屋根の上の戦い
チェコはパックを見て。
「俺、今度、武術大会に出るんだよ。
パック、俺に稽古つけてよ!」
パックは、猫獣人のまんまるな目で、チェコを見ていたが。
ニィと笑って。
「いーぜ、言っとくけど、怪我したって知らないからな!」
二人は楽しそうに外に出た。
ルーンは、えー、と頭を抱えたが、遅れて席を立つ。
バトルシップの横の路地で、二人は刃物を抜いて向き合っていた。
「おいおい、いくらなんでも真剣を抜くなよ!」
チェコは、貴族が常に腰に帯びる細身の護身刀だが、パックは両手に三十センチほどのバトルナイフを、刃を肘側にして握っていた。
「ケケ。
殺しゃしないって…」
目をギラギラと輝かし、パックは喉で笑った。
子供とは言え、刃物を煌めかせた二人を、ダウンタウンの人々も、息を飲んで見守った。
ルーンの腰に、とん、とチェコを呼びに来た子供がしがみついてきた。
チェコが貧民窟で支援をしているのは聞いていたが、子供は、身なりはボロボロだったが、思うより清潔で、臭いもなかった。
それに気がつくと、ルーンは無性に腹が立ってきた。
「おい!
チェコは困った人たちを、助けているんだぞ!
金のために、そんな人間に刃を向けるのかよ!」
ちら、とパックはルーンを見て、
「お前に金の価値は判らねぇーなぁ。
ホントに死ぬほど貧乏になってねーからなぁ」
言うと、パックは、獣人にしか、なし得ない二階の屋根を飛び越えるようなジャンプで、チェコに飛びかかった。
相手から攻撃されない、高高度から、自分だけが攻撃する。
ガニオンがパックに教えた、優れた戦術だ。
が、チェコもひらりと、二階へ飛び上がる。
パックほどの跳躍力はないが、適切に足場を見つけて、三歩で二階の屋根に登ってしまう。
「カカッ、お前、やっぱり鍛えてるね!」
言いながら、しなやかな筋肉でパックは空中で体をひねり、屋根に降りると、同時にチェコに襲いかかった。
パックは、いつの間にかブーツを脱いでいる。
猫の足は、爪先だけで走る事ができ、腿、膝、かかとの三つのバネを使って、しかも肉球で足音を消し、爪という天然のスパイクもつけて走れる。
加速は、人間業ではない。
まさに馬のような速度で、パックは屋根を走った。
チェコは剣を正面に構え、腰を落とす。
ま、基本の構え、って奴だな…。
パックは思う。
基本は大切だが…。
パックは、なお加速する。
基本じゃ俺とは戦えないぜ…。
なにしろ獣人なのだから。
基本は、人と人の戦いのためのもので、獣とは戦えない。
猟師はそれを知っているが、戦闘者は往々にして、それを知らないのだ。
パックは加速を維持したまま、ジャンプした。
飛びかかった、と言ってもいい。
その速度は、もはや矢に等しい。
基本の構えで、交わせる距離ではなかった。
勝ったな…。
微かにパックの頬は緩んだが、チェコは滑るように前に動いていた。
屋根には、当然傾斜がある。
その上を、チェコは、走った。
矢の速度で、至近距離から跳んだパックに対して、チェコが動けたのは、正味二歩だった。
横に登り、一歩踏み出す。
その二歩のうちに、前に出していた剣を脇に構えていた。
パックのバトルナイフと、チェコの剣が、凄い音を立ててぶつかった。
火花が、散った。
素早く着地したパックは、一瞬でチェコの懐に入る。
いつもならチェコの方が圧倒的に小さい事が多いが、パックはチェコより小柄だった。
しかも、ブーツを脱いだパックは、かかとを関節として使っている。
身を沈ませたときの低さは、チェコの比ではない。
そこから、ゼロ距離でパックは、猫パンチを繰り出す。
猫パンチと言うと、愛玩動物らしい、他愛もない手打ちのパンチのように人は感じるが、そもそも四足動物である猫は、片足に体重をかけて相手に拳をぶつける、等という不合理な戦いはしない。
ボクサーを見れば解るように、人のパンチのほとんどは外れるのだ。
その中で、格闘技は、大きくはバランスを崩さぬように攻撃する術を身につける。
ボクシングのステップも、空手の足さばきもそうしたものだ。
そもそも猫は、手に生まれながらの刃物を身に付けている。
相手にぶつけさえすれば、それで敵は傷つき、勝手にダメージを増やしていく。
バックの両手のバトルナイフも、そんな猫の爪と同じものだった。
下手に腰など入れずに、ただ刃を相手に当てれば良い。
人間の首から上ならば、そのどこに当たったとしても、相手は戦闘不能に近いダメージを受けるのだ。
そのパックのみぞおちを、チェコは膝で蹴飛ばした。
パックは手打ちだから、その分、チェコの動きはよく見える。
背後に倒れるように、ふらりとパックは蹴りをかわす。
それを見越していたかのように、チェコはパックの肩口に剣を振り下ろした。
倒れているパックは、ただ使っていなかった方の手のバトルナイフで、チェコの剣を受け止めた。
そのままパックは、チェコの剣を手で掴む。
人間であれば血だらけになるし、指は精密な器官なので、腱でも切れば不治の傷を負う。
が、パックは猫獣人であり、その指には、普段は引っ込めてはいるが、ちゃんと固い爪が収まっている。
バトルナイフと五本の爪が、チェコの剣をロックした。
剣を引かれて、屋根の傾斜の上で、チェコはつんのめる。
そこに、一度はチェコに交わされたバトルナイフが、再び、突き出された。




