9、気になる
ヒロと別れてから教室へ戻ると、ちょうど三限終了のチャイムが鳴ってしまい、私は男子の更衣室と化している教室内を見回して考え込んだ。
これ…、私がいるとまずいよね?
これから続々と男子が戻ってくると着替えを始めるだろうと推測して、私はタイミングの悪さにため息をつきながら廊下へ出る。
そこへ息を上げて廊下を走ってくる元樹とちょうど出くわして、元樹は私を見るなり顔を輝かせた。
「菜摘!元気になったんだな!!良かった!俺、すぐ着替えるから話の続き――――」
「廊下走んな。てめぇはナツの忠犬か。」
私に駆け寄ろうとする元樹を羽交い絞めにして止めたのはヒロで、ヒロはちらっと私に目を向けると睨んでくる。
さすがにまだ機嫌直ってないか…
ヒロは私と別れてから授業に戻っていたのか、元樹を引っ張ると有無を言わさず教室へと連れて行く。
私はヒロと揉める元樹の声を聞きながら、ヒロの八つ当たりの対象となってしまった元樹に心の中で謝罪した。
一体どこの逆鱗に触れたんだろう…?
ちょっと前までは『大好き』とか恥ずかしいことまで口にしてたのに…
やっぱり今のヒロは分からない…
私は近づけたようでやっぱり遠いヒロを思ってため息をついた。
そして男子の着替えが終わるまで待ってようと、開いていた窓枠に手をついて外に目を向ける。
そうやってぼけっとしていたら、教室に戻ってきた男子にちらほらと声をかけられた。
「天野さん。もう大丈夫なんだ?」
「うん。もう平気。ただの寝不足みたいなものだから…。」
クラスメイト男子に声をかけられるなんて珍しいことで、私は若干面食らいながら答える。
「天野さんが休むなんて珍しいからさ、こいつ大丈夫なのかってすげー心配してたんだぜ?」
「え?」
「おい!!すげーとか…、そんなそこまで心配してねぇし!!」
急に言い争いを始めたクラスメイトを見ながら、私は確かに去年一度も休まず皆勤賞をもらったことを思い出した。
そっか…
だからあの先生も私の事知ってて、保健室って言っただけで驚いてたんだ…
私はヒロと二人で叱られた見覚えのない先生の言動を思い出して、疑問が解消したことにスッキリする。
「心配してくれてありがとう。もう大丈夫だから。」
私が言い争いを仲裁するようにお礼を口にすると、クラスメイトの目がこっちに向いて止まる。
そして少しどもるように「元気になって良かった。」とはにかむような笑顔を向けられる。
私がそれにつられて頬が緩んでいると、大きな背中に目の前を塞がれた。
「お前らが着替えねぇと、女子が教室入れねぇんだけど。」
不躾に乱入してきたのはもう制服に着替えたヒロで、私は昔より大きな背中を見つめてクラスメイトが見えなくなったことに文句をぶつける。
「ヒロ。話してた途中なんだけど。」
「うっせぇ。ナツは黙ってろ。」
「何!?その言い方!!いったい何に怒ってるのか分かんないけど、あたらないでよ!!」
「怒ってねぇし、あたってもいねぇ!!現状そのままを注意して何が悪い!?」
「注意!?今のが注意!?」
どう見ても上から目線の命令に近い言い方だったので、『注意』という単語に違和感を覚える。
ちょっとは分かり合えるんじゃないかと思ってたけど、やっぱり全然分からない!
私は再会してからの『俺様』のヒロが昔の姿とは全然重ならなくて、分かり合えそうだった空気なんかなかったんだとイラッとする。
「今のをどう聞けば注意に聞けるのか分かんないけど、一方的に怒るのいい加減にしてよね。ヒロと初めて話した伊勢君たちが困ってるから。」
「え!?いや――、俺たちは別に…。ただ、天野さんと花崎君って…知り合いだった…んだ?」
私とヒロの言い争いを見て固まっていたクラスメイト=伊勢君と高垣君が、若干引きながら私たちを交互に見てくる。
「昔からの幼馴染なんだ。ヒロが引っ越すまでだけど。」
「引っ越すまで!?今もだろ!!!」
私の説明に食って掛かってくるヒロは置いておいて、「ただの腐れ縁だから。」と二人に笑みを向けると、二人の表情の緊張が和らぐのが見えた。
「そうだったんだ。どうりで…。」
「??どうりで…、何?」
「あ、いや!!――――花崎君の言う通りだなって…。俺ら着替えもせずに話し込んで悪かったから…。じゃ、急いで着替えてくるよ!ごめんな、花崎君。」
伊勢君が呟くように言った言葉の続きが気になって聞き返したのだけど、それを高垣君が遮って教室へ伊勢君を押していってしまう。
それを見送ってなんだったのだろう…と考えていると、横にいたヒロに頬をつねられる。
「いっ!?何すんの!!」
私がつねられた頬を手でカバーしてヒロの手を払いのけると、ヒロがぶすっとした顔で言った。
「ヘラヘラすんな!!もっとシャキッとしろよ!!」
「へ!?ヘラヘラって…。」
「誰にでも良い顔すんなってことだよ!!マジでムカつく。」
「ムカつく!?それはこっちのセリフ―――」
「花崎君!!!」
ヒロの言い方にカチンときたので言い返そうとしていたら、背後から明日香の声が聞こえて振り返った。
明日香は何故かヒロを呼んで、私には目もくれずヒロに駆け寄った。
そして「ちょっと来て。」とヒロの制服の袖を引っ張りどこかへ行ってしまう。
私はその光景にぽかんとしながら、また明日香と二人で消えたヒロにモヤモヤと言い様のない気持ちが湧き上がってきたのだった。
***
ヒロが明日香と仲良さげに消えてしまった後、元樹と一緒に伊勢君たちが教室に入れると呼びに来てくれた。
それを皮切りに廊下で同じように待っていた女子たちが教室へ入って行く。
だけど私はヒロと明日香のことが気になって教室へ入る気が起きず、つい廊下の先に目を向けてしまう。
「あれ?大翔は一緒じゃなかったのか?」
「うん。明日香とどっかに行っちゃった。」
「へぇ~、明日香と?意外な組み合わせだな。」
私が一人でいたのが気になっていたのか、元樹が私と同じような感想を漏らす。
「だよね。ヒロは違うって言うんだけど…、明日香と仲良いよね?」
「あぁ、前もなんか一緒に帰ってたもんな。どこで接点があったのか分かんねぇけど。」
「そう…なんだよね…。」
元樹も二人の関係性をよく知らないみたいだけど同じことを思うらしく、私は自分の予想が当たってそうで微妙に複雑な気持ちになる。
ヒロが明日香と付き合うのも時間の問題かな…
私は二人が付き合う想像をして、そのときどんな態度で接すればいいのかとため息が出る。
すると何の脈絡もなく横にいた元樹にそっと手首を掴まれて、ビクッと体が震える。
「菜摘。……その、保健室では…ごめんな?」
「え?」
元樹は少し潤んだ瞳で私を見つめていて、私はその目から視線が外せず息が詰まる。
「ちょっと強引だったかなって反省してんだ。恋愛があんなに嫌だって言ってる菜摘にあんなことするなんてさ…。余裕なくてカッコ悪ぃよな?」
元樹は無理に笑ってるのか少し笑顔が堅い。
「菜摘に嫌われるのだけは避けたいからさ…。あれ、忘れてくんないかな?」
「え?」
私は<あれ>というのがすぐにピンとこなかったのだけど、次に元樹から出た言葉に遅れて理解する。
「友達だったら、あんなことしちゃダメだよな…。ほんとごめん。」
あんなことって…
キス…のこと…だよね?
ああいうことをしたいというのが元樹の本音からくる行動なら、今後友達という関係を見直さなきゃならない。
でも、元樹は反省して謝ってくれているので、ここで許さないのも良心が疼く…
私は保健室でのことを思い返し少し悩んだけど、ここは広い心で許そうと決めた。
「もういいよ。心配して保健室まで来てくれたっていうのもあるし…。今回の事はなかったことにするよ。」
「菜摘…。」
私からの返答を聞いた元樹はほっと安堵したように笑みを浮かべた。
私はそんな元樹に笑みを返しながら、保健室で元樹にドキドキしていたということを秘密にしようと、笑顔の裏に隠したのだった。
***
それから元樹といつも通り話をしていたら、明日香とヒロが一緒に戻ってきて一瞬心臓がビクついた。
自然とヒロに向きかけた目を元樹に戻してギュッと口を噤ぐ。
ヒロに対して不自然な態度をとりたいわけじゃないのに、今まで感じたことのない気持ちに平静を装えない。
とりあえず通常通りに戻るまでは、ヒロの存在を気にしないようにしようと思ったのだけど、戻ってきたヒロに一番に声をかけられる。
「ナツ。昼に購買案内してくれよ。」
「へ?」
ヒロはさっきまでの態度と打って変わっていて、私は何もなかったようなヒロの様子に声が裏返った。
ヒロは少し罰が悪そうにしていたけど、まっすぐ私を見つめたまま続ける。
「昼飯持って来てねぇから、購買行かなきゃならねぇんだよ。案内ぐらいしてくれんだろ?」
「え…。」
私はどう見てもお願いではなく、上から目線な命令に、ヒロの考えてる事が分からなくなっていたら、ヒロの背後にいた明日香が笑顔のままでヒロの背を叩くのが見えた。
ヒロはそんな明日香をチラ見してから、ブスッと顔を歪めて再度言う。
「……ナツ、頼む。購買に付き合ってくれ。」
???
「……それぐらい…、別に…いいけど…。」
さっきよりしおらしい言い方でお願いされたのもあり、面食らいながら返事すると、ヒロがどこか安心したように微妙に顔を綻ばせたような気がした。
ヒロ…、明日香と何があったんだろう…
明日香と二人で出て行ってからヒロの態度が変わった。
今も言葉を交わさなくても何か通じ合ってるような感じだった。
私はモヤモヤずっと二人の事が気にかかりながら、解消できない気持ちに、苦しさだけが積み重なっていったのだった。




