第1827話 天下りの弊害3
続きです。
城の執務室に戻り、ロッキングチェアに揺られながら、
一人ゆったりと思考する。
先程迄、サラ、シルエス、タイタスにコネ採用・天下りの弊害について話をしたが、この世界は僕がこれまでさんざん改革してきたし、後進の良き人材もたくさん育っているので、実のところ、そこまで心配はしていない。ただ、油断すると良くないので、随時、引き締め(念押し)を図っている。
一度出来たからと言って、それで良しとしない。
定期的に「大丈夫か?」「ちゃんとやってるか?」と確認をする。
何事もそうだが、「その後」で差が出てくるからね。
入学した。就職した。結婚した。出産した。等々、人生には数々のイベントがあるが、イベントのひとつがうまくいったからと言って、それで終わりではない。そこから先がより重要だ。事業で成功した。議員になった。大臣になった。首相になった。もそう。まるで、それをゴールのように考える人がいるが、そこはゴールではない。あくまで人生のイベントのひとつに過ぎず、そこから先、どう生きるかが肝心だ。
人生と言えば、前世でそれを題材にしたゲームがあったよな。あれは金儲けがメインテーマだったが、それとは違うことをメインテーマにしたゲームを創ってみるかな。ふふ、創作意欲が湧いてきた。
しかし、天下りの弊害は本当に酷い。組織内のガバナンスやモチベーションの低下に留まらず、チェック機能が働かず、不正や不公平の温床となりやすい等、悪いことばかり。
天下りを受け入れた企業が、行政処分や公共事業の入札で優遇されるリスクがあり、公正な競争が損なわれたり、専門知識がないにもかかわらず、高額な報酬が支払われ、不要な特殊法人や公益法人の存続に繋がったり、経営に関わったことのない元官僚が天下り役員となることで、企業独自の経営能力が鈍り、国際競争力を奪う原因となったりする。
日本のある地方のドーム球場は自治体が出資する第三セクターが運営していたが、自治体からの天下りが多く、彼らの対応の不味さにより、稼ぎ頭だったプロ野球チームの撤退という最悪の事態を招いてしまった。
球場と球団との関係は、主に自前型・賃貸型・公設民営型の三種類あるが、今回の場合、賃貸型に分類され、球場管理者である第三セクターと球団との間で賃貸借契約なされていた。だがその契約はあまりにも第三セクターに有利な内容だった。
・年間約13~14億円のスタジアム使用料(1日あたり831万円、
観客動員数が2万人を超えた日は1人あたり415円が追加)
・チーム・選手のグッズ収入の約3割は第三セクターが徴収
・スタジアム内の広告料は第三セクターに入り、球団は広告料を
支払わなければならない。
・ドーム内の飲食に関しても第三セクターが管理しており、
球団親会社関連の飲食店は設置されず。
・野球以外のイベント開催時には、人工芝及び球団設備の撤去費用
を球団が負担
これらを球団が第三セクターに支払う金額の合計は26億円を超えていたとされ、選手の総年俸に匹敵する額となっていた。また金銭面以外でも、芝が薄く選手への負担が多いことから、人工芝の張替や球場内施設の改修についても、球団からの提案を第三セクターはガン無視したのだ。結局、これが決定打となり、両者は決裂。球団は他へ移ってしまった。
なぜ、このようなことが起こってしまったのか? それは、第三セクターは自治体にとって貴重な天下り先であり、運営権や管理権を球団に譲渡することは、その権益を潰すことに等しかったからだ。球団の撤退により、球場の売上が減り、ひいては自治体の収入も減ってしまったが、私利に走る天下り役人に公益を守ろうとする気持ちは希薄だから、まるで他人事。
他にも、再就職先を確保するため、官僚が所管業界に対し、不必要な規制や補助金を維持したり、複数の関連団体を数年おきに渡り歩き、その度に高額な退職金を得る構造「渡り」も問題視されている。中には億単位で荒稼ぎした人物もいたが、還暦を越えて、そんなに金が欲しいのか。
その中でも特に気になるのが警察幹部OBとパチンコ業界の癒着だ。国家公務員法、地方公務員法の改正により、表向き天下りは禁止となっているが、法の抜け穴を巧みにすり抜け、実質的な天下りは今なお行われている。だから、パチンコ台の許認可を出している団体やパチスロメーカーなどの幹部に退職後、警察幹部OBが数多く再就職している。
パチンコは法律上、風俗営業法に基づく「風俗営業」として許可されており、刑法上の賭博罪(第185条)には該当しないとされている。これは、店・景品交換所・景品問屋の「三店方式」により、現金と出玉を直接交換しない形式をとっているためだが、それにより、事実上の換金行為があっても違法とはみなされていない。
「特殊景品を換金していて実質的に賭博では?」という指摘は前々からあるが、所轄官庁である警察はずっと目を背けている。まぁそりゃそうだろう。パチンコ業界には警察からたくさん天下りしており、ずぶずぶの関係だからな。取り締まる側の立場の人が、取り締まられる側の立場の団体に天下りすると、このようなことが起こる。これは明らかに利益相反行為であり、モラルハザードを引き起こす行為だ。法を順守し、モラルを尊ぶべき警察が法とモラルを無視して何とする。
仮にパチンコが犯罪になれば、それに協力した警察OBも共犯ということになるだろう。彼らはそれを避けるため、強引な理屈でパチンコを合法扱いしてしまった。公務員は公のために働くべきだが、彼らは公務員ではなく、私務員の方が合っている。
さらに論を進めよう。
税理士という難易度の高い国家資格があり、通常、資格を取得するには試験に合格する必要があるが、税務署職員で23年以上の勤務経験があれば、全科目の試験を免除され、無試験で資格を取得することができる。特任(試験免除組)と言われるが、これが税理士全体の3割ぐらいいるらしい。
さて、ここで問題。試験に合格して資格を取得した人と特任で資格を取得した人、どちらが有利だろうか? 建前上、差はないことになっているが、特任は元税務署職員だ。退職後も税務署と繋がりがあると思われ、税務署から何かと便宜が図ってもらえるのではないだろうか。実際、特任の税理士の方が優良顧客を掴み、経営がうまくいっているという話はあるからな。
税理士に限らず、公務員を長く務めると、勤務内容に応じて無試験で取得できたり、科目免除になる国家資格はいくつもある。それで資格を取り、役所とのつながりを活かせるのだから、これも一種の天下りのようなものだ。
税務署は税務調査が重要な業務であり、事業者に査察に入ることがあるが、入るところは試験合格組の税理士が顧問をしている事業者で、特任の税理士が顧問をしている事業者には入らない、なんて噂があったりする。
査察は何か不審な点があると実施するものだが、はっきり言って、どの事業者を査察するかは税務署の胸先三寸であり、であれば、先輩が顧問を務める事業者は避けようとする心理が働いても不思議ではない。行動経済学で説くように人は経済合理性だけでなく経済非合理性でも動く。
日本で天下りがなくならないのは、日本を牛耳っているのがエリートであり、そのエリートが天下りという甘い蜜を手放そうとしないからだ。そんなエリートを何だかんだと民は許容してしまっている。まぁ、これは日本に限らず、どこの国もそうだろうけどね。
形の上では民主主義ということになっているが、選挙で選ばれた議員もエリート化し、民意から離れていくんだよな。当選する前はこちら側だが、当然したら向こう側に行ってしまう。というか、もっと正確に言うと、エリートになりたい人が立候補して議員になり、それでエリートになるパターンが多いのが実態であろう。
選挙制度は立候補によって成り立つが、立候補は「議員になりたい」人を選ぶ制度であり、ここに実は大きな問題がある。議員になりたい人は議員になることがゴールになるケースが多く、そういう人が議員になれば、それで目的達成だから、あとは何もしない。やってるフリだけをする。すべての人とは言わないが、そういう人が多いから、様々な問題が起き、解決されないまま、先送りされてきたのだ。
何だかんだ言って、多くの人はエリートに憧れ、エリートになりたがる。福沢諭吉は『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言ったが、人の性たる傲慢ゆえ「人の上になろう」という人が多い。そこを改めないと、真の民主主義は実現しない。
また、天下りが横行する背景に「神輿は軽い方がいい」という思いがあるのだろう。これは特に日本人に言えるが、強力な指導力を持つリーダーよりも、自分たちの意向を反映させやすい、いわゆる「操り人形」のようなリーダーを好む傾向がある。優秀なリーダーはチェック能力が高く、不正を見逃さないため、なぁなぁで美味しい思いをしたい管理職からすると、目の上のたんこぶになりかねないしね。
つまり認知バイアスだけでなく、計算した上で天下りを受け入れているという面もあるということだ。たとえ能力や人格で劣っていても、その人物を採用することで、組織が保たれることはある。例えば、官庁から天下りを受け入れれば、パチンコ業界などのように官庁のチェックが緩やかになり、銀行から天下り受け入れれば、融資を受けやすくなるとかね。
政治の世界もそうだよな。
明らかに能力や人格に問題があるような人物でも、
ほいほい選ばれるのはこれがあるからだ。
操り人間になり、自分たちの権益のために動いてくれる。
だが、そんなことが横行すれば不正が蔓延し、一部の人だけが甘い汁を吸う嫌な世の中になるだろう。多くの人はそう思っているはずであり、であれば、その思いの通り行動すれば、世の中は良くなっていくはずだ。
だが、そうならないのは、そう思っていても、いざ自分が甘い汁を吸える立場になれば、途端に考えを翻す人が多いからだ。この世には、他人に厳しく自分に優しい人が多い。これが根本的な問題であろう。これを改めないと、天下りも、エリート主義もなくならないし、民主主義も本当の意味で機能しない。
いくら、天下りは悪い、エリート主義は悪い、と言っても、自分がその立場になった途端、意見を変えるようじゃね。本音と建前に乖離がある。民主主義もそう。これには民全体のの平等意識が欠かせないが、心の中で「自分は他人より優れている」と考えている人は多い。
突き詰めると、これは傲慢という悪想念によるものであり、これに囚われている人は思いのほか多い。だから、人は事あるごとに「今の行動は傲慢ではなかったか?」と自問するべきだ。それを繰り返すうちに傲慢の悪想念は薄れていく。
七つの大罪は、傲慢、暴食、憤怒、嫉妬、強欲、怠惰、色欲から成るが、
傲慢はその中でも特に悪く、他の大罪を生み出す元凶でもある。
傲慢になれば「自分は上だ」という思いが強くなり、上にいくための努力を怠り、怠惰を招き、また「自分が上」だと思っているから、俺様思考で何でも思い通りにしようと強欲になり、思い通りにならないと、憤怒し、嫉妬する。それに傲慢ゆえ、食も性もコントロールが利かず、暴食、色欲が増長する。
「自分が、自分が」「自分が上だ」の傲慢こそ諸悪の根源。他の言葉で表現すると、エゴ、我欲、高慢、俺様思考などが近いだろう。お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、というジャイアニズムもね。「我が強い」という我もそう。上から目線も、ここから来ている。
現世は修行場であり、悪想念を減らし、出さなくするよう励む場であるが、その中でも傲慢はもっとも厄介だ。修行すれば、ほとんどの悪想念は順調に減少していくが、傲慢は修行しても「修行する自分は偉い」と少しでも思えば出てくるからな。いくら修行をしても、その度に「修行する自分は偉い」が出たら修行効果は薄れてしまう。傲慢は本当に厄介であり、何度刈り取っても生えてくる雑草のよう。
それでも、僕らは生きてる間、傲慢の芽が出る度に摘み取っていかなければならない。出る度、出る度、罪取っていくのだ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。この世に自分が見下していい人はただの一人も存在しない。それは精神的に成長したとしても変わりない。
傲慢な人の特徴
・自分が一番正しいと思い込み、自分の意見が絶対だと信じる
・うぬぼれて他人を見下し、偉そうな態度や無礼な言動をとる
・プライドが高く自分の非を認めない
・他人の意見を聞かない、他人の話を途中でさえぎる
・感謝や尊敬の念が欠ける
・他人に対し攻撃的で思いやりがない
・何を言っても許されると思い、汚い言葉遣いをする
・まわりが見えていない
このような状態の人は自分の人生を自分で送っているつもりで、その実、送っていない。傲慢の悪想念に支配されて動かされている状態だ。こういう人は死後、魂意識に戻った時、「なんであんなことをしたんだ」と後悔に苛まれるだろう。
そんなことにならないよう、生きてる間にしっかり自分の中の傲慢と向き合い、
そして解消するのだ。傲慢という怪物をクリアしてこそ、僕らは前に進める。
「傲慢も個性だ。味が合っていい」という人もいるが、そういう人は自分の中に傲慢を抱えており、そう言うことによって、それを正当化し、そのままでいたい、という思いがあるのだろう。だが、はっきり言う。傲慢は悪想念であり、解消すべきものだ。それ以外の何者でもない。それを「いいなぁ」とシンパシーを感じているうちは、まだまだ先は遠い。いじめや脅しやパワハラを見て「恰好いい」「素敵」「流石」と思うのと変わりない。僕から見て、それはダサい行為そのものだ。
我が我がの「我」で捨てて、お陰お陰の「下」で生きる。鏡に映るのは自分の姿だが、鏡から「が」を取ったら神になる。人は我を取ることにより、神に近づくことができるのだ。我を張らず、我を取ろう。
我とは、ちっぽけな自分のこと。ちっぽけだから大きく見せようとする。
他者を威圧して大きく見せようとする人ほど、霊的には大したことはない。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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