第5部 第5話
「悪い・・・」
「ううん。ノエルさんが悪い訳じゃないんだから、謝らないで」
「そう言ってもらえると、助かる」
ノエルさんと私には有り得ないほど穏やかな会話。
これで2人が笑顔なら言うことはないんだけど、
残念ながら二人揃って顔面蒼白。
早い話が、車酔いだ。
「後、どれくらいで着くの?」
「1時間かな・・・でも、桜子の運転だと、20分かも」
「・・・」
私はそれ以上聞くまいと思い、缶ジュースを飲んだ。
ここはフリーウェイのサービスエリアのような所。
桜子さんは目的地までノンストップで行きたかったみたいだけど、
ノエルさんと私がギブアップしたため、休憩となった。
桜子さんは元気なことに、「せっかく止まったんだから!」と
サービスエリア散策をしに行った。
桜子さんに誘われたノエルさんが、私と一緒に休憩してると言うと、
桜子さんは「ノエルもヤワになったわねえ」と一笑。
恐るべし、桜子さん。
「ノエルさん、昔桜子さんと付き合ってた時から桜子さんに許婚がいるって知ってたの?」
「うん」
「嫌じゃなかった?」
「嫌っていうか・・・」
ノエルさんがミネラルウォーターを一口飲む。
「俺、まだ中学生だったし、そこまで深く考えてなかった。
というか、考えないようにしてた。
このまま付き合い続けたら俺達どうなるんだろう、っていう漠然とした不安はあったけど、
それが本格的なものになる前に、別れたし」
「そう・・・」
私は車の中でずっと、「聖は・・・」「桜子さんは・・・」とばかり考えていたけど、
許婚がいる桜子さんと付き合っていたノエルさんも、悩んでいたはずだと思いついた。
ノエルさんは、悩んでなんかないって感じに答えてるけど、
きっと中学生なりに色々考えたんだろう。
特に、頭のいいノエルさんのことだから。
「それにしても、桜子さんて見た目と中身が随分違う人なのね」
「だろ?昔からあの見た目でよく勘違いされて、みんなに敬遠されがちだったんだ。
でも話してみると、意外と気さくなんだよ」
気さくって言うか・・・
うーん。
ユニーク、としか言いようがない。
私はさっきの暴走運転を思い出し、
また気分が悪くなってきた。
「ノエルー!マユミちゃーん!」
ちょうど、諸悪の根源が遠くから元気良く手を振りながら走ってきた。
そして、手に持っていた紙袋から本を取り出し、
私達の前で開く。
「見て見て!この医学雑誌!
日本じゃ販売部数が少ないから手に入りにくいんだけど、
アメリカじゃこんなサービスエリアの本屋にも売ってるのね!買っちゃった!」
そこには、人体解剖がグロテスクなくらいしっかり図解(!)されており、
ノエルさんと私はますます青くなったのだった・・・
「やっと着いたわ!」
桜子さんがブレーキを踏んだ瞬間(やっぱり、急ブレーキだけど)、
「ありがとう」とちゃんと言ったノエルさんは素晴らしい。
私は言えなかった。
お世辞でも言おうと思ったけど、
気持ち悪くなりすぎて口が開けなかった。
そんな私の状況を察してか、
ノエルさんが私を抱きかかえるようにして車の外へ連れ出してくれた。
「大丈夫か?」
「・・・」
「大丈夫じゃなさそうだな。ナツミを連れてこなくてよかった」
そうね。
お姉ちゃんなら、途中で貧血を起こしてるかも。
「2号。ここから船に乗るけど、乗れるか?」
「船!?む、無理!!」
本気で吐く!!!
「船でどこに行くの?ここから先は2人で行って・・・私の骨は後で拾ってね」
「あのな。ほら、あそこだよ。見えるか?」
ノエルさんが私達の立っている遊歩道の先を指差した。
そこには、海だか湖だかが広がっていて、遠くに島らしきものが見えた。
そして、その島には・・・
「自由の女神!?」
「ああ」
「自由の女神を見るためにここに来たの?」
「そう」
「・・・」
私はあっけに取られて、遥か遠くの自由の女神を見た。
なんだ・・・本当にただの観光じゃない。
でも!
「どうして桜子さんと一緒にここに来ようと思ったの!?」
私は急に元気を取り戻して、ノエルさんの胸倉を掴んだ。
「く、苦しい・・・!離せって!」
「ダメ!答えなさい!」
ノエルさんと私でもみ合いしていると、
車を駐車場に置いてきた桜子さんが苦笑しながら私達のところへやってきた。
「ごめんなさいね、マユミちゃん。これはノエルとずっと昔に約束してたことなの」
「え?約束?」
「そう」
ノエルさんが私の手を首からもぎ取り、襟元を正す。
「そうだよ。付き合ってた頃に約束したんだ。
5年後の桜子の誕生日に、一緒にニューヨークの自由の女神を見ようって」
「は?」
いまいち要領を得ない私に、桜子さんが説明を始めた。
「付き合ってた時に一緒に見た映画があってね。
その中で主人公の男女が、
30歳になったら付き合ってても付き合ってなくても海外のある場所で会おう、
って約束をするの。
私がそれに憧れて、ノエルに『私達もああいう約束しようよ!』ってお願いしたの」
「・・・」
「場所はどこでもよかったんだけど、
映画の帰りにお台場に寄った時、自由の女神を見て『一度本場のが見てみたいよね』ってことで、
ニューヨークの自由の女神にしたの」
私が驚いてノエルさんの方を見ると、
ノエルさんは肩をすくめた。
「そういう訳だよ」
「・・・その約束、ずっと覚えてたの?」
「ああ、覚えてた。
だけど、さすがに別れて何年かした頃には、もう実現することはないだろうって思ってた」
「私も。でも、旦那のアメリカ出張が約束の日に重なってたから、ついて来たの。
まさか本当にノエルと再会するとは夢にも思わなかったけど」
「ほんとだよな。それに、お互い結婚してるとはもっと思わなかった」
「ふふふ、そうよね。5年って長いわねー」
自由の女神を背に、微笑み合う二人。
それこそ映画のような再会だ。
桜子さんが「運命ね」と言ってたのは、こういうことだったんだ。
だけど、2人の幸せそうな笑顔を作っているのは、もうお互いではない。
別の人だ。
でも、だからこそ、こうやって穏やかに微笑み合えるのかもしれない。
私はその「別の人」がお姉ちゃんと聖であることも忘れて、
なんだか羨ましい気分で2人を見ていた。
こういう人間関係もあるんだなあ・・・
「あ。じゃあ、今日が桜子さんのお誕生日なんですか?」
「ううん、実は明日なの。明日が私の22歳の誕生日。
だから、約束通り明日ここに一緒に来ようと思ったんだけど・・・」
桜子さんが冷やかすような目でノエルさんを見る。
ノエルさんもその視線に気付いて、そっぽを向く。
「ノエルがね、明日は絶対ダメだって言うの」
「どうしてですか?」
「明日は結婚記念日だから」
「へっ?」
「奥さんと約束してるんだって。
離れて暮らしていても、結婚記念日だけは毎年一緒に過ごそうって。
で、10回目の結婚記念日に結婚式を、」
「桜子!!!」
ノエルさんが桜子さんを遮る。
「そんなことまで話さなくていい!」
「ひどいわよねー?私との約束が先なのに、後からの奥さんとの約束を優先させるなんて」
「だから・・・!って、うわ、2号!」
私はノエルさんの両肩を持って揺さぶった。
「やるじゃない、ノエルさん!」
「や、やめろ・・・」
「もしかして!一昨年のクリスマスイブに海光の校庭でお姉ちゃんに話してたのってそれ!?」
「う、うるさい・・・放せ・・・」
「うわああ!タキシード、着てあげるのね!?偉い!!」
それからしばらく、私とノエルさんの攻防戦は続き、
遊歩道でパフォーマンスをやっているアメリカ人達に申し訳ないほど目立ってしまった。
お陰で私はすっかり元気になったけど、
自由の女神は遠慮することにした。
ノエルさんと桜子さんには積もる話もあるだろう。
私がいたら話しにくいような話も。
だけど、この2人に変な心配は無用だ。
ノエルさんはお姉ちゃんと結婚して、幸せだから。
そして桜子さんも・・・
きっと、聖と結婚して、幸せだから。




