32話 露天のランチタイム
「結局、それ以上聞いても話にならなかったです」
ため息混じりにそう締めくくって、氷の溶けかけたコップを傾ける。少々声が大きくなってしまったが、同席相手にしか聞こえない設定なので問題ないだろう。
現在時刻は12:30。ここは中央広場にある露天のイタリアンレストラン【デア・ディーア】。青空の下で爽やかな風に吹かれながら食べるパスタは絶品なのだが、今回ばかりはあまり美味しく感じられなかった。
白い丸テーブルに同席しているのは夏秋冬と雪羽のみ。ダージュは個人的な用事があるらしく、今は別行動中だ。
「あ、はは。アキトくん。洗いざらい話してくれたけど、本当にわたし達に教えても良かったの?」
「義務を履行できないような運営のお願いを、まじめに聞いてやる義理なんて無いですよ」
少々子供っぽい態度かもしれないけれど、俺はそれくらい運営について不満を感じていた。信じられないことに、彼らはブラックリスト機能の実装報告と同時に『PKバグに関与したプレイヤーに処分を与えた』とだけ掲示板に発表して、事態の終息を宣言したのだ。
「まあ、私たちが漏らさなければ問題ないだろう。特に夏秋冬。お前は友達登録の人数が多いだろうが、絶対に他言するんじゃないぞ」
「わかってるよユキちゃん。せっかく皆が落ち着きかけてるんだもん。こんな情報を教えたらそれこそ大騒ぎになっちゃうよ」
パスタをくるくると巻いていた夏秋冬が小さなほっぺを膨らませる。その可愛い仕草を見ていると、荒んでいた心が少しだけ癒されたような気がした。
「しかし、運営すら手出しができないとは……そんな状況で、よくゲームの続行を決定したものだ。もしも再びチリアットが現れるような事があったら、今度こそ大騒ぎになるだろうに」
雪羽の意見はもっともだ。現時点ですら『運営を訴えてやる』と息巻くユーザーがいるらしいのに、再びチリアットが出現したらどうなるかなんて素人の俺でも想像がつく。
「運営はゲームを中止する気がまるで無いみたいだよね。【渓流】エリアを緊急メンテナンスで立ち入り禁止にしてるのって、まだ問題が完全に解決してないって認めてる様なものなのに」
ちなみに、メンテナンスは本日から7日間続く予定になっている。その間に運営主催のイベントを行うらしいが、一体何をするつもりなんだろう。
「夏秋冬さんも雪羽さんも、こんなゲーム止めようとは思わないんですか? 今なら確実に賞金が貰えるんですよ」
「わたしは止めないよ。いま止めちゃったら、あの気持ち悪い人に負けたような気分になっちゃうもん。そんなのは癪だしね」
「私も途中でリタイアなんてしたくない。これでも負けず嫌いなんだ」
「ユキちゃんは見た目からして負けず嫌いっぽいじゃない。妖精族の勝気なお姫様って感じだよね」
「それは、私に淑やかさが足りないと言っているのか?」
「あれ、自覚してたの?」
目の前で繰り広げられるじゃれ合いはいつもと変わらない。だけど、彼女たちは本当に【負けず嫌い】という理由でゲーム続行を決めたんだろうか。俺にはよく解らない。
「雪羽さんは、どうしてもこのゲームをクリアしたいんですよね」
「あ、ああ。私はそのことをアキトに言っただろうか」
「わたしがメールで書いたんだよ。アキトくん助けて~! ユキちゃんのワガママのせいで大ピンチだよ~! ってね」
「……むぅ」
ばつが悪そうな顔になった雪羽が下を向く。さすがに言い過ぎたと思ったのか、夏秋冬は話題を方向転換した。
「ねえねえ、アキトくんが懲罰エリアに飛ばされちゃった理由って説明あった? 一部始終を聞いたけど、あれって正当防衛じゃないのかな? 襲った側がお咎めなしで、アキトくんだけが処罰されるなんて、わたし納得できないんだけど」
「ああ、その事ですか? あれ、PKはPKでも【MPK】扱いになるらしいんです」
MPKとはモンスタープレイヤーキリング(Monster Player Killing)のことで、強力なモンスターを利用して間接的にプレイヤーを殺してしまう行為を指す。
「ゲームシステムに『俺がゴブリンを誘導してモヒカンさんに襲わせた』と判断されたみたいです。【憑依】はかなり強力なスキルなので、無闇にMPKができないように作られているそうです」
これも教えちゃダメと言われたような気がするけれど、まあいいや。どうせ憑依スキルを持っているプレイヤーは俺だけなんだし。
それにしても、自分の考えを運営に見透かされていたのはちょっと悔しい。憑依スキルを覚えた直後は、巨大ゴブリンあたりに憑依してプレイヤーと戦おうと考えていたのだ。レベリング、ジュエル稼ぎ、他プレイヤーの妨害という一石三鳥の方法だと思ったのに。
もし計画を実行していたら今頃ゲームから叩き出されていただろうから、ラッキーといえばラッキーだけれど。
「ちなみに、モヒカンさんがお咎めなしの理由は、ただ『少し強いゴブリンと戦っただけ』とゲームシステムに判断されたからです。俺が負けても憑依状態が解除されるだけなのに、それで相手にPKの罪を着せられるなら、かなり凶悪な罠になりますからね」
結論として、俺が憑依したまま戦える相手はモンスターに限られる。憑依の間は他のプレイヤーに襲われないよう注意する必要があるのだ。面倒だが、これも強力なスキルを使う代償だと思うしかない。
「ということは、私がフェロウズに毒蛇をけしかけた事も、ダージュがドラゴンを誘導して襲わせたこともMPK未遂になるのか? だとしたら少々困ったな」
「本来はそうなるらしいですね」
今回は緊急事態だったということで、雪羽やダージュはもちろん、チリアットと戦った俺もお咎め無しだ。
「良かった。せっかくまたアキトくんと一緒になったのに、懲罰エリアに落とされちゃったら最悪だもんね」
あのエリアに戻されることも覚悟していたので、素直に良かったと思う。
でも、このゲームはどうも処罰のルールが曖昧なように思える。どんな行動をすればカルマがどれだけ変動して、どのように罰せられるのか。それを明確にして提示した方がプレイヤーは動きやすいと思うのだけど。
「それは、意図的に曖昧にしているんだろう。処罰対象となる行動について明確な条件を提示してしまうと『それさえしなければ大丈夫』だと教えることになってしまう」
「そうそう。でも、曖昧な部分があるからこそGMは常にプレイヤーからのクレームに対応しなきゃいけないんだけどね。プレイヤー同士のイザコザなんてMMORPGでは日常茶飯事だけど、相談される側は色々と大変みたいだよ」
基本的に、GMはプレイヤー同士の争いに関与しないことになっている。とはいえ、クレームはどんどん入ってくるらしいので、大変な仕事だなとは思う。俺もクレームを送ったプレイヤーの1人なんだけど。
「難しく考えなくても良いと思うな。悪い行動をしたらダメだよって話だよ」
結局、そんな夏秋冬の一言で強引にまとめられてしまった。
「ところで、アキトくんって、お昼ご飯を食べ終わったら【ししょー】の所へ挨拶に行くんだっけ」
「ああ、はい。気が重いですけど」
NPCにメールなんて送れないので、今の今まで無断欠席を続けていることになる。正直に告白すると、今から師匠に会いに行くことはチリアットと戦うよりも100倍怖い。
「そんなに怖い人なの?」
「いや、根は優しい人なんですけどね」
レッスンの内容が型破りというか、気を抜いたら死んじゃいそうというか。無断欠席の罰として、とんでもないコトをやらされそうで怖いのだ。
「ふうん。アキトくんは、その人に教えてもらって強くなったんだもんね。わたし達も感謝しないとね」
「そうだな。間接的に私達も助けられていると言えるだろうし」
一度会ってみたいな、と言われたが、それは丁重に断った。『べらんめえ! 半人前が調子に乗ってるんじゃねえ!』って師匠にボコボコにされる未来しか見えないから。
「うに、ちょっと残念。それにしても、アキトくん変わったよね。それも【ししょー】のおかげなのかな」
「ああ。初日に比べたら、雰囲気がずいぶん落ち着いたように感じるよ」
自分ではあまり自覚していないけれど、そう言われると嬉しくなる。本当に師匠には感謝しきりだ。
「そういえば、アキトは何レベルになったんだ?」
「20レベルです」
え、と彼女たちの目が丸くなる。
何か変なことを言ってしまったのだろうか。そんな心配をしていたら、夏秋冬が「ほんとに?」と重ねて聞いてきた。
「本当ですよ。懲罰エリアの敵は最低でレベル20だったんです。嫌でもそれくらい上がりますよ」
「ち、ちなみにダージュ君は?」
「確か18だったハズですけど」
おおおお、と慄く夏秋冬と目を丸くしたままの雪羽。一体どうしたんだ。
「わ、わたし達、渓流で頑張って16レベルまで上げたのに……他の人と比べてもけっこう高い方だからビックリすると思ってたのに……アキトくん達は軽々とその上の領域に行っちゃってたんだね」
「予想外だった。このままでは足手まといになってしまう」
たった4レベル離れたくらいで何を言い出すんですか。
「足手まといだなんて考えた事もありませんってば。雪羽さんの攻撃力は現時点でも俺より上ですし、夏秋冬さんは強力な攻撃魔術スキルが使えるんです。どちらもゲームを進める為には不可欠な存在ですよ」
言いながら、当たり前すぎることを熱弁している自分が恥ずかしくなってきた。こんなことはゲームに慣れた彼女達ならよく理解しているだろうから。
「うーん。それでも、渓流が閉鎖している内に1つでもレベルを上げておく方が良さそうだよね。頼りきりなんて情けないし」
「そうだな。早速今夜から開始するか」
ふたりは笑顔を引っ込めて、やや真剣な顔になって頷き合う。
俺はまだ経験していないが、草原も夜になれば出現モンスターのレベルが上がる。場所によってはレベル15以上の個体も稀に出現するらしい。
「それなら俺も付き合いますよ。万一にも事故があったら思うと心配ですし」
「気持ちは嬉しいけどダメだよ。アキトくんが一緒だとレベル差が縮まらないもん」
それはそうだけど、チリアットの顔を思い出すとどうしても心配になってしまう。
「最近の夜の草原ってけっこう賑やかなんだよ。まだ草原をクリアできていない人が多くて、みんなレベル上げに勤しんでるからね」
「ああ。渓流よりもずっと人が多いんだ。何かあってもすぐに助けを求められるから、心配は無用だ」
雪羽が「嘘なんてついていないぞ」と念を押す。彼女たちの決意は固いようで、この話はそれでお終いになった。
「ええと、何の話をしていたんだっけ……あ、そうだ。アキトくんは何時間くらい【ししょー】の所で過ごすのかな」
すっかり脱線していた話が戻ってきた。時計は12:55を示している。気が重いけれど、そろそろ行かないと。
「夕方までには終わると思います。きっと」
「そっか。もうすぐ運営が新イベントを発表するらしいんだけど、代わりに聞いておくね」
「そうだな。できるだけ詳しく情報を集めておくから、興味があれば聞いてくれ」
「はい。生きて帰ってこられたら教えて下さい」
ゆっくり食べていたパスタの残りを飲み込む。冷えた緑茶を一気に片付けた俺は、覚悟を決めて師匠の下へと向かうことにした。




