58話 白色漢方を求めて4
そして、迎えた深夜。
ほとんどの人が宿に戻り、暖かなベッドで眠っている穏やかな時間。日中は多くの人が訪れた教会も、今は耳が痛くなりそうなほどの静寂に包まれていた。
蜀台の火がぼんやりと周囲を照らし、祭壇と入り口を繋ぐ路だけが闇の中で浮かんでいる。幻想的な、どこか怖さすら感じるこの光景を天井から見下ろしていると、まるで自分が夢の中にいるような気さえしてくる。
そんな非現実的な空間に、この町の人々を守っている神父さんが静かに姿を現した。
1日に8回行われる祈りの時間。そのうちの一つがこの夜半に行われる。そう聞いたとおりに彼は祭壇の前に歩み進むと、静かに祈りを捧げ始めた。
足を肩幅ほどに開き、両腕を広げ、目を閉じて軽くあごを引く。その姿勢で静止していた身体が徐々に淡い光に包まれてゆく。光は白く輝きを増しながら上昇し、俺の前を通り過ぎて、天井に染み込むように消えていく。
聞くところによると、この光が人々の命を守っているらしい。町に戻るだけで体力やマナが急速に回復するという不思議な現象も、神父さんの祈りがあればこそなのだ。
邪魔など許されない大切な儀式。その最中に、入り口の扉を開ける乱暴な音が割り入ってきた。
「こーんばーんわー、っとォ。おいジジイ、ちゃんと居るか?」
現れたのは、モヒカンを筆頭に上品とは言えない風貌の男4人。それぞれ顔の一部にトランプマークのタトゥーを入れているので、ダイヤ、クラブ、ハートとでも呼ぼうか。ちなみにモヒカンにはスペードのマークが入っている。あれで自分がリーダーだと主張しているのかもしれない。
最後に眠そうな顔のキヨが入ってきて、静かに扉が閉まる。
「聞いてんのか!? おいジジイ!」
派手な登場を無視されて腹を立てているらしい。モヒカンは乱暴な足取りで歩いていくと、鋭いトゲが生えているモーニングスターを床に叩き付けた。
「そう喚くなよ。耳が痛くなるじゃねーか」
「許可局、テメェは黙ってろ! 新入りが偉そうな口をきくんじゃねえ!」
「……ヘイヘイ、どーもすんません」
キヨの怒気がこちらにまで伝わってくる。それでも笑顔を浮かべた彼が一歩下がると、モヒカンは乱暴に唾を吐いて神父さんを睨みつけた。
「はて、こんな夜更けに何の御用でしょう。申し訳ありませんが今は祈りの時間でして。あと少しだけお待ちいただけませんか」
「なあに、すぐに済むことだ。いいから黙って話を聞け」
はぁ、と答えた顔が困惑の色に染まっていく。この様子の何が面白いのか理解できないが、モヒカンは手下と一緒にヘラヘラ笑う。そしてキヨを呼び寄せると、強引にその肩へ腕を回した。
「この赤毛ヤローが今からお前を殺す。だから、それまで動くんじゃねえぞ」
「……いやはや、ご冗談を。不肖ながら私はこの町の皆を守っております。最近は特に頼ってくださる方が増えておりますし、いま死んでしまう訳には行かないのですよ」
礼を失した相手にも神父さんは優しく微笑む。それが面白くないらしく、モヒカンは苛立たしげに顔を歪めた。
「黙れ。テメェが生きていると迷惑なんだよ」
「そう仰られましても……ううむ、困りましたな」
「聞き分けの無いジジイだな。いいから言うとおり――」
「――おい、いつまでお喋りしてるんだよ。さっさと済ませないと夜が明けるぞ」
幼稚な発言を聞いていられなくなったらしい。キヨが割り込んで前に出る。手には俺が用意したトリックナイフが握られていて、その刃が光を鈍く反射していた。
神父さんが怯えるように後退する。それに対し、キヨは歩幅を大きくして速やかに近づいていく。横を抜けて逃げようとした神父さんだったが、ハートたちに行く手を阻まれて祭壇の前に追い込まれてしまう。
「悪いな、おっちゃん」
そう言ったキヨが横から回り込む。刺す瞬間を見せない為のやや不自然な行動だけれど、幸いなことに誰にも見咎められなかった。
「ッチ。いいか許可局、確実に殺せよ」
「わかってるよ。このナイフで一刺し。それで良いだろ?」
ここまでは予定した通り。あとは上手くモヒカンたちを騙せばそれで終わる――はずだった。
「フン、それだけじゃ足りねえよ」
大げさに舌を鳴らしたモヒカンがゲームウインドウを操作する。そして怪しげな杖――先端に何かのドクロが乗っている――を手にした彼は、それをまるで棍棒のように力の限り振り下ろした。
硬いものが割れる乾いた音が生まれる。それに合わせて教会の床にヒビが走る。何度も、何度も、振り下ろされる杖が床のヒビを広げていく。
「……おい、何をしてるんだよ。杖の使い方間違ってるぞ」
キヨの質問に答える声はなく、暴力的な音は20回も続いただろうか。それが止んだ次の瞬間。ひどく気分の悪くなる気配が発生して全身に鳥肌が立った。
床の亀裂がひとりでに大きくなっていく。硬い床が強引に押し広げられて、亀裂が穴に変化していく。穴の底は全く見えず、全ての光を飲み込むような黒で満たされていた。中から漂ってくる酷い腐臭に吐きそうだ。
思わず顔を背けたくなるような有様だが、それでも異様な光景から目を逸らせない。漆黒の穴からずるりと腕のようなものが現れて――
「――ジジイを殺したら、死体をコイツらに喰わせるんだ」
「……おい。何だ、それ」
「【ジェネラルゾンビ】だ。テメェの親にでも見えたか?」
「そうじゃねーよ。こんな連中をどうやって連れて来たのかって聞いてるんだ」
キヨが詰め寄る。その強い視線を平然と受け止めたモヒカンは、手にした杖を相手に見せ付けるように動かした。
「テメェも見ていただろうが。召喚したんだ。この【コープスワンド】を使ってな」
穴から這い出てきた3つの死体がゆらりと立ち上がる。ボロきれをまとう浅黒い肌は溶けているかのようにドロッとしていて、目玉があるべき場所は暗い空洞になっていた。鼻は削げ落ち、大きく裂けている口からは汚い唾液が流れ出ている。
不快な臭いをまき散らしているモンスターは、ここが教会だと理解しているのだろうか。どれも殺気立っていて、今にも無差別に襲いかかりそうだ。
「どうした許可局。都合が悪いって顔してやがるなァ?」
「……そんな顔していたか? お前に繊細な表情の違いが理解できるなんて驚きだ」
「ケッ、やっぱりテメェは怪しいんだよ。何を考えているのか知らねえが、下らない企てが成功すると思ったら大間違いだ」
モヒカンが気持ち悪い笑みを浮かべる。そして手にした杖を振り上げると、ゾンビたちが一斉に動き出した。
キヨは口を結んだまま動かない。ゾンビは彼の目の前を通り過ぎて、汚い足跡を残しながら前に進んでいく。近くにいるモヒカンの手下には目もくれない。ヘドロのような唾液を零しながら、ターゲットを逃がさないよう3方から取り囲んで立ち止まった。
モヒカンが何かを言う。小さすぎて聞こえなかったが、キヨも何かを呟いて頭を横に振る。そしていやらしい笑みを浮かべたモヒカンが再び杖を動かすと、ゾンビたちは返事をするように一斉に唸り声を上げた。
前進が再び始まる。2メートルほど開いていたターゲットまでの距離が詰まっていく。汚らわしい唾液に塗れた口が大きく開き、生きた肉を食らおうとする6つの手が殺到して――その全てが、一瞬の内に切り刻まれた。
人間には真似のできない悲鳴。ゾンビのくせに痛覚があるのか、3体はどす黒い液体をまき散らしながら床をのたうち回る。
その様を冷徹な目で見下ろしていた人物は、静かな怒りを滲ませながら小さな声を発した。
「イヤな予感がしたから来てみれば……あなたたち、どういうつもり」
ゆったりと全身を覆う漆黒のワンピース。その胸元には銀の十字架が光っていて、頭を覆う黒のヴェールからは艶やかな紫髪が流れている。俺も初めてその顔を見る彼女――フランメは、神父さんを守るように立ちながら襲撃者を睨み付けた。
「な、なんだテメェは!?」
「それは私のセリフ。こんなことをして許されると思っているの。恥を知りなさい」
美しい紫の目が相手を射抜き、氷のように鋭い気配が周囲を威嚇する。ぎりりと奥歯を噛んだモヒカンが新たなゾンビを召喚するも、刀を携えたシスターはその全てを鮮やかに切り伏せてみせた。
「き、許可局! 何をボサっとしてやがる! サッサと働きやがれ!」
「何だよ。勝手に裏切り者扱いしておいて、困ったらアッサリ手の平返しか?」
「黙れ! 役立たずにはネタを教えてやらねぇぞ!」
「そりゃ困る……けど、やっぱ無理。対策されてるっぽい。これ以上近寄れねーもん」
「何だと!?」
叫んだところで状況は変わらない。キヨが歩いても、まるで見えない壁に遮られているかのように前へ進めないのだ。
「ブラックリスト対象者は半径2メートル以内に近寄れない。常識。このまま通報すれば貴方たちはお終い」
淡々とフランメが語る。その氷点下の声色に気圧されて、周りで呆然としていた手下たちが青ざめていく。リーダーの顔も苦虫を噛み潰したようで、このまま尻尾をまいて逃げていくか――と思ったけれど、意外なことにまだ余裕があったらしい。モヒカンは怯むことなく汚い笑顔を見せた。
「残念だったな。役立たずな運営に期待してもムダだ!」
「んなこと言っても、彼女が守っている限り神父を殺すなんて無理じゃないか? どうするんだよ」
「邪魔なら排除すればいいだけの話だ」
不気味な杖が唸りを上げる。床に新たな穴が発生し、その中から次々とゾンビが這い出てくる。3体、6体、9体。まだまだ増える。際限など存在しないと思わせるような勢いで狭い教会を埋め尽くしていく。
「いいかゾンビ共、この女を包囲して一斉に襲いかかれ。足でも腕でも頭でも、どこでもいいから食らい付いて引き離せ! そして許可局! テメェは女が離れた瞬間を見逃すんじゃねえぞ。絶対に神父を殺せ!」
20を超える死体を前にフランメの表情が険しくなる。
3体程度ならともかく、この状況はさすがに危ないかもしれない。
彼女は神父さんから離れられない。だから彼を守りながら戦うことになるが、これだけの数を同時に相手することは難しい。組み付かれたら最後、力任せの暴力が彼女たちを傷つけることは容易に想像できてしまう。
それでもキヨにはフランメを助けられない。助けたら今までの苦労が水の泡になってしまうから。
そんな事はもうどうでもいい。このまま黙って見ていられるか。
赤槍を手にしたキヨからそんな声が聞こえたような気がしたけれど、どうか思い止まってほしい。この場は俺が何とかしてみせるから。
暗がりにいたゾンビの口に袖鎖を巻きつける。その声を封じて、鎖をたぐるようにして天井から飛び降りる。落下の勢いを利用した一撃だけでは倒せなかったので【炎渦】スキルを発動。鎖を発火させてゾンビの口を焼いてやった。
煌々とした炎が教会を照らす。何人かがこの異変に気付いたようだけれど、俺の姿はゾンビの群れが隠してくれるので問題ない。憑依スキルを発動し、ゾンビみたいに醜悪な顔を目指して全力で走る。
「な、なんだテメェ、何をして――ぐえっ!?」
腐った身体を力の限り動かして、渾身の右ストレートを叩き付けてやった。
モヒカンの大きな身体が吹っ飛ぶ。潰れたカエルのような姿を全力で笑ってやりたいけれど、それをしたら台無しなので我慢する。ゾンビらしい演技をしながら周りを見渡すと、この場に存在する全ての目がこちらを向いていた。
さて、どうしよう。まさかモンスターを召喚するなんて思わなかったから、この状況は完全に想定外だ。
このまま暴れてモヒカンを追い返したらキヨの苦労が無駄になってしまうし、白色漢方の入手方法が不明なままなので振り出しに戻ってしまう。
この姿で脅せば情報を引き出せないか、とも考えたけれど、ゾンビがいきなり漢方の話を始めたら変だし、かえって冷静にさせてしまうかもしれない。少なくとも怪しまれてしまうだろう。
キヨと目が合う。その手には再びトリックナイフが握られている。
のんびり考えている時間もないし、ここは彼の言うとおりにしてみるか。
それっぽく雄叫びを上げてみる。杖の持ち主を殴ったからか、本物たちは未だに動きが鈍い。怒り狂ったモヒカンが何か言っているけれど全く聞き取れないので無視。徐々に慣れてきた身体を反転させて、まだ目を丸くしていたフランメに飛びかかった。
「ッ!」
彼女が息をのむ。それでも次の瞬間には紫の目に力が戻り、上段からの鋭い一閃を放ってくる。青白い刃が腐った頭を両断する、その直前。左手を犠牲にして辛うじて回避に成功した俺は、反撃すると見せかけて彼女の腕を強く引いた。
背後に隠れていた神父さんの姿が露になる。半径2メートルのエリアから外れる。そして、その瞬間を待ち構えていたキヨがトリックナイフを深々と突き立てた。
司教服の腹部に赤い染みができる。
フランメの絶叫。その悲痛な声を耳にしたモヒカンが事情を把握してニヤリと笑う。
直後。
「お前たち、ここで何をしている!」
教会の入り口から突き刺すような女性の声が飛んできて、モヒカンたちがぎょっとしたような顔になった。
「あー、モタモタしてるから見つかっちまったじゃねーか。どうするんだよ。もう殺しちまったから誤魔化すなんて無理だぞ。すぐに人が集まってくる」
「お、おい許可局! 殺したのはお前だろうが! 何とかしろ!」
「……何とかしろって、それが仮にもリーダーのセリフかよ」
「うるせぇ! 早く何とかしろって言ってるんだよ!」
「へいへい。それじゃ、オレがこれを投げたら一目散に走って逃げろよ」
キヨの手にビー玉のようなアイテムが現れる。それが床に落ちた途端に大量の煙が発生し、瞬く間に教会の隅々にまで広がっていった。
* * *
モヒカンたちが必死の形相で逃げだした後。
部外者がいないことを確認して憑依を解除すると、直後に青白い刃が突き刺さる。そのまま最後のゾンビを始末したフランメは、愛刀にこびり付いた黒い液体を迷惑そうに見ていたが、やがて諦めたように息を吐いて鞘へと戻した。
「……上手くいった?」
「だと思います。フランメさんお疲れ様でした」
氷のようだった気配が消えて、その表情がいくぶん柔らかくなる。
当初の予定では、彼女はただの目撃者役だった。刺したフリをした直後に登場してモヒカンたちを動揺させ、死んだフリがバレない内にさっさと追い返す。そのつもりだったのに、ゾンビが登場したせいで予定を大きく変更することになってしまったのだ。
だから、憑依してフランメに襲いかかったことは完全なアドリブ。彼女に斬られていたら正体を晒してしまう所だったので少し危なかった。
「モンスターに変身できるのなら予め教えておいて欲しかった。びっくりするから」
「すみません。まさかあんな展開になるなんて思わなかったですから……ひょっとして余計なお世話でした?」
「そんなことない。あの数を同時に相手するなんて私には無理だったから。助けてくれてありがとう」
小さく微笑んだフランメは、まだ演技を続けている神父さんの元へと歩いていく。その彼女と入れ替わるようにして、もう一人の協力者がこちらに走ってきた。
「いやー、あのモヒカンたちの必死な顔。かなりの面白映像だったッスね」
「お疲れ様です。たるとさんって、あんな声も出せるんですね」
「にゃはは、惚れちゃったッスか?」
ネコミミが得意気に動く。
「あとは、みんなで連携して情報を引き出せれば完璧ッスね」
「はい。思惑通りに行くと良いですけど」
「失敗したら髪の毛を全部引っこ抜く。あの変態にそう言っておいて」
神父さんを抱き起こしたフランメが怖いことを言う。まだ知り合って間もないのに、早くもキヨのことを変態だと評価しているらしい。あの人一体何をしたんだ。
「と、とにかく。フランメさんは神父さんを匿っていてください」
「わかってる。でも神父さんは最大でも丸1日しか協力できない。それ以上は祈りを欠かせないから」
「大丈夫、1日あれば何とかなると思います」




