13、嫌だ
ドタドタドタ―――――バンッ!!!!!
追いかけてくる元樹から逃げて自宅まで帰ってくると、私は自分の部屋に立て籠もり涙に濡れた顔をタオルで押さえた。
止まらない――――なんで?
私は涙が溢れて止まらなくて必死にタオルで拭っては、気持ちを落ち着けようと大きく息を吸った。
明日香とヒロがアイスを交換してるのを見て、なんでか分からないけど胸が苦しくなった。
私と元樹もやったことだし、特別なことは何もないのに…
明日香に笑顔でお礼を言ったヒロを見たとき、中学の時のことを思い出して自然と涙が出ていた。
中学一年の夏――――――
委員会で遅くなった私は、部活帰りのヒロと一緒に今日みたいに寄り道をした。
寄り道って言ってもコンビニでアイスを買っただけなんだけど…
あのときアイスキャンデーを買ってたヒロは、カップアイスを買ってた私に「一口ちょうだい」ってせがんできたんだ。
私は一口ぐらいならってアイスを分けてあげたら、私の持つスプーンからパクッと食いついたヒロが、「イケるな、これ!!」と言って笑ってた。
そのときのヒロの笑顔が、今日明日香に見せてたものと重なった。
中学の時、隣にいて笑顔を向けられてたのは私だった。
でも今は…
私はグッと目の奥が熱くなってきて、更に涙が零れて鼻をすする。
明日香はヒロが好きだって言ってた
私に応援してほしいって…
友達だから一番に打ち明けてくれた
だから私も協力しようと思ったのに…
明日香とヒロが楽しそうに話をしているのを見る度、胸が痛かった。
息ができないように苦しくて、無理やりテンションを上げなければ笑えなかった。
明日香に優しく笑いかけるヒロを見て…
『嫌だ』なんて思ってしまった
なんでこんなこと思ってしまったのか全然分からない。
ヒロがこれから誰を好きになって、誰と付き合おうとも平気だって思ってたはずなのに…
なんで今になって『嫌だ』なんて…
こんな気持ちじゃ明日香の応援なんかできるわけない。
私は明日香の顔とヒロの顔を思い浮かべては、ただ苦しくなる気持ちにどうすればいいのか分からなかった。
そうして悶々と苦しんでいたら、耳にノックの音が聞こえて体がビクついた。
「ナツ?俺だけど。入るぞ。」
「え、ま、待ってヒロ!!今は――――」
一番会いたくない人の来訪に焦って扉を押さえに行こうとしたのだけど、先にヒロに扉を開けられてしまい泣いてグチャグチャな顔を見られてしまった。
私は驚いているヒロと目が合うなり、慌てて持ってたタオルで顔を隠した。
そして文句を口にする。
「勝手に開けないでよ!!デリカシーがない!!」
「今さらデリカシーも糞もねぇだろ?大体、あんな状態で帰られたら気になるっつーの。」
ヒロが大きくため息をつきながら扉を閉める音が聞こえると、目の前にヒロが座ったのか微妙な空気の振動が伝わる。
「気になるって…、明日香は?」
「駅で別れてきたよ。まだ明るかったし送る必要はねぇだろ?」
ヒロの言い方から今は明日香より私の方を気にしてくれたことに、なんだか嬉しくなってしまって、罪悪感からまた涙が出そうになった。
友達なのに最低だ…
なんで喜んでるの?
ここは明日香を送らなかったヒロを怒るところで――――
私はなんとか出そうな涙を堪えてヒロに一言言ってやろうと、息を吸いこんでタオルの隙間からヒロを見た。
でもヒロの心配してる顔を目にして、声が出なくなった。
空気だけが喉を通過して、堪えたはずの涙がタオルを濡らし始める。
なんで…
「それよかナツ。なんで急に泣き出したわけ?元樹になんかされたのか?」
ヒロが私を覗き込んでいるのか下から声がして、私は嗚咽だけを堪えると首を左右に振って否定した。
「違うのかよ。ぜってーあいつだと思ったんだけどな…。じゃあ、アイスが思ってたのと違ったとかか?」
ヒロは本気で訊いてるのか声が真剣で、私はそこまで食いしん坊じゃないと少しイラついた。
その後もヒロは「虫に刺されたから」とか「変なオヤジでも見たか」とか意味不明なことを訊いてきて、私は否定し続けた。
そうしている内に涙が止まって、私はタオルの隙間から理由に悩むヒロの苦悶の表情を盗み見た。
それにこのまま黙ってるのも悪い気がして、鼻から息を吸うと小さく声に出した。
「泣いたのは…」
「うん?」
私が言葉を発するなりヒロの真剣な目がこっちを向いて、私は続きを口にするのを躊躇った。
自分でも嫌だって思った理由が分からないのに、言っても大丈夫なんだろうか…?
でも、ちゃんと説明しないとヒロをずっと心配させそうだし…
私はどうすべきかグルグル悩んだのだけど、じっと私の言葉を待つヒロを見て、思い切って口にした。
「嫌…だったんだ。」
「嫌?何が嫌なんだよ?」
「それは…」
私は仲良く並んでた明日香とヒロを思い出して、また目の奥が熱くなり、それを堪えながら鼻声で言った。
「ヒロが…明日香とアイス…交換してるのが…、嫌…だった。」
「は?」
私は目をギュッと瞑るとタオルで顔を押さえたまま続ける。
「なんでなのか自分でも分かんないんだけど…、中学の時…アイス分けてあげたときのこと思い出して…。あのときは私が隣にいたのにな…なんて思ったら…、急に涙が出てきて…。変だよね…、嫌だなんて思うなんてさ…。」
なんとか最後まで口にするとタオルを握りしめて頭を下げた。
「こんなことで…心配かけて、ごめん…。」
きっとヒロは私以上に意味が分からないだろう…
でも何も言わないよりはいい…
私はヒロに言えたことで少しスッキリしてタオルで顔を拭っていると、温かい何かに包まれて慌てて視界を覆っていたタオルをずらした。
そこで温かいのはヒロの体だと分かり、抱きしめられてることに体がビクついたあと硬直した。
「ヒ……、ヒロ…???」
私がとりあえず声だけかけると、ヒロは私の背を優しく叩きながら言った。
「俺は隣にいるよ。」
「え……。」
ヒロはそれだけ優しく言うと、咳払いしてからは声音が変わった。
「つーかさ。嫌だとか思ったのナツだけじゃねーから。」
「…どういうこと?」
「俺だってそうだってこと。なに元樹とアイス交換してんだよ。あいつナツのこと好き好き連呼してんだから、思わせぶりなことすんなっつの。」
そっか…
私はヒロから出た文句に、あれは思わせぶりな行為なのかと初めて気づいた。
ヒロと明日香の事ばかり気にしてたけど、そういえば元樹とはヒロといたときの感覚で抵抗がなくなってた…
言われなきゃ気づかなかったな…
私がこの注意からさっきまで悩んでた気持ちの答えを導き出せそうで考え込んでいたら、次にヒロに言われた言葉で気が逸れた。
「一緒だよ。ナツ。」
「え?」
ヒロは私から少し離れると、私の手に遠慮がちに触れて再度言った。
「嫌だと思ったのはナツだけじゃない。俺もなんだから、俺と一緒だよ。ナツ。」
一緒…
私はヒロと一緒だと思うだけで、気持ちが随分楽になるのを感じた。
そっか…
これはヒロと一緒なんだ…
私とヒロだから、思う事だったんだ
私はそういうことかと納得すると「そうだね。」とヒロに久しぶりに笑みを返せた。
するとヒロが私から手を放すなり、少し距離をとってから言った。
「つーかさ!隣にいて欲しいんなら言えよ!!元樹とばっかり一緒にいるから、俺なんかとは一緒にいたくねぇんだと思ってたぞ!?」
「それは…。」
私は明日香の顔を思い浮かべながら、中学の嫌な記憶を思い出してしまった。
好きな相手の傍にいる女子というのは、総じて妬みの対象となる。
明日香とは友達だから、あのときのようになるとは思わないけど…
でもどうしても自分がヒロの隣にいることで、明日香に不快な思いをさせてしまうだろう。
だから隣にいたくても、それを口にしちゃダメだ。
「ごめん…。一緒にいたくないわけじゃないんだけど…。その…、色々あって…。」
「色々って、もしかして明日香の事言ってんのか?」
「え!?」
私は心の中を読まれたのかと思って大きく目を見開くと、ヒロは飽きれた様に言った。
「まだ俺が明日香を好きとか思ってるのかよ。何回違うって否定すればいいんだよ。」
「え、あ、それは…。」
私はそっちの話かと少し落ち着くと、「それはもう違うって分かってる。」とだけ返した。
ヒロがここまで何度も否定するんだから、そうなんだろう…
でもヒロがそういう気持ちなら、明日香の気持ちは一方通行で、それもまた私の胸の奥を苦しめる。
ヒロと明日香が付き合うのが嫌で…
でも明日香の気持ちが報われないのも嫌なんて、私はなんて我が儘なんだろう…
「じゃあ、なんだよ?色々って、他になんかあんのか?」
ヒロは顔をしかめながら微妙に怒ってるようで、私は自分でもどうしたいのか分からなくて、とりあえず思った事を口にした。
「自分でもよく分からないの。ヒロが戻ってくるまではこんなことなかったのに…、いっつもよく分かんない気持ちでモヤモヤしてて…、嫌な自分ばっかり出てくるの。」
私はヒロに冷たい事ばかり言い続けたことを思い返していた。
「私だって、昔みたいに素直な気持ちでヒロの隣にいたいよ。でも、昔と今じゃ違うでしょ!?今の環境じゃ…、私…何をどうすれば上手くいくのか…全然分からない…。」
言いたい事がまとまらずめちゃくちゃで、私は口にしながら悩みが一向に晴れる気がせず、ギュッと目を瞑った。
するとヒロから大きなため息が聞こえたあと、私の悩みを無視するような言葉が降ってくる。
「じゃあ、俺は俺で好きにさせてもらうからな。」
「へ?」
「俺は昔と変わらずナツと一緒にいたいから、したいようにさせてもらう。元樹が来ても追い払う。あいつを諦めさせるにも丁度いいだろ?」
「え?―――――え??」
ヒロはビシッと私を指さすと、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ナツが何に悩んでるのか知らねぇけど、きっと俺と一緒にいれば答えは見つかるよ。」
「…??そうかな?」
「俺の予想ではそうだよ。ナツは俺といるのが一番いい。」
ヒロは自信満々に宣言して、私はその堂々とした姿につい笑ってしまった。
「そうなんだ?じゃあ、ヒロが私の悩みを解決してくれるって思っとけばいい?」
「任せとけよ。ナツのごちゃごちゃした悩みなんか吹っ飛ばしてやるから。」
「……解決じゃなくて吹っ飛ばすんだ…。」
ヒロはふんっと偉そうに笑みを浮かべていて、私はその姿に少し気が抜ける。
ヒロといれば、本当に何もかも解決してしまいそう…
私は一旦考える事を置いておくと、ヒロに「ありがとう。」と感謝の言葉を伝えた。
これは心配してくれたことと、今までの私の態度の謝罪…
そして支えてくれる言葉の数々に対して、気持ちをこめた。
ヒロはそれに気づいたか分からないけど、嬉しそうに笑ってくれて、私もつられて自然と顔が緩んだのだった。




