第8話 戦闘準備
休憩。休息。休み時間。
アイリス・クレマチスはこれまでの人生で初めて、それらの意味を深く考えることになった。そもそも休憩とは本来、体を休める為の時間であるはずなのだが、さきほどから休まった感じがまったくしない。
こうして街の片隅のまだ復興の手が届いていない上に人けもない瓦礫の山の目の前などという場所を選んでいたのはもはや無意識の内だった。
(ほんと、私はいったい何がしたいのかしら......)
思わずため息が出る。
この行動は自分からしてもあまりにも意味不明すぎる。一応、急な時の為にインカム装備でいつでも指示が出来るようにしてはいるものの、最近の自分は本当にどこかがおかしい。
「どうかしましたか? お嬢様」
やってきたハルトが両手に持っていたのはコーヒーの入ったカップである。差し出されたそれを一つ受け取る。
「......いえ。ありがとうございます」
ハルトはカップを手にアイリスの隣に腰を下ろした。猫舌なのかちびちびとまだ湯気の出ているコーヒーを悪戦苦闘しながら飲んでいる。
「あちっ。うう......」
熱いのは苦手だが熱いうちに飲みたいらしい。
(あっ。猫舌なんだ)
そんな少年の新しい一面を見て思わず微笑んでしまう自分にまた困惑する。
(いやいやいやいや。確かに猫舌ということは知りませんでしたけど、別に今のを見て「可愛い」と思ってませんから......いや、思いましたけど。思いましたけどだから何なのでしょう?)
意識内のことが咄嗟に行動に出てしまったのか独りでに首をぶんぶんと振るアイリスにびっくりしたハルトは恐る恐る「どうか......なさいましたか?」と伺う。その言葉でようやく自分の今さっきの行動を思い出したのか
アイリスは「な、なんでもありません」と返答する。
とはいえ、今日の自分の主はどこかおかしいと感じるハルトは思い切って尋ねてみることにした。
「えーっとお嬢様、今日は何だか体調があまり優れない様子ですが......?」
「大丈夫です」
「......」
「......大丈夫ですから。いや、ほんとうに」
大丈夫でなければ、体調が優れていないならば、今日こうやって復興計画の見直し、スケジュールの再構築をやって、急にスケジュールが変更になった現場をこうして纏め上げてあまつさえ指揮をとることなんて出来ない。
それぐらいのことはハルトにだって解っているし、実際に指揮を受けたのだ。
だが。
それでも。
今日のアイリスはどこか、なにかおかしいと思わざるを得ない。
(......よし)
決心したハルトはアイリスに視線を移す。
「お嬢様、どうやらお嬢様は何かお悩みがあるご様子。違いますか?」
「え、ええっ⁉」
どうしてそれを⁉ という言葉をすんでの所で飲み込む。その作業が終わると同時にもしかしてこの記憶喪失の不思議な少年が自分の悩みさえ――どんなことで悩んでいるのかさえ理解してしまっているのではないだろうか。
――と、アイリスが頭の中でぐるぐると勝手に考えているのだが、実際のところハルトぐらいアイリスと行動を共にし、普段をアイリスを見ているような人物が今日のアイリスの様子を見ればこれぐらいの事に思いつくのはそう難しいことではないし、流石に悩みまで全て見透かしているなんてことはありえない。
しかし、そんなことを知る由もない......否、知ることすら出来ないような状態のアイリスにはそこまでの考えが追いつかない。
ハルトは続ける。
「自分は所詮、クレマチス家の使用人でしかありません。お嬢様のようなお方が考えてらっしゃることは自分如きには到底理解しえないことでしょう。しかし、お悩みを聞くことぐらいは出来ます。悩みと言うのは人にうち明かせば楽になる場合もございますし、自分のような者でよければお聞きいたします」
「なっ......!」
硬直する。
確かに......悩みは誰かにうち明かせば楽になることはある。子供の頃はよくカスミに悩みを相談したりして、それだけで気が楽になったものだ。
だが、今回の場合は違う。
悩みの内容もそうだし、何よりうち明かす相手がハルトでは意味がない――いや、意味はあるのかもしれないしもしかしたら悩みが一発解決するかもしれない。だが、駄目だ。
(――――何故かいつもあなたの事を考えたりとか、あなたの事を考えるとなんだかわけのわからない感情が出てくるとか、思わずあなたの事を「可愛い」と思ってしまったとかなんて言えるわけないでしょう⁉)
確かにこの少年の申し出は普通ならば有りがたいものなのだろう。だが今回のケースでは爆弾に近い。
「だ、大丈夫です。気にしないでください」
ここで無駄としか言えないようなどうでもいいパーティの場で培ったお嬢様スマイルで話の中断を申し出る。
しかし。
「無理をなさらないでください。もし悩みを一人で抱え込んでストレスを溜めこんだりして体を崩されたりしたら自分はもうお嬢様に合わせる顔がありません!」
(いやだから言えないんですって! そもそも年頃の乙女の悩みをそう簡単に聞こうとしますか⁉)
「お嬢様は、ボロボロの状態でいくあてのないこのような自分を拾ってくださったお方です。なので、せめて少しでも力になりたいのです」
(それは非常にありがたいのですが、この場では鈍感、無神経にして厄介としか言いようがないんですけどね!)
そもそも、年頃の女の子が抱える悩みをよりにもよって同い年の少年にそう簡単に話せるものなのか。そういうことを考えずに――いや、この場合はそこまで考えが回らずにただただ必死でアイリスの力になりたいのだと、力になろうとしているこの少年の必死そうな顔を見ていると、この少年が自分と同じただの子供なんだなと思う。
今まではその突出した能力からどこか自分とは違う存在なのではないかと思っていた。
だが、こんな鈍感で不器用な一面を見ているとやっぱりまだ自分と同じ子供なんだなと思う。
「ふふっ」
「ど、どうかしましたか? お体を崩されたのですか? どこか悪い所でも? お薬をお持ちいたしましょうか?」
あたふたするハルトに思わず笑ってしまう。こういった辺りは不思議と「可愛い」と思ってしまう自分がいる。けれどアイリスは自然とそう思う事の出来る自分を素直に受け止めていた。
「いえ。やはりハルトも子供なんだなって思っただけですよ」
「? どういう意味ですかそれ?」
「なんでもありませんよー」
「......逆に気になるんですけど」
少しむくれている表情すらも今では「可愛い」と思えてしまう。あの日、彼の本当の姿を見た気がして、あの圧倒的な戦闘力を披露した同じ人物だと知っているからこそ余計にそう思える。
そして。
この感情がいったい何を表しているのか、不思議と答えが出かかっているような気がした。
(もう少し......もう少しで答えが、出そうなんですけど......)
手を伸ばして、すぐ目の前にある答えに届きそうになった瞬間――現場からのコールによってその思考は中断された。
□□□
ハルトたち<魔術師の実験>がメガロへと訪れてから二日が経過した。作業は順調に進み、翌日には全ての<魔力バッテリー>を運搬し終える。そうすれば、当分の間はこのメガロもエネルギー問題に悩まされずに済むだろうとされていた。
だが、その作業は突如として中断された。
メガロ基地からの招集である。
これの意味するところは一つ。
ドミナントの部隊が正式に確認されたということだ。
今までは不確かなソースでの目撃情報のみだった。それにメガロの復興もあってそうおいそれと討伐部隊を出すわけにもいかなかったし、不用意に刺激されて街までなだれ込んで来れば事だ。
よって、今までは触らずにいた。だが、ここでようやく確認がとれた。本来ならばいつ攻めてきてもおかしくはなかったはずだが。
メガロ基地のミーティングルームにて、復興支援に来ていた騎士たちが集められた。
「皆様に集まってもらったのは他でもありません。正式に確認されたドミナントの部隊が現在、進行中であるということです」
ミーティングルームでアームズレイ・ロックオードが現状の説明を始めた。
現在、この街に存在しているWSは全部で五十一機。内、戦闘可能なWSは<魔術師の実験>の<タケミカヅチ>を含めて全部で三十一機。
「今朝、偵察に送り出した騎士からの連絡が途絶えました。恐らく撃破されたものと思われます」
会議室に静寂が訪れる。
つまり、今度こそ確実に敵がすぐそこまで迫ってきているという事だ。
「敵の数は解りません。ですが、偵察が撃破されたポイントと入手した情報によるとどうやら敵部隊は<巨獣の森>周辺に集まっていると思われます」
「あの周辺といやぁ確か湖もあったな。一度訪れてみたかったが、まさかこんな形で訪れることになろうとはな」
静まり返った会議室の中で飄々と言葉を発したのは一人の四十代の男だった。頬にある傷が特徴的で、髪は銀色。周囲の騎士たちと比べると歳も少し離れてはいるが一番鍛えられている事は確かだ。歴戦の猛者と言うにたる風格と実力を兼ね備えていることもすぐに理解出来た。
ハルトは記憶の中にあるメモを素早く開く。
確か<血の赤>と呼ばれる凄腕のパイロットが所属する<沿岸要塞>からの救援部隊の隊長を務めていたはずで、名をシルバ・アリクと言った。
彼はちょっとした有名人で、<銀色の亡霊>という二つ名を有しているがそれだけでなく、第九世代機が当たり前のように配備されている今の時代にわざわざ時代遅れの第八世代機を使って戦場に出ているという噂だ。
しかし実力は本物であり、だからこそ彼は旧型に乗って戦場を駆けてもこうして今、この場にいるわけだ。
「討伐部隊を編成するに辺り、今回の指揮はシルバ・アリクさん。あなたにとってもらいたいと思います」
「はいよ任された」
「それで、さっそく部隊の編成にあたりたいのですが――」
その後、アームズレイがテキパキと役割分担を行う。最初は優しそうで戦闘関係の仕事は苦手だとハルトは勝手に思い込んでいたのだが、どうやらその印象も改めなければいけないらしい。
ものの五分もしない内に編成は完了した。
その結果。
「......私たちは都市の護衛ですか」
「仕方がないじゃないですか。今回戦闘に参加するのは殆どが<沿岸要塞>からの救援部隊でしょう? 自分たちが交わらない方が連携が取りやすいですし、あちらの方が戦闘経験が豊富ですから妥当な判断でしょう。それにまだ自分たちは子供ですし、シルバさんだけは別に隊に加えても構わないとおっしゃってたじゃないですか」
とはいえ、結果的には<沿岸要塞>出身の猛者たちに押し切られた結果、都市の護衛という形に落ち着いたのだが。
「それはそうですけど......ただ、『子供だから』という理由だけで外されたのが納得いかないんですよ。実力不足と言うのなら素直に受け止めますけど」
「街の人たちを護るのも自分たちの役目ですよ。ですからお嬢様。とりあえず今、自分たちに出来ることをしましょう」
「......今、私たちに出来る事?」
アイリスのおうむ返しのような言葉にハルトは頷く。
「さきほどマリナさんから連絡が来ました。マリナさん達と共に、試作品の小型<A.I.P.F.>が到着したそうです。今すぐ、<タケミカヅチ>へと装備させる作業に入ります」
□□□
討伐部隊が消えた格納庫に来たのはWS専用トレーラーに小型<A.I.P.F.>を乗せたマリナとコサックたち技術開発部の面々だった。
マリナはトレーラーから飛び降りると同時に待機状態の<タケミカヅチ>の方へと一目散に走っていく。
「会いたかったよ――――! たっく――――ん!」
まるで感動の再会と言わんばかりの勢いで<タケミカヅチ>に抱きつく(?)マリナ。何故かその息は荒い。
「ハァハァ。久々のこの装甲の感触......ぐへへへへ。たまんねーぜこいつぁ......ハァハァ」
「アレは気にしないでください。一種の病気のようなものですから」
もはやこれがデフォなのか、ハルト以外の面々は一向に動じずに黙々と作業を始めている。
「あの......本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。まあ、ハルトくんが来る前は毎日ああやって<タケミカヅチ>に抱きついていましたからね。ちょうど薬が切れたあと、さっそく薬物をとった薬物中毒者のようなものだと思ってください」
「それ本当に大丈夫なんですか⁉」
「ねんがんの タケミカヅチを てにいれたぞ」
「本当に大丈夫なんですよねぇ⁉」
「だから大丈夫だって。すぐに戻るから。それによかったですね。殺してでも うばいとるようなことにならなくて」
「それでね、ハルトくんっ!」
「うわびっくりした!」
急にハルトとコサックの間にひょっこりと現れたマリナはもういつもの元気で向日葵のような笑顔を見せる幼女だった。間違っても鋼鉄の巨人に抱きついて息を荒げながら「ぐへへへへへ」とか「ハァハァ」などとは言わないはずだ。
いや、ただ機体への愛情が深いだけなんだと自分の中で決着をつけたハルトは改めてマリナに向き直る。
「<タケミカヅチ>への小型<A.I.P.F.>装備作業はすぐに終わる予定だよ。でも聞いた話だと、確か街の護衛なんだよね? 出番はあるのかな? いちおう、念の為と思って<デリバリーユニット>も持ってきたけど」
「解りません。一番良いのは出番が無い事ですが......」
ハルトはデスゲーム時代にも何度も感じた事のある何かを感じていた。それが何なのか、実際に事が起こるまで解らない。それがもどかしい。
「......でも、嫌な予感がするんです」
どうでもいいけどあの絶対遵守の力を持つ童帝の所有するオサレな形をした便利ボタン欲しい。




