第九話 決着
タケミカヅチは、謎の空間の中を進んでいた。いや、進んでいたというより吸い込まれているという方が近いのかもしれない。周囲は何色かもわからない色。赤かもしれないし青かもしれない。黄かもしれないし緑かもしれない。黒かもしれないし白かもしれない。様々な色が歪曲しながらその空間を形作っている。
その中でハルトは、自分の体に変化が起こっていることを自覚していた。ハルトの体からキラキラと魔力の光が零れ落ち、消えていく。その光景を、アイリスもその目でしっかりと目の当たりにしていた。
「ハルト!」
「アイリス……」
アイリスは後部シートから降りて、消えゆく最愛の人の元へと駆け寄る。ハルトの姿が本当に僅かだが、ぼんやりと薄くなってきた。
「ハルト……ハルト……! そんな、どうして……!」
「大丈夫。これはただ、戻ろうとしているだけだ。きっと、俺の元の体に……」
それでも不思議と、アイリスの涙は止まらなかった。
目の前でハルトが消えている。そんな光景を見て、安心できるはずもない。
もしかするとこれが最後の別れになるかもしれない。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。
「アイリス、頼みがある」
ハルトは冷静さを保っていた。そして、彼女の頭の上に優しく手を乗せる。
そして、アイリスはハルトの頼みをきいた。
この先の事。次の事。それをきいて、彼女は今を生きる希望に変える。ハルトがこの先の事を言っている。未来の事を言っている。だとすれば泣いている場合じゃない。会えると信じて、そして自分たちの未来を信じて、今は行動するべきなのだ。
ハルトからこの後にすべきことを全て聞いたアイリスの目にはもう涙はない。
「……わかりました。やってみます」
「頼む……ってやっぱり、まだ慣れませんね。お嬢様の事を呼び捨てにするなんて」
体が消えかかっているハルトは、にっこりと笑って。
この僅かな時間を楽しむかのように。
「……もうっ。せっかく名前で呼んでくれたのに」
「こっちの方がやっぱり慣れてるから……だからこれからは、ちゃんと名前で呼べるように。それが自然になるように頑張ります」
「そうですね。頑張ってください」
「もしいろいろ片付いたら、デートにでもでかけましょう」
「で、でーとって!」
「だって、恋人じゃないですか。俺たちは」
「そ、そうですっ。こいびと、です。ですから……消えないでください。いいえ。たとえ消えても、もう一度私の前に現れて、私を抱きしめてください。デートに行く前に消えてもらっては困ります。だから……だからっ!」
「……はい。かしこまりました、お嬢様」
ハルトは柔らかく微笑んで、アイリスの華奢な体を抱きしめた。この華奢な体で、彼女は今まで頑張ってきたのだ。
自分の能力は所詮はデータによるもの。それに比べて彼女はどうだろう。自分の足で立って、自分の力で歩き出している。
ハルトにはそれが眩しくて、愛おしい。
その時まで。
最後まで抱きしめて、彼女のぬくもりを感じたまま――――ハルト・アマギの体は、完全に消滅した。
☆
光が晴れる。消滅してしまったハルトに代わってアイリスが操作するタケミカヅチが謎の空間を突き破って現れたのは、眼下に広がる街の光景だった。
夜だというのに明るい。都会の光を見慣れていないアイリスは驚きを隠せなかった。ハルトから話にはきいていたが、まさか本当にこんなにも文明の発達している世界だったなんて。
WSもないし、魔法も存在しない。
科学と言う名の力が支配する世界。
日常生活における利便性はこの世界の方が高いのだろうとアイリスは感じていた。
ホワイトはどうやらまだ来ていないらしい。ハルトが言い残した言葉の中には、おそらくハルトたちがこの世界に戻るのと、ホワイトがこの世界に戻るのとで時間差があると言っていた。なんとかホワイトよりも先に戻れたものの、ハルトが言うにはすぐに来るかもしれないらしい。
(その前に……!)
地上の人々が、突如としてこの世界に現れた異世界の巨人に気づかない。おそらく深夜だからだろう。でも、あの謎のゲートは未だこの世界の空間で維持されている。すぐに気づかれるはずだ。
あそこからいつホワイトが来てもおかしくはない。
ハルトが最後に残してくれたポイントを頼りに、アイリスは機体を進める。
恐らく、消えゆく体が元の体へと戻ろうとしていた時、ハルトには分かっていたのだろう。
これから自分の体がどこに向かうのか。
その詳細な位置を。
だからアイリスにそれを残した。
そしてアイリスは彼が残した道を辿る。
見えたのは白い建物。確か、あれがこの世界の病院。そこにハルトの体がある。
機体を進めたアイリスは、病院の傍にタケミカヅチを持ってくると、その巨人の右手を病室のある壁へと突き刺した。そこは廊下側で、病室にまで被害は与えていない。コンクリートの壁が砕けて、そこまでの道を巨人の腕が作り出していた。
コクピットを出たアイリスは、タケミカヅチの腕の上を走って病室へと急ぐ。
そこは個室となっており、中にはアイリスの知らない色んな医療機械があった。
アイリスは目を凝らし、必死に辺りを見渡す。騒ぎとなって人が来る前にここから抜け出さなければならない。遠くから声と人の足音がきこえてくる。
そして、見つけた。白いベッドの上で横たわるのは、長期間ゲームから帰還しないままになり、ベッドの上で寝たきりにあっている少年。痩せこけて、異世界にいた時とは明らかに弱々しい姿になっている少年。アイリスの最愛の人。異世界で自分を守り続けてくれた、自分の愛すべき人。
紛れもない、現実世界の天城春人の体。
「ハルト……!」
アイリスは駆け寄り、痩せこけて弱っている彼の体にそっと触れる。まだ温かい。
よかった。死んではいない。
まだ、生きている。ここにいる。
アイリスが涙を流して彼の体がそこにあることを、彼がそこにいることを確かめていると、天城春人の目がゆっくりと開いた。
そして、泣いているアイリスを見た春人は細くなった自分の腕を懸命に動かして、彼女の涙をぬぐう。
「お嬢、様……」
自分の事をちゃんと覚えていた。
よかった。
本当に良かった。
それだけのことが、とても嬉しい。
「ハルト……いえ、春人。参りましょう」
「はい……お願いします。お嬢様」
アイリスは細く痩せこけて弱りきった春人の手を、両手で包み込む。
やがて春人の手を包み込んだ彼女の手が、淡い光を発した。
☆
ホワイトは現実の世界に帰還した。自分の体もしっかりと残っている。ホワイトの理論は正しかったことが証明された。いや、証明されてしまったというべきか。
地上を見てみると、既にちょっとした騒ぎになっていた。ホワイトが現れたから、ではないだろう。シンやなのに現実世界に帰還した瞬間から騒がれるのはおかしい。
だとすれば、あの二人のタケミカヅチが先に帰還したからだと考えるべきだ。
「乗り遅れちゃったねぇ。でも、これで終わりだ」
既にハルト・アマギの体は消滅し、彼の意識データは天城春人の体に戻ったはず。アイリスとあの進化したタケミカヅチもこの世界に来ているものの、この世界の天城春人の体は何年も寝たきりだ。
いきなりWSを操縦することは出来ないはず。いきなり体がそこまで動くはずもない。歩くだけでも辛いはずだ。ましてや、進化したタケミカヅチをホワイトと戦えるレベルで操るなど。
「勝った……僕の勝ちだぁ!」
ついに勝った。自分をここまで苦しめた唯一の存在に。
自分は、ついに勝ったのだ。
「は、ははっ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッ!」
高笑いをするホワイト。
が、それを突き破るように、暗闇を一筋の閃光が斬り裂いた。
「……ハ?」
閃光が、WWの背中のクローアームの一つを撃ちぬいた。
背中の一部が爆ぜ、機体はバランスを崩す。撃ちぬかれたクローアームは、空中で完全に爆発して消滅した。
「なに、がァ!?」
閃光の放たれた根源。
そこにいたのは、夜色の機体。
背中にキワミノツバサを装備した、進化したタケミカヅチ。
「バカな……! 天城春人の体は、WSを動かせるほど回復していないはずだ!」
だが、タケミカヅチは機体を加速させ、間違いなくハルト・アマギの操作技術でWWを追い詰める。
予想外の事態に、ホワイトは完全に動揺していた。この現実世界に戻ったホワイトは、あの異世界にいた時よりも人間らしくなってしまっていたのかもしれない。
が、ホワイトはすぐに目の前の現象に心当たりを見つけた。
「アイリス・クレマチスッ…………!」
今、タケミカヅチの中で操縦しているのは紛れもない天城春人本人。その意識データが数年もゲーム世界、そして異世界にいた為に現実の体は起きることはなく、弱りきっていた。
それは確かなことだった。
しかし現在、天城春人の体は確かにWSを操縦している。薄青色の患者着に身を包んだままの天城春人の体は相変わらず細く、痩せこけている。しかしその体は的確にタケミカヅチを操り、ホワイトと戦っている。
それを可能にしているのはアイリスの魔法。強化の魔法で弱りきった春人の体を強化し、タケミカヅチの操縦を可能にしているのだ。
アイリスは春人の体を強化する魔法とウェポンのコントロールに集中。
春人は異世界にいた時と同じ状態で、ホワイトと戦うことが出来る。
二人にとっては、この世界で魔法が使えるかどうかの方が賭けだった。
だが二人はその賭けに勝った。
あとは、ホワイトを止めるだけだ。
「やはり、クレマチス家は潰しておくべきだったか。今からでもッ!」
「そんなことさせるか!」
現実世界の夜空で、白と黒、二つの巨人が激突する。
そしてホワイトは気づいていなかった。いつの間にか自分が、海の真上に誘導されていたことに。地上の人々の被害を防ぐために、春人はここに誘導していたのだ。
これで気兼ねなく戦える。
「キワミブレイド、『セイヴァーモード』!」
すべてのキワミブレイドを展開する。鞘型の翼から射出されたブレイドは、漆黒の巨人の全身にアーマーの如く装着された。
そして、ブレイドから紫色の魔力が迸る。バチバチと紫電と共にエネルギーを増していく巨人に対抗してホワイトもそのシステムを起動させる。
そして両者は同時に、叫んだ。
『ウィザードシステム!』
二つの巨人が雷と化す。同時に、二つの機体は海上で激突した。
夜桜極を雷の刃で大型のブレードへと変化させ、キワミノツバサも雷に包まれて更に巨大な翼となっていた。
「アイリス、ラストリミッター解除!」
「はいっ!」
雷の翼をアームのように使ったタケミカヅチは、相手の雷のアームと激突させる。そして、今度は雷の剣で互いを斬り合う。
もう言葉はいらない。
語るべきことは語りつくした。
あとはただひたすら戦うのみ。
白い少年は自らが定めた目的のために。
黒い少年は、今はただ一人の愛すべき少女を守るために。
一人と二人は、戦い続けた。
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
「ハァアアアアアアアアアアアアアッ!」
タケミカヅチの大型ブレードがWWの左腕を切り落とした。負けじとWWもタケミカヅチの左脚を切り落とす。切断されたパーツは爆ぜながら海へと落下した。
機体が悲鳴を上げている。いくら進化したタケミカヅチといえども、この連続したフル稼働には限界が近づいていた。
タケミカヅチがWWの右脚を切り落とし、WWがタケミカヅチの頭部の右側を魔力弾で焼き払う。
決着の時は近づいていた。
(もう機体はオーバーヒート寸前……! どうする!)
限界が先に訪れたのはタケミカヅチ。機体は所々からギシリという歪な音がきこえてきていた。
それをめざとく見つけたホワイトは、一気に勝負を決めに来る。
「ッ! しまっ、」
もう、遅い。
一瞬の隙を突かれたタケミカヅチに迫るクローアーム。それは的確にタケミカヅチから夜桜極を弾き飛ばし、両腕のウェポンも破壊する。
今度は腕そのものを破壊しようとするが、それをタケミカヅチはマニピュレータで受け止めていた。ハッとしたホワイトは、即座にアームから『A.I.P.F.』を展開して防御態勢に移る。が、この装備の前に防御フィールドは無意味だ。
「鳴神――――極!」
――――零距離圧縮炸裂砲『鳴神極』
炸裂した雷エネルギーが、連鎖してWWのクローアーム全体へと行き渡り、そのまま機体そのものを破壊しようとした刹那。
ホワイトは咄嗟に判断をきかせ、バックパックを切り離し、機体の全壊を凌いだ。そのまま反撃で、両手にあるブレードクローでタケミカヅチの両腕を斬り飛ばす。
「…………!」
両腕が使えなければ武器は使えない。
そう確信したホワイト。
「これで、僕の勝ちだぁああああああああああ――――――――ッ!」
だがその確信は、間違いだった。いや、ホワイトは失念していたというべきか。
――――タケミカヅチにはまだ武器が残っている。
それを示すかのように、両膝からワイヤーアンカー『空絶極』を射出。トドメを刺そうとしていた両腕を、ワイヤーアンカーの先端は貫く。そして背中のスラスターを噴射し、空中でWWを引っ張るようにして脚を動かしたタケミカヅチは、回転蹴りの要領で脚のクローブレードで、WWの両腕を斬り飛ばした。
だがこれで終わりではない。相手の両腕を封じたタケミカヅチは、最後の一撃を放つためにWWに接近する。そして、タケミカヅチは頭部にある口を開き、そこから覗く牙でWWの頭部に真上から食らいついた。
タケミカヅチの牙が、WWの頭部パーツに食い込む。それだけでは終わらない。春人とアイリスはその一撃に、すべての魔力を込める。
――――近距離波動砲『雷神の息吹極』
魔力エネルギーの波動が、WWを襲う。
純白の機体は、紫電の波動で崩れ去っていく。頭部が爆ぜ、腕が崩壊し、脚が折れる。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
現実世界の夜空で、雷神が吼える。
やがて純白の機体はその形を留めきれなくなり――――魔力爆発を起こした。純白の悪魔の機体は爆散したが、その巨大な爆発と衝撃は至近距離のタケミカヅチを襲う。
「ッッッ!」
その衝撃に、既に限界を迎えていたタケミカヅチは抗えるはずもなく。
タケミカヅチのコクピットの中で、春人とアイリスは互いの体を抱きしめた。
お互いがお互いを守るかのように。
やがて大破した漆黒の巨人は病院近くにある裏山へと激突し、その活動を停止した。
次でエピローグ。
最終話です。




