021●フロー編●19.人の機微に聡いわけ
広場にある大きな泉に目を向けると、小鳥たちが水浴びをしている姿が目に入ってきた。
「あ、ねぇ、鳥がいるよ!」
泉にそっと近づき、ピチチと楽しそうに歌う小鳥たちを眺める。
ふと隣を見ると、ラルスもその様子を笑顔で見守っていた。
(平和だなぁ)
幸福を感じながら見ていると、近くで子どもたちが走り始めた。驚いた鳥たちは、羽音を立てて飛び立つ。行方を追うように顔を上げると、泉からでも見える城の方へと羽ばたいていった。
ハウアドルの王都は、中央より北寄りに石造りの大きな城があり、そこにフローリアンたち王族は住んでいる。
城を取り囲む壁の内部は王城街と呼ばれ、行政庁舎や騎士団本部が配置されていて、広い庭園もある。
建国祭や祝典の際には城門が解放され、王族を一目見ようと多くの人がやってくる場所でもあった。
城壁の外側は貴族の邸宅が並び、続いて富裕層や高官たち、高級品や贅沢品を扱う店舗や、高級レストラン、劇場やオペラハウスなどの文化施設が立ち並んでいて、貴族街と呼ばれている。
今いる場所は、それらよりも少し離れている、中流層の住むエリアの中間街だ。
大きな広場やさまざまな商店、レストランや洒落たカフェも多くあり、人が賑わい飽きない場所である。
ふと気になってフローリアンはラルスを横目で見上げた。
「ラルスはどこに住んでるの?」
「中間街ですよ。シャイン殿が手配してくれたとこに住んでます。最初は貴族街にって言われたんですけど、俺は庶民なんで断りました」
「シャインがいいっていうなら良かったのに」
「大きい家に一人で住むのも嫌だったんで」
「ラルスの家族は?」
「農業地帯に住んでますよ」
中間街からさらに遠ざかると、庶民街がある。ここでは質素な家屋やアパートメントが並び、狭い路地や活気ある市場が広がっている。職人や商人、労働者たちが暮らし、日々の喧騒や生活の息吹が感じられる場所だ。食堂や居酒屋、小さな工房や商店が点在し、地域の活気を支えてくれている。
そこからさらに離れると、農業地帯と呼ばれる場所がある。
王都の中か外かという曖昧な地域で、人によっては村扱いする者もいる場所だ。
農業地帯は農地や牧場が広がっていて、新鮮な食材を供給してくれている。商業施設や倉庫が点在して、物流も盛んに行われている。なくてはならない地域だ。
「へえ。ラルスもそこで住んでたんだよね?」
「まぁ、少しの間だけ」
「ちゃんと帰ってるのか?」
「んー、最近はあんまりですね」
ラルスは朝早くから自主的に鍛錬もしているし、平日は農業区まで帰る時間はないだろう。休みの日にしたって、恋人がいるから家族は二の次になってしまっているのかもしれない。
「ダメだよ、ちゃんと帰ってあげなきゃ。そうだ、まだ時間はあるから今から行こう!」
「え、今からですか!?」
「今から! ラルスが嫌じゃないなら行こうよ」
「嫌なわけじゃないですけど……別に行っても面白くないと思いますよ?」
「面白い、面白くない問題じゃないだろう」
「王子が行きたい場所に行った方が……せっかくの休みなんだし」
「僕は、ラルスの家族に会ってみたいよ」
そう言うと、ラルスは『なんで?』という顔をしながらも、「王子が希望されるなら」と行くことになった。
歩くには時間がかかるので、騎士団中間街支部の厩舎で馬を借りる。
「王子、馬には乗れますっけ」
「乗れるけど、初めて乗る馬は性格がわからないからちょっと自信ないな」
「じゃあ、一緒に乗りましょう」
ラルスは当然のようにそう言って、一頭厩舎から馬を連れ出すと、ひらりと馬上に飛び乗った。
「さ、王子」
なんの躊躇もなく差し出される手。
これで自分の方が躊躇しては、おかしく思われるかもしれないと思い、えいやっとその手を取った。その瞬間、ぐいっと強く引き上げられ、ラルスの前へと座らされる。
「じゃあ、行きますよ」
「ねぇ、男同士で二人乗りって……恥ずかしくない!?」
「そんなことないですよ。俺、弟と二人でこうして乗ることありますよ」
ラルスはまったく気にしない様子で馬を歩かせ始めた。
(狼狽えちゃ、ダメだ)
思った以上の密着で、後ろからラルスの呼吸音までも聞こえてくる。
平常心だと自分に言い聞かせながら、馬は農業地帯の方へと歩いて行く。
「そういえば、ラルスの家族構成って聞いたことなかったな」
「普通の家族ですよ。父さんと母さん、妹が二人、一番下に弟がいます。あと、最近山から降りてきたじいちゃんも」
「へぇ、ラルスはお兄ちゃんだったんだね」
「全然兄っぽいことはしてないですけどね。俺、ずっとじいちゃんと山で暮らしてたんで」
「そうなんだ」
どうして山で暮らしていたのか、気にはなったが聞いていいものかわからず、フローリアンは口を噤んだ。
家族仲が悪かったりするのだろうか。ならば、家に行こうという提案は不快でしかなかったのかもしれない。
(でも嫌じゃないって言ってたし、大丈夫だよね……?)
しばらく帰っていないと言っていたから喜ぶかと思ったが、余計なことだったろうか……そう思うと申し訳なくて心は沈んだ。
しかし今さら『やっぱり行くのはやめよう』とも言えず、そのまま農業地帯へと入る。
王都の中心街に比べると、一気に穏やかな空気が流れ込んできた。広がる緑色の景色に心がほっとする。
「俺の家、あそこです」
農業地帯の広がる風景の中に、その家は静かに佇んでいた。現在六人で暮らしている家にしては小さすぎるように感じたが、それは自分が王族だからかもしれないとフローリアンは思う。
家の横には柵が張り巡らされていて、数頭の山羊がラルスを見てメェと鳴いていた。
「山羊を飼ってるんだ!」
「じいちゃんが山で飼ってたのを連れてきたんですよ。多過ぎてここでは世話ができなかったんで、ほとんど売っちゃったんですけど」
山羊がどういうものかを知っていても、こんなに近くで見るのは初めてだ。家の前で馬を降りたフローリアンは、柵の近くに駆け寄って山羊を眺める。
「わぁ、この子は立派な髭だね。あはっ、子山羊もいる! かわいい〜!」
「中に入って触りますか?」
「え、大丈夫なの?」
「いいですよ。こいつら、人に慣れてますから。けど野生のは見かけても触らないでくださいね」
「野生の山羊に会うことがまずないよ」
フローリアンが苦笑いしながら答えると、「それもそうですね!」とラルスも笑っている。
柵を開けて中に入ると、大きなヤギがゆっくりとラルスの方に近づいてきた。ラルスは近所の子にでもするように、わしわしと頭を撫でてあげている。
「僕も……いい?」
「もちろん」
そっと体を撫でると、ふわりと押し返される。考えていた以上に弾力があって、フローリアンは何度も何度も感触を確かめた。
「あはっ、山羊ってこんな毛をしてるんだね! 初めて触ったよ!」
「子山羊の方はもっと柔らかいんですよ」
そう言うとラルスは子山羊を抱き上げて、目の前に差し出すように見せてくれた。
ピンと立った耳が愛らしくて、見るだけで口元が緩んでしまう。
「はぁあ、かわいい〜!」
誘われるように子山羊に触れると、大人とは違った柔らかい毛が手に吸い付いて行く。滑らかで、温かくて、いつまででも触っていられそうだ。
「王子、それくらいで。親のところに行きたがってます」
「え、そうなの? ごめん!」
フローリアンが慌てて手を離すと、ラルスは子山羊を足元へと降ろした。するとすぐに子山羊が親のところへと戻っていっている。
「よくわかったね、ラルス」
「表情とか、様子を見てたらわかりますよ」
フローリアンには山羊の表情が変わったようには見えなかったが、ラルスにはわかるらしい。それを聞いて、フローリアンは少し納得してしまった。
(ラルスが人の機微に聡いのって、言葉を交わせない動物と触れ合ってきたからなのかもしれないな)
「なんですか、王子」
じっと見つめてしまっていたフローリアンは、慌ててラルスから目を逸らす。
「な、なんでもない! それより──」
「ラルス? 帰ってるの?」
家の扉が開いて、一人の女性が現れた。長い髪を後ろで束ねた、優しそうな目尻をしている。
「母さん、ただいま」
「ただいまってあなた、その格好……えええ、まさか、そちらにいるのは王子様!!?」
ラルスに母さんと呼ばれたその人は、腰を抜かしたのかその場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。
「どうしたの、お母さん」
中からどやどやと、何人もの人が現れる。
そしてフローリアンを見るたび、全員が腰を抜かしてしまったのだった。




