第六十三話 越前交渉 その裏
伊達政宗。
その名前の衝撃は思いの外大きく、俺に景虎の言葉を信じさせるには十分な説得力を有していた。
後の世には一歩間違えれば変人どころか既知外のような逸話が伝わっており、そこから想像させる伊達正宗なら、景虎の言ったような行為を行いかねないからだ。
しかしそれを知るのはこの世では俺一人だけだ。
いち早くその危険性に気付いた景虎、もしくは謙信公はやはり一廉の人物であり、やはり名を残すだけの器であるという事なのだろう。
和議交渉はその後も続いたが、伴天連――キリスト教の恐ろしさというのは伝わりきらなかったため、景虎の言葉に懐疑的であった。
俺にしても皆に信じさせる言葉を持たないため、結局は今回の交渉も決裂と言うことになった。
だが、俺はこのことを放置することはできず、宴席の中で景虎殿に人の目がなく、話を聞かれない場所へと呼び出し、詳しい話を聞くことにしたのである。
突然の誘いに景虎殿は一瞬戸惑ったものの、俺の誘いに応じ、待ち合わせに応じてくれた。
そうして一条谷城のある一室にて、俺と景虎は膝をつき合わせ話し合いをするのだった。
「突然このような形で呼び出してしまい申し訳ない。女性に対し面会を申し出る時間ではないことは重々承知しているが、どうしても聞いておきたいことがありまして…」
流石に緊張している俺は、普段のような声色と口調で話してしまっていた。
それを敏感に察知したのか、景虎は口元に手をやり、くすりと笑う。
「……あら、そういう誘いではなかったのですか?私としましてはそちらでも構いませんのですけど」
「ご冗談を……」
緊張していた場が、景虎の軽口で融和していく。
お互いに笑みを浮かべ、一頻り笑った後、改めて俺は口を開いた。
「夜分遅くにこのような場に応じて戴きありがとうございます。先ほどの会見では臣下の手前でもあり、和議を断るという以外に答えがありませんでしたが、どうしても話しておかなければならない事があると思ったので」
「そのように丁寧に接して戴かなくても結構でございますよ。貴方は世に名を知られる織田家の武の一文字様なのですから」
「……いや、実はあまりそういう事には慣れなくて」
俺がぽりぽりと頬をかきながら言うと、
「今この場では良くても、やはり名を馳せる方には威厳というものは必要だと考えます。今後を考えれば私のような小娘にそのような口調は相応しくないかと。良い場を得たと思って口調からでも改善してみてはいかがでしょうか?」
そう言われて、半兵衛や秀長も同じ事を言っていたことを思い出す。
確かにその通りだとは思うが人には向き不向きがあるわけで。
少ないながらも社会人として営業先で頭を下げまくった社畜としての根性は、今もなお根強く残ってしまっているらしい。
とはいえここは戦国時代だ。
風評がものを言うこの時代にあって、そのような口調や姿勢は不味いのかもしれない。
「すぐには無理ですが、おいおい……ということで」
「ふふ、ではこの場ではそういうことにしておきましょう」
コホン、と一つ咳払いを入れて、俺は本題を話すことにした。
「景虎殿、貴方はこれから先、伴天連による専横が始まると……やはりそのように考えてますか?」
俺の言葉に、景虎殿は迷うことなくその首を縦に振った。
「はい。まず間違いなくこの国は南蛮によって宗教の火種から侵攻を受けることになるでしょう。先ほどの和議の場でも申しましたが、既に西の国では伴天連の影響は強く、これは噂になりますが、既にこの国の子女等は奴隷として異国へ売られているとも言われています」
「! ………それは確かな事ですか?」
「流石の軒猿も遠く西方の情報は得がたく、確かな確証を持って断言はできませんが、西方からの行商人や船乗りにも聞き取りを行っておりまして、やはり噂にしては人の口に乗りすぎていると言う印象を受けます。火のないところには煙はたたないと申すように、事実である可能性が高いかと」
「なるほど……」
確かに人の口に乗るのなら、そう言った話が上がらないことには無理である。
と言うことは景虎がそう判断するように、やはり西ではそう言ったことが行われている可能性が高いと言うことだろう。
「そしてそれが伊達家当主伊達政宗によって大々的に行われる可能性があり、これを放置すれば取り返しが付かなくなる……」
「その通りです。ここで問題にすべきはおそらく伊達政宗は伴天連を利用しているつもりなのでしょう。南蛮は海を渡って遙か遠くにある国です。どうしても情報が遅れ、軍隊も兵站も物資も海によって限られます。ある程度の利益より損失が勝るようになれば伴天連を切り離すつもりなのかもしれませんが、あまりにも危険な賭けです」
またそれをすれば南蛮を敵に回すことになる。
日本は資源の少ない国だ。
火薬に必要な硝石などは日本では取れない。
貿易にも影響を及ぼし、経済封鎖をされる可能性大だ。
そうすれば第二次世界大戦のように、物量と資源を抑えられれば日本がどれだけ優秀な将兵を抱えていようとも、勝つことは難しいだろう。
「伊達政宗という人物は野心が強く、苛烈な性格を有しており、しかしそれでも上に立つに足る器は持っているようで家臣からの信望は厚いようです。若干20を超えぬ身でありながら、彼ならばと前当主輝宗はそうそうに政宗に家督を譲り、家の舵をを彼に任せました。まあその辺りは先代輝宗の当主を継ぐ際に様々な問題を引き起こしたため、その様なことがないようにという配慮もあったみたいですが、政宗自身にその才を見いだしたからこそ、若くして当主の座を譲ったことは間違いないことでしょう」
史実の伊達輝宗は息子のために尽くした人生だったと言えるほど、政宗に期待をかけていたという。
熱心に政宗を教育し、最後には人質となってしまった自身を、政宗自らの鉄砲で自分を撃つように命じ、その命を散らしたと言う逸話を持つくらいだ。
政宗への期待と愛情は、余人には計り知れないものだったのは、その逸話からも知れるだろう。
「当主となった政宗は、まず奥州の慣習から大なたを振るい始めます。奥州というのは伊達、最上を初めとした政略結婚で周辺諸侯と勢力の拮抗を計っており、戦を始めればどこかから仲裁が入るなどしていたようです。しかし政宗はその血の因習を断ち切り、侵略を開始したのです。その裏には伴天連の助力によって武器弾薬を確保したことを背景にしたものであり、そして連勝を重ねました」
奥州は京から離れた土地であり、鉄砲などは未だ普及していない土地柄である。
そんな中でその価値を把握し、大量の鉄砲を用いて戦略を組めば、侵攻は比較的容易だっただろう。
奇しくもそれは信長が採用した戦略であり、資源や物量の確保の仕方に差違はあれど、似たものを感じさせる。
そしてその効果は俺の知っている通り、信長はその勢力を急成長させ、武田を破るまでに至ったのである。
「そして今、伊達家は一国の力では太刀打ちできないほどの力を有しています。鉄砲により戦場の様相が変わる昨今。おそらく、本当の意味で対抗できるのは織田家だけだと、そう私は判断しています」
そこまで語った景虎は、佇まいを正し、俺をまっすぐに見つめた。
「平手久秀様。実のところ、私はこの事を話した所で、危険性を理解でき、対処ができるのは貴方と信長公以外にいない、とそう考えておりました。故に男装をして貴方に近づき、自分を印象づけ、そして縁を深めたところで側女として貴方と縁を持ち、閨にてその助力を得ようと……そう決意をしておりました」
「――!」
「側室として迎えて戴ければ最上。それが叶わなくとも、いずれ起きる伊達と上杉武田による争いに織田家の助力が得られる切っ掛けとなってくれれば、この身を捧げても惜しくはないと」
そう言って景虎――いや上杉虎は立ち上がりは袴をはだけ、するりと布が床に落ちる。
その下には何も身につけておらず、月明かりの下、その肌の白さが眩しいくらいだった。
表情を紅潮させつつも何も纏わぬ体を隠すことなく月夜にさらし、
「このようなこと、恥知らずと罵られることは覚悟しております。しかし私にはこのように身一つしか持ち合わせておりません。伊達家との争いの際だけでも良いのです。我が上杉武田に助力を戴けるという確約を……どうか我が身と引き替えにお約束して戴けないでしょうか」
その顔には覚悟を秘める目の前の女性。
どのような決意で今ここに佇んでいるのか。
それを考えると無碍に扱うことはできず、俺は深くため息をつき、項垂れるのであった。




