腕折り
剣を持たれたチェコに、よける術はない。
パックは勝った、と思った。
回りの人々も、下から見上げていて、チェコに反撃の余地は無いように思えた。
ああっ!
ルーンと、彼の足にしがみついた子供は叫んでいた。
が…。
チェコは、片手を放した。
パックのまんまるな目が、より丸くなる。
片手を放したチェコの拳には、いつかブルー兄をKOしたカイザーナックルが握られていた。
パックは、だが己の負けだとは思っていない。
カイザーナックルは確かに硬いが、バトルナイフの方が、金属も分厚く、破壊力に優れている。
仮に五分の勝負になり、ナイフが弾かれたとして、パックは十通りはチェコを倒す方法を思い付いた。
スペルを使えばもっとだが、それは剣の勝負だから使わない。
チェコが、近く武道大会に出場するから稽古をつけてくれ、と頼んで始まった戦いだから、だ。
これは武芸の稽古だった。
チェコも、カイザーナックルを忍ばせるとは、なかなかやるが、パックも両手にナイフを持っているのだから、互角の勝負だ。
だが…。
ニィ、とパックは笑った。
俺のナイフは、そんなちっぽけな金属なんか、叩き割るぜ…!
金属を叩き割り、相手に負傷を追わせるつもりなら、今までのような猫パンチでは難しい。
生身なら、刃物が触れただけでも、傷の大小は運次第にしろ、無傷とはいかない。
が、相手が小さくても金属を持っているなら、腰を入れて、足から腰、腕、手首までのバネを使って、金属片を破壊できるだけの力を、バトルナイフに与えなければならない。
パックは、チェコの拳を目掛けて、ナイフを振った。
外見上、それほど力をいれた風には見えない。
薪を鉈で割るようだ。
体は動かさず、ただ、微かに全身の筋肉をナイフに使えばいい。
勝ったな…!
パックは思ったが…。
チェコが、剣を手放した。
パックはカイザーナックルを砕くため、体の筋肉を一方向に動かし始めていた。
その瞬間に、引っ張っていた剣を、放されたのだ。
なにっ!
微かだが、パックの体が崩れた。
チェコは、剣を手放した左手で、パックの手首を捕まえていた。
腕折りか!
腕を折る方法は幾く通りかあり、手首をねじりながら、肘の関節を伸ばすか、または肩の関節を攻める。
肘にしろ肩にしろ、伸び切ってしまった関節は、弱い。
また、手首を決められなければ、肩も肘も何方向にも曲がるような構造のため、必ず手首をねじる必要がある。
屋根の上である。
手首を決められて転落したら、パックは負ける。
完璧に技が決まっていなくても、落下の力が加わるからだ。
腕折りから逃れるには、相手が手首を決めた、同じ方向に回ればいい。
手首さえ決められなければ、腕折りは関節を曲げられるため機能しないのだ。
パックは回った。
と、スポンとバトルナイフを取られてしまった。
あっ!
と、パックが驚愕する。
決められた手首を戻すため、パックは外側を向いていた。
そのパックの首に、自分のバトルナイフが、突きつけられた。
「パック。
俺は貧民窟のみんなを助けたいんだ」
チェコは、懇願するように語った。
「だけど、俺は、お前を足止めしろ、ってガニオンに言われたんだ…」
俺だって、困るんだよ、チェコ…。
パックは、チェコを見上げて懇願した。
パックは不幸にも、見世物小屋で生まれた獣人だった。
どこかに、パックのような仲間の住む国はあるはずだが、母はアルタニーとしか、知らなかった。
網で捕まって、船で運ばれたそうだ。
だからパックに、故郷はない。
見世物小屋でひどい扱いを受け、母は病気になった。
パックは曲芸を覚え、披露して見せたが、母の病気は治らず、母が死んだ夜に、パックは小屋を逃げた。
何年か、放浪した。
獣人の身体能力は、放浪を助けたが、獣人の外見は、パックを何度も苦境に陥れた。
どこかにある、パックがパックとして生きられる獣人の国であれば、パックはここまで困窮しなかったろう。
だが、帰るあてもなく、アルタニーなる国も、誰も知らない中、ただ、パックは食べ物を盗んで放浪を続けた。
大砲を背負った大男と出会うまでは、だ。
ガニオンはパックを連れて食べ物屋に入り、パックは生まれて始めて、皿から暖かい食べ物を食べた。
「お前は知らないんだ…」
喉にナイフを当てられて、パックは語った。
「帰る国の無い獣人がどうすればいいのか、知っているのはガニオンだけなんだ…」
チェコは、パック…、と呟き…。
「ガニオンは知っているの?」
コクン、とパックは頷いた。
「ガニオンはアルタニーをしっている。
アルタニー!
俺の生まれた国は、北の海を越えた先にあるんだ…。
俺は、いつか、獣人が獣扱いされない国に戻る。
だから、負けられないんだ!」
チェコは唸った。
「俺だって、パックは友達だから、応援したいよ。
だけど貧民窟のみなも、俺の友達なんだ。
パック。
俺はアルタニーを知らないけど、一応は貴族だし、大人に調べてもらう事だって出来るよ。
ガニオンが君を見捨てても、うちに来れば、必ずパックを故郷に送り届けるよ!」
故郷…。
それは、パックがさ迷った、どんな冬よりも寒い、雪より硬い氷が川になって流れる国だ。
ただの船ではアルタニーには、行けない。
氷の海を渡れる装備をそなえた、頑強な船でしか渡れないのだ。
そこは、獣人が、獣人として普通に暮らせる穏やかな国だ。
母さんの国だ。
母さんの子守唄に唄われた雪の女王が、氷の宮殿で暮らす山の麓の、寒くて暖かい国なのだ。




