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イェンスとルジェーナ  作者: 如月あい
四章 そして、彼は見守る

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断章≪最期の言葉≫

 アルナウト・ミル大佐が殺された。

 

 またたく間に王城中に広まったその事件は、多くの軍人を悲しみに追いやった。彼は人格者で、有能で、誉れ高きミル家の軍人だった。

 私のような下っ端の兵士にも気さくに話しかけてくれる、そんな人物だった。おそらくほとんどの軍人が彼を尊敬していた。彼の永遠のライバルと呼ばれたヴェーダ家のエドガール・ヴェーダ大佐もまた、彼のことを認め、背中を預けられる相棒として信頼していたのだ。


 彼はどうやって、そして、何故殺されたのか。しばらくの間その情報は錯綜していて、私たちの元には入ってこなかった。

 事件の次の日の職務は、多くの軍人が、制服の上から黒いローブを着用して登城した。喪に服せと命令されたわけでもないのだが、自然とそうさせる人望が彼にはあった。

 どうして彼が殺されたのか。

 私は疑問だった。私だけでなくほとんどすべての人間の疑問だった。

 

 ところが、ヴェルテード王国を驚かせたこの事件は、さらに驚きの展開を迎えたのだ。

 ミル大佐の妻であるユリア・ヴァン・ミルが容疑者として浮上した。

 大佐に夫人がもたせた頭痛薬の中に、悪魔の滴と言う毒薬が混ざっていたのだと言う。


 しかし多くの人間が、この逮捕に疑問を抱いていた。ミル夫妻は仲の良いオシドリ夫婦で有名だった。

 初めは、再調査を依頼する声も上がった。ユリア夫人を庇う声も多くあった。

 ところが、夫人は容疑を肯定もしなければ、否定もしなかった。

 そして、この逮捕に反発した人間は徐々に消えていった。

 何も死んだわけではない。ただ、急に僻地に飛ばされたり、臨時の遠征を命じられたり、国境での軍事演習に参加させられたりということだ。

 ヴェーダ大佐はその筆頭で、彼はユリア夫人の逮捕に強く反対していたのに、急に沈黙し、そして国境での軍事演習の指揮を執った。上からの圧力があったのではと囁かれたが、それもすぐに消えた。

 この事件に関わってはいけない。関われば、王都から遠さげられる。悪ければ、この世からさえも。

 じわじわと広がった恐怖はみんなを黙らせた。

 そうやって全員が黙り込んだのは事件から一ヶ月後。そして、ユリア・ヴァン・ミルは処刑された。

 そう、ユリア・ヴァン・ミルが処刑されたのは、公式には、事件から一ヶ月後ということになっている。


 しかし事実はそれと異なっている。



 事件から一週間後のことだ。

 ユリア・ヴァン・ミルが収監された。

 私は二十四歳で、軍曹だった。士官学校を出ずに、軍隊に入った者としては、悪くない昇級具合である。もちろん士官学校を出ていれば、すでに少尉ぐらいにはなっていただろうが。

 私は警察部隊で、たまたまこの時は牢獄を警備する部隊にいた。要は看守である。そしてなんの因果か、私はユリア・ヴァン・ミルに唯一食事を運んだ人間になった。


 長い艶やかな黒髪を持ち、収監されたばかりだというのに、全く取り乱していない。

 私は彼女の食事をこぼさぬよう慎重に牢まで運ぶと、鉄格子の、食事を運び入れる小さな扉を開いた。

 この牢屋は、食事を入れる場所からしか、中の様子が伺えない。

 その小さな扉から見た彼女は、静かに瞑想しているようだった。

 しかし彼女はとても人を殺すように見えなかった。直接話したことはなかったが、遠目からみてもミル大佐と仲が良さそうであった。それに彼女は薬師として有能で、彼女の薬に命を救われた者も多くいる。

 彼女の誇りでもあろう薬で、夫を殺すなどとこの人が本当に考えるだろうか。


「ミル夫人」


 この牢の側に見張りも他の囚人もいない。此処へ入ってくる入り口に見張りがいるだけだ。しかも彼はやる気がなく、欠伸をしてうつらうつらしながら立っている。


 だから、つい、話しかけてしまったのだ。


「なあに?」


 少し遅れて返事を返した彼女は、私の手元の食事を見て、それから私の顔を見る。淡い紫色の瞳がじっと私の目をとらえて離さない。


「あなたは本当に……ミル大佐を殺したのですか?」


 私は思わずその疑問を口にしてしまって、しまったと思った。

 彼女も少なからず驚いたようだった。しかし彼女はある瞬間、ふっと美しい笑みを浮かべた。

 楽しそうで幸せそうで、満足そうに。しかしその目に激しい感情をチラつかせて。


「娘が真相を明かしてくれるわ。香りは全てを教えてくれるのよ」


 彼女はそういうと、懐に手を伸ばした。そしてあっという間に何かを口に入れた。

 私は何が起きたのか分からなかった。

 しかしユリア夫人が急に苦しげな表情になり、血を吐いたことで事態を理解した。

 体が前かがみになり、それからそのまま地面に倒れていく。彼女の体の動きに合わせて、長く美しい黒髪が宙を舞う。


「ミル夫人!」


 私は食事のトレーが床に落ちて跳ね返るのも構わずに、鍵を取り出し、扉を開けた。

 中に入って脈を取るが、彼女の心臓は既に動いていない。

「何をしている?」

 いぶかしげな声が聞こえて、私はびくりと体を震わせた。そして振り向くと、そこに立っていたのは、エドガール・ヴェーダ大佐だった。

「おい! ユリア! 大丈夫か!」

 ヴェーダ大佐は急いで牢に入ると、彼女の脈を取った。そして脈がないことを確認すると、一瞬、絶望の表情をのぞかせた。しかしすぐにそれは激しい怒りへと姿を変える。

「くそっ! 何があった!?」

 つかみ掛かられそうな勢いで尋ねられ、私は仰け反りながら答えた。

「夫人が! ど、ど、毒を飲んだんです! 僕は、私は、と、とめられなくて……!」

「夫婦揃って馬鹿野郎!」

 ヴェーダ大佐は舌打ちをしたあと、自身の金髪をかきむしり、もうこの世にいない彼らを罵った。そして急に何かを思いついたように目を見開くと、ヴェーダ大佐は叫んだ。

「お前、階級は!?」

「ぐ、軍曹であります!」

「よし、おまえはここにはいなかった。食事は俺に途中で渡して運んでもらった。大佐命令なので断れなかった。こう、証言しろ! いいな!?」


 この時の私には、全くもって何が何だかわからなかった。 

 彼はやる気のない見張りにお金を持たせ、体調を崩して、トイレに行っていたことにしろと命じた。彼は、私が食事を運んだのも、ヴェーダ大佐も見ていないといえと命じられていた。

 すさまじい剣幕かつ迫力で迫られた見張りは、急に目が覚めたようで、こくこくと壊れたおもちゃのように頷いていた。おそらく彼は、お金を渡されなくても指示に従ったに違いない。そのくらいヴェーダ大佐に対しておびえている様子だった。


 そして大佐の指示で、私たちは速やかにその場を離れた。


 そしてその三週間後。ユリア・ヴァン・ミルは処刑された。ということになった。

 三週間前に自殺したことは、世間には知られていない。ここまで来てようやく、私はヴェーダ大佐が私を庇ってくれたことに気づいた。

 大佐は、軍上層部がミル夫人の自殺を隠すと分かっていた。それを知るものは、何らかの形で消されると彼には分かっていたのだ。

 私はユリアの自殺の直後、昇級を経て、警察部隊の違う小隊に配属された。つまり看守の仕事から離れたのである。昇級は、文句を言わせずに異動させるためのものだったのだろう。


 ミル夫人があの牢屋に収監されたことを知っている者は、みな、彼女が生きていることになっている期間、あの牢屋から遠ざけられた。私は理由を知っているが、理由を知らないものは、勘づくことができないような巧妙な異動だった。

 しばらくの間は、とにかく仕事に没頭した。そうしていなければ、彼女の最期の姿が脳裏から離れなかったからだ。もし自分が彼女が毒を飲むのを止められていたら、事態は変化しただろうか。彼女は死なずに済んだのではないか。

 そんな思いが、頭から離れなかった。




 かなり月日が過ぎ、そう、半年ほど過ぎたころ。

 ようやく、事件の衝撃から私が立ち直ったころだ。

 私は、自分だけが、ユリア・ヴァン・ミルの”最期の言葉”を聞いているのだとふと自覚した。そしておそらく、あの一度だけ、彼女は自らの容疑を否定するかのような言葉を発したのだ。

 彼女は娘が真相を見つける、そう言っていた。

 それが本当ならば、彼女の娘はとてつもない闇に対して一人で立ち向かうことになる。噂で、ミル大佐の娘は、大佐の妹の家に預けられたと聞いた。彼女は被害者の娘でありながら、殺人者の娘である。そしておそらくは、母が父を殺したということに納得いっていないはずだ。つまり、軍の上層部にとって、ミル夫妻の娘というのは非常に都合の悪い存在なのである。


 そのことに気づいたとき、私はすぐに行動した。

 大佐の妹の家に赴き、彼女の娘シルヴィアがどのように過ごしているか、確かめようと思ったのだ。


 もし彼女が復讐に燃えていたらなら、止めようと思った。

 ヴェーダ大佐でさえも手が出せなかった事件だ。彼が急に沈黙したのは、おそらく自らの命と真実を追求したい気持ちを天秤にかけたからに違いない。もしかすると、彼自身の命だけでなく、その家族も含まれているのかもしれなかった。


 そんな大きな事件を、ただの素人が追いかけるのは危険すぎる。

 私は、これ以上、ミル家に連なるものが死ぬのを止めたかった。

 たとえそれがエゴイズムであったとしても。


 しかし、私がその家に赴く前に、私の心を折る噂が流れた。彼女の娘シルヴィアが失踪したというものだった。

 失踪。本当に失踪だろうか。

 シルヴィアは殺されたのではないだろうか。そう考えても、私には何もできない。この噂が蔓延しても、ヴェーダ大佐――この時にはすでにヴェーダ少将だったかもしれない――も動かなかった。


 保護者であったミル大佐の妹は、必死に捜索したらしいが、結局見つからなかったらしい。



 



 そして時は流れ、私は何の因果か、あの時命を助けてくれたエドガール・ヴェーダの息子の部下として働いている。

 イェンス・ヴェーダ大尉は、父親と同じく優秀だが、父親以上に公平かつ礼儀正しい人間に思えた。そして自分に厳しい。

 彼は自分の階級が早く昇級しすぎていることに疑問を抱いていたし、階級が下の私にも、年上だからという理由で敬語を使う。

 確かに彼は二十二歳と若いが、大尉として十分な能力を持っている。彼の昇級が、必ずしも彼がヴェーダの名を持つからとは言えない。そう私は思っていた。


 そして……私は、彼女を見つけた。


 ルッテンベルク通りで、自分の上司であるヴェーダ大尉と巡回をしていた時だった。もうすぐ休憩の時間だったので、王城近くの兵舎に向かっている。 

 するとヴェーダ大尉は何かを見つけて、急に走り出した。私は驚いて、彼について行くと、彼は一人の女性をかばうように立っていた。近くの男と何やらもめている。


 彼女の顔はヴェーダ大尉の影で見えないが、長い紫色の髪がぱっと目に入った。時折見かけるあの色は、北方の異部族の血が入っている証らしい。私の曾祖父がその異部族出身だったようで、幼いころに祖父がその話を聞かせてくれた。

 かの異部族は、異常に研ぎ澄まされた身体能力、五感を持っているのだと。だからもし紫の髪の人間を見かけたら、喧嘩は売るなと冗談交じりに教えられたものだ。

 その話は王都に出てきてからは聞いたことがないので、北部特融の迷信か、あるいは祖父の冗談にすぎないのだろうと思っていた。

 しかし実際に紫の髪の人間を見ると、彼女は何か、突出した五感を持っているのだろうかと考えている自分がいた。



 私がそんなことを考えながら近づいている間に、大尉が男を取り押さえた。そしてヴェーダ大尉が何やら女性に怒った様子で問いかけた。

「それとルジェーナ。お前はなんでまた、こんなことに巻き込まれてるんだ?」

 女性はルジェーナという名前らしい。おそらくかなり親しい関係なのだろう。そうでなければ、ヴェーダ大尉は女性相手に苛立ちをぶつけるような人間ではなかった。

「イェンス。その男、橋にいた軍人さんのポケットに、怪しげなものを入れてたんだよ」

「怪しげなもの? ……っておい!」

 ヴェーダ大尉の注意が逸れた瞬間、男は腕を思い切り振った。彼はそれを抑えきれずに、少し後ろに後ずさった。しかし男が落とした短剣だけは奪い返されないように足で踏んづけて抑えた。

 男は短剣を一度見たが、すぐに踵を返して走っていく。通りすがりの人間は何事かと見たが、すぐにまた前を向いて歩き出した。


 この人込みで下手に追走劇をすれば、無駄なけが人がでるかもしれない。


 そう思ったのは私だけではなかったようで、ヴェーダ大尉は再び女性に向き直って話始めた。

 しばらく少し離れたところで黙って話を聞いていたのだが、終わりそうになかった。しかも彼女は好奇心旺盛なのか、あの怪しい男の後を追いかけたいようだ。それをヴェーダ大尉は看破した。

「ヴェーダ大尉、お知合いですか?」

 もしヴェーダ大尉が彼女についていく気であれば、先に戻って休憩を取ろうと思ったのだ。

 そして話しかけて、私は気づいた。


 ”彼女”の娘がそこにいた。


 紫色の長い髪が、さらりと風に揺れた。

 髪の色は違う。しかし彼女の顔は、驚くほどユリア・ヴァン・ミルにそっくりだった。ミル夫人と同じ色の瞳を見た瞬間、彼女が今にも薬を取り出して死ぬのではないかという錯覚にとらわれたほどだ。

「すみません。急に走ってしまって。彼女は知り合いです」

 ヴェーダ大尉の声が聞こえても、私はまだ彼女を見つめていた。彼女は不思議そうに首を少し傾げた。

 私は自分がじっと彼女を見つめていたことに気が付き、そして彼女が生きていることに思わず微笑んだ。

 

「休憩時間は次の鐘が鳴るまでですよ」

「はい。……え?」

 気が付けば、言葉が口からついて出ていた。

「城に戻る前に喧嘩を仲裁していて、休憩時間が取れなかった……。そう、報告書に書いておきますから」

 彼女が望むことは、手伝ってあげたい。そう思った。


 私は彼にそう告げると、その場を離れる。

 彼は知っているのだろうか。ルジェーナと名乗る彼女の素性を。しかし遠目に見ても、彼は相当彼女のことを気にかけているように見えた。

 シルヴィア、あるいはルジェーナは、名前を変えているぐらいだ。母親の意思を継いで、真相を明らかにするために動いているに違いない。

 私はふと、彼女に母親の最期について教えるべきなのではと思った。彼女は、真実を知る権利がある。ユリア・ヴァン・ミルは自ら命を絶ったのだ。処刑されたわけではない。

 しかしいったんはそう思ったものの、私はすぐに首を横に振った。

 彼女にとっては、両親が殺されたと信じている方が幸せなのではないだろうか。幸せという言い方はおかしいが、母親が冤罪を苦に自殺したと知ったら、彼女は一体どんな気持ちになるだろうか。

 それにそもそも、彼女は本当にミル大佐の死の真相について、調べているのだろうか。安全に生きるために名前を変えているだけではないのか。私が余計なことを告げることで、もしかしたら彼女が忘れているかもしれない復讐心に火をつけたらどうする。それで口封じのために殺されたら?


 もし、私の言葉が、ミル夫人のみならず、彼女の娘までも殺すことになったら……。


 私はそこまで考えて、一度息を吐ききった。

 シルヴィア本人が知りたいと思っているのだと確信するまでは、黙っていよう。しかしもし彼女が望むのならば、たとえ私がどうなろうとも、彼女が真相を追求するのに手を貸そう。

 それが私にできる、唯一の償いなのだから。


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