第76話(第二部最終話):転生王子、みなに愛される
世界的にも極めて重要な国際会議が終わり、しばらく。
ネオンは自分の領地で変わらず楽しい日々を送っていた。
"亜人統一連盟"が去った後も開拓は進み、今や飛び地全体が豊かな緑で覆われるほどになった。
領地の開拓指示が一段落したネオンは、オモチたちと戯れる。
『『ネオン~、ネオン~、大好きネオン~』』
「オモチたちは今日も可愛いね~」
ウニネコ妖精の群れに覆われていると、ブリジットのやや硬い声が聞こえた。
「ネオン様、連盟からお手紙でございます」
「手紙? わかった、ありがとう、ブリジット」
「お仕事の時間なので、ウニネコ妖精の皆様はどいてくださいませ」
『『ウニニ~っ!』』
ブリジットに手でかき分けられ、ウニネコ妖精はネオンから剥がされていった。
差し出し人はヴェルヴェスタ。
この頃になると、手紙のやりとりもすっかり定着していた。
連盟及び三大超大国は地道ながら確実に成果を挙げていて、人間と亜人の意見の擦り合わせは順調に進んでいる。
予定より早く、両者の間で草稿がまとまるだろう……とのことだった。
彼女に返事を書いたところで、遠目に土煙が見えた。
どうやら、馬車の一団が急ぎこちらに近づいているようだ。
土煙の立ち具合からも、だいぶ急いでいることが容易に想像ついた。
ネオンは三大超大国の使者か何かかと思う。
「あれ? 馬車だ。三大超大国の人たちかな」
「ええ、どうしたのでしょうね。訪問の予定は聞いておりませんが」
『緊急連絡ウニ?』
連盟や亜人との一件もあって緊張していたが、徐々に馬車の全容が見えるにつれ、ネオンはハタと気づいた。
――アルバティス王国の……紋章?
馬車に刻まれた剣と盾の紋章は、たしかに自分の生まれ故郷であるアルバティス王国の王族専用馬車だった。
父親や双子兄の襲来かと警戒心が増す中、傍らのブリジットも険しい声音で話す。
「ネオン様……」
「うん、みんなに注意するよう伝えて」
馬車はネオンたちの前で止まる。
ゆっくりと現れた人物を見ると、ネオンは思わず目を見開いた。
「ネオン、久しいな」
「! ……ニコラス兄さん!」
現れたのは第一王子、ニコラスだった。
再会の嬉しさそのままに、ネオンは思いっきり飛びつく。
「ニコラス兄さん、お久しぶりです! 元気でしたか!?」
「ははは、私はいつも元気さ」
などと、ニコラスは余裕そうに答えるが、実のところすでに限界を迎えていた。
直に感じるネオンの体温、匂い、感触……。
パズルやぬいぐるみとは比べものにならない、とんでもない刺激だ。
(こ、これが、久しく忘れていた生ネオン……うわあああああああっ!)
あまりの感激に、ニコラスは昇天しかける。
何なら、魂の一部が出かかっていたがどうにか耐えた。
突然、息も絶え絶えとなった兄に、ネオンは心配そうな視線を向ける。
「あの、ニコラス兄さん、大丈夫ですか? お身体の具合が悪いのでは……」
「いや、問題ない。身体も心もすこぶる元気だよ。僕の弟でいてくれてありがとう、という話さ」
「そ、そうですか……元気だったら安心ですが」
「心配掛けてすまないね。……さて、ネオン。この土地の発展具合は素晴らしい。驚いたよ。これは……人類史に刻まれるほどの大変な功績だ」
ニコラスは領地を見渡しながら話す。
彼の視線に映り込むのは、ネオン王国の世界一とも言える豊かな光景だった。
「この土地には想像以上にたくさんの領民がいるんだね。兎獣人にウニネコ妖精、ウンディーネに地底エルフ、幻橙龍にサテュロスが一緒に暮らす土地が存在するなんて……。まるで、信じられないな……」
「みんな、僕と仲良く暮らしてくれています」
ネオンの周りに集まる多種多様な領民を見て、ニコラスは感嘆とした声を出す。
今まで各地の様々な土地や領地を訪問してきたが、これほど色んな種族が豊かに住まう土地は他になかった。
手紙の他、国内きっての大行商人であるティアナを介して話は聞いていたが、想像以上の発展振りに驚きが止まらない。
ネオンがしばらく褒められ感心されると、話は自然と連盟の話題に移った。
「"亜人統一連盟"なんて亜人の巨大組織がある噂は私も聞いてはいたが、三大超大国との間を取り持つのは本当に大変だったろう。君のおかげで、亜人と人間の溝は埋まっていくに違いない。ネオンは人間の新しい時代を作ったんだよ」
「ありがとうございます、ニコラス兄さん。これからの道程の方が大変でしょうが、精一杯頑張るつもりです」
「ネオンがいれば、どんな難題も簡単に解決できてしまうさ」
ニコラスは上機嫌で話していたが、ネオンの隣に立つブリジットの視線が刺さる。
二人は対峙した瞬間、理解した。
ネオンを巡る愛のライバルだと……。
(この女がブリジット……。私のネオンを誑かした張本人か……)
(以前から、ニコラス様はネオン様を見る目が怪しい……。私が守らなければ)
ふと、ニコラスはネオンの左手薬指に嵌められた銀色のリングに気づいた。
小さくも存在感のある銀色のリング。
「……ちょっと待ちなさい、ネオン。君の左手についている"それ"はなんだい? もしかして……結婚指輪ではないだろうね?」
「ええっと、ですね……これはその……」
問われ、ネオンは答えに窮した。
――ニコラス兄さんにはなんて説明しよう。……いや、普通に【神器生成】スキルで作った指輪だと言えばいいか。鑑定と収納能力があると……。
そう伝えようとしたとき。
ブリジットがずいっ!とネオンとニコラスの間に入り込んだ。
「ネオン様の専属メイド兼妻たる私――ブリジットが説明させていただきます。これは"結婚指輪"でございます。ネオン様とともにこの土地に来たとき、私たちは結婚いたしました」
――え、ええっ!?
何か言う間もなく、ブリジットがとうとうと話してしまう。
彼女の説明を聞いた瞬間、ニコラスの魔力は激しく迸った。
「…………結婚? 私は何も聞いていないけどね」
「事後報告となり申し訳ございません、ニコラス様。ですが、してしまったものはもうどうにもできませんので……。寛容に受け入れてくださると光栄に存じます」
ニコラスの殺気がピシピシと顔に当たるのも構わず、ブリジットは淡々と答える。
王国きっての強者たる二人に挟まれたネオンは、しどろもどろに焦るばかりだ。
――ど、どうしよ~。二人が喧嘩したら領地が大変なことになっちゃうよ~。
しばらく睨み合った後、ニコラスはネオンににこやかな視線を戻した。
「ネオン、久し振りに手合わせをしないか?」
「いいですね! ぜひ、やりましょう!」
――よかった! 収まってくれた!
にこりとした笑顔に安心したが、ニコラスの申し出には"とある目的"があった。
その後、領地の開けた空間にみなで移動し、ネオンとニコラスの手合わせと相成った。
ネオンは<神裂きの剣>を構え、兄を見やる。
「ニコラス兄さんと戦うのはいつぶりでしょうか」
「1年と104日8時間3分9秒ぶりだね。言っておくが、手加減は無用だ。僕も本気でやらせてもらう。……【超越者】発動」
――来た! ニコラス兄さんの最強のスキル!
スキルの発動を見て、ネオンの剣を握る手が硬くなる。
――僕の【神器生成】がどこまで通用するのか楽しみだ。
【超越者】は、相手の上位互換の能力を得る力。
厳しい戦いになることは明白だった。
一方、当のニコラスは"とある目的"に胸を踊らせていた。
(ネオンと同等のスキルを手に入れ、僕はネオンにもっと近づく!)
大事な大事な弟を深く愛するあまり、いつしかネオンそのものになりたいとさえ思うようになった。
(もう我慢できない。今日を以て、私は…………ネオンになる!)
そう強く決心した瞬間、ニコラスの頭に無機質で美しい女性の声が響いた。
〔あなたにその権限はありません〕
(…………なに?)
〔制裁を発動します〕
直後、ニコラスの全身を途方もない圧力が襲い掛かった。
「あっ……がっ!」
「ニコラス兄さん!?」
慌てて駆け寄るネオンの顔も見ることさえできない。
指一本動かすことはおろか、呼吸もままならない。
留学中に討伐した、伝説級の古龍のブレス。
あれでもこれほどの威力はなかった。
視線は激しく揺れ動き、耳には猛烈な耳鳴りが鳴り響く。
【超越者】スキルの発動など不可能だ。
ニコラスは直感した。
(これは……死ぬ……)
なぜ、このような状況に陥ったのか不明だが、自分は一分と経たぬうちに死ぬとわかった。 脳裏に走馬灯が走る中、幼少期のネオンに読み聞かせた本の記憶が蘇る。
ある国のある地方のある街に、神である太陽に憧れた少年がいた。
直接会って日々の礼を伝えるため、鳥の羽を蝋で固めて飛び立った。
だが、神に近づきすぎた結果、翼を灼かれて地面に落ちてしまったという。
まさしく、今の自分ではないか。
――ネオンに近づきたいなんて、おこがましいにもほどがあった。ネオンは愛しい弟でありながら、神に等しい存在だったのだから……。だが、ネオンを想って死ねるなら本望だ……。
ニコラスが死を受け入れようと瞳を閉じたとき、ネオンは力強く叫んだ。
「制裁解除!」
ネオンが叫んだ瞬間、今までの苦しみが嘘のように身体が楽になる。
耳鳴りは治まり、深く息を吸うことができ、割れるほどの心臓の鼓動も落ち着いた。
突然の急変に混乱する中、ネオンに抱き起こされた。
「大丈夫ですか、ニコラス兄さん!」
「あ、ああ、私は大丈夫だ……ありがとう、ネオン……」
すっかり平静に戻った兄を見て、ネオンは心底ホッとする。
そのまま、スキルが持つ制裁の力について説明した。
「……というふうに、僕の【神器生成】スキルには制裁の仕組みがあるのですが、どうしてニコラス兄さんに発動されたのかわかりません」
「なるほど。おそらく、私の考えが原因だろうな」
「えっ、なんですか?」
「まぁ、気にしないでくれ。こっちの話さ」
ニコラスには心当たりがある。
ネオンと同じ存在になろうと、同じ場所に立とうとしたことが、スキルの反感を買ってしまったのだ。
――私の宿敵はブリジットだけだと思っていたが違った。【神器生成】スキル……。彼女こそ、ネオンを巡る愛のライバルだったのだ。
ネオンのスキルに激しく嫉妬したニコラスは、もう我慢できなかった。
「決めたぞ、ネオン。私は…………ここに住む!」
「え、ええっ――!?」
「これ以上、ネオンを自分の手の届かない場所に置きたくないいいいい! ネオンは私の物なんだあああああ!」
「二、ニコラス兄さん!? まずは落ち着いてください!」
今まで抑え込んでいた欲求を完全に解放したニコラスは、愛しのネオンに激しい頬ずりをかます。
ギルベールが静観する一方で、ブリジットは厳しい顔でネオンを取り上げた。
「いくら国王陛下と言えども、ネオン様にまとわりつくことは妻として看過できません。そこをどいてくだいませ……あっ! 他の方々も離れてくださいませ!」
「『みんな大好き、我らが領主!』」
瞬く間に、全ての領民が集まり、ネオンは揉みくちゃにされる。
『ご令兄! ネオン殿のグッズの感想を聞かせてほしいラビ! お望みとあらば、いくらでも用意できるラビよ!』
『妾にもネオンを触らせろ! 最近触れていないんだぞ!』
『ネオン殿さんちゃん君様は渡しません! ともにこの土地のおいしいお水を世界中に広めると約束したのですから!』
『ネオンは誰の物でもないウニよ! でも、ぼくとずっと一緒にいるんだウニ!』
『ネオン・アルバティス。お主は本当に稀に見る好かれ者だ』
『この場面を彫刻にするから、もう少しそのままでいてほしいダス!』
「ですから、ネオン様から離れなさーい!」
耐えかねたようにブリジットは叫ぶ。
長閑で平和な光景を見て、スパイ三人は思う。
(あたしが帝国のスパイであることは、ネオンには正直に伝えよう。それが一番な気がする。ネオンにとっても、帝国にとっても、そしてあたしにとっても……)
(正体を明かしても、きっとネオン君なら受け入れてくれる気がする。ボクはもう、ネオン君と真に垣根なく接したいんだ……)
(ネオンさんは誰かが独り占めするような人ではありません。皇帝陛下もわかってくださるはずです……)
わいわいと歓声が空に響く中、静かに思う。
――大好きなみんなに囲まれて、僕は本当に幸せだ……。
ネオンは今日もみなを愛し、みなに愛される――。




