23話 憑依してみた2
夜は平和なまま過ぎ去り、迎えた10日目の朝6:00。
既に日課と朝食を終えた俺は、階段を歩きながら顔をしかめていた。
「首が痛い……肩が痛い……背中が痛い……」
つまり全身が痛い。固い床の上で寝ればそうなるのは当然かもしれないが、ゲームなんだからもう少しプレイヤーに優しくして欲しいと思うのは間違いだろうか。
「だから一緒に寝ましょうとお誘いしたのに」
その提案を受け入れたら全身の痛みだけじゃ済まなそうだったから断ったんだ。せめて今みたいに外見を元に戻してくれれば……いや、それはそれで嫌だ。
「今日は一緒に寝ましょうね、お兄様」
「寝ません」
「ボクを抱き枕だと思えば問題ないですよ」
抱き枕は俺の身体をまさぐったりしない。
困り果てた顔を楽しそうに眺めていたダージュは「そういえば」と話の矛先を変えた。
「お兄様は、あのマラソン毎日しているのですか?」
「そうですね。普段とはちょっと勝手が違いますけど」
今朝は階段(踏破済みエリア)を50分ほど走ってみた。こういうトレーニングは続けることが大切だと思うのだ。師匠のレッスンを無断欠席することも、これで許して……くれそうに無いけれど。
「噂に聞いたことがありますよ。ひと気のない早朝に、迷彩柄の大きなバックパックを背負って町を駆け回る謎の生物が目撃されたとか。あれはお兄様のことだったのですね」
謎の生物って何だよ。俺はいつの間にUMAになったんだ。
まだ歩くより少し早い程度の速度しか出ないってのに、謎も何もあったもんじゃない。その噂は絶対に俺をバカにしている。そういう視線にはもう慣れたけどさ。
「ふふ、そんな顔をなさらないでください。お兄様が得ているスタミナ補正は破格です。その効果を知れば誰もが同じ行動を取ると思いますよ」
「ダージュさんもやってみます?」
「いえいえ、ボクは遠慮しておきます」
周囲を警戒しつつ、ときどき雑談をしながら階段をひたすら下っていく。
決して油断できない状況が続いているものの、新たな武器を手に入れたダージュの実力が予想以上だったことは嬉しい誤算だった。
「少しだけ弓道の真似事をしていた時期があるのですよ」
そう答えた金の瞳が獲物を睨む。弓を構え、弦を引き絞ってピタリと静止する。騒がしい戦場の中に異質な気配が生じて、まるで周囲が凍ったかのような錯覚に陥る。
静止から1秒後。放たれた光の矢が、毛むくじゃらの身体にストンと突き刺さった。
3回目ともなればアイコンタクトも不要だ。即座に距離を詰めて武器を振り下ろす。断末魔の叫びと共にワーウルフが崩れ落ち、やがて階段に染み込むようにして消えていった。
「お見事です、お兄様」
「ダージュさんもね」
漆黒の軸に光沢のある赤い握り部分を持つ弓【緋桜】はコンポジットボウの一種。連射性に優れている上に射程距離も広く、50メートル離れた標的にも余裕で届いてしまう。頑張れば200メートル以上飛ばすことも可能らしい。
矢はマナを消費して形成している。そのため実体が無く、風の影響を受けにくい。それが命中率が高い理由だと言っていたが、激しく動くターゲットに当てる技術は本物だ。
それにしても、よくこんなエリアに役立つ武器が落ちていたと思う。まるでダージュが使うために置いてあったような気さえする……なんて、それは考えすぎか。
とにかく、複数の相手に囲まれてもダージュが足止めしてくれるのは助かる。休憩を挟みつつ、俺達はひたすら階段を下りていった。
* * *
このエリアに突き落とされてから4日が経過した。
地獄界を模したとされるこのエリアは想像を絶するほどに広く、いくら歩いても底が見えてこない。ただハッキリしているのは、螺旋階段が描く円が僅かずつ小さくなっていることと、周囲が徐々に暗くなってきているということ。その2つだけが進んでいることを実感させてくれる。
モンスターとの遭遇頻度は平均して30分に1回程度。周囲を探索しつつ(あの弓以来アイテムの発見は無い)、進み続けた俺のレベルは18にまで上昇していた。
今は13日目だから、平均して1日に2レベルのペースで上昇していることになる。ここに来た時はどうなるかと思ったが、相手が単体なら多少の余裕を持って戦えるようになってきた。一撃死が二撃死になっただけでも進歩は進歩だ。
「先へ進む前に、そろそろ憑依スキルを試しても良いかもしれませんね」
このエリアのモンスターはそれぞれ固有のスキルを持っているらしい。そんなダージュの助言に後押しされて、今日は憑依スキルを試すことになった。
最初に憑依したのはワーウルフ。人型モンスターなのでなじみ易く、10分ほどの練習で自由に動けるようになった。ただし攻撃スタイルが近接格闘なので、ムーブサポートに頼らないとロクに攻撃もできないだろう。
「それでも【ハウリング】スキルは便利だと思いますよ。お兄様」
俺よりも俺のスキルに詳しそうなダージュが言うように、このスキルは中々便利そうだ。咆哮(音波)で攻撃するので効果範囲が広く、複数の敵が一気に襲ってきても容易に押し返せる。単体攻撃スキルしか習得していない俺にとっては魅力的だ。
ただし、マナの消費が大きい上に攻撃力にはあまり期待できない。加えて、このスキルは憑依状態じゃないと使えないのが痛いところだ。
動きをトレースすれば発動するアクションスキルと違って、【ハウリング】は夏秋冬が使う【火球】のような詠唱スキルに属する。人間の状態でいくら叫んだところでスキルは発動しないので、残念ながら使える場面は限定的だ。
「憑依スキルがレベルアップすれば、その評価も変わるかもしれませんよ」
だと良いけれど。
今は、とりあえず保留にしておこう。
気を取り直して次に選んだのは骸骨剣士スカルナイト。ビジュアル的に大嫌いな相手だが、万が一くらいの確率で便利なスキルを秘めているかもしれない……と思ったのが間違いだった。
「【ボーンシュート】……ってうわああああ!?」
早く終わらせたくて適当にスキルを使ってみたら、頭蓋骨が大砲みたいに発射された。
「ふざけんな! 死ぬかと思っただろ!」
レンガ壁に向けて発射したから助かったものの、一歩間違えれば頭が奈落の底に消えるところだった。何だよこの自爆スキル。
「骨だからもう死んでいますけれどね」
ダージュがクスクスと笑っている。まさかどんなスキルか知っていたんじゃないだろうな。
「いえいえ、慌てふためくお兄様を見てみたいと思って黙っていた訳ではないです」
「……へえ、そーですか」
「そんな恨めしそうな声を出さないでくださいお兄様。手元が狂っても知りませんよ?」
転がっていた俺の頭を拾い上げて目の高さに掲げると、ダージュは宝石を見るように頬を染めた。
「ああ、骨になったお兄様も素敵です」
「や、あの。それはともかく、早く首に乗せて下さいよ」
「ふふ、この状態だとボクの思うがままですね、お兄様?」
男の娘が妖しく微笑む。
血液なんて流れていない身体なのに、俺は確かに血の気が引く音を聞いた。
「あの、骨ですけど。こんなの見ていても楽しくないですよね?」
「楽しいですよ。ボクが見ているのは内面的な輝きですから」
「どうして顔を近づけるんですか!?」
必死に頭を取り戻そうとするが、だらりと力が抜けた身体は少しも動いてくれない。
「落ち着いてください。頭を失った状態で憑依を解除したら危険かもしれませんよ?」
まるで蛙を睨んだ蛇みたいだ。その声色は鈴を転がすようなのに、嫌な予感が溢れて止まらない。
「ちょっと味見をするだけですから」
「何のですか!?」
ダメだ。これ以上黙っていたらダメだ。
ギュッと目をつぶって(骨だけど)憑依を解除――できない。
「ぬあああああ!?」
「いただきまーす……なんて。ふふ、冗談ですよ」
かちゃり、と骨が音を立てる。
半泣きのまま片目を開けると、ダージュが頭を元通りに接着させていた。硬直している俺に構わず、ぺたぺたと骨を触りながら興味深そうに目を細めている。
「面白いですね。憑依したら喋れなくなる場合が多いのに、このモンスターは流暢に話せるようです。そういった設定もモンスター毎に決められているのでしょうか」
「あ……言われてみれば」
頭が吹き飛んでから今まで、何度も叫んでいたのに全く気付かなかった。骨に声帯なんてねーよ、なんてツッコミを入れても無駄なんだろうな。ちゃんと目も見えているし、無い筈の心臓が飛び跳ねていることも感じるし……どうにも奇妙な感覚だけれど。
「肝試しイベントでもあれば大活躍しそうですね。お気に召しませんか?」
「二度と使いません」
そう固く心に決めて、即座に憑依を解除した。




