、参政権? なんの冗談ですかな、殿下!」
「女が政治に関わっては、ろくなことになりませんよ。あいつらは自分勝手な生き物ですからなぁ!」
「違いない!」
どっと円卓から笑い声が響く。
女性を下に見て馬鹿にしている顔。蔑みの目に、歪んだ口元は嘲笑しているようにしか見えない。
女はこれがダメあれがダメと口々に好き勝手を言う不快な振動は、フローリアンに吐き気と怒りを呼び起こさせる。
(どうしてこんなに笑ってるんだ!? 女性は自分勝手だって!? ろくなことにならない? ふざけるな!)
思わず叫びそうになるのをぐっと堪えて、フローリアンはなんとか声を絞り出した。
「僕はこの国で生きる人すべてに、同じ権利があって然るべきだと思ってる。女性の柔軟な意見は、きっと我がハウアドル王国に良い結果をもたらすと──」
「王弟殿下」
冷気のような鋭い声音で呼ばれ、心臓を不規則に鼓動させながら顔を移動させる。
彼は……いや、彼らは蔑むような目を、刺すようにフローリアンに向けていた。
「そんな政策を打ち出すような者に、一体誰が投資しようと思うのです」
「ベルガー地方の創生を成功させたいのでしょう?」
クスクス、クスクスという悪意ある笑みが室内に響く。
この政策を進めようとすれば、彼らは投資の話を降りるどころか、ベルガー地方のことなどなかったかのように振る舞うだろう。
負けてはダメだと思うのに、ベルガー地方の困窮する人々の姿を思い浮かべると、どうしてもそれ以上女性の権利を訴えることはできなかった。
その日の議会は解散し、「本日も有益な議論ができましたな」と男たちはにこやかに去っていく。
フローリアンはただただ、拳を強く握り締めていた。




