016●フロー編●14.イグナーツの本気
それからは、演奏会にイグナーツが出るたびに、ツェツィーリアをこっそりラルスに連れ出してもらった。
ラルスは自分の一番下の弟を使い、イグナーツにツェツィーリアが行くことを伝えているという。大っぴらには会えない二人の、橋渡し役になってくれているようだ。
しかし、あるコンサートの前日のことだった。
「王子。俺の弟が、こんな手紙を預かってきました。イグナーツ様からです」
「イグナーツから……僕に?」
「はい」
ツェツィーリアへの手紙ならわかるが、どうして自分に渡されたのかと首を捻る。彼のコンサートにツェツィーリアを行かせているのがフローリアンの指示だということは、秘密にしているはずなのだ。
受け取った紙は、その場で走り書きされたであろう字で綴られている。
『王子殿下。あなたの秘密をバラされたくなければ、一対一で会われたし』
秘密という文字を見て、ドクンと心臓が跳ねた。
(まさか……僕が女だってバレてるのか……!?)
思い当たるのは、ウルリヒ卿主催の舞踏会でのことだ。
詰め寄られた瞬間、お互いの胸と胸が強く当たってしまった。
「王子、顔色が悪いですが……」
「ラルスもこれを見たのか?」
「はい、すみません。封書もなにもなかったので、目に入ってしまって」
「……そう」
ラルスの目を見られず、すっと顔を逸らす。
「これは明らかな脅しですが、どうしますか」
確かに、これは脅しだ。しかしイグナーツの言う秘密とやらが、フローリアンの性別のことであるとは限らない。
乗ってやる必要はないと思いつつも、本当に女だとバレていたらと思うと、不安が押し寄せる。
なにも言えずにいるフローリアンに、ラルスが一歩近づいてきた。
「秘密って、なんですか。なにかバラされると困ることが?」
「……王族なら秘密のひとつやふたつあるよ。でもどれのことか、確かめた方がいいよね」
「じゃあ」
「日程を調節して、イグナーツと会うよ。一回限りの登城許可証を僕の名前で出しておくから、イグナーツに届けさせてくれ」
「わかりました」
王族を脅すなど、それだけで縄をかけられても仕方ないというのに、あまりに豪胆過ぎる。
(そうしてでも僕と話したかったってことなのか……それとも、本当に僕の秘密に気づいているのか)
どちらにしても、イグナーツの話はツェツィーリアのこと以外に考えられない。
イグナーツの考えも知りたいし、良い機会だと思うことにした。
それでも女だとバレているのではないか、言いふらされてしまうのではないかという不安は付きまとったが。
そして数日後、イグナーツが予定通り登城し、客間へと通された。
黒い髪も金の眼も、フローリアンにはとても冷たく感じる。
彼はフローリアンに丁寧な挨拶を述べるも、どうにも心がこもっていない。
(相変わらず、敵意を感じるな)
そう思いながらも、フローリアンは顔を上げるよう促した。
イグナーツは端正な顔立ちをまっすぐにフローリアンへと向けたあと、隣にいる護衛騎士であるラルスの方にも目を向けた。
「彼は」
「下がらせるよ。一対一でという話だろう?」
そう言って下がらせようとしたフローリアンだったが、ラルスは下がるどころか一歩前に出た。
「いえ、王子。俺もこの場に居させてください。邪魔はしませんから」
「ええ? けど」
「俺は護衛騎士です。さすがにこの状況で王子を一人にはできません」
どうすべきかとフローリアンは口ごもった。
手紙では一対一でと書かれていたし、もし秘密というのが性別に関するものだとしたら、聞かれればラルスに余計な疑念を抱かせることになるだろう。
そうなれば、確信を得られる前に、ラルスは護衛騎士から外されてしまう可能性が高い。
「俺は別にラルス殿ならば、いても構わないが」
「ほら王子、イグナーツ様もそう言ってますし。大丈夫です、ここでのことは絶対に誰にも言いませんから!」
ここまで言われると、意固地になって出ていけというのは、秘密とやらに信憑性を与えてしまいかねない。
(どっちにしろ、なにがあっても女だって言うのは認めないし隠し通すつもりなんだ。ラルスがいてくれた方が、強硬手段に出られない分、まだ安全かもしれない)
そう結論に達したフローリアンは首肯して見せた。
「わかった。ラルスにはここにいてもらう」
「ありがとうございます、王子!」
ほっとした顔を見せられ、心配してくれたことに心が騒ぐ。
(ばか、ときめいてる場合じゃないだろ)
自分の心を押し込めると、ラルスに部屋の鍵を掛けさせた。そして改めてイグナーツの正面に立ち、自分より背の高い彼を見下ろすように背中を逸らす。
「さて。わざわざあんな紙を僕に寄越して脅迫するくらいだ。それなりの覚悟はあるんだろうね?」
脅迫は立派な罪だ。しかも王族相手に脅迫など、さらに罪は重くなる。それがわからないイグナーツではないだろう。
「ちゃんとアポイントを取りたかったが、家長の許可なくは取れなかっただけです」
王族への面会の申請は、爵位を持った者の推薦状が必要になる。よって、王族の機嫌を損なわせるような推薦状は普通書かない。
イグナーツは以前、門兵と一悶着を起こしているし、家長から許可が出ないのは当然だ。
「だからって、普通は脅しなんかしないよ。僕がこのことを明るみに出せば、ウルリヒ家の格は地に落ちる。これがある限り僕の方が優位に立っているのを忘れるな」
フローリアンは胸ポケットから脅しの文句が書かれた例の紙を出して見せると、ラルスに渡した。
ラルスなら、紙を奪い取られたりはしないだろう。
しかしイグナーツは証拠の隠滅を狙うそぶりすら見せず、いたって冷静だ。
「それに関しては問題ありません。俺はもう、ウルリヒ家の人間ではなくなったので」
「っ、え?」
むしろ、その言葉に狼狽えたのはフローリアンの方で。
なにを言っているのかと耳を疑う。
「どういう、意味だよ……ウルリヒ家の人間じゃなくなったって……イグナーツは、侯爵家の嫡男だろ?」
「そのメモを書いた日に、王子殿下を脅したからお咎めがある前に縁を切ってくれと頼みました。昨日ようやく離籍したばかりです。今日から俺は、王都で一般庶民として一人暮らしになる」
「……はあ!?」
やることが突拍子もなさすぎて、理解が追いつかない。
確かに脅迫ではあるが、適当に書いたものを子どもが持っていっただけだとか、まさか本当に王子に届くとは思わなかっただとか、言い逃れはいくらでもできたはずだ。
「まさか、ツェツィーリアをコンサートに行かせたのが、僕の指示だって確信を得るためにこんなことをしたのか?」
「確信など最初から得ています。ツェツィーリアの意思だけでは、誰にも内緒で来るのは難しい。協力者となると、殿下以外に考えられなかった」
「なるほど。だけど僕を脅して家と縁を切るなんて、どっちもやり過ぎじゃないか?」
なにもそこまでしなくてもという思いが、フローリアンの溜め息となって吐き出される。
そんなフローリアンに、イグナーツの金の眼がギラリと光った。
「このことでだけじゃない。今後、家に迷惑を掛けないためにも必要なことだった」
「……なにをするつもりだよ」
ごくりと息を飲む。
イグナーツの本気が知れる、侯爵家からの離脱という事実に。フローリアンは背筋をぞくっと震わせて、彼の真剣な瞳を見た。




