63話 曇り時々快晴
クラン⋯⋯『ウォリアービースト』──。
ここトラシバの街を主要活動場所としている四代クランと言われている中の一つである。
クランリーダーである暴虐のグレイ。
彼と接触し、彼について少しでも知っている連中に「彼はどういう人物か」と一言で答えて欲しいというと、全員がこう即答するらしい。
"本能のみで生きてるような人間だと"──。
「それはどういうことですか?」と続けると、
『女にしかもはや興味がない』
『他人は喰らう為に存在していると思っている』
『自分の為なら悪事を働くことに躊躇がない』
と、並べられるような人間である。
天は二物を与えずなどという事があるが、二物どころか3,4くらい与えられている人間だ。
高い身長に整った顔、この世界で必要な職業とステータス、それを使う知能まで⋯⋯彼は努力などしなくても全て叶う環境と実力を兼ね備えていた。
彼を筆頭にA級冒険者やB級冒険者の8割程がまずウォリアービーストに勧誘され、高待遇を与える。
他のクランよりも遥かに好条件で契約する為、ほとんどの冒険者はウォリアービーストに属している。
総数は数千から万にものぼり、四代クランの名に恥じないとんでもない戦力を誇るクランであった。
⋯⋯しかし半数以上の奴らは知らない。
男は超えてはならない一線を越えていると。
悪事という悪事を全て踏み潰したような男であり、女、脱税、強姦、拷問⋯⋯。
男は聞けば耳を塞ぎたくなるような内容を当たり前のように一周している「凶悪」などという言葉では済まされないような事ばかりしていた。
誰も止める事はおろか、咎めることなどできない。
権力、純粋なステータス、恵まれた職業に加えて容姿まで整っているお墨付きだ。
⋯⋯しかし。
そんなトラシバの街に実質的に君臨していた男は焦っていた。
⋯⋯なぜか?
頭の回るグレイは、対策として、基本的にギルド関連の話全般を他言できないように契約書にガゼルが使用していたような魔法の刻印を施していたからだ。
そうすれば悪事に関連していることは最小限に減らせる。
実質的に現在いる幹部達は表向きでは幹部ではなく、偽物だ。本物の幹部たちは皆⋯⋯中小クランの一つとして活動させていた。
何かあった時の数合わせとして。
勿論、契約書も書かせているから問題ない。
そう思っていたグレイだが、一つだけ隙があった。
⋯⋯幹部の中でも圧倒的な忠誠心すらも感じるゾルドという弊害だ。
魔法刻印では縛る物に限界がある。
ゾルドの人気があまりにあり過ぎて、契約書の刻印の数を多くし過ぎてしまったのだ。
そのせいで、所謂闇の方への他言について、特定されるレベルまで喋れる存在というわけだ。
グレイは当時、ゾルドを幹部にするのを躊躇した。
下からの忠誠心が厚すぎて、いつか武力的にどうにかしないといけないという日が来るかもしれないという焦りから来ていたものだった。
しかし当のゾルドは自分に対して裏切る要素すら感じない⋯⋯もはや疑うことすら怪しいほどの存在となっていたからだ。
それがグレイの焦りを加速させた。
⋯⋯そんな中であの騒ぎ。
ゾルドは悪に染まりきれていない。
それはグレイも最初から感じていた。
言うなら⋯⋯。
不良みたいに振る舞っている陽キャみたいな雰囲気だ。
悪になりきれていない。
"もしかしたら⋯⋯悔い改めたらゾルドは喋ってしまうかもしれない"
その前に消す必要がある。
幸いゾルドは貧困街の隅。
大事にはならない。
地域の人たちも皆、金で雇われた悪人を放置するタイプの連中だからだ。
***
「おい、奴の場所の詳細はわかっているんだろうな?」
「問題ありません!」
「何がだ?」
「奴は自分からこちらに向かって来ていますから!」
'何を考えている?ゾルド'
すると、貧困街の広い大通りの奥。
全身フル装備のゾルドが英雄のように音を立てながら⋯⋯歩いて数百人もいるグレイたちの方へと向かってきている。
「あれが⋯⋯」
見ていた一人のクランメンバーが呟く。
そう、ゾルドは⋯⋯誰もが一度は惚れ惚れする程の漢気溢れた冒険者と先輩冒険者から聞かされていたから。
その距離が縮まると、グレイはいつものようにゾルドへ声を掛ける。
「久しぶりだな、落ちた英雄」
「⋯⋯お久しぶりです」
と、落ち着いた口調で返すゾルドだが──グレイは見抜いていた。
'本当は仲間がボコられてるから焦ってるくせに'
愉悦に浸るようにグレイは胸の内で嘲笑いながら、ゾルドに話し掛ける。
「そんな全身装備でどうしたんだ?」
「私の仲間が連れて行かれたと聞きました。奴は私の仲間でも何でもありませんから、無実の冒険者です。従って聞き出す必要はありません」
『兄貴!!!庇わなくていい!!』
「⋯⋯⋯⋯」
集団リンチされているゾルドを慕う一人が、痛みに耐えながらそう声を荒げる。
⋯⋯しかし。
「と、そこのやつは言ってるが?」
「私とは無関係です。無関係の奴が殴られるのはあまり良い行いとは言えないと思いますが?」
交錯する嘲笑気味のグレイと、まるでヒーローのようにその場に立つゾルド。
張り詰める空気の中、先に口を開いたのは、グレイだった。
「ゾルド、お前は俺の性格を知っているよな?」
「はい、存じています」
「なら、俺がコイツが事実だろうと無実だろうと、「関係ない」と一刀両断するのは考えなかったのか?」
「知っていました。だからここまで足を運んだ次第です」
「ほう?」
するとゾルドは、その場で盾と剣を取り出した。嘲笑気味のグレイだったが、その瞳に威圧が込められ始めていた。
「何のつもりだ?」
「先程その者に食事を与えられた身でしてね。そんな御仁をーー暴力で解決⋯⋯などとするのは些かよろしくはないと思うので、私が止めようと」
よく研がれたダンジョン産でもかなりの値が張る剣──セレクエッジ。
「お?お前⋯⋯分かってて剣を俺に向けようってか?」
'グレイ、お前はもう十分君臨しただろ'
ゾルドは深呼吸をし、内観した。
野生動物のような立ち振るまい。
両手をポッケに入れるところから、その容姿、醸し出す雰囲気。
⋯⋯あのイケ好かねぇ白髪とまるでソックリだ。
容姿は流石に見劣りはするが。
今更こんな事したってなんにもならねぇのに、俺って奴は。
ゾルドは信念をその両目に宿し、背筋を伸ばした。
「私は戦うつもりでいる。しかし、もし他の方法があるのならばーー喜んで受け入れよう」
『兄貴!!』
「ほう?あのお前がそこまでするほどのタマなのか?こんなしょぼい生きてても無価値な奴が?」
グレイは叫ぶゾルドの下っ端の髪を掴み、嗤ってみせる。
しかしゾルドは全く動じない。
自分がどうなるかを覚悟しているその目は──素直にグレイも感心するほどだった。
「ひとまず」
片手を上げるグレイ。
すると全く音を立てずにゾルドの頭上付近から突然⋯⋯暗殺者だろう見た目の数人がゾルドを制圧した。
ゾルドは両肩を押さえつけられ、膝立ちの体勢となる。
「⋯⋯なんのつもりですか?マスター」
「気に食わねぇからだ。あのゾルドがこんなザマになってまで助けようとするなんてな」
「ごふっ⋯⋯!!!」
ゾルドの口から血が勢い良く飛び出て行く。
始まった。
奴らによる精神の侵略が。
ドスッ!
「⋯⋯うふっ!!」
ゾルドはまるで昔の自分を思い出すような集団リンチが始まっていた。
⋯⋯容赦のない拳がゾルドの顔面に牙を向く。
ドンッ──!
鈍い音が数分間この場を支配する。
ゾルドの顔からは、雨が降るように血が地面へ滴り、数人が支える両腕は完全に折れていた。
しかしゾルドは全く抵抗すら見せない。
それが答えであるかのように。
力すら入れる気もないその姿に、全員が良い意味で引いてしまうほどに。
「ゾルド、今なら許してやるぞ?」
「剣を抜いたことにですか?」
「あぁ、俺は一度敵意を向けられると死ぬ手前まで折ってしまうタイプなの⋯⋯一番分かっているだろ?」
「ええ、よく知っています」
「だろ?もうこっちもいたたまれない位酷い状態だぞ?お前は腐っても元ウチの幹部だ。多少の口利きくらいはしてやる」
「それがこのザマですか?マスター」
グレイの両眉が上がった。
それと同時に、一気にこの場の温度が急速な低下を始める。
「なんだと?」
「はは、図星ですか?元幹部の私ですら⋯⋯このザマなんですから、幹部以外なんて生きてる事すら怪しいとは思いませんか?」
「おい、続けろ」
グレイが元場所へ戻ろうと背を向けると、その背後でまた続きが始まった。
『おらっ!』
『まだまだ足んねぇようだなぁ!?落ちた英雄さんよぉ!』
『おらおらおら!!』
⋯⋯響く。
痛みつける彼らの怒号と笑い声が。
しかしゾルドは一切声を漏らさない。
どこまで行っても⋯⋯彼は無反応だった。
『兄貴!』
代わりに始まるリンチ。
見ていた下っ端たちは絶望に追い込まれる。
どうしよう。
でも、俺なんかが行っても⋯⋯。
下っ端たちはどうしようと考えている内に、小さい雨粒が徐々に音を鳴らし始めた。
まるでこの状況を表すように、豪雨が降り注いだ。
しかしゾルドに対する手は緩まない。
豪雨の中、ゾルドは血だらけになりながらも黙ってグレイを変わらず執念のごとく刺すように見つめる。
**
痛みと屈辱の瞬間がその後も続いた。
その時間およそ1時間。
ゾルドたちにとっては絶望な時間が流れる。下っ端たちはどうしようもない恐怖に取り囲まれ、希望の光を失っていた。
誰もがこの状況ーーゾルドが死に、下っ端たちも含め、全滅すら感じていた。
「⋯⋯っ!!お前ら!!」
今にも死にそうなゾルドの目には、彼を慕っていた下っ端の残りも捕まってしまう。
『兄貴!!』
『兄貴!お前ら!何てことすんだよ!!離せっ!クソッ!!』
必死にもがく下っ端たち。
一連の流れを見ていたグレイは、耐えきれず哄笑していた。
「お仲間ごっこは終わりか?」
「⋯⋯何?」
「まだこの状況を信じられないとでも言うのか?」
ゾルドは理解っていた。
"もう自分は助からないということを"
戦っても無残に死ぬだけ。
しかし自分には残っている仲間たちがいる。
耐えなければ⋯⋯。
しかし、もう⋯⋯無理だ。
まるで王の道と言わんばかりに通りの枠を百人以上が並んで道を作り、その道は奴らと俺しかいない。
逃げようにも、並んで作られた人力の道からは逃げられない。
「さて、ここまですれば、もう大丈夫だろう」
グレイは立ち上がって数百人を引き連れながらゾルドの方へとゆっくりと向かう。
「落ちた英雄ゾルド、今日でお前の人生は終わりだ」
コツ、コツ。
迫る先頭に立つグレイと軍隊のように並んで数百人にも上るA級,とB級冒険者たちの集団。
コツ、コツ。
「というわけで──」
そう言いかけた刹那。
グレイは違和感に苛まれた。
'なんだ⋯⋯?'
コツ、コツ。
明らかにおかしい。
何故ひとつだけ違う足音がこうも響くんだ?
違和感⋯⋯。
するとすぐに変化があった。
もう15mもなかったゾルドとの距離が増えている。
そして、捕まえていた人質はゾルドの両肩を持って支え、こちらを憎たらしい眼光で睨み付けている。
「あれ?一人増えているな?まさか隠れていたのか?」
'なんだ⋯⋯?'
雨粒が男たちの身体を打ち、濡れた服に吸い込まれていく音だけがこの貧困街の隅に響き渡っていた。
その時──。
グレイの視界にはこの闇に包まれた広い貧困街
通りの奥の方から、一つ足音が聞こえる。
それは異様。
コツコツと音を鳴らし、謎のシルエットすら影で映る。
「兄貴!!」
「モル⋯⋯か」
ゾルドはモルが生きているのを確認すると、一気に安堵した。同時に、もう一つの事を思い出して唇を全力で噛み締めた。
「おいゾルド」
グレイは突然の出来事に戸惑う。
灰色の空から降り注ぐ豪雨、暗闇にも感じる中からポツンと一人⋯⋯奥から何かを持ってこちらにゆっくりと向かって一つの何かが見えたモノが──人だと分かったからだ。
それは傘をさした一人の人族。
ゆっくりとそのままこちらに向かってくると、突然豪雨が止み、それに気付いた男は傘を折り畳んだ。
ビチャ。
その者の下にある水溜りが反射で映る。
映ったのを見るとーー性別は男だった。
すると闇から声が聞こえる。
「全くクソどもが」
その声を聞いたゾルドが誰なのかを瞬時に理解し、下を向いた。グレイは訳がわからずに闇の方を見つめたまま。
「中々凄いことになってるじゃねぇかゾルド」
全員が正体不明の声に驚き、その闇の方へ視線が集中した。
「こうやって会うのは久しぶりだな」
闇の中から少しずつ身体が見えかかる。
「昔を思い出すよ。こうやって俺がセリフ吐くのも、こうして今からやる事も」
「モル、来たんだな?」
噛み締めた唇から血が吹き出し、ゾルドは屈辱と言わんばかりに顔を硬めている。
───
──
─
「はぁ?」
「お前は十分やっただろう。そこでだ」
ゾルドは男から1枚の契約書を受け取った。
内容に目を通す。
「なんだこれ?」
「お前には適正がある⋯⋯今後役に立つだろう。しかしお前はーー大犯罪者の仲間入りだ。俺はただでこんな事をしてやろうとは思っていない」
「その条件とは?」
「掛け金は簡単だ⋯⋯。ゾルドという身分を抹消し、残りの人生とお前が隠している貧困街にある住宅の土の中」
「⋯⋯!!!!」
ゾルドはもはや言葉にならない表情を浮かべた。
「なんでそんな事まで知っている?」
「そんなことはどうでもいい。掛け金はお前の残された人生と約十億近くあるお前の隠し金庫。それを寄越せば⋯⋯お前やお前の仲間が危機に瀕したとき──一度だけ守ってやる。大犯罪者にしては随分安い掛け金だろ?」
「万に1つも可能性はないが、合図は?」
───
──
─
血で汚れた噛み締めた口を開き、背後から来る男に向け、
「モルに届けさせた。約束は覚えているだろう?」
「⋯⋯⋯⋯」
デュポンライターの開閉音が静かなこの場に響き渡り、細い煙が立ち込める。
ゾルドは切実に。
悔しげに。
最悪だと表情に浮かべる。
「頼む」
「まさか、お前から言ってくることはないと思っていた。ゾルド」
姿が段々露わとなる。
「面白いじゃないか、ゾルド」
ゾルドは無言のまま男を見つめる。
「仲間の為なら敵だった俺にすら助けを求めて掛け金を払うなんてな」
「おい!!」
グレイは何がなんだかわからず、咄嗟に叫んだ。
煙草を深く吸いながら、男は無視してゾルドを見つめ、こう言った。
「聞いたぞ?あの後、散々俺を殺す殺すって言いまくっていたそうじゃないか。今なら俺を殺せるんじゃないか?」
「⋯⋯黙れ」
「おいおい、掛け金はもう始まっているんだから⋯⋯変なことを言うなよ」
傘を真横に向けると、何故か傘は消える。
黒いスキニー。
靴は精巧な見た目をしているミリタリーブーツ。
上はタンクトップ1枚に、長い長い白いロングコートをその上から羽織っていた。
そして丸いサングラスを掛け、綺麗に靡くセミロングの美しい白髪。
グレイの視界には、そんな男が晴れた快晴の後光すら纏って自分達の前に現れた。
「お前が暴虐のグレイか?」
「あぁ、俺がグレイだ。まさか、お前一人でこの数百人いる冒険者を相手しようなんて思っているわけじゃねぇだろうなァ?」
男の両端は既に構成員によって列をなしていた。
しかし男はそんなことはどうでもいいと言いたげにこう発した。
「それにしても、面白い」
男は両手をポケットを突っ込み、快晴を見上げた。
「A級?B級だっけ?そんなに強い奴らがここにいるとはな」
男は片手でサングラスを外す。
「いいぞ」
男のダークブラウンの両目が興奮が止まらないといった意思を宿している。
「最高じゃないか」
列の間で快晴を見上げる男は笑みを浮かべ、そう言い放つ。
あまりに独特な男の雰囲気に、全員が戸惑う。
「ゾルドの言った通りだったな」
無言で目が離せない数百人の冒険者たち。
「暴虐のグレイ、それじゃ聞くがーー」
そんな中、男は持っていた煙草を地面に人差し指で弾く。
そして男が持っていた手紙には、こう書かれていた。
"お前を殺せる奴がいるかも知れない"
男は一人静かに鼻で笑う。
「聞くが今日集まっている奴らの中で」
震える──。
全員がたった一人相手に圧倒される。
「誰が俺を殺してくれるんだァ?」




