第1822話 放送局員の心構え
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今日は連邦放送局に来ている。場所は内務省の会議室だ。連邦放送局自体が内務省の建物の中にあるから、広い会議室を使いたい場合は内務省の会議室を借りることになっている。連邦放送局という名称にはなっているが、この部署は連邦に所属するものではなく、王国の内務省に所属する部署だからね。
だから、ここで働く職員は全員我が国の役人となる。局員と呼ばれ、役人っぽさはないが、身分の上ではれっきとした役人だ。もっと言えば、王国専属芸能人も半分役人のようなもの。前世なら現業の公務員に近い感じだろう。
前世の芸能人は浮き沈みが激しく、水商売のような不安定さがあったが、この世界の芸能人は安定した職業だ。スキャンダラスなことはまったくなく、一般人が見るイメージもかなりいい。お陰で芸能人は庶民の憧れの職業のひとつとなっており、芸能人になるための競争倍率はかなり高くなっている。
昔は、庶民が成り上がるルートとして、冒険者、騎士(軍人)、商人ぐらいしかなかったが、現在はこれに、役人、芸能人が加わっている。おっと、ヒーラー、薬師、職人、物書き(作家)、絵師、デザイナーなどもそうだな。執事やメイドから成りあがった人だっている。
成り上がるというのは、天下を取ることに限らず、そこそこの成功者、富裕層になることだ。お金で換算するのはアレだが、分かりやすくお金で換算したら、金貨千枚(一億円)~金貨一万枚(十億円)ぐらいのお金を持つことだ。僕はこれを富裕層と定義しているが、今では庶民の中でも、このクラスに到達できる人は結構増えている。
日本人の二人以上の世帯における平均貯蓄額は約1800万円、単身世帯における平均貯蓄額は約1500万円とされているが、この世界には年金と社会保険が無いので、その分、自分で貯める必要がある。だから、一般庶民でも日本人の倍以上の貯金があり、年を取れば、日本円に換算して億近く行く人は珍しくなくない。
日本だって、純金融資産1億円以上の富裕層は約165万世帯いるからな。
これは全世帯の約3%だ。この世界なら6%はいくだろう。
ただ、どんなに貯金しても、インフレが起きたら、目減りしてしまうので、それだけは絶対にさせない。若い時に貯金して、老後、それで悠々自適に暮らせるライフプランを積極的に提示してる以上、それは民との約束であり、約束は絶対に守らなければならないからな。当然、これは僕がこの世を去った後も続く。その為に後進を育成し、システム固めに力を入れてきた。
いつものように場内を見渡すと、
みんな真面目そう。変な感じの人物は一人もいない……。
しっかり選考してる証拠だな。よしよし。
只今、僕は壇上の講師席に座り、参加者たちを眺めているところ。これから新人を含めた若い局員を対象に講義をするが、連邦放送局だけでなく、連邦各国の放送局、さらに聖帝国の放送局の局員も一同に集めた。以前は個別にやっていたが、連邦放送局以外の放送局のレベルも向上し、また各放送局間の交流も円滑に行われているので、一緒に講義するようになったのだ。
もうじき開始時刻だが、こうして開始時刻前に来て、参加者の面々を確認するのは僕流だ。他の講師は開始時間直前に現れて、いきなり話を始めるが、僕はそういうことはしない。この時間を利用して会場の雰囲気を感じ取り、参加者と波長を合わせていく。
おっ、後ろの席にシルエスとタイタスがいるじゃないか。
シルエスは自国の放送局と連邦放送局に番組を持ち、タイタスは聖帝国の放送局の長を務め、さらに番組を持っているからな。二人とも放送に強い関心を持っている。若い局員に混じり、一緒に話を聞くとは殊勝な心がけだ。
「それでは聖王陛下、よろしくお願いします」
「うむ」
壇上の袖に座るサラから声をかけられる。開始時間になったか。
僕は腕時計や懐中時計を身に付けないので、これは地味に助かる。
先日、温泉に行った際、サラから今回の件を頼まれたが、彼女も講義できるのに、わざわざ僕に頼むところが心憎い。国の内外を問わず、現在働いている局員で僕の講義を受けたことがない人はいないだろうが、それを続けさせてくれるということだな。これは僕の影響力を維持することにつながるから、願ったり叶ったり。
役職の上の人は僕のことをよく知っているが、下の人はそうでない場合があるから、放っておけば、下の人、つまり若い人から忘れ去られ、影響力が落ちることになる。前の世界の既存政党や既存メディアの影響力が落ちたのもこれが原因のひとつであろう。彼らは、役職の上の人、高齢者ばかり大切にしてきたため、若い人から反感を買ったのだ。企業や団体にしたって、上の人とばかり仲良くし、それ以外は軽視していたからな。
国の未来を担うのは若い人たちだ。この層を大切にしなければ国が滅ぶ。
だから僕は若い人向けの講義を積極的に引き受けるのだ。
それでは始めよう。
新人もいるから、簡単に自己紹介から。
「みんな、よく来てくれた。僕はアレス・ギルフォード・ロナンダルという。知ってる人が多いだろうが、現在はロナンダル王国のギース領で領主をしている。ギース聖王国と呼ぶ場合もあるが、正式には国ではなく領だ。こう見えて僕は放送についてそれなりに知見があるんだよ。今日は、それを皆に話したい」
自己紹介と言っても、いつもこんな感じ、長々と自分のことを話すのは好きじゃないものでね。どうしても自慢話のようになってしまう。ある日本のタレントは「高齢者がやってはいけない三つの話」として、自慢話、昔話、説教を挙げたが、前の二つは同意する。高齢者から自慢話され、過去は良かったと言われても、若い人はげんなりするだろう。
だが、説教はさにあらず。聞きたくない人に、上から目線で自尊心を満たすためにするのはダメだが、聞きたい人に、為になる話、役立つ話をするのは非常に良いことだ。これを否定したら、知識や経験の継承ができなくなってしまう。否定するなら他人の悪口だ。
サラが口を開く。
「聖王陛下は今日ある放送制度と放送局の設立をされた『放送の父』とも言える偉大なお方です。もし聖王陛下がいらっしゃらなければ、この世界に放送はありませんでした。皆さん、それをよく噛みしめてお話を聞いて下さい」
放送の父か……そう言えば、そんなことを言われたことがあったが、出所はサラだったんだな。まぁそうだとは思っていたけど。普段は僕のことを「義父上」と呼ぶサラだが、こういう場では「聖王陛下」なんだよな。僕をアゲたいからなんだろうが、いかにもサラらしい。
「聖王陛下、本日のテーマは何でしょうか?」
「本日のテーマは放送局員の心構えについてだ」
さて、行くか。この話は既に何度もしているが、聞く方はそうではないから、そのつもりで話さないとな。ダメな講師は聞く人が変わっているのに、マイペースで考え、前回話した内容を勝手に省略したりする。幸い、僕は同じ話をするのはまったく苦ではないし、同じ話であっても、新たな気付きを得ることはよくあるので、むしろウキウキしている。
昆布は噛めば噛むほど味が出るが、本を一度読んだだけ、人と一度会っただけ、体験を一度しただけで、すべてを理解した気になってはいけない。二度、三度、四度と回数を重ねるごとに味が出てくる。
「放送とは、受信機番組を通して、様々な情報を大衆に伝えることだが、実はそれが本当の目的ではない。本当の目的は、明るさだったり、楽しさだったり、喜びだったり、幸せだったり、皆を善なる気持ちにさせることだ」
「善想念の拡散ですか?」
特に打合せしたわけではないが、
サラが自然の流れで司会兼聞き手をやってくれるようだ。
「その通り。受信機を観て、皆に善い気持ちになってもらう。
それを念頭に、ニュース、教育、娯楽、生活関連情報などの情報を流す」
僕がこの世界に放送を設けたのは善を拡散させるため。
皆を善に導くためだ。
「攻撃的な内容は良くないといことですね」
「そうそう、憎しみ、攻撃、敵意を助長するようなものは良くない」
「善想念にはどのようなものがあるのでしょうか?」
「例を示そう」
パネルを提示する。
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主な善想念(ポジティブ想念)
◇純心
素直、正直、真摯、誠実、ひたむき
◇利他
愛、優しさ、思いやり、協調、調和
◇活力
元気、前向き、明るさ、楽しさ、嬉しさ、喜び
◇自己成長
努力、自信、自立、自律、向上、進歩、大きな器
◇平安
安心、安らぎ、リラックス、心地いい、幸せ、感謝
◇太陽思考
明るく、楽しく、優しく、暖かく、穏やか、前向き
◇七つの美徳
謙虚、節制、忍耐、感謝、慈善、勤勉、純潔
◇浄化
謝罪、許し
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他にもあるかもしれないが、だいたいこんなものだろう。
他者に対する謝罪と許しを入れない人が多いようだが、
これもれっきとした善想念だ。
ホ・オポノポノというハワイ伝統のセルフクリーニングでは、心の中の不要な記憶や感情を「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」「ありがとう」の4つの言葉で浄化するが、実際に試してみて、その効果を実感している。「ごめんなさい」「許してください」の謝罪に抵抗感を持つ人が一定数いるが、それは「謝ったら負け」という捻じ曲がった考えが 心の奥にあるからだ。実際は謝ったら勝ちであり、人生の勝利者になれる。「ありがとう」「愛しています」だけでは足りない。それだけでは過去の清算に不十分だ。そして、他者に許してもらうためには、同時に自分も他者を許す必要がある。許すことによって許されるのだ。
「僕はこれらを善想念もしくはポジティブ想念と呼んでいるが、番組を制作する
際は、これを意識し、視聴者にもそれが伝わるよう心掛けてもらいたい」
日本のテレビは、対立や攻撃を煽り、争うシーンがやたら多かった。喧嘩腰のコメンテーター、すぐキレる芸人、怒鳴り声ばかりのドラマ、等々ね。人を騙し、困惑させたり、怒らせたりして、ゲラゲラ笑う、ドッキリ番組なんてものもあった。まったく趣味が悪い。
それに加え、日本サゲがちょいちょいあった。日本は過去悪いことをしたとか、日本の未来は暗いとか、そんなのばかり。あんなのを毎日観たら、そりゃネガティブにもなる。何が「失われた30年」だ。何も失われてないっての。日本のテレビは日本人のやる気を削ぎ、陰鬱で、刹那的、衝動的、無秩序的、破壊的、暴力的になるよう誘ってきた。
演歌を日本人の心のように言っていたが、日本人の心は、あんなにどんより暗く、恨みがましくも、妬ましくも、寂しくも、粘着質でも、ネガティブでもない。流行歌にしたって、失恋、片思い、破局のようなものばかり。たまにそうでない歌も出てくるが、大部分が暗く、ネガティブなものばかりだ。
だが、そうなった理由ははっきりしている。それはGHQによる3S(スクリーン・スポーツ・セックス)政策の影響を受けたからだ。戦後、野球やプロレスなどの対戦型スポーツが流行り、演歌が流行ったのは偶然ではない。それらは大衆の欲望を刺激し、情動的、攻撃的にさせ、大衆の理性を奪ってきた。これにより大衆の目が次元の低い事柄に向かい、その状況を利用して為政者は好き勝手に政治を行ってきたのだ。
プロ野球ファンには悪いが、大の大人が木の棒を振り回し、それを球に当てて、走り回る光景を、まるで人生の一大事のように、何百、何千万もの人が熱狂して観ることに異様さを感じる。最近はサッカーが流行っているが、小学生がやるようなボール蹴りを大人が血眼になってやり、それをワーワー大騒ぎしながら観るのも何だかね。まるで何かに憑りつかれているかのようだ。
GHQによる教育改革も酷かった。道徳の要とされた教育勅語が廃止されて日本人の背骨が無くなり、知識偏重の詰め込み教育が導入されて考える力を奪った。大衆が自ら考えると真実が明るみになり、為政者にとって都合が悪いからな。為政者にとって都合のいい情報だけを教え、それに唯々諾々と従うことが正義とされたのだ。まさに愚民化政策そのもの。
こうして、愚にも付かないエンタメやスポーツに年間、何十回も参加するのに、数年に一度の選挙に行かない層が出来上がってしまった。彼らは政治意識が低く、為政者が用意した餌を貪るのに夢中だ。自分たちが為政者にどう思われているか一度想像した方がいい。
だから、この世界では、それを反面教師とし、徹底して、明るく前向きでポジティブな内容で放送するよう指導してきた。テレビは物凄い力を持つが、それを活かすも殺すも放送局次第だ。日本では殺す方にばかり使っていたよな。「テレビは核兵器に勝る武器であり、国民を洗脳する装置です」と言った人がいたが、実際その通り。だからこそ、放送する側の倫理が強く求められる。
パネルを眺めながら、サラが言う。
「善想念にもいろいろあるんですね」
「そうだな。例えば、愛や優しさは利他的行為で、善の中心にくるものだが、これだけでいいかといえば、決してそうではない。人が成長する上では、それ以外の要素も必要だ。純心もそうだし、自分の活力を高め、自己成長し、そして平安な気持ちを持つ必要がある。謝罪や許しも欠かせない」
「愛がすべて」「感謝がすべて」などと簡単に言う人がいたりするが、実際はそんな単純なものではない。善想念には様々な要素があり、それらを多面的に学ぶ必要がある。優しさだけでもダメ。根が善人でも経験の幅が狭ければ、経験の幅が広い悪人にやられてしまう。
パネルを提示する。
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他人に優しく、自分に厳しく
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「パネルにいろいろ書いたので、目移りするだろうが、先ずは、ここから始めるといい。利他は他人に優しく、自己成長は自分に厳しくだ。ここから善は広がっていく」
他人に優しいだけだと、自分が鍛えられていないので弱くなる。
善を推進するには力強さも必要だ。そうすれば悪に負けなくなる。
ついでにこれを出しておこう。パネルを提示する。
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◇三徳
智徳、断徳、恩徳
◇五常
仁、義、礼、智、信
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三徳は仏教の、五常は儒教の教えだが、
いい教えは分野を問わず活用させてもらう。
「先ず三徳だが、智徳は智慧、断徳は煩悩を滅する力、恩徳は衆生を救う慈悲を意味する。そして五常だが、仁は思いやり、義は正しい行い、礼は礼儀、智は知恵、信は誠実さを意味する。これらも大切にするといいだろう」
この世界ではほとんど見かけなくなったが、前の世界では未だに「善悪はない」「道徳は無意味」のように考えているような人がちらほらいる。そういう人に共通するのは、悪に魅入られており、自分が悪と評価されるのを嫌がっていることだ。
悪人は自分がしてることを悪行だと判っていない。だから平気で悪行を重ねる。彼らにとって、それが通常行為なのだ。北朝鮮を揶揄したスラングに平壌運転というのがあるが、彼らにとって、偽札を刷ったり、麻薬を栽培したり、工作員を送りこんだり、拉致したり、近隣国をミサイルで脅すのは通常行為なんだよな。悪いなんてことはまったく思っていない。だから日本は国交を結んでいないが、国レベルに限らず、個人レベルでもこういう人はいる。
力がすべて。善悪はない。道徳は無意味。と徹頭徹尾、考えている人は、この世にいながら、修羅界(低級霊界)に生きている。だから別世界の人として扱うのが賢明であろう。すべての人を救うのが理想ではあるが、現実ではそうはいかない。こちらの手を拒否する人、一人を助ける時間があったら、こちらに手を差し出してくれる人、十人、百人を助ける方がずっと有意義だ。
お花畑の理想主義者は「みんな助けろ」と簡単に言うが、現実問題、みんなは助けられないし、助けるにしても順番がある。必然的に物事には限りがあるのだから、助けられる人にも自ずと限りが生じる。「北朝鮮を助けろ」「熊を助けろ」「不法滞在の外国人を助けろ」等もそう。その前に助けるべき人は大勢いる。
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