51話 青の渓流2
時は過ぎて、渓流エリアに入ってから3日目。今日も皆と一緒に歩いていく。
このエリアは背の低い広葉樹が群生しており見通しの悪い場所が多い。なので、少し油断すると茂みに隠れていたモンスターに突然襲われる、というハプニングも珍しくない。ここに出現するモンスターは攻撃力が高いだけでなく、状態異常を引き起こす攻撃も仕掛けてくるので厄介だ。
例えば毒を受けてしまった場合、一定の時間が経過、もしくは毒を受けた本人が何か行動する度に体力が少しずつ削られてしまう。
困ったことに、いちど状態異常になってしまうと自然に治癒することはない。そのため毒消しの手段を持っていないと笑えない事態になってしまう。今のところは【毒消し草】の数に余裕があるけれど、使った分だけ早めに補充しておいた方が良さそうだ。
「わっと! うぅ、また転びそうになっちゃった」
「気をつけてくれよ。滝に落ちたら助けるのに苦労するからな」
厄介といえば、濡れた足元もそれなりに厄介だ。エリアを貫く川はいくつかの流れに枝分かれしていて、付近の地面は濡れていることが多い。そんな場所を歩くときは慎重に行かないとすぐに転んでしまうのだ。既に夏秋冬は地面に頭をぶつけていて少し泣きそうになっていた。
「ねえねえ、ユキちゃんはどうして転ばないの?」
「ふつうに歩けば転ばないぞ」
「……なんか遠まわしにバカにしてるよね、そのコメント」
「夏秋冬は運動オンチだから――」
「――ストレートに言われても嬉しくないよ!」
川を横切る丸太の上を歩いてエリアの奥を目指す。苔にまみれた岩をいくつも超えて、行く手を阻む毒蛇やトカゲを返り討ちにしながら進んでいく。
エリア南西端から埋めていった地図は既に全体の35%近くが完成していて、今のところは順調そのものだ。ただ、今日になって初めて遭遇したハチ型モンスターのせいで、楽観的な雰囲気は消し飛んでしまっていた。
「うぅ、あのハチだけはもう遭いたくないよ。羽音が気持ち悪いし」
特に夏秋冬が大嫌いなそのモンスターは【ブラックワスプ】という。攻撃力も耐久力も低いので決して強くはないが、全長50センチという大きさのハチが群れを成して飛んでくる光景はかなりおぞましい。耐性が無い人ならトラウマになりそうなレベルだ。
その外見だけでも十分に怖いけれど、大きな針に刺されると高確率で麻痺のステータス異常を受けてしまうので、そういう意味でも非常に怖い。
麻痺になると1分間全ての能力が大幅にダウンしてしまい、それ以降も回復しない限りスピード能力は半減したままになってしまう。そうなると行動速度が大きく下がるため、まともに戦うことすら難しくなってしまうのだ。
これは、先日のイベントで登場した【モスコプスの卵】をぶつけられた時とよく似た状態だ。だから麻痺になってしまった場合はすぐに回復させる必要があるのだけれど……困ったことに、麻痺から回復するためのアイテム【白色漢方】は入手が難しい。
町の道具屋には一切売っていないし、渓流エリアでの採取もできない。唯一モンスタードロップとして稀に入手できるだけで、俺たちは現在1つしか持っていないのだ。
「私たちが知らないだけで、入手ルートはドロップ以外にも存在すると思うが……」
「だとしても、それが不明な今は、町に戻って神父さんに治療してもらうしかないんですよね」
「手元にある1つを使っちゃったらね。ついでに言えば、みんな麻痺になったら無事に町へ戻れるかも怪しいけど」
そんな状況になったら洒落にならないということで、全員今まで以上に顔が引き締まっていた。ただ、気を張っているせいか疲れが溜まるのも若干早い。こんな時にウッカリ致命的なミスをするのがお約束だから十分に気をつけないと――
「――わあっ!」
ガサガサ、という音と同時に悲鳴が上がる。
また濡れた地面に足を取られたのかな。そう思い、茂みに頭を突っ込んだ夏秋冬に手を伸ばそうとして――彼女が抱きついている丸い物体を見たとたん、イヤな予感が湧き上がってきた。
「……夏秋冬さん。それ、何ですか?」
「な、なんだと思う? わたしは、ちょっと変わったデザインのくす球じゃないかなって思うんだけど」
残念ながら違う気がする。丸い物体の表面にはウロコのような模様がいくつも現れていて、全体的に枯れ木に似た色をしていて、ひとつだけ小さな穴が開いている。おまけに物体の中からは無数の羽音が漏れているのだ。
俺の記憶が正しければ、スズメバチの巣がこんなカタチをしていたような。
「だ、だって、ブラックワスプって体長50センチくらいあるんだよ? この丸い物体はせいぜい直径40センチくらいだし、あの殺人バチの巣なわけ――」
――ぶぅん、という不吉な羽音とともに巣穴からハチが飛び出てくる。
5センチにも満たないそれは巣から離れた途端にムクムクと膨張して、あっという間にブラックワスプへと華麗なる変身を遂げた。
「なるほど、こういう仕組みなのか」
「納得してないで逃げようよ!?」
「その必要はありませんよ」
黒い矢がブラックワスプの額を正確に撃ち抜き、ほぼ同時に動き出していた雪羽は巣に強烈な一撃を叩きつける。バチっと空気が爆ぜる音がしたかと思うと、何かが焼けるような臭いがほのかに漂ってきた。
「夏秋冬さん、火球をお願いします」
「え!? わ、わかったよ!」
若干パニックになりながらも夏秋冬が杖を振る。生まれた火の玉は普段に比べてやや小さいサイズだったが、それでも逃げ遅れたハチもろとも炎に包み込んだ。
「この巣は炎に弱いですから、これでもう大丈夫だと思います」
「そっか、ダージュくんって色んなモノの弱点が見えるんだもんね」
「ええ。一部例外もあるようですが」
炎は油を注がれたような激しさで猛り、ハチの巣を石炭のように黒く小さな塊へと変えていく。他にも巣が隠れていないかと周囲を探してみたが、幸いなことに付近に存在する巣はあの1つだけだったようだ。
「まったく……夏秋冬、気をつけてくれよ」
「まあまあ、早めに危険を取り除けたんだし、気にする必要なんて無いですよ」
「アキトくんは優しいよね。ユキちゃんと違って」
「うるさい。そんな事より、いつまでアキトの腕にしがみ付いているんだ。迷惑だから早く離れないか」
「えー」
夏秋冬が不満そうな声で抗議する。それでも雪羽がニッコリと笑った次の瞬間には腕が軽くなっていた。
* * *
その後はハチに襲われることもなく、今日の行動を開始してから3時間あまりが経過した。川の流れに沿って北上し、岩がゴロゴロと転がっている坂を登りきった所でちょっとした広場を発見。みんな疲れていたこともあって、この場所で軽く休憩することになった。
「ねえアキトくん。前に教えてもらったマナのコントロールなんだけど」
「やっぱり難しいですか?」
「うん。あれから火球スキルで何度も挑戦してるんだけど、全然威力が上がらないんだよね」
倒木に腰掛けてビスケットをつまみながら夏秋冬と談笑していると、彼女からそんな相談を持ちかけられた。マナをコントロールできるという話は皆にも知らせていたのだけれど、彼女はその習得に苦労しているみたいだ。
コントロールの方法は感覚的なものなので、俺には理論的な説明なんてできない。ただ、少し前に面白いアイテムを見つけたので紹介してみようと思う。
「この木の実がどうしたの? サクランボに似てるけど」
「【トレントチェリー】というアイテムです。ちょっと見ていて下さい」
緑色の実を自分の掌に乗せる。潰さない程度の強さで握り、30秒ほど待ってから手を開く。すると、木の実は鮮やかな赤色に変わっていた。
「わ! すごい、何が起こったの?」
「偶然知ったんですけど、この実はマナに反応して色が変わるみたいなんです。実の存在を強く意識しながら握ってみてください」
木の実を受け取った夏秋冬は、それをぎゅっと握り締めたまま目を閉じる。そして再び手を開くと、緑色だった実は少しだけ赤く色づいていた。
「おー、ちゃんと変わってる! ってコトは、わたしも少しは出来てるのかな」
「そうです。感覚は人それぞれですけど、赤くなるスピードが速くなるように試行錯誤していけば……って、夏秋冬さん?」
「ねえねえ、ダージュくん知ってた? これね、」
俺の説明をそのまま繰り返した彼女は、少し得意そうに木の実を手渡す。受け取ったダージュは実を軽く握るとすぐさま夏秋冬の手に返す。
真っ赤に色づいた木の実を握りしめて、彼女は肩を落としながら帰ってきた。
「何となく知っていたけど、ダージュくんって只者じゃないよね」
マナで矢を生成するという芸当ができる彼にとって、この程度は朝めし前だろう。謙遜しているけれど俺も教えて貰いたいくらいだ。
「お兄様、もう少し丁寧に教えてあげては?」
「そう言われても……仕組みをちゃんと理解している訳じゃないですし」
「夏秋冬さんがトレントチェリーを握り、その上からお兄様がマナを流し込んでみてはどうでしょう。言葉で説明するよりも体験する方が遥かに早く上達できますから」
それならダージュが教えた方が良いと主張したけれど、彼は「お兄様の方が適任です」とくすくす笑うだけで頷いてくれない。夏秋冬も「それイイかも!」と乗り気で俺に手を伸ばしてきた。
「えへへ、よろしくお願いしまーす」
……まあいいか。少し照れ臭いけれど。
小さな手をそっと包み込む。そして合図と共にマナを送り込むと、彼女の体がくすぐったそうに少しだけ震える。30秒後に俺が手を離すと、木の実は狙い通りに赤く染まっていた。
「どうですか?」
「んー、これがそうなのかな。思っていたのと少し違う感覚だったけど……歌にちょっと似てる気がする」
自分の歌声を正しい旋律に合わせる時みたいな感覚だね、とつぶやく。正直に言うと俺にはよく解らない。感じ方は人それぞれらしいが、夏秋冬にとっては音楽に近いのだろうか。
「声を出さずにメロディを強くイメージするって感じなのかな……今度は自分でやってみるね」
彼女は再び実を手にして両目を閉じる。そして30秒後に手を開くと、最初に比べて明らかに赤くなっていた。
「おおー! 何だかコツを掴んだ気がする!」
「何をしているんだ?」
「あ、ユキちゃん。どこに行っていたの?」
「周りの様子を確認していた。近くに厄介そうなモンスターはいないようだ」
そう答える雪羽に対し、夏秋冬は勝ち誇ったような笑みを浮かべてみせる。
「ねえねえ、わたしの成長を見て驚いてよ」
「うん? 何のことだ?」
「すぐに解るよ」
彼女は緑の実を見せてからギュッと握る。そして、ほんのりと色づいたそれを雪羽に見せつけた。
「ほら! 凄いでしょ!」
「……何がだ?」
「前にアキトくんに教えてもらったマナのコントロールだよ。この実はマナに反応して赤くなるんだって」
「ああ、知っている」
まるで驚いていない雪羽に夏秋冬の眉がピクリと動く。どうやら期待していたリアクションじゃないことが不満らしい。彼女は新たな実を取り出すと、それを雪羽に向けてぐいと突き出した。
「ユキちゃんもやってみてよ。そこそこ難しいけど、わたしが教えてあげるから――」
「――これで良いのか?」
10秒も経たない内に雪羽の手が開く。すると、そこにあった実は見事なまでに赤く変化していた。
「……え」
夏秋冬が震える手で赤い実をつまむ。しばらくの間それを呆然と見つめていた彼女だったが、やがて銀の目にぶわっと涙を溜めたかと思うと「バカな!?」と慄いた。
「脳筋キャラのユキちゃんに負けるなんて屈辱だよ」
「失礼なことをサラッと言わないでくれ」
「うぅ……いつの間に出来るようになったの?」
「少し前にアキトに教えてもらったんだ。日は浅いが何度も練習しているんだぞ。実戦で使うにはまだ足りないようだが」
本当に? と質問されたので素直に頷く。その事実を知らなかったことがあまりにショックだったのか、彼女は「にゃんだって!?」と微妙にネコっぽく頭を抱えてしまった。
「キャラ的にはわたしが一番得意なハズなのに。なんで? どうしてこうなったの? わたし実は要らない子なの?」
「そんなに落ち込まないで下さいよ。練習すれば少しずつでも上達しますから」
あまりの様子に心配になって声をかけてみたら、夏秋冬は「そーだね」とあっさり復活した。心配して損した。
「アキトくんもユキちゃんより遅いもんね。一緒に倒せるように頑張ろうね」
「何を倒すのか知らないですけど、いつでも練習に付き合いますよ」
夏秋冬が嬉しそうに笑う。それで話が終わるかと思ったのに、今度は雪羽が不満そうな顔で「ちょっと待ってくれ」と割り込んできた。
「アキトが私より遅い? 何の話だ」
「実が赤くなるまでの時間だよ。アキトくんは30秒かかったからユキちゃんより遅いでしょ?」
「それは夏秋冬に説明する為だろう。本当なら3秒も要らないぞ。実際にやって見せてくれたから間違いない」
ほんとに? と問い質されたら正直に頷くしかない。
また夏秋冬の目にぶわっと涙が溜まる。今度は立ち直ってもらうまでかなり苦労した。




