第26話「裏返る黒い影」【Bパート 砂浜と海で】
【2】
「いいか、砂浜でのランニングは関節への負担こそ少ないが、足腰のトレーニングとしては非常に効率が良い! あそこの海の家の前までとココの10往復、始めっ!!」
「「「「はいっ!」」」」
ラドクリフの号令と同時に駆け出す、ネメシス傭兵団のキャリーフレームパイロットたち。
その中に交じる姿は、ウィルとホノカ。
バカンス気分を中断され部隊のトレーニングに混ぜられた2人を眺めながら、華世はのんびりとパラソルの中でジュースを飲んでいた。
「あなたは参加しなくてもよろしいですの?」
自動販売機で缶ジュースを買ってきたリンが、華世の隣に腰を下ろす。
彼女の問いかけに、華世はペットボトルに蓋をしてからゆっくりと答える。
「あたしは義手義足が付いてるから、筋力バランスが大切なの。そのバランスを崩さないように、ああいう激しい高効率トレーニングはしない方がいいの」
「そうですのね。……華世、あなたこの前から少し変ではありません?」
「この前って?」
「レッド・ジャケットに捕まってからですわ。なんだか一人で考え込むこと、増えたような気がしますの」
「そうかな……そうかもね」
──君はいったい、何者なのか。
捕まっていた際に投げかけられた、オリヴァーの問い。
華世が故郷を失った「沈黙の春事件」以前の華世の記憶と性格を持つ杏と、持たない華世。
ツクモロズとして現れた杏と、事件で救出され内宮と共に暮らしてきた華世。
肉体的には華世は華世であるが、内面的な部分と伯父アーダルベルトの態度は、杏こそが真の華世である可能性を肯定している。
もしも杏が本当の華世だとしたら、いま華世の肉体に宿る心は、記憶はいったい誰のものなのか。
哲学めいた答えの出ない疑問は、打ち込まれた楔のように華世を静かに蝕んでいた。
「リン……もしもあたしが偽物で、本物の華世が杏の方だったとしたら……どうする?」
「別に、どうもこうも無いのではありませんの?」
サラリと、リンが華世の言葉を受け流す。
思っていなかった答えに、華世は思わずキョトンとした。
「だって、わたくしがあなたに護衛を頼んだのは……あなたが誰であろうと、頼れる人間だと思ったからですわ。もしも華世の本当の名が権左衛門之助だったとしても、私は権左衛門之助のあなたに頼んだでしょう」
「権左衛門之助って……もっとなにかあるでしょ。名前」
「い、いいではありませんか! 浮かんだ名前がそれしか無かっただけですわ!」
今の華世には、少しの気休め。
けれども答えに詰まっていた状態、ゼロの状態から0.1くらいはマシになった。
再びランニングするホノカたちに目を向けつつ、少し口元をほころばせる華世。
「ホノカ、ペースが落ちてるぞ! ウィルはあと4往復!」
「は、はひっ……」
「はーいっ!」
息も絶え絶えな顔をするホノカと笑顔で返事をするウィル。
二人の顔を見ていたら、華世は少しだけ悩みのことを忘れることができた。
※ ※ ※
穏やかな水面の上に、ぷかぷかと浮かぶレンタルの小さな手漕ぎボート。
レオンがオールを握りユウナが鼻歌を歌う中、ホノカは波間に揺られる舟の縁に座り込む。
水着姿にパーカーを着た格好の彼女は、痛む節々を撫でながら溜まった疲労にため息をついた。
「身体中が痛い……もう太ももパンパン」
「凄い訓練だったよねー! お兄ちゃんは参加しなくてよかったの?」
「ユウナ、俺はアーミィだからいいんだよ。まったく、ココのアーミィと情報交換してたってのに遊びのために呼びつけやがって……」
「いいじゃない。後のことはクリスさんがやってくれてるんでしょ?」
「まあ、かわいい妹のためならなんとやら、だぜ!」
「そんなお兄ちゃんが、私だ~いすき!」
兄妹仲を見せつけられ、思わず呆れ顔になるホノカ。
仲のいい兄妹という姿を見ると、無意識に修道院の子どもたちを思い出す。
(ラヤとミオス、どうして二人がレッド・ジャケットに……?)
華世から聞いた、レッド・ジャケットの基地にいた二人の話。
部屋に修道院の写真が飾られていたということは、共に育った家族のことを忘れたわけではないだろう。
自分たちから入隊したのか、それとも無理やり連れてこられたのか。
本人たちが居ない上に情報が皆無な今、その理由は想像もつかないが考えることはやめたくなかった。
「おい、あれ人じゃないか?」
不意に、レオンが指さした先。
そこは浜から離れた場所だというのに、水面に女の子のような頭がひとつ浮かんでいた。
「周りにボートも無いし、沖に流されちゃったんじゃない!?」
「そうだとしたらマズイな……あっ、沈んだぞ!」
「舟で行ったら間に合わない……だったら!」
ホノカはパーカーを脱ぎ捨て、海へと飛び込んだ。
【3】
「それで、私が溺れてるって思ったんですか? アハハッ!」
シュノーケルを外した女の子が、ボートの縁でケラケラと笑う。
ホノカはタオルで濡れた身体を拭きながら、自分が早とちりでしてしまった醜態を恥じる。
「リリアンちゃん、だっけ? 遠泳が趣味なんて、凄いね!」
「そうかな? ありがとう、ユウナお姉ちゃん!」
拾った少女を乗せ、いったん岸へと舟で向かうホノカたち。
リリアンという少女にとっても、少し遠くまで来すぎたから楽になるのはありがたいらしい。
「お姉ちゃん達って、サマーの人じゃないよね?」
「まあ、旅の道すがら……って感じかな」
「よくわかんないけど、戦いが起こってるから外から人が来なくて、知り合いのお店の人とか困ってるの。でもお姉ちゃん達みたいな人が来れるようになったら、また賑やかになるよね!」
無邪気に喜ぶリリアンの姿に、口をつぐむホノカ。
自分たちは様々な問題をクリアして、やっとこさ旅を続けられている身。
彼女の期待を裏切ることを恐れ、困りながらもほほえみを静かに返す。
その表情を悟ったのか、ユウナが別の話題を切り出した。
「そういえばね、ホノカって凄いのよ。本当はシス────」
「ストッーープっ!!」
慌ててユウナの口に手のひらを押し当て、発言を食い止めるホノカ。
何で? という表情で訴える彼女へと耳元で小声で理由を話す。
(このサマーってコロニーは、女神聖教とヴィーナス教っていう、対立する2つの宗教の信者が両方いるの。迂闊にシスターだって言って、この子がヴィーナス教徒だったら大変よ)
(し、知らなかった……ごめんね)
一息ついて、首を傾げて「しす?」と尋ねるリリアンへと向き直るホノカ。
横目で睨んだ先のユウナは、アハハと乾いた笑いを浮かべながら言い訳をする。
「シス……テムエンジニアの知り合いがいるんだよ! あは、あははは……」
「そうなの? すごいんだー」
要領を得ないといった返事で話題を終えたリリアンに、ホノカはホッと胸をなでおろす。
アフター・フューチャーと呼ばれて久しい時代でも、宗教の対立というのはシャレにならないものである。
特にこのコロニーは熱心なヴィーナス教徒が多いと聞いていたため、触れるのは避けたかった。
「……そうだ。お姉ちゃんたち、街を歩く時は黒オバケに気を付けてね」
「黒オバケ?」
「リリアン、それって例の路地の奴か?」
唐突にリリアンが話し始めた話題に食いつくレオン。
会話に入らずにオール漕ぎに徹していた彼の発言に、ホノカは少し呆気にとられる。
「例の……って、お兄ちゃん心当たりあるの?」
「ああ。ここのアーミィの方にも少なからず通報があった事象で、ユウナに呼ばれる直前に報告を聞いたんだよ」
「それで、そのオバケってどんな?」
「なんでもひと気の無い路地で生ゴミなんかを食い漁る謎の生き物が出るらしい。目撃者によれば、逃げる姿は1メートルくらいの真っ黒な大きい塊だったそうだ」
真っ黒な、というからには動物らしからぬ黒さなのだろう。
それに1メートルという単位か出るとなれば、生半可な大きさではない。
「でね、でね! 私の友だちが言ってたんだけど……黒オバケ、人の言葉を喋ってたんだって!」
「人語を? そんな報告は聞いてないが……」
「大人って、子供の言うこと信じてくれないんだもん」
「ああ……ね」
───Cパートへ続く




