第5部 第13話
「マユミー!」
運転手の原田さんが慌ててブレーキを踏み、
車のタイヤがけたたましい音を立てる。
原田さんでなければ大事故になるところだっただろうけど、
幸い車のタイヤが縁石に乗り上げるという被害だけにとどまった。
敢えて言うなら、
私が運転席の背もたれに顔をぶつけて火花が散ったという被害もあったけれど。
後部座席もシートベルトを締めましょう。
原田さんが小さく息をついてバックミラー越しに私に言った。
「失礼しました。大丈夫ですか?お嬢様」
うん、大丈夫。と言いたかったけど、
鼻を押さえてるので「ふぐ、ふぁいごーぶ」という言葉にしかならない。
「お嬢様のボーイフレンドは変わった方が多いですね」
「・・・」
全くもってその通りで、弁解のしようがない。
私は原田さんに家に入っておくように言い、
鼻を押さえたまま車から降りて、車の前で私に手を振っている「ボーイフレンド」を睨んだ。
「青信号!危ないじゃない!急に飛び出さないでよ!」
「マユミんちの家の門の柱がデカ過ぎるんだよ」
これも、全くもってその通りだ。
お陰で、柱の影に青信号がいることに、
原田さんも私も、青信号が飛び出してくるまで気付かなかった。
・・・「青信号が飛び出す」ってややこしいな。
ところが青信号は更に「変わった方」ぶりを発揮すべく、
いきなり私に抱きついた。
「何すんのよ!」
青信号の胸を押し返そうとしたけど、
青信号はまるでサンドバッグを全力で抱き締めるボクサーのように私を離さない。
「下見行ってきたよ!宣伝見たよ!都築さんから聞いたよ!すげー!!ありがとう!!!」
・・・。
劇場の下見に行ってきたよ。
宣伝のためのポスターや携帯画面の案も見たよ。
都築さんから聞いたけど、両方ともマユミが計画したんだって?
すげー、ありがとう!
と言いたいらしい。
むむむ、都築さんめ。
確かに、「聖には言わないで下さい」とは言ったけど。
「青信号にも言わないで下さい」とは言ってないけど。
青信号に話したな?
「私は劇場の持ち主の知り合いと、Lコムの社長の息子にお願いしただけよ」
「でも、すげー!あんなすげー劇場でやれるなんて、夢みたいだ!
しかも、携帯でこまわりの劇の広告が流れるんだろ!?すげー!!」
青信号は、すげーすげーの連発だ。
実際、私も「すげー」と思ってる。
鈴木相談役のお友達が持っている劇場は予想以上に立派なものだったし、
的場も頑張ってくれて(正確には的場パパが、だけど)、
関東のLコム所有者に向けてこまわりの広告を流してくれることになった。
しかも、Lコム自体でも劇のチケットを購入し、社員に売ってくれるというオマケ付きだ。
代わりに、劇のパンフレットにLコムの名前を大きく出し、
劇でこまわりが得た利益の何パーセントかをLコムに支払う、らしい。
でもこれくらいでLコムのバックアップを受けられるなんて、
まさに「すげー」だ。
私は、私を抱き締めたまま大興奮している青信号を見て苦笑した。
「青信号も出演するんでしょ?頑張ってね」
「おう!見に来いよ!」
「うん。練習はどう?順調?」
「順調、順調。なんせ、主役の聖さんが滅茶苦茶張り切ってるし、
そうなると復帰反対派はますます頑張るし。いい意味で競い合ってるよ」
「・・・そっか。よかった」
青信号は今も聖の復帰には反対しているようだ。
でもその一方で、聖の存在がいい刺激になっているのも事実だし、
聖の演技はやっぱり「良い」らしい。
青信号は聖に追いつけ追い越せとばかりに、毎日稽古に励んでいる。
まるで稽古中の聖のように目を輝かせていた青信号が、
ふと我に返ったようにトーンダウンして私から身体を離した。
「劇場とか宣伝とか・・・これってやっぱり、聖さんの為なんだ?」
「・・・うん」
「聖さん、もう結婚してるんだぞ?それなのにまだ好きなのかよ?」
「・・・うん」
青信号に隠しても仕方ない。
私は正直に頷いた。
青信号が呆れたように顔をしかめる。
「そんなんじゃ、いつまで経っても彼氏できねーぞ」
「あ。彼氏はできたんだ」
また青信号の目が輝く。
でも、さっきまでの輝きとは全然違う。
・・・もしかして、怒ってます?
「なんだよ、彼氏って」
「えーっと・・・」
「聖さんのこと、好きなんだろ?」
「うーんっと・・・」
しどろもどろになりながら的場のことを説明すると、
青信号の目がますます妖しく光る。
「なんだよそれ!そんなんで、好きでもない男と付き合うのかよ!?」
「だから、実際には付き合ってないんだって。
一緒に遊びに行く程度。そんなの、青信号とだってするじゃない」
「・・・ふーん」
青信号が私から一歩離れる。
そして、目を細めてジロジロと私を睨んだ。
「それじゃ、フェアに俺にも条件を出してもらおーじゃんか」
「条件?」
「マユミの彼氏になれる条件」
はあ、っと私はため息をついた。
分かりやすい青信号がこう出ることは予想していた。
「分かったわ」
「おっ?」
「今朝の新聞見た?」
私がそう言っただけで、青信号はピンと来たようだ。
「・・・あの広告か?」
「そう、アノ広告」
うちでは2種類の新聞を取ってるけど、
その両方に・・・おそらく、他の大手の新聞にも・・・ある広告が載っていた。
折込チラシじゃない。
ちゃんと新聞の中1面を使った広告だ。
「なんか、年末から大きな舞台があるらしいじゃない?」
「らしいな」
「KAZUって芸能人も出るって書いてたわよ?」
「KAZUくらい、俺だって知ってる」
だよね。
KAZUというのは、超イケメンの若手人気俳優だ。
私が見る限り、演技もうまいと思う。
「見てみたいと思わない?生KAZU」
「・・・」
青信号が黙ったのは、生KAZUを見たくないからではなく、
私が言わんとしている事が分かったからだろう。
「KAZUが演じる役以外は、主役も含めてオーディションで選ぶって書いてたわよ?
ああいうのって、プロとかアマとか所属劇団とか関係なく誰でも受けれるんでしょ?」
「・・・うん。聖さんも、受けてみようかなって言ってた」
「青信号は?」
ようやく本題に差し掛かったところで青信号が声を荒げた。
「俺なんか、受けても受かる訳ないだろ!?」
「わかんないじゃない。信号役なら青信号の右に出る者はいないわ」
「嬉しくないな。それに、中世ヨーロッパって設定の劇に信号役はない」
それもそうだ。
「とにかく!どんな役でも受かったら、付き合ってあげてもいいわよ」
「・・・」
――― どんな端役だって、受からないさ。
――― そう?やってみたらいいのに。
――― 時間の無駄。それより、こまわりの劇の方に集中しないと。
――― それもそうね。それに私、的場と付き合ってる訳じゃないから、青信号も気にしないで。
そんな会話が続くと思ってたら。
「・・・約束だぞ?」
「は?」
「もし俺が受かったら、
今の、付き合ってるんだか付き合ってないんだかわからない彼氏と別れて、
ちゃんと俺の彼女になれよ?」
「・・・」
俺の彼女になれよ、か。
さすが役者だけあって、言うことが芝居染みてる。
でも、悪い気はしないな。
できればもうちょっとロマンチックな雰囲気で、
できればもうちょっと青信号がイケメンで、
できればもうちょっと・・・
私が聖のことを吹っ切れていれば。
もっと素直に喜べるだろうに。
「そんだけ『もうちょっと』があれば、もはや全然『もうちょっと』じゃないし」
「うるさいわね。こんなとこで油売ってる暇あったら、
さっさと稽古に行けば?もしかしたら、オーディションに受かるかも・・・」
私がそう言うと、
青信号は駅へ向かって急発進して行った。




