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第二話 海へ

 言葉が出なかった。目の前に可能性を提示されて――それが危険だとは言われていても――ハルトはその可能性が、とても魅力的に思えた。エイミーから突き付けられた選択肢に、迷わず飛びつこうと思った。


「もちろ、」


 だが、まるで夢から覚ますように、現実世界に引き戻されるように、誰かがハルトの手を掴んだ。


「エイミーさん。少し、考えるお時間をいただけないでしょうか? それと、もっと詳しく、その件についてお話していただきたいのですが。それでは失礼します」


 振り向けば、アイリスがハルトの手を掴んで、そのままハルトを引きずるように部屋を出て行ってしまった。いつかのことと逆だなとぼんやりと考えていると、基地にあるアイリスの部屋に辿り着いていた。


「何を考えているのですか?」


 部屋についたや否や、アイリスが開口一番に言ったのはそれだった。


「エイミーさんは危険が伴うと仰っていましたよね? それに、詳しいことをお話しする前だった。なのに、それを聞く前にいきなり決めますか?」

「えっと……」


 アイリスの声は、はっきりと怒っているということをハルトに示してくれる。確かに、自分の考えは迂闊だったのかもしれない。だが、目の前に突き付けられた、選択肢。それはとても魅力的で、ハルトが欲していたもので、だからこそ抗いがたいものだった。何故ならハルトが求めていた選択肢は、それこそアイリスたちを守る事にも直結していたのだから。


「ハルト、ここ最近のあなたは少し焦っているように感じます。もう何度も質問しましたけど、何に対して焦っているのですか? これまでのあなたの戦績に特に問題はありません。むしろ優秀過ぎるぐらいです。なのに、どうして焦っているのですか? どうして自分の身の危険を考慮しないのですか? お願いですからもっと……もっと、自分を大切にしてください」


 言い淀んでいるうちに、一気にアイリスは言葉を並べた。そして、彼女に無駄な心配をかけてしまった事実に気づき、落ち込む。


「申し訳ありませんでした、お嬢様」

「……本当に分かっているのですか?」


 焦っている、という自覚はある。そして、現状的に自分の戦績だけを見るならば焦らなくてもいいということも分かっている。結局のところ、Wの件に対しては自分が勝手に背負い込んでいることであり、アイリスはそれを知らない。また、Wが動き出すとかそういったことはハルトの勝手な推測に過ぎない。

 ここで、ふと思う。

 もし、ここで自分が全てを話してしまえば、記憶喪失というのも嘘で、自分が別の世界から来た存在だと正直に言ってしまえば、どうなるのだろうか。

 信じてくれるのだろうか。信じてくれるのかもしれない。

 だが、それが他の人に漏れてしまって、アイリスに迷惑をかけないのだろうか。

 もし自分が異世界から来た人間だと知られれば、そしてそれを他の人物に知られてしまったら、ハルトはどうなるのか分からない。異世界人のサンプルであることには変わりないし、あまりまともなことが思い浮かばない。

 ――――やっぱり、もうしばらく黙っていよう。

 そう心の中で決めたハルトは、改めてアイリスと向き合った。


「はい。勿論です、お嬢様」

「……なら、いいのですけど」


 むすっとした顔で言うアイリス。その顔は明らかに信じていない。肩を竦めるハルトに、尚更むすっとした表情を見せる。


「こういう時は、海に行くべきだよね!」


 突然、何の脈絡もなしにアイリスの部屋に入ってきたのはモネ・アマリスだった。彼女はにっこりと笑顔のまま、「海だ海だー!」と騒いでいる。


「会話の内容をきいていたのですか、とか、そういうことはもはやツッコみませんが……いきなり海、とは?」

「ほらほら、ここ最近は珍しくのんびりしているでしょ? だからこの隙にリフレッシュしよーよ! またいつ遠出するか分からないわけだし、ハルトくんも一息つけるしね!」


 確かに、休暇をとれば出来そうではあるが、普段のアイリスならばそんなこと認めないだろう。

 だが、少しの間、考えるようなそぶりを見せた後、


「そうですね。では、行きましょう」

「お、お嬢様?」

「おっ! アイリスちゃん、今回はやけにノリがいいね!」

「そうでしょうか?」


 そっけなく返すアイリスではあったが、モネの言うとおり彼女の普段の<ノリ>ではない。

 決断してからのアイリスの行動は迅速的だった。

 とりあえず、休暇ではなく、新しい水中戦用装備のテストという名目で海への旅行プランを立ち上げた。名目、とはいってもちゃんと新たに開発された水中用装備のテストは午前に行う。何しろ彼女たちの部隊はそういったことを行うための実験・・部隊なのだから。午前にテストを終わらせて、午後は自由時間を設ける。

 これだけの予定を一気に立ち上げたアイリスに、ハルトは呆然としていた。一気に日取りも決まって、流れるように時間が過ぎ、そして当日が訪れた。

 おかしい。いつものお嬢様らしくない。

 灼熱の太陽が降り注ぐ下で、ハルトはただただ茫然と突っ立っていた。まるで時間を早送りしたみたいに、午前の予定を消化してしまった。午後の自由時間が訪れたや否や、モネはフリージアとユリを引き連れて海へとアイキャンフライしてしまった。


「どうですか?」


 ふと、背後から声が聞こえてきた。振り向くと、そこにいたのはアイリスだ。

 ちゃっかり水着に着替えている。ワンピースタイプの水着だ。すべすべとした白い素肌が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。たわわに実ったマシュマロのような柔らかい、豊満な胸が窮屈そうに水着に収まっており、水着のレースの隙間からは、白くてむちむちとした、やたらと艶めかしい太ももが顔を覗かせている。その美しさは確かに、貴族同士のパーティで多くの若い男たちを魅きつけるだけのことはある。


「はい。お嬢様の水着姿は、十分にお美しいと思いますよ」

「そっ、そーいうことじゃなくてっ!」


 かあっと頬を赤く染めるアイリス。彼女は恥ずかしかったのか、ぷいっとハルトから視線を逸らしつつ、それでもチラチラとハルトの方に視線を向ける。視線を逸らしたいことはやまやまだが、それでもハルトの顔を見て話したいらしい。


「だから……その、ゆっくりと体を休めることはできそうですか?」


 その言葉で。

 今回のこの場が、ハルトの体を気遣ってのためのものだと分かる。呆気にとられたのは一瞬。


「はい。勿論です。ありがとうございますお嬢様。ですが、自分のようなただの使用人にそこまで構っていただかなくても結構ですよ? 確かに使用人にも心配りをなさるのがお嬢様の良い所ではありますが、いちいち自分のような者に構っていたら、お嬢様の体がもちません」

「相変わらずあなたという人は……ああ、もう。そういうわけにもいきません。ただでさえあなたの負担は大きいのに。それに、冷静になる為の時間は必要でしょう?」


 どうやら、先日のエイミーが持ち出してきた一件のことをまだ言っているようだ。ハルトはつい苦笑してしまう。


「ええ。そうですね」


 とりあえず、このままただ突っ立っているわけにもいかない。自分が仕えるお嬢様の為にせっせと働くことを決めたハルトはⅩシリーズを積んだトレーラーから荷物をひっぱり出してきて、パラソルを立てたり砂浜にシートを敷いたり、海で遊んでいるアイリスやユリたちの為にドリンクを用意したり、ヘルシーメニューな昼食を用意したりと、とにかく働いた。

 今は、ただひたすらに働いていたかった。しかし、今日に限ってやたらと効率良く、かつ迅速に事が終わってしまった。あとはただ海辺でお戯れになっているお嬢様たちを見学することしかすることが無くなって、つい他の仕事を探してしまう。考え抜いたハルトは、ドリンクを用意して技術開発部の人たちのところを訪れることにした。

 浜辺に設営された簡易型の計測施設では、まだコサックが何やらデータの整理を行っていた。


「コサックさん。他の方々は?」

「ああ、後は簡単なデータの整理だけだから、先にあがって、自由時間にしてもらったよ。もともとそういう予定だしね」

「データの整理なら、帰りでも出来るのですから、コサックさんもたまには羽を伸ばしてはいかがですか?」

「ははっ。まあ、それも悪くないけどね。泳ぎは苦手なんだ」

「そうですか。あ、これどうぞ」

「ありがとう」


 ハルトが手渡したドリンクをコサックが受け取ったところで、海からあがってきたマリナがとことこと近づいてきた。

 どうやらマリナは海をちゃんと堪能してきたらしい。うきわを抱えて、スク水を着ている。この世界にもどうやらスク水があったらしい。胸の部分には、「まりな」という黒い文字が書いてあった。魔法で書いたのだろうか。無駄に凝っている。実年齢は自称、二十歳らしいが、ぺったんこのまな板のようなお胸にはやけにスク水が似合っていた。


「ハルトくんは、海で遊ばなくてもいいの? もしかして、コサックくんみたいに泳ぐのが苦手?」

「あー、いえ。今は何となく、泳ぐよりも働きたい気分なんです」

「頑張るねぇ。たまには遊べばいいのに。ほら、アイリスちゃんたちに混ざってきなよこのハーレムおとこ!」

「お嬢様と一緒に遊ぶだなんて。使用人の分際で、そんなおこがましいことは出来ません」

「アイリスちゃんの家のメイドさんのカスミちゃんだって、休日にはアイリスちゃんと一緒に遊んだりすることもあるんでしょ? だったら、休日の間は使用人とか関係ないんじゃない?」

「今日は一応、仕事で来てるんですよ? つまり、お嬢様は自分のお嬢様であると同時に上官でもあるわけですから。それに、仕事でなくとも、お嬢様に拾っていただいた存在にすぎない自分にはそんな恐れ多いことはちょっと……」

「ハルトくんって、どこか後ろ向きなところあるよねー」

「そうですか?」


 マリナの言葉に軽く肩を竦める。そんな自覚は、ハルト個人としてはない。

 とうとう働くことがなくなってしまったハルトは、ビーチパラソルの下でぼーっとしているしかなかった。海では女性陣がキャッキャウフフとはしゃいでいる。まあ、どちらかといえばモネに振り回されているといった方が正しいのかもしれないが。


 □□□


 時は少し遡り。

 ブルースター国内にあるとある海域。ここは、特殊な波の流れがビーストをこの海域から逃さないようになっている。そういった理由から、この海域の近辺にはビーストが出現しない。

 その海域の水上を飛ぶ、一機のWSの姿があった。真紅のボディに禍々しさを放つツインアイ。右手にはハルバード、左手にはボウガンのようなライフルを装備している。背中に装備されたフライトユニットが生み出す飛行術式で水上を飛んでいたその真紅の機体を駆るレドラスは、機体を急降下させて水中へと飛び込んだ。派手な水しぶきをあげ、この海域の特殊な海の流れの根源へと突き進む。途中、ビーストが襲いかかってきたが、ボウガンのライフルとハルバードで簡単に撃退した。


「アレか。はん、思ったよりもアッサリ見つかったな」


 レドラスの駆る真紅の機体がとらえたのは、海底にある一本の柱。どんな物質で出来ているのかはわからない。だがそれが、<大地の恵みガイアギフト>だということは分かっている。この海域の海底に<大地の恵みガイアギフト>があるということを掴んでいるのはヘイムダルだけだ。

 そして彼女らヘイムダルが未だ誰も見つけたことのない<大地の恵みガイアギフト>を発見して、基地でも作ろうとしているのかといえば、答えは否だ。

 レドラスはボウガン型ライフルの弾を特殊な弾へとかえた。これはある機能を兼ね備えられている。

 その弾をこめたボウガン型ライフルで、海底の柱に向かって撃つ。弾は見事に柱を打ち抜き、破壊した。途端に、特殊な波の流れが乱れを起こし、やがて、その流れを止めた。


「さあてと、やることもやったし、さっさと帰りますか」


 レドラスは、波の呪縛から解き放たれたビーストたちを横目に、機体を空へと上昇させた。


 □□□


 ここのところはあまり激しい戦闘はなく、穏やかな日々を過ごしていたとはいえ、こうやって改めてリラックス出来るような時間はあまりとれなかった。アイリスは自分のためにこの場をもうけてくれたみたいだが、ハルトとしてはアイリスたちが体を休めることのほうがよっぽど重要だった。

 しばらくすると、海から上がってきた面々に――技術開発部の人間も含めて――ドリンクを手渡していく。にわか仕込みの使用人生活を送り始めて一年が経つが、働いている方がよっぽど落ち着くような、変な体質になってしまった。


「おつかれ」

「……ん」


 ややげんなりとしたユリにドリンクを手渡す。どうやら海でかなりモネに振り回されたらしい。だが、その顔はどこか楽しそうだ。


「ハルトは泳がないの?」

「いや、俺はいいよ。泳ぐよりも働く方が落ち着く」

「へんなの」

「ああ、まったくだ」


 ちょこん、とユリはハルトの隣の場所に座り込んだ。ごくごくと水分補給をしつつ、小さく呟く。


「こうやって、ともだちと一緒に遊んだのははじめて」


 ユリは子供のころにドミナントに住んでいた村を襲撃されてそのまま両親を亡くしている。そこからシルバが引き取って代わりに育ててきたわけだが、軍の基地にユリと同じような年頃の子供がいるわけもなく。


「だから、今日はたのしかったし、ざんねんだった」

「? どうして」

「ハルトがこなかったから。一人だけ欠けてたのはざんねん」

「あー……それは、まあ、悪い」


 珍しくむすっとした顔のユリを見て、なおさら罪悪感が湧き出てくる。それをごまかすために、同じように海から上がってきたアイリスやフリージア、モネにもドリンクを手渡していく。

 海に上がってきた面々に軽食を手渡していく作業をしたところで、不意にハルトは違和感を感じた。念のためにとビーストを警戒して索敵魔法を使用していたのだが、魔法(スキル)に何かが引っ掛かったような感覚だ。この感覚には慣れている。間違いない。


「コサックさん、水中戦用装備はまだ<タケミカヅチ>に装備したままですよね?」

「どうしたんだい? 急に。テストなら午前にやったばかりじゃないか」

「ビーストです。すぐに準備を」

「そんなバカな。この辺りはビーストが出現するような場所じゃないし、それにレーダーにだって反応が……」


 コサックがそう言いかけた瞬間。まだ起動状態にしていた機材からアラートが鳴り響いた。まさかと思い、コサックが慌てて機材にかけよる。すると確かに、ビーストの反応がこの近くであった。


「アイリスさん!」


 コサックが呼びかけるその僅か前に、すでにアイリスは立ち上がって、機材のある簡易テントまで駆け出していた。そしてレーダーを見て、状況を把握しようと試みる。魔力バッテリーの搭載してあるトレーラーからの制御受信範囲内にあるレーダーは、確かに正常に稼働していて、確かに敵の姿を示していた。


「マリナさん。現在、水中戦用の装備を装備したままの機体は?」

「帰る前にもうちょっとテストをしようと思ってたからね。Xシリーズ全機、水中戦用装備のままだよっ」

「わかりました。では、パイロットはすぐさま機体の起動準備をお願いします。マリナさんとコサックさんたちはここでパイロットのサポートを。残りの人たちで今から近辺住民の避難をお願いします」


 アイリスの指示でそれぞれがそれぞれの役割を果たすために動く。カブリオレに乗船していたメンバーもいたので、そういった者たちは近辺住民の避難を行う。

 ハルトは起動スタートアップキーを引っ掴むと、片膝をついて頭を垂れた、待機状態の<タケミカヅチ>へと駆け出した。コクピットを開き、即座に乗り込んで、起動キーを差し込む。

 ヴンッ、とツインアイが紫色に輝き、漆黒の機体が立ち上がった。周りの他のXシリーズも同じように起動を終え、立ち上がっていた。


『リフレッシュしようとして、まさかビーストに出くわしちゃうなんてねー』

『そもそもどういうことだ。なぜこの海域でビーストと出くわす?』

『本来なら、ありえない』


 モネ、フリージア、ユリがそれぞれ機体の装備を確認しながら会話を繰り広げる。ハルトにだってわからない。デスゲーム時代にもこんなことはなかった。ビーストが出現しないエリアはエリアできっちりと定められていたはずだ。だが、この世界はゲームの世界じゃない。あくまでも、それに似た世界だ。こういった、ハルトでも予想しえないイレギュラーな事態は十分に予想できた。


「推測していたも仕方がない。今はとにかく、さっさとビーストを倒すことが先決だ」

『了解』


 新たに開発された水中戦用装備。<タケミカヅチ>のバックパックにはフライトユニットの代わりにウォータージェット推進ユニットが取り付けられいる。更に両足にミサイルポッドや、右手には水中戦用のバズーカが装備されている。もちろん、メインウェポンである<夜桜弐式>や、新開発されたCGマシンガンライフルも装備している。だが、本来ならばバズーカやミサイルポッドといった装備は<タケミカヅチ>の機動力を殺してしまう。今回はテストのために装備していたが、それが役に立った。

 <カグツチ>も同じようにウォータージェット推進ユニットがバックパックに装備されている。だが、<アマテラス>と<キオネード>にはウォータージェット推進ユニットは装備されていない。空戦用可変機であるこの二機は、その構造上ウォータージェット推進ユニットを装備することは難しいからだ。

 だがその代わりに、頭部には対水中戦用WSのセンサーが取り付けられており、可変の邪魔にならない位置にミサイルポッドを装備、両手にはバズーカが持たされている。

 コクピット内のパイロットたちに、アイリスからの通信が入る。


『<タケミカヅチ>と<カグツチ>は海中から先行してください。<アマテラス>と<キオネード>は空中から二機のサポートを。敵の位置がまだ正確にはわかりませんので、データは随時、こちらに送ってください』

「了解しました。お嬢様」


 ハルトは、頭部に追加で海中用センサーを取り付け、水中戦用装備となった<タケミカヅチ>を、夕暮れの海へと向かわせる。


「<タケミカヅチ>……加速アクセラレーション!」


 バーニアが魔力によって火を噴き、光の尾を引きながら、漆黒の巨人は魔物の待ち受ける夕暮れ時の海へと飛び込んだ。



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