023●フロー編●21.選んだ本
外に出ると、ラルスたち兄弟姉妹が水入らずで仲良く話をしていた。
兄らしいことはしていないと言っていたが、こうして見ていると立派に兄をやっているように見えて、フローリアンの顔は自然とほころぶ。
「あ、王子」
すぐにラルスがフローリアンに気づいて、駆け寄ってくれる。
「帰ろうか、ラルス。それとももうちょっといる?」
「いや、大丈夫です!」
「そう」
フローリアンはラルスの家族にお礼を行って、ラルスと一緒に馬に乗った。
いつまでも手を振ってくれるラルスの家族に、フローリアンも手を振り返す。
「ふふっ、いい家族だね」
「そうですか?」
「いい家族だってわからないなら、生まれた時からやり直した方がいいよ」
「いえ、わかってます。いい家族ですよ、俺ん家は」
「あはっ」
ちゃんと認めたラルスが可愛くて、フローリアンの口元は半円を描いた。
顔を見たくて振り向くと、ラルスの少し照れた表情が目の前にあって。
一瞬で耳が熱くなったフローリアンは、すぐに前を向く。
普段から明るい男なので気づかなかったが、ラルスも色々と苦労してきているのだろう。それを知ることができて良かったと、フローリアンは心から思えた。
「まだ時間ありますよね。帰りは少し違う道を通ります?」
「うん、もう少し見て回りたいな」
「わかりました。この辺は野菜畑が多いですけど、向こうは薬草畑が多いんで、また違った景色が見られますよ」
ラルスの弾んだ声が頭上から響いてきて、フローリアンはわくわくと心を踊らせる。
しばらく馬を歩かせていると、一面にピンクの花が咲いた畑があり、フローリアンたちは馬から降りて畑を眺めた。
「わぁ、花畑じゃないか!」
「これ、薬草畑なんですよ。花が終わった後にできる実が、薬になるんです。向こうの畑は根っ子が薬になって、こっちのは草を乾燥させて使うらしいですよ」
ラルスの指さす薬草畑を眺める。薬草もそれぞれで、鮮やかな緑色した草もあれば、見るからに毒々しい色の草も生えていた。
「すごいね、一面薬草畑だ。この畑の管理者って──」
「シンドリュー製薬会社ですね。委託されて農家が作ってます。高く買い取ってくれるらしくて、薬草畑を作っている人たちは羽振りがいいですよ」
シンドリューというと、先ほど会ったラルスの後輩のブルーノが仕える子爵家である。
「あ、噂をすれば……」
ラルスの言葉に顔を上げると、馬車が一台やってきていた。その馬車を護衛するように、馬に乗ったブルーノもいる。
「これはこれは、王弟殿下!!」
馬車からシンドリュー夫妻が降りてきて、すぐさまフローリアンの前で跪いた。
「視察でございましょうか。うちの畑になにか問題でも!?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。私的な訪問だから、立ってくれ」
促すと、ほっとしたように夫妻は立ち上がってくれた。
目つきの鋭い夫の方がドラド、矢印のような鼻の形をした、おっとりとした女性が妻のソルフィナだったなと心で確認する。
「立派な素晴らしい畑で見入っていたんだ。シンドリュー卿こそ、視察で?」
「お褒めくださりありがとうございます。私は自分たちの目で薬草の成長具合を確かめに来るのです。仕入れを確保しなければいけませんから、足りない時は他の村に買い付けに行かなければなりませんので」
「細かな調整をすることで、供給が需要を下回ることなく薬を生産できるだな。これからも頑張ってほしい」
「もちろんです。ありがとうございます」
ドラドとソルフィナが頭を下げ、フローリアンはラルスに「行こう」と促した。
ブルーノはなにも言わずに敬礼だけしていて、やはり真面目な堅物だなという印象を受ける。
馬車に乗って行ってはというドラドに丁寧に断りを入れると、来た時と同じようにラルスと二人で馬に乗って帰った。
中間街まで戻って厩舎に馬を返すと、まだ日が暮れるまでには時間がある。どこに行こうかと辺りを見回すと、本屋が目に止まった。
「ちょっと本屋に寄ってみてもいい?」
「本屋ですか? もちろんいいですよ」
城内には蔵書がたくさんあって、王族であるフローリアンはほぼすべてを自由に読むことができる。
しかし古い書物が多く、最新の本は下働きに頼んで買って来てもらっていた。実際に本屋であれこれとじっくり見る機会はないのだ。
本屋に入ると、独特の木の香りがしてむずむずと心が揺れ動く。見たことのないたくさんの本が置いてあって、どれが面白いだろうかと最初の数ページを確認していく。
「楽しそうですね、王子」
「うん、本好きなんだ」
もっと小さい頃の話だが、忙しい兄が合間を縫って絵本を読んでくれていたのだ。その影響もあって、フローリアンは今でも物語を読むと心が高揚する。
「どれにしようか迷うなぁ。全部を読む暇はないし……ね、ラルスはどんな本を読むの? おすすめはある?」
単純にラルスの好みが知りたくて……共有できる話を増やしたくて、聞いただけだった。しかしラルスは残念そうに眉を少し下げている。
「すみません、俺、本はほとんど読んだことがないんでわからなくて」
「え? 本、嫌い?」
「いえ、物語は好きですよ。ただちょっと、夜眠りにくくなるんで」
そこまで聞くと、フローリアンは自分の迂闊さに気づいた。
ラルスは視覚情報は忘れないと彼の祖父が言っていた。何百ページもある本を読めば、それだけ処理する時間を必要とするということだ。
成長して処理速度が上がったと言ってはいたけれど、まったくのゼロになった訳ではないのだろう。
「ラルス、読むならどういう物語が読みたい?」
「え? だから、俺は本は……」
「いいから、教えてほしいんだ」
無理やり聞き出そうとするフローリアンに、ラルスは少し眉間を寄せながらも答えてくれた。
「そうですね……読むなら、冒険の本ですかね。少年が世界を旅して、ドラゴンと話をしたり、剣や魔法で悪と戦ったり、仲間と絆を強めていく……そんな話を読んでみたいです」
男子は何歳になってもそういう物語を好む傾向があるのかもしれない。
ラルスの好みを聞いたフローリアンは、店員にそんな本がないかを聞き、おすすめの本を数冊買い求めた。
「それ、王子が読むんですよね?」
「うん、そうだよ。ラルスに読めなんて言わないから、安心して」
そう伝えると、ラルスは明らかにほっとした。しかしその表情に、少し残念そうな色が混じっていたのを、フローリアンは見逃さなかった。
夕刻までにはまだ時間があったが、もう十分に楽しめたからとフローリアンたちは城へ戻って来た。
自室に入ると、ラルスはいつものように扉の前に立っている。
「おいで、ラルス。ここに座って少し休憩しよう。ラルスも動き回って疲れただろう」
「部屋でずっと立っているより、よっぽど楽しかったですよ」
ラルスはそう言いながら、席に着いてくれた。こういうところで遠慮をしないのがラルスらしい。
買って来た本をテーブルの上に置くと、フローリアンはそのうちの一冊を手に取った。
「『ルーカスとクレアの竜の古城を救え!』だって。ふふ、面白そうだよ」
「本当ですね。楽しんでください」
「うん」
フローリアンは本を開くと、最初のページに目を落とした。そしてすうっと息を吸い込む。
「風が荒野を渡り、空には夕焼けの色が広がっていた。その荒野の中心にそびえる岩山の頂上に、一つの影がそびえ立っていた。それは忘れ去られた城の姿だった」
「……王子?」
「かつて栄華を誇った古城は、今や荒廃し、忘れ去られた伝説の中に埋もれていた。少年ルーカスと彼の幼馴染みのクレアは、その古城の姿を見つけると」
「ちょっと、王子!」
「驚きと興奮が込み上げてきた。ルーカスは手に持つ地図をじっと見つめ──なに、ラルス」
「なにじゃないですよ、どうして声に出して読んでるんですか!」
腰を浮かして訴えるラルスに、フローリアンは伺うように目だけで見上げる。
「僕がそうしたかっただけだよ。いけない?」
「いけなくはないですけど……もしかして俺の話、じいちゃんから聞きました?」
「うん……ごめん」
「いえ、いいんですけど」
さっきの勢いが萎むように、ラルスはまた着席した。
怒らせてしまっただろうかと思ったが、逸らされた視線は恥ずかしそうにも、嬉しそうにも見えた。
「耳から聞く分には大丈夫なんだよね?」
「はい」
「じゃあ僕が、毎日少しずつだけど勉強の合間に読んであげるよ。僕の息抜きにもなるしね」
「……王子」
どこか向こうを向いていた視線が、フローリアンの方へと戻ってくる。
その目は少しだけ潤んでいるように見えて、少年のように輝いても見えて。
「ありがとう、ございます。王子の気持ちが嬉しいです」
柔らかく微笑まれると、喜びで体が震えそうになる。
「……へへっ。じゃあ、続きを読むね」
きゅうきゅう鳴る胸を押さえつけたい衝動に駆られながら、フローリアンはゆっくりと文字を追いながら声に出して読んだ。
「ルーカスは手に持つ地図をじっと見つめ、確信に満ちた笑顔を浮かべた。『クレア、僕たちはついに見つけたんだ。竜の古城を、そしてその秘密を!』」
ラルスが嬉しそうに目を細めながらフローリアンの音読を聞いてくれている。
フローリアンの心は穏やかでありながらも、ドキドキと波打っているのを感じた。




