第4話ー③ 僕は空っぽな人間だから
食堂を飛び出したまゆおは、いろはを振り切り自室に戻っていた。
「僕、いろはちゃんにひどいことを言ってしまったな」
そう呟き、まゆおは大きなため息を吐いた。
「いろはちゃんは、いつも僕のことを気にかけてくれているのに」
それからまゆおは、施設に来たばかりのことを思い出していた。
* * *
まゆおがクラスに馴染めず、一人で食事を摂っていると、
『ねえ、なんで一人で食べてんの? 一緒に食べようよ!!』
いろははそう言ってまゆおの隣に座り、食事を始めた。
今度はクラスで喧嘩が起こっている時に、
『まゆお大丈夫? アタシがいるからね』
いろははそう言って、震えていたまゆおに微笑みかけた。
* * *
「こんな僕をずっと嫌わないでいてくれた。いつも一緒にいてくれた……」
でも。いろはちゃんが求めているのは、今の僕ではなく、かつての僕なのかもしれない――
そう思いながら、試合の動画の話をしていたいろはの嬉しそうな顔を思い出すまゆお。
僕は男らしくなくて、いつも何かに怯えていて。しかもあんな風にいろはちゃんに怒鳴るなんて――
「今度こそ、いろはちゃんに嫌われちゃったかな……はあ」
悲し気な表情をして、まゆおはそう呟いた。
いつも仲良くしてくれているいろはちゃんに対して、あんな態度はないよね……。本当、僕って最低だよ――
それからまゆおは、いろはの言った言葉を思い出す。
『――親からしたら、自分の子供って宝みたいなもんでしょ?』
「そんなこと、ないんだよ。少なくとも、僕のお父さんや兄さんたちは……」
そう呟きながら、まゆおは眉間に皺を寄せる。
いろはを否定したいわけではないまゆおだったが、それでも自分とは違う家庭の中で育ってきたいろはの言葉を、素直に受け入れることができなかったのだった。
「お父さんや兄さんたちは、きっとあんなことをした僕のことを憎んでいるんだから」
* * *
まゆおは地元の小さな剣道道場を営む家庭に生まれた。4人兄弟の末っ子で、父が剣道の師範をしていることもあり、まゆおは兄たちと父から剣道を習っていた。
母はまゆおが幼いころに他界し、まゆおはほとんど母との記憶がほとんどなかった。
そんなまゆおは兄たちが自分の世話に苦労しているなんてことを知らずに、すくすくと成長していった。
そして小学生に上がり、まゆおも兄たちのように家事をやる機会がやってきたが、何をやってもうまくいかず、兄たちに叱られる日々を送っていた。
「ったく、まゆおって本当にトロいよな。ご飯も作れないし、風呂掃除だってろくにできやしないし……」
「ごめんなさい、兄さん」
まゆおは兄たちのように家事をこなすことができず、何もできない自分に劣等感を抱くようになっていた。
しかし、そんなまゆおでも唯一できたことが見つかった。
それが――剣道だった。
「まゆお、すごいな! また優勝だな!!」
まゆおが大会で優勝すると、父は大喜びでそう言って笑っていた。
そしてまゆおが大会で優勝するたびに、その名前は剣道界では有名になっていき、実家の剣道道場にも入門生が増えていった。
兄たちのように家事はできないことを引け目に感じていたまゆおは、自分が剣道をやればやるほど、家族のためになるんだと思うようになり、ますます剣道に打ち込んでいった。
しかし、そんなある日のこと。
「まゆおはご飯抜きだから」
一番上の兄にまゆおは突然そう告げられた。
「え……」
まゆおは言われた言葉の意味をすぐに理解できず、ただ呆然とした。
そして、きっと自分が兄たちに何かをしてしまったんだとまゆおはそう思い、言われたとおりに従うことにした。
僕は剣道以外何もできない。だから僕の身の回りのことをやってくれる兄たちのいう事は絶対なんだ――空腹に耐えながら、そう思うまゆおだった。
そしてそれからも食事を用意してもらえない日々が続いた。
「食べたきゃ、自分で用意しろよ」
そう言って兄たちは3人で温かい食事を摂っていた。
まゆおは兄たちが残したものを兄たちが眠った後にこっそりと食べていた。
そして父が食事に参加する時だけは、まゆおにも普通に食事の用意があったため、父は兄たちがしていることを知ることはなかった。
そんな日々が続いても、まゆおは何も言わず兄たちに従い続けた。
自分がダメな弟だから。剣道以外何もないやつだから――とそう思いながら。
それからしばらく経っても状況が好転することはなく、ついに兄たちはまゆおに手を上げるようになった。
「お前さ、ちょっと剣道ができるからって調子乗ってね? どうせ、俺たちのことを馬鹿にしてんだろ? 兄貴なのに、自分よりもヘタクソだってさ!」
そう言ってまゆおの頭を打つ、一番上の兄。
「剣道のできないお前たちは、家事でもやっとけって? そういうの、ムカつくんだよっ!!」
「ごめん、なさい……」
「ちっ、いい子ぶってんじゃねえよ!」
まゆおは頭を押さえてうずくまったまま、兄からの暴力に耐え続けていた。
そして、どれだけ痛くても苦しくても、兄へやり返そうとは思わなかったまゆお。
僕は剣道以外何もできない。兄たちに逆らえば、ここでは生きていけない――とそう思っていたからだった。
「お前は剣道がなければ、何の役にも立たないいらないやつのくせに! お前が居なきゃ、俺たちだって思う存分に剣道ができるんだ! 俺たちはな、お前のせいで、やりたいことができないんだぞ! そのことを忘れんなよ!!」
そう言って兄たちはまゆおの前から姿を消した。
それからまゆおは起き上がり、膝を抱えて小さくなりながら座る。
「どれだけ辛くても、我慢しなくちゃ。僕には剣道しかないんだから……」
ぽつりとまゆおはそう呟く。
その日からまた、まゆおは剣道に打ち込んだ。
自分にはこれしかないんだ。だからやるしかない、と自分に言い聞かせながら。




