第14話「鉄腕探偵華世」【Gパート ポリスの矜持】
【7】
「僕は……信じられないかもしれませんが、あの部屋の洗面所にある鏡でした……」
ポリス署の取調室で、鏡のツクモロズは青い顔に涙を流しながら静かに語った。
あのアパートは半年前に建築され、新品だった彼にとって浜野は初めて写し出す人物だった。
朗らかで元気な女性の顔を日々写すことは、鏡である彼にとっては一種の誉れであったらしい。
しかし、数ヶ月経ったところで浜野の顔に陰が落ち始める。
理由は休みのない連勤と、頻繁な深夜の帰宅。
才能を妬んだ彼女の上司に、度々パワハラや根回しをされ、社内で冷遇されていたという。
連日連夜、鏡の前で愚痴をこぼしながら徐々にやつれていく彼女の姿は、とても見ていられないものだった。
鏡のツクモロズである彼にとっては、それが多大なストレスになったことだろう。
そんな彼がツクモロズ化したのは、よりによって仕事帰りで疲弊していた浜野の眼の前だった。
いきなり鏡が人の姿へと変化したことに驚き、浜野は後方へ転倒。
血を流して意識を失った彼女を前にした彼は、咄嗟に彼女の携帯電話で救急車を呼んだ。
しかしその直後、物音を聞いて通報する廊下からの声に恐怖した。
ツクモロズとなった存在を殺して回る存在を、なぜか知っていたからだ。
恐ろしい目に合う想像に怯えた彼は、洗面所の鏡がツクモロズ化したのをごまかすために、全身鏡を取り外して洗面所に貼り付けた。
無論、その工作はなんの意味も持たないのだが、無我夢中だった彼にはそのことが分からなかったようだ。
そして救急隊員やポリスが到着する前に、風呂場の天井裏に隠れて震えていた。
────これが、涙ながらにツクモロズから語られた事件の詳細だった。
「……これ、どこまで本当かしらね」
華世はマジックミラー越しに取調室を眺めながら、デッカー警部補へと呟く。
「お前さんの推理に沿って、抜けてたところが埋まる形だからある程度は真実だろうよ。それに……奴は嘘なんかついちゃいねぇさ」
「でも、あいつはツクモロズよ?」
「何人だろうが何モンだろうが、大切に想っている人を救いたい心に変わりはねぇさ。ただあいつは、あまりにも巡り合わせが悪かった。それだけだ」
あくまでも、ツクモロズを一個の人間として扱おうとする言葉遣いのデッカーへと、華世は流し目で睨み見る。
杏を家族として扱っている華世だが、それはあくまでも彼女が自身にそっくりなこと。
それから、アーミィからの命令で保護化においているだけ。
ツクモロズである出自を忘れたことは、ただの一度もない。
「あいつが救急車を呼んだおかげで、ギリギリ手遅れにならずに済んだらしい。情状酌量もあって、重い罪には問われねえだろうよ」
「情状酌量? あいつを許すっていうの?」
「……嬢ちゃんよ、お前さんはどうして釈放って決まりがあると思う?」
釈放、すなわち刑期を終えた犯罪者の解放。
華世はアーミィの人間兵器として、そして魔法少女として相対する相手を抹殺・確保はすれどその後に関しては関与していない。
捕まった人間のその後など、考えたこともなかった。
「確かに人間、犯罪者にならずにいられるならそれに越したことはねぇ。けどな、どうしても過ちを犯さないって保証はねえ」
こんこんと、静かに語るデッカー。
その顔の奥に秘めているのは、自身の出自かあるいは親しい人間の経歴か。
「仕方なく、つい、やむを得ずやっちまった。そんなときに犯罪者は一律で厳しく罰せられるとしたらどうなる? 一度やっちまったからとヤケになって犯罪を重ねたり、挙げ句は民間人巻き込んで道連れにするやつが出るかもしれねぇ」
「…………」
「誰かが許してやらねぇと、間違いを起こす事を怖がりすぎて何もできなくなっちまう。だから俺たちポリスは真実を突き止め、犯罪をしたやつに罪の分だけの償いをさせるのさ。また、間違いを乗り越えて真人間に戻れるようにな」
「真人間、ねぇ……」
ツクモロズは人間ではない。
ストレスを抱えた道具が変異し、人に似た姿をとった存在。
そんな彼らをあくまでも人格ある人間として扱うデッカーに、華世は眉をしかめ続けていた。
【8】
「ビビッ、デッカー警部補。被害者の携帯電話から取得した日記データのチェック終わりました」
「ご苦労さんだ、ビット。んで、どうだった?」
「彼女にパワー・ハラスメントを行っていたのは、あのジョス・ダーシーという男のようです」
「ダーシーか……つくづくあの野郎は」
「知ってる人物なの?」
デッカーが憎々しげにつぶやいた名前に、問いかける華世。
けれども彼は返事をせず、廊下に出てから取調室の中へと入っていった。
「鏡の、お前さんにふたつ朗報がある」
「僕に……朗報ですか?」
俯いていた顔を上げ、困惑の表情を警部補へと向けるツクモロズ。
彼の顔をまっすぐ見つめるデッカーは、ニヤリとした表情で口を開いた。
「被害者……浜野の悩みのタネだった男、ジョス・ダーシーはさっき逮捕されたぜ」
「逮捕? まさか今回の件でですか?」
「違う違う。奴が書芸出版社長の弱みを握って強請りをやってたという告発が前々からあってな、調べを進めてたんだよ。証拠は十分だから、確実に奴は終わりだ」
「ということは、あの人はもうヒドイ目に会わなくて済むんですね……!」
「そういうことだ。もう一つの朗報は、被害者が意識を取り戻したそうだ。安静にしてれば、いずれ退院できるさ」
その報告をデッカーから聞いたツクモロズが、机に手を付き大粒の涙をこぼした。
けれど、その涙は先程まで流していたものとは違う……恐らく嬉し涙だろう。
「よかった……本当に、よかった……!」
静かな歓喜の声を震わせるツクモロズ。
すると突然その身体が、少しずつ淡い光を放ち始めた。
「お、おい。お前……」
「これで、安心して僕は鏡に戻れます。みなさん、ご迷惑をおかけしました。あの人に、頑張ってと伝えてください。……さようなら」
激しい光が一瞬、取調室いっぱいに広がる。
数秒の後に光が収まり、もとの明るさを取り戻す室内。
ツクモロズが座っていた椅子の上には、一枚の大きな鏡が立てかけられていた。
机の上に、鈍く輝く正八面体。ツクモロズのコアを残して……。
※ ※ ※
「そうですか、そんなことが……」
目を覚ました浜野は、デッカーから一部始終を聞き、ベッドに横たわったまま額を抑えた。
鏡がツクモロズとなり、倒れた自分を助けるために救急車を呼んだ。
そもそも転倒する原因となったのはそのツクモロズなのだが、彼に悪気があったわけではないし、勝手に驚いて転倒したのは浜野の方だ。
結果的に浜野は助かり、悩みのタネだった上司は逮捕された。
複雑な状況に、彼女も感情の整理が追いつかないのだろう。
じっと沈黙し、病室が静寂に包まれる。
「浜野さん。さきほどツクモロズが、あなたに頑張ってという言葉を残し、もとの鏡へと戻りました。残った鏡……いかがされますか?」
デッカーが、柔らかい表情で浜野へと問いかける。
コアが剥がれ落ちたことで、鏡のツクモロズ化は終了したと断定された。
ポリスもただの鏡へと戻った存在を、これ以上は扱うことはできない。
事件の全貌が明らかになった今、持ち主に取り扱いを聞くしかないのだ。
ひとこと「あっ……」と言い、再び沈黙する浜野。
デッカーの傍らに浮かぶビットのホバリング音が、華世の隣でウィンウィン鳴るだけの静かな空間。
静寂の中で、浜野がゆっくりと、ゆっくりと口を開いた。
「……よろしければ、彼を……鏡を、私の家に戻してくださいませんか?」
「いいんですか?」
「お話を聞いたところ、私を心配する気持ちが、その……彼をツクモロズにしてしまったようですし」
「浜野さん……」
「もう二度と、彼がツクモロズにならなくても良いように……頑張る姿、見せてあげたいですから」
「……わかりました。では」
頭を下げ、ビットと共に病室を去るデッカー警部補。
あとに残った華世は、隅で座っていた結衣と共に浜野の元へと歩み寄る。
「華世さん、結衣ちゃん。いろいろとありがとう」
「浜野さん。華世ちゃんが全部、推理して当てちゃったんだよ!」
「本当? すごいわね、あなた……」
「……別に、すごくなんてないわよ」
華世は浜野に背を向け、壁に手をついた。
後ろめたい気持ちを、無意識的に身体であらわしてしまう。
今日のツクモロズは、ストレスの原因が解消されたことによりコアを排出して元のモノへと戻った。
その最期に至れたのは、ひとえにデッカー警部補が彼を人間として扱い、色眼鏡なしで丁寧に扱ったことが大きい。
(あたしは……潰すことしか頭になかった……)
あのときデッカーが止めなければ、鏡のツクモロズはコアを砕かれ、あそこで絶命していただろう。
暴力以外の方法で解決を図ったポリスに対し、華世は敗北感を感じていた。
───Hパートへ続く




