閑話①訓練〈2〉
次の日の訓練場。
私達は食後しばらくしてから集められた。
「揃ったな?」
ご主人様が片手で木剣を地面に突き刺し、柄の部分に体重を乗せて怠そうに立っている。
私達はその場で横一列に並び、ご主人様が嫌がらない程度に頭を下げて返事を返した。
この世界の人族にしてはとんでもなく珍しい。
⋯⋯少なくとも私はそう思う。
今まで見てきた人達は皆、私達のような奴隷や平民たちに対して頭を下げさせたり、いわゆる人を見下す欲求を満たそうとしてきた。
時には金で。
時には権力で。
しかし目の前に立つこの人は、全くそんな雰囲気を出すことはおろか、出す事すら邪魔くらいの認識で私達を見ている。
たまにそういう人はいるが、ここまで徹底した人もなかなか居ない。
「さて」
ご主人様が木剣を更に力強く地面に突き刺し、木剣の前へと回って横一列に並ぶ私達の顔を一人一人しっかり見ながらウロチョロし始める。
「これから訓練を始める。その上で皆に聞いてもらいたい話がある」
ご主人様は煙草なるものに火をつけて、その場で胡座になった。
「いいか?」
次の瞬間、ご主人様は人差し指一本を立ててこう私達に対して言い放った。
「一週間。7日間でお前たちが死なないように俺が訓練をつける。俺はこれまで沢山の仲間たちが死んできたのをこの目に焼き付くように鮮明に残っている。 俺はお前たちが死なない為に⋯⋯訓練をつけるが、生半可な気持ちでやろうとしているなら今すぐ戻れ。それが最善だ」
当然誰も戻ろうとはしない。
中でも、これでも私は元C級冒険者だった。
だからこそ理解できる、A級ダンジョンやS級ダンジョンは別格。とても人族に攻略できるなど不可能と言われている。
そんな場所へ赴こうとしているのだから、当然生半可な気持ちなわけがない。
「そうか、なら訓練を始めよう」
ご主人様が立ち上がる。
「手始めにお前たちの気持ちは理解できるが、気持ちと身体が違うということを理解するところから始めよう」
'⋯⋯どういう事だ?'
するとご主人様は私を指差した。
「ガル、前へ」
言われた通り、私は一歩前へと踏み出す。
だがその瞬間、ご主人様が見えなくなるほど視界が霧掛かり、空気が冷たくなった気がした。
'誰も気付かないのか?'
私は当然左右をチラ見した。
しかし誰もこの異様な空気の変わりように気付かず、私は違和感すら覚える。
この違和感をご主人様に伝えようと前を見ると、既にニヤリとしている表情が見え私は察した。
私は確実に今試されている。
「そういやガルはなんの武器を使うんだ?」
「や、槍です」
武器が詰まっている箱から木製の槍をこちらへと投げる。
「まず、全員の認識の為に⋯⋯代表としてガルが最初だ。訓練内容をしっかりと観察し、向上に努めるといい。捉えている事すべてが勉強になることを忘れるな」
全員が騎士のように返事をすると、視線は一気にガルの方へと向く。
「ガル、何度もすまないがもう一つ」
「なんでしょうか?」
ご主人様は私を真剣に見つめる。
「これは訓練だが、本番だと思って俺を攻撃しろ。別に間違いがあって刺してしまっても構わない」
「ごっ、ご主人様!?」
「訓練は訓練だ。だがな、この訓練は何のためにやるのか⋯⋯魔物と戦う為に訓練をする。身につけた型や技術がそのまま出来る訳がないだろう。まぁ何が言いたいかというと──今のお前では魔物に勝てない」
「私が弱いと言うのですか?」
少し悔しかった。
毎日努力して強くなってきている実感があったからだ。
「いいや?」
「なら何故ですか」
「紹介文に元冒険者と書かれてあった。なら、ここにいる誰よりも理解しているはずだ。いつだって予想外の事ばかり起こるということを。
例えば、自分より遥かに強い魔物と対峙しなければならない場面。トラップや盗賊による奇襲。俺はこの街に来て思った事がある。 それは実戦経験は積んでいるのに、型がない。しかしお前はそのどちらもある程度積んでいる。だがお前は見たところ⋯⋯型ばかり練習しているな? 大方実戦で怖くなったか?」
「いえ、そんな事は」
「嘘を吐かせるつもりはないし、別に慣れろとも言ってない。 俺も楽しんでいるが、緊張感が全くないわけじゃない。だがな? その考えを現場で無くさないと、使える技も使えん。見える攻撃も変な軌道に見える。 実戦経験を沢山しておいて実戦を舐めてるとしか思えん」
「そんなつもりはありません!」
「人の言葉などいくらでも言い繕える。俺がお前たちに忠誠心など要らないと言ったのもそれが理由だ。 人なんて理由があれば裏切るのは当然のように、俺達人族の脳みそなんて人族の都合の良いように解釈する機能なんだよ」
ガルは悔しそうに拳を握り締めて黙って話を聞いていた。
「訓練の過程で型や必要な技術を指導するにはするが、お前を含め、まず──"相手を思いやる"という気持ちを捨てさせる訓練を始める。実戦でしっかり使えるようにな」
「なっ⋯⋯!?」
完全に動揺するガルは思わず手から槍が落ちそうになるほどだった。しかしガゼルはそんなガルを無視して話し始める。
「そんなわけで今から訓練開始だ。言っとくが俺はある程度の手加減しかできん。まぁ腹の底なんざ本人以外の誰にもわかりゃしないが、もし俺が弱いとか、意外と慈悲があるなんて思ってるようだったら⋯⋯今のうちに捨てておけ」
'はい'
私はそう返事を返そうとした時、既にご主人様の圧が始まっていた。
⋯⋯口から言葉を発せない。
勿論疑っていた訳じゃない。
しかし、同じ男として目の前にいるご主人様を見たとき、格が違うとすぐに理解した。
手も動かそうにもピクリとも反応する気がしない。全身の時間が止まったようにこちらの指示が通らない。
「言っただろ?これは実戦だと」
ご主人様の顔が見えない。
いつもは優しく、美しい顔だが──。
今はその顔が黒く塗りつぶされたように恐怖で見えない⋯⋯黒い炎で炙っているみたいに。
自分の足が乗っ取られたみたいだ。
⋯⋯これが本物の恐怖。
魔物よりも怖い存在が、まさか同族にいるなんて誰が思っただろうか。
「いいか? お前は人を思いやる気持ちがある。だが、言い方を変えるならば、お前は相手を思いやる"余裕"があるんだよ。なぜか? だって自分が死なないと心のどこかでそう感じているから。 自分が死なないと思っているからこそ──相手を思いやる事が出来るんだからな」
そう言って一歩ガゼルは一歩ガルへと踏み出した。
動け。
「ほら」
動けって。
「ガル、早く動かないと」
来るって!!早く動け!俺の体!
不安、恐怖、全てが自身の奥深くに眠っていたモノを呼び起こす。
「死んじゃうぞ?」
「くっ!」
体が動いた。
すぐに距離を離して槍を構える。
その切先の奥には、黒い炎で歪み、片手には木剣を握る主の姿が映る。
⋯⋯恐れるな。
恐れたら終わる、冷静に動け。
「イイじゃないか。良い目をしている」
気持ちが消えているのか、鋭い目つきを放つガルに、ガゼルは嗤う。
その姿を目にしたガルは、グレイや他に対峙したであろう者たちを頭に浮かべ、心の底から尊敬の念すら抱いた。
"あの人達はこんな化物に挑んだっていうのか?"
震えてしまう。
こんな異様な力を発する者に⋯⋯挑まなければならないなんて。
その瞬間、ガルの心臓が激しく鼓動し始める。
行かなければならないと脅迫しているように。
「ハァァァァッ!!」
興奮状態のガルが燃え上がるような叫び声を上げてガゼルへと突進した。
「さて、お前はどっちだ?ガル」
ガラ空き。
C級冒険者だからって──。
「ん?」
一気に距離を詰めたガルは真っ直ぐ槍で突くフェイントを仕掛け、左から右、そして右から左へと槍を巧みに操りながらの振り払いで、ガゼルに全力で叩き込む。
カァン!カァン!
「⋯⋯!」
しかし、相手は年下にして──歴戦の猛者同然の男。たかが高速の⋯⋯ちょっと早い振り払いの連撃如きではまるで動じない。
ほぼ初期位置からミリもズレておらず、ガルはその事に数秒経ってから気付く。
'クソッ!なんて人だ'
普通じゃなさ過ぎる。
どうやったらこの連撃を当たり前のように捌けるんだ!こっちは距離の利があるぞ!?
⋯⋯それをこの人は。
それからも懸命に連撃を入れ続けるが、ずっと同じような時間が続く。 無限にも等しいガゼルの体力とたかだかC級冒険者のガルでは結果を見なくても分かることだ。
ガゼルは少し飽きたのか、振り払うガルの手首に一撃入れる。
「うっ!」
このままここにいたらまずいとすぐにガルは後退する。
「駄目だな。そろそろ俺も攻撃させてもらうぞ」
「⋯⋯っ!」
ただ立っていたと思ったその直後、ガゼルはもうガルの目の前へと瞬間移動するように現れ、すぐに単純な軌道の連撃を始める。
だが、単純な軌道とはいえ、打ち込むのはガゼル。単純だからこそ──力量と経験が最大限に活かされる瞬間だった。
ブゥンッ──!
たかが木剣。
しかし、この男が振ればただの木剣の音ではなく、地鳴りをも彷彿とさせる風を切る音が聞こえるほどだ。
ガルはその単調な攻撃を体を反らして避ける。
「くっ!」
しかしギリギリ。
ガルはそのまま後ろへ跳ねながら空中で身を翻し、槍を回転させながら次への一手を用意する。
しかし地に足がついた時には、目の前に上からこちらへと木剣を振り下ろすガゼルの姿があり、ガルが気付いた頃には思い切りその振り下ろしを顔面で受けて地面に叩きつけられた。
ドォン──!
斧で叩きつけたような轟音が響いた。
倒れるガルに対して仁王立ちで見下ろすガゼルは、そのまま木剣を振り上げる。
「では、ここまでのようだ。安心してあの世で待っていろ」
その目は至って本気。
見下ろしていた数秒倒れたガルは即座に起き上がり、正真正銘⋯⋯気合いでその振り下ろしを避けた。
再度轟音が響く。
スレスレで避けたガルは目を疑い、自身の首筋を触った。
'今、本当に私の首を狙った'
心臓の鼓動が今までにない速さで警鐘を鳴らす。
'本当に避けなかったら、私は首をへし折られて死んでいた'
殺す気だ。
冷静に、しかもしっかり急所目掛けて。
槍を握る手が子鹿のように震え、完全に思考回路が固定化される。
その瞬間、自分が正気ではない程叫んだのを感じた。
「ハァァァァァァァッ!!!!」
初めてだった。
自分が死ぬと感じたのは。
「ふんっ!ハァッ!クッソ!!」
一心に突き、一心に左右から全力で振り払う。
カァン──!
暫く続いた連撃を剣先の操作だけで止めた。
「闇雲に振ってどうする。魔物に対して適当に振れば、それで倒せるなんて思ってるのか?」
ガルは関係なかった。
懸命に、しっかり殺意を持って話など聞かずに体力の限り振り続けた。
「一瞬一瞬全てを考えろ、こればっかりは敵は誰も待ってくれない」
「今までこんな経験ないんじゃないのか?」
「確かにゴブリンやウルフ程度ならお前でも問題ないだろう。しかし戦いは弱者としかしないなんてことはない」
「強者との対峙。その時お前はへっぽこにビビッて惨めな最後を遂げるのか?」
「戦え」
「いつまでも自分が死なないと⋯⋯いつからそう思ってる?」
「そんな余裕が許されるのは──力量に明らかな差があるときだけだぞ?今、お前はいつ死んでもおかしくない」
威圧混じりのガゼルから贈られる言葉。
ガルは正気ではないにしろ、その言葉は間違いなく心に落ちていた。
しかしそんな余裕が今はない。懸命に振り続け、やがてガゼルが放つ攻撃が数回直撃し始めた。 同じところを何度も打ち続けたせいか、確実に痣となって赤子の拳ほど腫れ上がる。
それから約一時間⋯⋯ガルにとっては地獄のような訓練の時間が流れた。
***
「ハァ、ハァ」
「お疲れさん」
ガルはもう身体一つ動かせないほど疲労し、ガゼルが倒れているガルの上からふわふわの白いタオルを落とした。
「ご主人様」
ガルの呼びかけにガゼルが反応する。
「ご主人様はいつもこんな戦いをしていたのですか?」
「まぁ⋯⋯そうかな。時と場合によるが、何日も飲まず食わずで戦わないといけないこともあったし」
あっけらかんと話すガゼルと、納得したように深い吐息を鼻から漏らして幻想的な空を見つめるガル。
「やっとご主人様の言いたいことがわかりました」
「そうか」
「お前がここまでしないと分からないやつとは思わなかったが」
軽く笑うガゼル。
「いえ、ご主人様の言っていることが今になって理解できます。戦っている以上は確かに憐れみは必要ありませんね」
「まぁ、それを分からせる為にやった訓練だしな」
「はい」
「後は、基礎訓練と型だな」
ガルを強制帰還させたところで、ガゼルは全員の前に立った。
「さて、みんなもこれくらいの難易度だ」
全員の目つきは完全に変わっていた。
⋯⋯目つきだけなら、全員歴戦の猛者だ。
ガゼルはそれから一人ずつガルと同様に身体にその恐怖と憐れみを捨てさせる訓練を微量に内容を変えながら叩き込んだ。
一週間──。
彼らにとって地獄のような時間だった。
朝から夜まで地獄のような体力と技術訓練の連続。誰もが血反吐を吐くような内容であり、とてもそれを人に見させるレベルの範疇を超えていた。
ここでは敢えて語らないが、後に「必要ではあったが、二度とやりたくない」と奴隷一同の言葉が出る程、ガゼルの訓練内容はエゲツないものだったらしい。
⋯⋯この一週間。
彼らが努力を続けている間、ガゼルはステータスに記載されている『適正』という部分に引っ掛かった。
これは強引に切り替えたらどうなるのかと。
試行錯誤で試した結果、彼らに施した適性の枠が増えたのだ。
当然ガゼルは笑った。
⋯⋯「こんなのやり過ぎだろう」と。
自分や奴隷たちも可能性が広がり、ガゼルが性格や動きの特性から生み出した適性を奴隷たちに施した。
ミーズは元気に励ます「吟遊詩人」に。
ガルは戦闘経験の豊富さと器用な武器使いを見て「バトルマスター」。
セレーヌは周りの把握能力を見て「支援魔法師」。
ミカエラは存在感を消すのが上手く、短剣の扱いを教えたらかなり有効的に使えたのを確認し、「アサシン」に切り替えさせた。
そして訓練を終えた彼らは、適正の成果を受けるためにガゼル1人に対して、奴隷たちで挑んだ。
結果は敗北だが、彼らの垣間見える連携と実力は、ガゼルの想定よりも遥かに高い水準をみせた。
⋯⋯これなら良いだろうと、ガゼルは同行することを許可し、奴隷たちはみんな報われたと喜びをあらわにして寝床についた。
彼らの頑張りが遠い未来、確実に歴史の小さい部分にでも乗っかるほどに。




