第5部 第6話
春休みいっぱいアメリカにいた私は、
日本に戻るなりある場所を訪れた。
伴野建設だ。
おもちゃショーで聖を見た時は、
正直もう二度と聖と会いたくないと思った。
あんな聖らしくない聖をこれ以上見たくなかった。
だけど、そんな聖でも、
聖と結婚した桜子さんは幸せそうだった。
それは単に、桜子さんが「伴野家の伴野聖」を好きだからなのかもしれない。
だけど、もしかしたら・・・
本当にもしかしたらだけど、聖にまだ聖らしさが残っていて、
桜子さんは私と同じようにそこに惹かれたのかもしれない。
そう思うと、どうしてももう一度だけ聖に会っておきたかった。
会って、確かめておきたかった。
聖は今も聖なのかどうか。
伴野建設の会社の住所はインターネットで調べたらすぐにわかった。
都心の一等地で、皮肉なことに寺脇建設のすぐ近くだ。
お昼休み時を狙って、
乗り込むような気分で伴野建設の建物へ入る。
大理石のロビーや、水が流れている壁のせいか、
全体的にシルバーの印象が強い。
そんなシルバーの中の受付で「伴野聖」の呼び出しを頼む。
部署は分からないけど伴野家の人間だ。
すぐに分かるだろう。
約束をしていないと言ったらちょっと嫌な顔をされたけど、
取り合えず電話で取り次いでくれた。
「あちらでお待ちください」と指示された待合スペースのソファに腰を下ろす。
聖がここにいる。
聖がここで働いている。
そう思うと不思議な気分だった。
だけど、どう考えても、ここは聖に似合う場所じゃない。
こんな、お綺麗な組織は聖には向いていない。
エレベータが止まる音がした。
振り向くと、おもちゃショーの時のようなスーツ姿の聖が降りてくるのが見えた。
聖が私を見て軽く手を上げる。
私は「さあ、やるぞ」と気合を入れてソファから立ち上がった。
聖は会社から少し離れた小さなレストランに私を連れて行くと、
テーブルのメニューを取り上げた。
12時までまだあと5分くらいあるから、
お店の中はガラガラだ。
「俺は・・・ランチセットにするけど、マユミは?」
「同じでいい」
ご飯を食べに来た訳じゃないからなんでもいい。
でも、聖がウェイトレスに「ランチのB二つ。飲み物はコーヒーとミルクティー」と言うのを聞いて、
私がミルクティーを好きなこと覚えててくれたんだ、と少し嬉しくなる。
ウェイトレスがテーブルから離れて行ってから、
私は聖に話しかけた。
「本当にサラリーマンやってるんだね。変なの」
「変とか言うなよ。これでも一応真面目にやってるんだから」
「お昼前に仕事抜けてきてるくせに?」
「寺脇コンツェルンのお嬢様の呼び出し以上に大事な仕事なんてないさ」
いつもの軽い調子でそう言う聖。
一瞬、5ヶ月前に戻ったかのような錯覚に捕らわれた。
でも間違いなく私と聖の間には5ヶ月という時間が流れている。
その証拠が、聖の左手の薬指で光る。
「・・・結婚したんだ?」
「ああ。1月にな」
桜子さんから「自由の女神ツアー」について何も聞いていないのか、
聖はさらっと言ってのけた。
知ってたことだけど、聖の口から聞くと、
「本当に結婚したんだ」と改めて思い知らされる。
だけど、聖をそこへ追いやったのは私だ。
あの時、パパが聖に、私と二度と会うなと言わなければ・・・
あの時、私がパパに、もっと強い態度を取っていれば・・・
さっきのウェイトレスがランチのスープを持ってきたけど、
私はそこから立ち上る湯気をただ見つめるだけだった。
「聖が結婚ねー。信じられない」
精一杯の強がりで対抗する。
すると聖は少し自嘲気味に、
「そうだよな。俺も信じられない」と言った。
・・・桜子さんは幸せそうだったけど、
聖はそうじゃないんだろうか?
大好きな演劇を辞め、
許婚と結婚して嫌だった実家の仕事をして・・・
私は目の前で水を飲む聖を見た。
身体にフィットした上等そうなスーツを着てるけど、
私には凄く窮屈そうに見える。
聖の本心が知りたい。
聖は今本当に幸せなの?
もう演劇に未練はないの?
ウェイトレスが大きめのプレートを二つ持ってきた。
両方とも、オードブルにサラダ、鶏のから揚げが乗っている。
時間を気にしているのか、
聖はテーブルにプレートが置かれると、
すぐにフォークを持って食べ始めた。
鶏のから揚げ、か。
昔は聖、身体に気を使って揚げ物なんてほとんど食べなかったのに。
そんなことも、もうどうでもいいのかな・・・
私もフォークを取り、から揚げを口に運んだ。
・・・美味しい。
そう言えば、私もずっと鶏のから揚げなんて食べてなかったな。
聖と一緒の時はもちろん、聖がいなくなってからも、なんとなく習慣で食べてなかった。
味なんて感じる状況じゃないけど、
それでも美味しいものはやっぱり美味しい。
私、元々鶏のから揚げ大好きだったし・・・
あれ?
そう言えば・・・
私はフォークをテーブルに置いた。
「ふふふ」
「どうしたんだよ?」
聖も鶏のから揚げを食べる手を止め、水をガブガブと飲んだ。
「私に嘘付くのが下手なのは、相変わらずだね」
「嘘?」
私は聖のプレートのから揚げを指さした。
「聖は身体に気を使って揚げ物なんて食べなかったよね?
特に鶏のから揚げ。だって、聖、鶏のから揚げ嫌いだもんね」
「・・・」
「身体のことも演劇のことも、もう気にしてないって振りをしようとして、
わざとこのランチを頼んで私の前で揚げ物を食べたんでしょ?
でも、もし本当に何も気にせず普段から揚げ物を食べてるとしても、
自分の嫌いな鶏のから揚げをわざわざレストランで注文しないよね?」
「・・・」
「無理しちゃって」
私がもう一度笑うと、
聖は顔をしかめてコップの中の水を全部飲み干した。
ついでに私のコップにも手を伸ばす。
「ああ、口の中がベタベタする。
鶏のもも肉ってただでさえ脂っこいのに、なんでそれをまた油で揚げるんだよ?」
「知らないわよ」
私は苦笑した。
なんだ、聖じゃん。
変わってない。
何も変わってない。
涙が出そうになるのをグッと堪える。
「聖。本当はまだ、演劇やりたいんでしょ?」
「・・・ああ」
私のコップも空にした聖は、
私に嘘をついても無駄だと思ったのか素直に認めた。
私の胸の中に、筆舌し難い高揚感が湧き上がってくる。
「だったら!だったら、やってよ、演劇!!こまわりに戻って!!」
「もう無理だって。あんな辞め方しちまったし、
親が決めた許婚と結婚するのを条件に家に戻ったから、仕事も辞められない。
辞めたりしたら、奥さんに愛想尽かされて即離婚だろーな」
離婚。
あの桜子さんが聖と離婚。
ちょっとピンとこない。
でも、親が決めた許婚なのだから、
聖が家の仕事を辞めれば、当然そうなるだろう。
例え桜子さんが聖に愛想を尽かさなくても、
桜子さんの親が聖を許さないと思う。
だけど・・・
聖が会社を辞めて離婚し、演劇に戻る、
そうなって欲しいと私は心の片隅で願っている。
さすがに離婚というのは、生々しくて大きな声で「願っている」とは言えないけど、
少なくとも演劇に関しては、本心だ。
こんなことを願うのは、
とんでもないことだろうか?
でも、聖が聖らしくいることが、
聖にとっても私にとっても桜子さんにとっても、結局は一番いいんだ。
私は自分にそう言い聞かせると、
なんの躊躇いもなく椅子から下りて床にぺたんと座り、手をついた。
ちょうどお昼のピークの時間帯なのか、
いつの間にかお店はお客さんで溢れ返っていて、
みんな、何事かと驚いた顔で私を見る。
だけど、一番驚いているのは私の目の前の人だ。
「マユミ?何やって、」
「聖、お願い。こまわりに戻って」
「マユミ・・・」
「こまわりが無理なら、他の劇団でもいい。
私、聖に演劇をやって欲しいの。
聖には自由でいて欲しいの」
私が頭を下げると、聖は慌てて椅子から立ち上がり、
私の腕を引っ張り上げた。
「マユミ!何するんだよ!やめろって!!」
「お願い!!」
引いちゃいけない。
ここで引いたら、私、きっともう一生聖と一緒にはいられない。
私は聖の手を振りほどくと、
もう一度床に頭をつけた。
「お願い、聖・・・お願い。
無理して嫌いな仕事なんてしないで。
私、演劇をやってる時の聖が好きなの。
お願い・・・」
「・・・マユミ」
「お願い!」
私が深く頭を下げると、
聖は私の肩を抱いて、
私を持ち上げるようにして立たせた。
「分かった。マユミの気持ちは分かったから・・・」
「本当?」
「ああ」
聖は左手で財布を出し、テーブルの上に千円札を何枚か置くと、
私の肩を抱いたまま店の外へ出た。




