39話 竜追い祭4
「包囲されているって、鬼ですか?」
「ドラゴンだっつーの。いちおう気合い入れて変身しているらしいぞ」
アリーセが「やれやれ」と迷惑そうに小さな窓を指し示す。
慎重に近づいて外を確認すると、そこには確かに鬼がいた。この店を取り囲み、一瞬たりとも出入り口から視線を外そうとしない。明らかに中にターゲットが隠れていると知っている様子だった。
現在時刻は15:08。この店に到着したのが14:20前後だから、まだ【60分連続滞在はNG】というルールを破っていないハズなのに……って、そうか。
たるとを見る。彼女はあたふたと木箱の中に入ろうとしていた。
「一応確認しますけど、たるとさんがここに来たのって何時ですか?」
「アリーセ嬢が言うには、14:00過ぎくらいッス」
ぱたんと蓋が閉まって、箱の中からくぐもった声が聞こえてくる。器用なコトをするなと感心してしまった。
「あの、まだ【秘策】について教えてもらっていないんですけど」
「ちゃんと今からメールするッス。今まさに打ち込んでいる所なんで、もう少し待ってて欲しいッス」
どうやら「もう話しかけるな」と言いたいらしい。
よく見ると、木箱の蓋にはうっすらと埃が積もっていて、長い間放置されているように偽装されていた。これなら簡単には見つからないだろうけれど……鬼のターゲットが彼女だという事実には気付いているんだろうか。
「アンタはどうするんだ?」
「隠れられそうな場所も無いですし、強行突破するしかないですよね」
改めて状況を確認する。出入り口は正面と裏口の2つ。どちらにも監視の目が張りついていて、その数は正面に5体、裏口に2体。
鬼たちの中には、虫網のような道具をかまえている者や、ソフトボール大の白い球を握り締めている者がいる。あれは、恐らく、俺たちを捕まえる為の道具なんだろう。
「あの虫網に身体の一部が入ったり、ボールをぶつけられて中の液体を浴びると、行動速度が半分以下になっちゃうッス。そうなったらもうお終いッス」
箱がまた喋る。気のせいか、さっきよりも声が聞き取りやすくなっていた。中に入って安心したんだろうか。
「たるとさんも襲われた事があるんですか?」
「酒場からここに移動する途中に、樽の中から見てたッス。酔って半分くらい寝ていた気がするッスが、あの幼女と道具のことは良く覚えているッス」
なるほど。あの女の子も物騒な道具を持っていたけれど、あれも捕獲用のアイテムなんだろう。そうだと信じたい。
「アリーセさん、大きな盾とかありませんか」
「あん? アンタ盾なんて装備できないだろう」
「装備できなくても良いんです。鬼が投げてくるボールを防げるような、身を隠せるくらい大きな盾だと嬉しいんですが」
そういうことか、とアリーセが腕を組む。しかし、あいにく大盾は扱っていないらしい。
「だったら、これを譲ってくれませんか」
「木箱の蓋か。使っていないヤツだから、それならタダでいいぞ」
彼女の許しを得て【木箱の蓋】をアイテムボックスに収納する。いざとなったら絶対に役立つはずだ。
礼を言おうとした直前、ガタン、と正面の扉を開けようとする音が響く。続いてトントントン、とノックが響いて、耳慣れない声が飛んできた。
「アリーセさん、失礼してもよろしいでしょうか。アリーセさん?」
アリーセが無言のままこちらを見る。彼女は「やれやれ」と肩を竦めると、だるそうに工房への扉を指差した。
工房に一歩踏み入れた途端、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
店内とはまるで違う、身が引き締まるような気配。簡素な棚には様々な色の鉱石などの素材、金床やハンマーのような道具類が整然と並べられていて、奥には炉らしき物も見えている。部屋の中心付近には大きな作業台があり、静かに自分の出番を待っていた。鍛冶についてあまり知らないけれど、いかにも職人の仕事場といった雰囲気だ。
可能なら仕事を見学してみたいけれど、残念ながらそんな時間は無い。足早に彼女の背中を追って裏口に到着した。
「アタシが正面の連中とお喋りしていてやるから、お前はここから出て行け。裏口にも2人ほど出待ちしてるようだが、この程度で一つ爪がアッサリ捕まったら思いっきり笑ってやるからな」
アリーセがニヤリと笑う。その頭には、いつの間にかツノが生えていた。
「あ、アリーセさん? そのツノ、どうしたんですか」
「ん? ああ、アタシも出番が来たみたいだな。この地を守る竜人サマの命令とはいえ、町人巻き込んでの仮装祭りだなんて面倒だよ」
溜息を吐いた彼女の口に牙が見える。気付けば腕や脚にもウロコが生えていて、その姿はどう見ても竜人のそれだ。
「よくできた幻術だろう? 竜人の格好をしているヤツの中には、アタシみたいな偽者が多く混じっている。ホンモノは、あの竜胆ササメを含めて数人程度のハズだ。手でタッチされたら終了ってのは同じだから、アンタから見れば何の違いも無いだろうが」
偽者はコレが動かないんだ、とアリーセが己のシッポを右手で持ち上げる。彼女のように変装した町人は、主に建物内部に潜むプレイヤーをターゲットにしているらしい。
「徐々に増えていくアタシら協力者が建物から追い出して、ホンモノが外で捕らえるって寸法だな。もちろん、協力者の中にも外で活動するヤツは大勢いるが……ああ、心配するな。あの箱入り娘がアンタにメールを送るまでは協力してやる。1人捕まえておけばノルマ達成だからな」
彼女は「くっく」と笑うと、右手をヒラヒラさせながら俺に背を向けた。
* * *
タイミングを見計らい、裏口の扉を一気に開ける。
待っていたのはツノが生えた男2人。彼らが驚いている間に一気にトップスピードまで加速する。「ま、待てー!」なんて言われたのは小学生以来かもしれない。
複数の声に追われながらひたすら走る。スタミナには自信があるけれど、相手は連携して取り囲むように追ってくる。このまま路地を走り続けても逃げ切れないと判断し、思い切って進路を変更した。
シデに似た草の生垣を飛び越えて大きな民家の庭を横切る。芝生を荒らさないように気をつけながらもスピードは緩めない。庭の隅で丸くなっていた大型犬の上を飛び越えて、そのまま高さ2メートルを超える石壁の上に着地した。
素早く左右を確認する。
目の前を横切る通路の幅は3メートルほど。左方20メートルに鬼の背中が見えるけれど、まだ俺の存在には気付いていない。このまま道に下りて右に逃げれば――
バウッ! バウバウッ!
――どうも自分は詰めが甘い。今飛び越えたばかりのゴールデンレトリーバー(ただし額にツノが生えている)に怒られて、背を向けていた鬼に見つかってしまった。
「こっちだ! なかなか素早いぞ!」
虫網を手にした鬼が走ってくる。3体に追われている笑えない状況なのに、【コスプレした男が虫網を手に真面目な顔で追ってくる】という光景がファンタジー過ぎて少し楽しくなってきた。
「アキト!」
唐突に自分の名を呼ばれる。
この澄んだ声は雪羽に違いない。彼女を探して顔を上げると、前方にある赤い屋根の上でこちらに手を差し伸べている姿を発見した。
彼女は地上7メートルくらいの高さで俺を待っている。使えそうなものは無造作に置かれている木樽のみ。そして目の前にはボールをぶつけようと迫る鬼。
迷っている時間は無い。全力で地を蹴って雪羽の方へと走り出した。
「ここは通さない!」
そんなベタなセリフと共に投げつけられたボールを慎重に避ける。伸びてきた鬼の手から逃げてさらにスピードを上げる。樽の上に飛び乗り、そのまま民家の壁に向かって跳躍。勢いを殺さないように駆け上がって白い手を掴む。練習無しの一発勝負だったけれど、意外とうまくできた。
雪羽の顔が少しだけほころぶ。
彼女は「こっちだ」という簡潔な指示とともに俺の手を強く引いた。
ふたりで屋根の上を駆ける。見上げる鬼の視界から消えるように進み、大きな広葉樹の影に入ってから路地に着地する。そうして辿りついたのは、俺たちの部屋がある東の宿屋だった。
「宿に隠れるのはダメなんですよね?」
「部屋の中はな。庭なら問題ない」
敷地を囲む壁は高くないが、植えられた広葉樹が外からの視線を全て遮断している。出入り口は正門と裏口の2箇所で、いざとなれば樹の間を強引に抜けることも可能だ。
「今のところ、鬼は、正門や裏口など正規の出入り口しか使っていない。大通りに面している敷地だから油断はできないが、外を走り回るよりは安全だろう」
ほのかに上気した自分の顔を冷ますように手を動かす。そんな彼女は、裏庭に設置されていた小さなベンチに腰掛けると、俺も座れるように左に寄ってくれた。
* * *
裏庭は、涼しい空気に満ちていた。
足元には芝草が一面に敷き詰められている。小さなベンチの横に木箱や酒樽が適当に置かれているけれど、それ以外には何も見当たらない。ちょっとした運動ができそうなくらいの広さが確保されていた。
宿屋の壁に背を預けて【深呼吸】を繰り返す。
熱くなっていた身体にすうっと爽やかな風が通り抜けて、減少していたスタミナが急速に回復していく。
隣の呼吸も落ち着いたことを確認して、彼女に改めて礼を言った。
「雪羽さんは、ずっとここに隠れていたんですか?」
「いや、少し前までは北東ブロックにある【エンジェルガーデン】の近くで隠れていた。しばらくは平和そのものだったが、次第に多くのプレイヤーが北東ブロックに流れてきたんだ。変だなと思った時にキミからのメールが届いてな。少し苦労したが、何とかこの南東ブロックまで逃げてきた」
助かったよ、と雪羽が綺麗に笑う。
吸い込まれそうな目のアイリスは大部分が澄んだ青色だけれど、瞳孔周囲の僅かな部分だけはエメラルドのような緑だった。勝気な印象を受ける目と、筋の通った細い鼻。緩やかな曲線を描く唇はとても柔らかそうだ。妖精のように美しく整った顔は時に冷たい印象を受けるけれど、今のように笑うと見惚れるくらいに可愛い。
凛とした雰囲気を持つ雪羽は、引き締まった表情をあまり崩さない。そんな彼女の柔らかな表情はとても魅力的で、かような人物の視線を独占している俺はどうにも落ち着かない。だから、思わず視線を逸らしてしまった。
「アキト?」
「あ、いえ。夏秋冬さん達はどうしてるのかな、と思って」
「夏秋冬のほうが良かったか?」
少しだけ棘がある言葉に慌てて首を振る。そんな俺に、雪羽は「冗談だ」と小さく笑って前を向いた。
「夏秋冬は予定どおりダージュと一緒に行動している。うまく合流できたようだ」
「連絡があったんですか」
「少し前に、挑発的な文句と一緒にな。なかなか大胆な方法で遊んでいるみたいだ。変装には慣れているらしいが、私にはとても真似できないな」
呆れるような、少し感心しているような顔。
「ひょっとして、鬼に変装しているんですか?」
「ああ、思いのほか順調のようだ。今も鬼と一緒に行動しているみたいだぞ」
腕章を見られたらすぐに正体がバレるんじゃないだろうか。
そんな疑問は雪羽も感じたらしく、彼女はちゃんと答えを聞いていた。
「『腕章を装備しろ』とは言われているが『隠すな』とは言われていない、というのがダージュの弁だ。うまくカムフラージュしているんだろう」
なるほど、変装が得意そうなダージュらしいやり方だ。
「名前でバレたりはしないんですね」
「うまく誤魔化しているのか、鬼が気付いていないだけか。どちらにせよ、大した度胸だと思う」
衣装をどこで入手したんだろうとか色々気になるけれど、バレないのなら下手に隠れるよりも確実に長く逃げられる。まだまだ罰ゲームを賭けた勝負は続きそうだ。
一息ついてゲームウインドウを開く。現在時刻は15:30。18:00のタイムリミットまで丁度半分が経過していた。
「やっと半分か。逃げていると経過が遅く感じるな」
「雪羽さんは何ポイントを目標にしているんですか?」
「もちろん最後まで逃げ切るつもりだ。どうやら相当に難しそうだが」
雪羽が属する【妖精王】系は、全8系統の中で最高の素早さを誇る。彼女も例に漏れず相当に足が速いはずなのに、それでも逃げ切ることは難しいと感じているらしい。
「竜胆ササメというNPCを覚えているか?」
その言葉が引き金になって、プレイヤーを挑発した姿が脳裏に浮かぶ。
竜胆ササメはニコニコと笑う姿が印象的で、あまり強そうには見えない。しかし、鬼のリーダーという称号がただの飾りだとも思えない。
そんな俺の予感は、どうやら正しかったみたいだ。
「アイツは相当厄介だな。少し前に、10人のプレイヤーが竜胆を襲撃した場面を目撃したんだが……圧倒的だった」
「竜胆を襲撃って、プレイヤーが攻勢に転じたってことですか?」
「ああ。リーダーの竜胆ササメは、剣のようなものを守っているんだ。それを奪えばプレイヤー側の勝利になるという噂が広まっているんだが。アキトは知らなかったか?」
初耳だ。
確かにアイテムやスキルの使用は制限されていない。その剣を奪えば勝ちというならば、強硬な手段に訴えるプレイヤーがいても不思議じゃない。
「それで、10人を相手にして勝っちゃったんですか」
雪羽が苦笑しながら肯定する。ササメの周囲には大勢の鬼が控えていたのに、それらを制して自分だけで相手をしたらしい。
「竜胆を狙ったプレイヤーの中には一つ爪もいた。しかし、結果は1分も持たずに全滅だった。彼女が生み出す光に捕まると一切動けなくなるんだ」
その後は軽く肩に触れられて、10人のプレイヤーはあえなく捕まってしまった。
物騒な光は、地面から湧き出るように生まれてターゲットを襲うらしい。初見での対応は不可能、知っていたとしても回避は相当難しそうだと雪羽が言う。
聞けば聞くほど絶望的だ。この分だと、竜胆ササメと出会った時点でゲームオーバーだと考えるべきかもしれない。
「リーダー以外の鬼については、どう思います?」
「竜胆に比べれば大人しい印象だな。ただ、耐久力は相当に高いようだ。プレイヤーがいくら攻撃しても倒れる素振りは見せなかった」
複数の鬼に囲まれてしまえば逃げ出すことは困難。しかもこちらが鬼に手を出すと明らかに積極性が増すらしい。やはり、鬼に出会った場合は逃げることが一番の対処法なんだろう。せめて弱点でもあれば違うだろうけど――
「――あ」
そういえば、竜胆ササメに一泡吹かせようとしたプレイヤーがいたじゃないか。
メールボックスを確認する。逃走に夢中で気付いていなかったが、たるとからのメールがちゃんと届けられていた。
《15th 15:15
差出人 :黄金☆たると
タイトル:マル秘情報ッス!
どーもアキト兄さん。箱に入ったネコミミ美少女のたるとちゃんッス。
巨大脳筋攻略のヒントを頂いたお礼に、とっておきの情報をプレゼントッス!
ドラゴンのコスプレをした連中にはみんな尻尾が生えてるッスよね? 実はアレが弱点なんスよ。弱点に強い衝撃を与えられた連中は、塩をかけられたナメクジみたく元気が無くなっちゃうんス。
シッポを武器で斬りつけたり、足で蹴ったりすればOKなんスけど、手でタッチされちゃうとその時点でアウトだから私には難しそうなんスよねぇ。でも、きっと兄さんなら楽勝ッス。
というわけで、たるとちゃんからのレポートは以上ッス。頑張って下さいッス!
P.S
さっきからアリーセ嬢が妙に優しい声で私を呼んでるんスけど、なーんかイヤな予感がするんスよねぇ。大きなヘビが口をあけて待っているような気配というか、もう食べられて腹の中にいるような気がするというか。こんな時はあのタルトを食べて精神の安定を……って、そうそう、いつか兄さんにも美味しいタルトをご馳走するッス。あ、タルトって私のことじゃないッスよ? いくらネコミミが似合う箱入り美少女が好きだからって、いきなり襲うのは》
追伸のほうが長かったので途中でメール画面を閉じた。
「尻尾が弱点? ドラゴンにそんな伝承ありました?」
「私は知らないな。逆鱗なら知っているが、あれは竜が激怒するものだし」
いまいち信じられないが、一応覚えておこう。もしも逃げ場が無くなったらダメ元で狙ってみるか。
「ところでアキト。キミはずいぶんこの子に好かれているんだな」
「え?」
不意に、整った眉が釣り上がる。柔らかだった表情が少しだけ硬くなる。突然の変化に戸惑いながら「巨大ゴブリンについて助言しただけです」と正直に話したら、雪羽はさらに眉の角度を険しくしてしまった。
「大切な情報を教えるなんて、キミはそんなにネコミミが好きなのか?」
「いや、あれは彼女の冗談ですって。確かに情報は教えましたけど、その対価として今のメールを貰ったんです。対等な取引ですよ」
弱点の情報が正しければ、だけれど。
「……まあ、困っている人を助けることが悪いとは言わないが」
弁明に少しは納得してくれたようだけど、雪羽は唇をへの字にしたまま黙り込んでしまった。
肩が触れるほどの近くで不穏な空気が渦巻いている。
やっぱり勝手に情報を渡したのはマズかっただろうか。
せっかく2人で行動しているんだし、どうにかして機嫌を直してもらいたい。何かこの空気を変えるような話題は――そうだ。
「あの、たるとさんに洋菓子の店を教えてもらったんです。かなり美味しいらしいんですけど、雪羽さん甘いもの好きですか?」
「そんなに好きじゃない」
即答されて心が折れそうになる。
「そ、そうですか。良かったら一緒に行ってみようかと思っていたんですけど」
「行く」
一瞬、聞き間違えたのかと思った。
もう一度確かめると、雪羽はぷいと顔を背けたまま「行く」と繰り返した。




