44話 竜追い祭9
「アキトさん、ですか。素敵な名前ですね。よく覚えておきます」
ササメは口元に笑みを浮かべ、値踏みするような視線をぶつけてくる。
「面白い能力ですね。あれなら皆が騙されても仕方ないです」
「……それはどうも」
さて困った。
相手の言葉を聞き流しながら、これからどう行動すべきか考える。
カムイの身体は既に消えていて、憑依前に絡み付いていた糸も消滅していた。ササメとの距離は2メートルほど開いている。でも、ここから背を向けて逃げたとしても、きっと捕まってしまうだろう。
いま捕まったらどうなる? 99%くらいの確率で許可局に笑われる気がする。
「それは嫌だ」
「……何がですか?」
ササメが見せた不思議そうな顔にちょっと笑う。自分がバカにされたと思ったのか、彼女は少しムッとしたように目を細めてしまった。
「いや、このまま捕まったら友達に笑われるかなと思って」
ついでに言えば、ここで諦めてしまうのは何だか面白くない。
「残念ですがもうお終いです。必ず全員捕まえるよう指示を受けていますので」
「指示、ですか」
何だか世界観を壊すセリフだよな――そんな風に思考が逸れかけた俺をよそに、ササメが一歩近づいてきた。
「……失敗した。やっぱり最初から剣を狙えば良かった」
「無理ですよ。貴方がこの公園に踏み入った時から私は上にいましたから」
なるほど。どうやら最初から怪しまれていたらしい。
「もっとも、貴方にあの剣が引き抜けるとは思えませんが」
「え? そんなに力が必要なんですか?」
「ふふ、ただ力任せに引くだけでは……」
開きかけた口が固く結ばれる。余計な事を言ってしまったとばかりに、その表情が険しくなった。
「それにしても、17:00までに終われなかったのは残念でしたね」
「……ええ、そうですね。それについては素直に負けを認めます。お見事でした」
「【強制移点】を容赦なく使われていたら結果は変わっていたと思いますけどね。どうして使わないんですか?」
「もう使うなと指示を受けたので、それに従っているだけです」
当然だと言わんばかりに答えが返ってくる。
「全員捕まえたいのなら【強制移点】を使った方が手っ取り早いですよね?」
「使うなと指示を受けているので、もう使いません」
……そうですか。「全員捕まえろ」という指示と「強制移点を使うな」という指示は微妙に食い違っている気がするんだけど。
強制移点を使うとプレイヤーから文句が出るから「もう使うな」という指示があったのだろうか。だったら最初から使わせなければいいのに。どうも行動の軸がブレているというか、一貫性がないというか……
「……その2つの指示、同じ人物から受けたんですか?」
「申し訳ありませんが、もう会話は十分です。これ以上あなたの時間稼ぎには付き合えませんので」
尚も会話を続けようとする俺の言葉を無視して、彼女がさらに近づいてきた。
「手早く済ませますね。もちろん痛くはしませんよ」
まるで歯医者みたいなセリフと共に竜人の腕が動く。周りを漂っていた空気が一気に硬くなる。そして、美しく整った眉が不機嫌そうにピクリと動いた。
「……この場面で笑うなんて、少々怖がらせ過ぎましたか? 手で触れるだけです。痛くないですから心配は要りませんよ」
「心配しなくても俺は正気です」
助けが来たことに安堵しただけで。
右手を小さく動かして空を指す。それに応えるように、どこか気の抜けた声がこの公園に響き渡った。
「とーぉうっ!」
まるで戦隊モノのヒーローみたいな声と共に影が舞う。太陽を背にした影が虚空を蹴って俺たちの上にまで飛んでくる。その様をポカンと見上げているササメの頭上で、そいつは丸い物体を大量にバラ撒いた。
「ササメたん! 弾けるオレの愛を受け取ってくれ!」
やっぱりあの人だ。
俺も攻撃範囲に入っていた事はこの際不問にしよう。槍がタマゴを強烈に叩き、弾丸となってターゲットに降り注ぐ――いや、その直前で蒸発するように消えてしまった。
「遠慮します。貴方の愛なんて要りません」
「そう言わずに受け取ってくれよ」
芝生に網目状の影が生まれる。
一体どこで調達したのか、続いて出現したのは投網のようなアイテムだった。網は大きな円を描きながら花火のように広がっていく。
「アキト! ササメたんと一緒なら本望だよな!」
つまり俺ごと捕まえる気らしい。冗談じゃない。慌ててその場から避難すると、網は重力に引かれるままにターゲットに覆い被さった。
「おっしゃ! ササメたんゲットだ……ぜ?」
「暴れるのなら、少々手荒に行きます」
上空にいるキヨの背後に突如として大きな翼が出現する。爬虫類のような瞳を光らせたササメが大きく体を捻る。竜鱗に覆われたその腕は、緑の光に包まれていた。
「げ」
竜人の腕と赤槍が金属的な音を生む。辛うじて体には届かなかったようだけれど、キヨは弾丸のような勢いで地面に叩き落された。
「【拘束する糸】」
着地の瞬間を狙うように地面が光る。
不本意なことに、考える前に体が動いてしまった。
「アキト、お前何をやってるんだよ。メール無視して勝手にササメたんに会いに行くとか抜け駆けするんじゃ」
「いいから黙って走ってください!」
「お前まだ足りないと言うのか! 雪羽たんのおっぱいを独占してるくせに!」
「してねーよ!」
彼の腕を引っ張って逃げる。逃げながら喧嘩する。光る糸はウネウネと不気味に動きながら追いかけてきたが、10メートル離れた時点でピタリと止まってくれた。助かった。あの糸が伸びる範囲は大して広くないようだ。
「おー、怖い怖い」
「……キヨさん、けっこう余裕ありますね」
「そんな事ねーよ。助けてもらった礼は言っておく」
「いや、俺の方こそ助かりました」
危険から十分に離れたことを確認し、改めて周りを見渡す。
他の鬼が駆けつけてくる様子はない。俺とキヨ、そして宙に浮いたまま獲物を睨んでいるササメ。この3者だけが世界に存在しているかのように周囲は静まり返っていた。
「剣は……遠いな」
何も考えずに逃げたせいで、泉までの距離は30メートル以上もある。全力で走れば数秒で手が届くけれど、上空から俺たちを睨む鬼がそれを許してくれるとは思えない。
危険を承知で剣に向かうか、思い切って戦うか、それとも一目散にこの場から逃げるのか。考えられる選択肢は3つ。
「どう思います?」
「うむ。ササメたんは意外にも白なんだな。てっきり黒かと思っていたが……これはこれで良い。すごく良い」
「……何の話ですか?」
「決まってる。あんな短いスカートで宙に浮いたらどうなるかなんて3歳児でもわかる問題だぞ。お前だって見えてるだろ?」
――あ。
「貴方たち、どこを見て……ッ!?」
やや遅れてササメの短い悲鳴。そして、隕石みたいな炎の玉が降ってきた。
「おわあっ!?」
「なにバカな発言してるんですか! あんなの喰らったら蒸発しますよ!」
「バカとは何だバカとは! 文句を言う前にさっさとカメラ機能を追加しやがれ!」
だから俺に言われても困る。ついでに言えば、そんな理由で運営に申請しても絶対に却下されると思う。
「――ふ、ふふ」
芝生の1/3を消失させた犯人は、赤面しながら短いスカートの裾を引っ張っていた。
爬虫類のような目が著しく吊り上がり、口元はヒクヒクと震えている。コウモリに似た翼が乱暴に空気を叩いている。
明らかに、誰が見ても理解できるくらいに竜胆ササメは激怒していた。
彼女の怒りに呼応するように周囲の風景が紫に染まっていく。風の音が消え、空気がぬるく湿っていく。嫌な記憶を呼び起こすような景色が急速に広がって、世界を照らしていた太陽すらも見えなくなってしまった。
「【投獄】完了。これでもうこの公園から逃げられないし、助けを求めることも不可能よ。さっさと観念しなさい」
宣告と共に、翼を消したササメが地上に降りてくる。諦める気は全くないけれど、逃げ道を封じられたのは痛い。
こうなれば残された道は2つ。倒すか、どうにかしてあの剣を引き抜いてみるか。
「どちらにせよ、彼女の動きを封じる必要がありますよね」
「だな。俺が用意した卵は15個全部吐き出したけど……お前、いま持ってるか?」
「ちゃんと用意しましたよ」
アイテムボックスに入っていた卵を20個取り出す。これだけあれば量としては十分だけれど、問題はどうやって当てるかだ。
「このタマゴ意外に硬いんだよな。強めに叩いても割れなかったし」
身体に当たると簡単に砕けるくせに、とキヨが零す。
「キヨさん、あの投網を使わせてもらって良いですか」
「あん? 良いけど、網はササメたんの足元だぜ。素直に回収させてくれるとは思えないけどな」
「それは大丈夫です。まずは、あの網の所有権を放棄してください」
怪訝な顔になったキヨに耳打ちする。
「お前、そんなコトできるの?」
「正直に言うと、成功するかどうかは半々です」
「オーケイ。そういう不安だらけの賭けって嫌いじゃないぜ」
「何をコソコソ喋っている! 黙りなさい!」
ズシン。
腹に響くような音がして、ササメの前に巨大なハンマーが現れた。
巨大な長胴太鼓の中心に細い棒を通したようなシルエット。どう考えてもバランスが悪そうな得物だけれど、ササメは軽々と持ち上げてみせる。彼女が軽く素振りをしただけで突風が巻き起こり、芝草が激しく揺れる。
思わず顔を引きつらせた俺たちに対し、竜人は悠然と微笑んだ。
「大丈夫、別に怒っていないわ。脳から少し液体が漏れるくらいの強さでしか叩かないから安心して」
脳から漏れていい液体なんて俺は知らない。
ササメが凶器を手に近づいてくる。俺はキヨと一瞬だけ目を合わせると、迫りくる竜人に向けてタマゴを投げつけた。
「そんなモノには当たらないわ」
「――そうかな?」
俺が右腕を振り終えた時、キヨは既にササメの頭上。両手に抱えた卵を全て放ち、薪割り斧を扱うように槍を大きく振りかぶる。
「今度はちゃんと割れてくれよ!」
赤いスキルエフェクトが周囲を照らす。卵が次々と割れて、白い液体がシャワーのように降り注いだ。
「当たらないと言っているでしょう」
それでもササメは慌てない。大きなハンマーを振り回して白い液体から身を守る。足元にある網が白く汚れるのみで、彼女は完全に無傷のまま。
予定通りだ。
気取られないよう慎重に意識を集中する。そして、白く汚れた網を一気に動かした。
「なっ!?」
【メイクアリボン】が発動し、まるで風呂敷で包むように出口を塞ぐ。網に付着した白い液体がターゲットの身体を汚す。
「ナイス、アキト!」
虚空を蹴ったキヨが槍を構える。ササメは苦し紛れにハンマー振り回そうとしたものの、絡みつく網と液体に邪魔されて満足に動けない。
赤槍が尻尾を狙って鋭く伸びる。激しいダメージエフェクトが発生し、ササメの身体が痙攣するような動きを見せた。
「……おいおい、意外と頑丈だなササメたん。けっこう本気だったんだが」
それでも、この竜人は倒れてくれなかった。
手痛い反撃を受けたことに対する怒りと、ターゲットを捕まえたという喜び。それらが混ざり合ったような表情で口を曲げる。
「残念だけど、そう簡単に倒れるほど私は脆くないわ」
ササメはキヨの胸元を掴むと、そのままグイと引き寄せて肩に手を触れた。
「ま、こんな所か。後は自分で何とかしろよ」
「……何を言っているの?」
「さあな。もうすぐ解るんじゃないか?」
静かな公園に水音が響く。キヨが消滅したと同時にササメの目がこちらに向く。しかしもう遅い。俺は既に剣に手を伸ばしていた。
「ま、待ちなさ……ッく、身体が」
待つ訳がない。弱点を突いても倒せなかった以上、残る手段はこれだけなんだ。
白銀の柄を両手で握る。不安定な泉の底を両足で強く踏みしめる。そして、この【殺竜白剣】という剣を一気に引き抜こうとした。
「ぐ……ッ」
だが、力を入れても剣はビクともしない。水深はごく浅く、白い刀身の1/4ほどが底に埋まっているだけなのに、まるで水底と融合しているかの如く動かなかった。
「こ……のッ! ……ハァッ、ハァッ」
両腕、両足、腹筋、背筋。全身に最大の力をこめてもう一度チャレンジしてみたけれど結果は同じ。まるで剣が意思を持っていて、頑なに拒絶されているみたいだ。
どうすればいい? このままでは――
――水面が不気味に光る。鬱陶しい糸が両足に絡みつき、そのまま腕までも封じようとしてくる。それでも諦めようとしない俺に対し、ササメは眩い炎を出現させた。
「そこまでよ。その剣を手にするのは貴方じゃないわ」
俺の頭上に出現した炎が熱を撒き散らす。球状の炎は今も膨張を続けていて、既に夏秋冬が使う【火球】とは比較にならない大きさにまで成長していた。
誰もクリアさせたくないからって、ここまでするのか――もう驚きを通り越して少し呆れてしまう。
こうなったら俺も最後まで足掻いてやる。
ちっぽけなプライドを刺激されて全ての力を剣に捧げる。しかし、いくら力を入れても剣は1ミリも動かない。どうやらこのイベントに精神論は通じないらしい。
考えろ。物理的な力が駄目なら他に何がある?
「……ひょっとして」
思い当たるのは1つだけ。
目を閉じて視覚情報を排除する。そして意識をマナの動きに集中する。腕の中にある何かを強く意識しながら搾り出すようにして移動させるイメージ。まだ未熟にも程があるけれど、試してみるしかない。
正しいやり方なんて知らない。ただ他に手段を思いつけなくて、腕の中にある何かに力をこめる。木材をへし折った時のようにこの剣を支配できないだろうか。そう考えて、拙いながらもマナを動かしてみる。
「……ッ!」
集中する事を許さないとばかりに、燃え盛る炎の一部が落ちてきた。
まぶたの向こう側が炎の色に染まる。まるで火事の現場に迷い込んだように空気が熱くて息苦しい。体力はどんどん削られていく。集中が乱されそうになるけれど、それでも力尽きるまでは諦めてやらない。
集中しろ。もっと、もっと、もっと強く――
――パキ……パキパキ。
何かが割れるような乾いた音がして、ササメが小さく悲鳴を上げた。
あれだけ強固に根付いていた剣がグラグラと揺れている。確かな手応えに力を得てさらに集中すると、剣の一部が黒く染まりはじめた。
「や、止めなさいって言っているでしょう!?」
ササメの声は明らかに上ずっていて動揺を隠せていない。その事実に勢いを得て、このまま一気に勝負を決めてやろうと力をこめる。
しかし、その直後。大きく成長した炎の球がついに動き出した。
さっきの炎とは明らかにレベルが違う。体力が30%を切っている状態で生き残れるとは到底思えない。
早く、早く俺の命令を聞いてくれ。
はるか遠くにいる相手に叫ぶように、ありったけの力を叩きつける。
「いいか、げんに、抜、け…………ろッ!!」
白剣が黒く染まったのは、炎に飲み込まれる僅かに前。カギが外れたかのように一気に全ての抵抗が消えて、ついに刃が全身を現した。
「あ……そ、んな……」
とっさに向けた剣に切り裂かれ、巨大な炎の塊が消し飛ぶ。
ササメの膝が折れて、平伏するように身体が沈む。
紫に染まっていた風景に色が戻る。爽やかな風が公園を駆け巡り、淀んでいた空気がサアッと流れていった。
* * *
「ハァッ……ハァッ……」
自分の呼吸音が喧しい。膝に力が入らなくて危うく尻餅をつきそうになる。あと一瞬遅れていたら間違いなく消し飛ばされていた……そう考えると、今更ながら背筋が寒くなってきた。
「……あれ、どこに消えたんだろう」
重い体を動かしてササメの姿を探す。しかし、どこにも見当たらない。それどころか、確かに両手で握っていたあの剣までもが消えてしまっていた。あれは一体何だったんだろう――
「……う」
――緊張の糸が切れたのだろうか。体の重さに耐え切れなくなり、とうとうへたり込んでしまった。
震える手を動かしてステータスを確認してみると、マナが完全に枯渇していた。どうやら、あの剣を引き抜くために全て使い果たしてしまったらしい。
「……ああ、何だか眠くなってきた。このゲームって頑張りすぎると眠くなるのかな」
何とか意識を保とうと声に出してみたけれど、あまり思わしくない。そうしている内に上体を起こしていることすら億劫になって、俺はとうとう泉の中で倒れこんでしまった。
バシャン。
背中が水面を叩く。すぐに全身がずぶ濡れになる。水温はけっこう低かった筈なのに、水に濡れる感覚までどこかボンヤリとしている。
このゲームって溺死もあるのかな。
はっきりしない意識の中でそんな事を考えていたら、不意に、よく知っている声が飛んできた。
「――あー! まっ黒すけ!」
「……ん?」
「やっと見つけた! ササメ姉さんが負けたってホント……って、どーしたの!? 大丈夫!?」
バシャバシャと水音がして、心配そうなアリスの顔が視界に飛び込んでくる。彼女の小さな手が伸びてきて、俺を気遣うように頬に触れる。
《――イベント【竜追い祭】終了。アキト様の記録は16,205秒です。お疲れ様でした》
「あ」
「……はは」
という訳で、今回のイベントは、ここでお終いになった。




