第22話:転生王子、領地を守る
ネオンがエリクサーを渡してから、およそ一週間後。
一時的にブリジットから離れている瞬間、スパイ三人がお礼を言いに来た。
「……ネオン、お前のおかげで帝国の大切な人も健康になったみたいだ。助かったよ」
「連邦に残した大切な人は、病気が完治したらしい。ネオン君は恩人だと、しきりにお礼を言っていた」
「皇国の仲間から、大切な人が無事に快復した旨の報告を受けました。ネオンさんがいなかったら死んでいたでしょう」
ルイザもベネロープもキアラも、揃って「本当にありがとう」と笑顔で礼を述べる。
ネオンもまた、笑顔で言葉を返す。
「いえいえ、僕は自分にできることをやっただけですから。元気になってくれてよかったです」
彼女たちはネオンの言葉を聞くと、胸がきゅんっと心地よく痛むのを感じた。
そのまま、本能に従うように頬を赤らめながら彼に迫る。
「あたしは……お前にお礼をした方がいいと思うんだ」
「奇遇だね、ボクも同意見さ……。ネオン君にお世話になってばかりじゃダメだから……」
「わたくしもそうです……。ネオンさん、希望があったら何でも言ってくださいね……」
三方向から迫られ、逃げることができない。
あわあわとする間に、あっという間に距離が縮まる。
「え……あ、いえ、ちょっと……」
しどろもどろのネオンが完全にスパイ三人に囲まれてしまった、そのとき。
「……何をしているのですか?」
「「ブリジット!」」
モーセの水割りの如く女性の壁が割られ、ブリジットが姿を現した。
すかさず、ネオンは彼女の下に回収され、がっしと力強く抱き締められる。
ブリジットは魔物も殺すほどの、鋭い視線でスパイ三人を睨みつける。
「私のネオン様に何をしていたのですか」
「な、何って、ただお礼をしようとしただけだよっ。何もしてないってっ」
「そ、そうさっ。いかがわしいことをしようとした、みたいに言わないでくれたまえっ」
「へ、変なことは何もしておりませんっ。感謝の意を示そうとしただけですわっ」
スパイ三人の文句兼弁明を聞いた後、ブリジットは左手をすっ……と顔の横に上げた。
「「そ、それは……!」」
「私とネオン様の愛を証明する指輪です。ネオン様の"妻"は私。それだけは忘れないようにしてくださいね。お礼をするなら、離れた場所からしなさい」
「「ぐぎぎ……」」
愛の誓いを見せつけられ、スパイ三人は激しく歯軋りする。
ネオンは彼女たちとブリジットの間をどうにか取り持ちながら、領地の開拓に思いを馳せる。
自分たちと領民の懸命な努力により、今では従来の三倍ほどの領地まで浄化された。
畑だけでなく木々も植樹し始めており、今や地面もふんわりとした草花で覆われ、土地全体もだいぶ緑豊かになっていた。
いずれ訪れるであろうティアナたち"兎獣人"の住居スペースも、無事に確保できつつある。 ネオンは飛び地全域を開拓したいところだが、超大国から見えると困るので、どの辺りまで開拓を進めるか検討する毎日だ。
――領地の発展が三大超大国にバレていないといいな~。この加減が難しい。
実際のところは、バレているどころか国家元首の命をすでに救っているのだが、当のネオンに知る由もない。
そこまで考えたところで、不意にブリジットに腕を掴まれた。
一悶着が終わったらしく、悔しそうなスパイ三人に対してどこか得意げな顔であった。
「さあ、ネオン様。私たちの愛の巣に帰りましょう。あの者たちのせいで汚れた身体を清めなければ」
「ど、どこも汚れてないよ」
「何を仰いますか。とても薄汚れて……ネオン様、こちらに!」
「うわっ、な、なんだぁ!?」
突然、周囲の地面がボコボコと隆起し始めた。
人型サイズのモグラ塚を思わせる、不思議な隆起がいくつも。
土塊を勢いよく弾き飛ばして出現した、その褐色肌の人間たちを見て、ネオンもブリジットもスパイ三人も領民も同時に驚きの声を上げた。
「「エ、エルフ!?」」
その数、およそ三十人。
みな輝く金色の髪と瞳を持ち、軽装鎧と剣や槍で武装している。
ネオンは突然の来訪者に怖じ気づきながら、傍らのブリジットに話す。
「も、もしかして、お客さんかな……? それなら、おもてなしした方が……」
「いえ……どうやら違うようです。ネオン様も戦闘態勢を……!」
ブリジットが剣を構えると同時に、最も意匠の豪華な服を纏ったエルフが腰の剣を引き抜き叫んだ。
『我らは地底エルフ! 人間どもに奪われた土地を奪い返しに来た!』
「え、えええ~!?」
『攻撃開始!』
ネオンの叫び声など聞こえぬように、地底エルフたちは剣を抜き、槍を構え、杖をかざし、領民への攻撃を開始する。
最初は混乱した者のネオンは領主として、すぐに頭を切り替えて領民に呼びかけた。
「襲撃です! 防衛体制をとってください!」
「「了解!」」
領民たちは即座に神器――〈神裂きの剣〉を構える。
ネオンが全員分、用意してくれたのだ(もちろん、ブリジットも持っている。毎日愛でている)。
無論、制裁対象からは外されている。
それぞれのリーダーの下、迅速に地底エルフの迎撃を始めた。
ルイザ、ベネロープ、キアラの指示が飛び交う。
「おい、お前ら! ネオンには指一本触れさせるな!」
「ネオン君のおかげで今の僕たちがいるんだ!」
「わたくしたちの力を見せつけてやりましょう!」
瘴気病から命を救ってくれ、自分たちのために毎日懸命に土地を開拓してくれているネオンを守る。
それが何よりの活力となった。
「「領地を……そして、ネオン様を守るんだ!」」
『『な、なんだ、こいつら……やりおる!』』
不意打ちで生まれた地底エルフの有利を、領民たちは瞬く間に押し返す。
領地に侵入してきた小型や中型の魔物を討伐することはよくあったが、組織的な戦いは飛び地に来て初めてである。
ネオンは領民の統率が取れた戦い方に、内心驚嘆する。
――本格的な戦闘は初めてなのに、みんな本当に強い……!
彼らはスパイとしての特殊な訓練を受けてきたので、当たり前といえば当たり前である。
ネオンも戦闘に参加しようと瞬間、前後を二人の地底エルフに囲まれた。
『この少年が領主か!』
『子どもでも容赦はせんぞ!』
少なくとも、上級の実力はある手練れだった。
ネオンは焦ることなく、愛刀の<神裂きの剣>を構える。
「ブリジット、背中をお願い」
「飛び地に来たばかりの頃を思い出しますね。なんだか、懐かしいです」
互いに小さな微笑みを交わした後、力強く地面を蹴った。
先に敵に到達したのはブリジットだ。
目の前の地底エルフは屈強な男であり、巨大な槌を振りかぶる。
『我らの土地を返せ!』
「ここは過去も未来も現在も、ネオン様の土地でございます!」
ブリジットは鍛え抜かれた膂力を剣に乗せ、槌を弾き返す。
地底エルフは一瞬バランスを崩されるが、すぐに体勢を整えた。
むしろ、弾かれた勢いを利用して槌での連撃を放つ。
『俺たちの怒りを知るがいい……<激甚破>!』
強力な一撃を、ブリジットは剣で受け止める。
衝撃で足下の地面が大きく抉れた。
「あっ! ネオン様の土地を破壊しましたね! 許しません……<火焔纏>!」
『熱っ……!』
真っ赤な炎が剣を纏い、地底エルフが持つ金属製の槌は瞬く間に高温となった。
熱さに思わず力が緩んだ瞬間を狙い、ブリジットは全身の膂力を足と手に集める。
「<三閃の舞>!」
『……ぐあああっ!』
三つの剣筋が宙に煌めくや否や、槌使いの地底エルフは地面に崩れ落ちた。
ブリジットが敵を倒した、ちょうどその頃。
ネオンも己の敵と激しい戦闘を行っていた。
『子どもの人間ごときに負けるかー! ……<光弾連波>!』
直径30cmほどの光弾が、無数にネオンに襲い掛かる。
敵は魔法使いの地底エルフ。
先ほどから、手数の多い魔法で近づけさせない戦法を取っていた。
ネオンは遠距離の波状攻撃を凌ぎつつ、懸命に距離を縮める。
――今までの訓練を思い出して、領地を……みんなを守る!
心にあるのは、その強い思いだけだった。
<神裂きの剣>を握り締め、目の前を塞ぐ五発の光弾を切りつける。
「<影斬り>」
『! この少年、ただ者ではない……!?』
敵の死角から喰らわす斬撃の嵐。
神話級の剣で切られ、瞬く間に光弾は消失する。
ネオンはそのまま剣に注ぎ込んだ膨大な魔力を衝撃波として、勢いよく敵に放った。
地底エルフは咄嗟に防御魔法を展開する。
『<硬防壁>!』
魔力が凝縮された、紫色の防壁が展開される。
超上級の魔法でも防ぐほどの硬度。
だが、神話級の剣から放たれた魔力の濁流は、防御壁を簡単に砕く。
『なん……だと!?』
「<流麗>!」
懐に入ったネオンは水が流れるように剣を振るい、敵の杖を切り捨てた。
衝撃を受けた地底エルフは、ネオンの強さに驚愕する。
『我が人生に……一片の悔い無し……』
そんな消え入るような呟きを残して、地底エルフは気絶した。
地面に崩れ落ちると同時に、ブリジットがネオンの元に駆け寄る。
「お見事です、ネオン様。日々、剣術の腕前が上達されてますね」
「ブリジットの訓練のおかげだよ」
周りの状況を見ても、概ねこちら側の優勢に傾きつつあった。
この調子なら危機を乗り越えられるぞと思ったとき、地底エルフの声が轟いた。
『そこまでだー! 妾に注目ー! こっちを見ろー!』
ネオンから数十mほど離れた場所で、キアラが一人の地底エルフに捕まっていた。
最も意匠が豪華な、あのエルフだ。
『妾の名はジャンヌ、地底エルフの主である! 動くのをやめなければ、この女の首を切り落とすぞ! 女の切り落とし肉が欲しくなかったら、今すぐこの土地を明け渡すんじゃー!』
ジャンヌはキアラの喉元に短剣を突きつける。
キアラの戦闘能力はそれほど高くない。
せいぜい中級くらいだ。
無論、本人もよくわかっている。
それゆえ、乱闘が始まったらすぐに離脱したのだが、運悪く最も強い地底エルフに捕まってしまった。
(くっ……わたくしのせいで皆さんが……ネオンさんが危機に……!)
キアラは懸命に振り解こうとするが、ジャンヌの腕は強く身動きが取れない。
喉元に食い込む短剣に、死の恐怖が色濃くなる。
(わたくしは……ここで死ぬのでしょうか……)
重篤な瘴気病に陥ってから、二度目の死の恐怖。
前回よりもさらに恐怖は強く、キアラの心身を締め付ける。
そんな彼女を見て、領地には静けさが舞い戻った。
ジャンヌは周囲に視線を巡らしながら、厳しい声音で呼びかける。
『おい、全員武器を捨てろ。さもなくば、この女の喉を切り裂く!』
「「……っ!」」
領民は渋っていたが、ネオンは剣を捨てながら彼らに語りかける。
「みんな、武器を捨ててください。ここは言う通りにしましょう」
全員が武装解除すると、ジャンヌはニヤリとした笑みでネオンに言う。
『そこのガキ領主。お前はこっちに来い。お前の命と引き換えに、この女の命は見逃してやる。他の人間どもは動くんじゃないぞ。他のヤツらが動いたら、女は殺すからな』
ジャンヌの目は重く澱んでおり、わずかな刺激を与えるだけでキアラの命が危なくなることは容易にわかった。
――たとえ不利な状況でも、キアラさんは絶対に助ける……!
強く決心して歩き出すと、ブリジットが悲鳴に近い叫び声を上げた。
「ネオン様!」
「大丈夫。みんなはここにいて」
誰も何も話さず動かぬ中、ネオンだけはゆっくりとジャンヌに近寄る。
彼女の身体を覆う魔力は非常に密度が濃く、少なく見積もっても超上級の実力はあると認められた。
目の前に立つと、ジャンヌの瞳が一際鋭くなる。
『妾たち地底エルフは、元々この土地で暮らしていた。じゃが、人間どもが撒き散らした瘴気のせいで、地下深くまで退避せざるを得なかったんじゃ。耐え忍ぶこと、およそ数百年。ようやく地上の瘴気が弱まったことが確認できた』
「そうだったんですか。実は、僕たちが……」
『誰が口を開いていいと言ったー!』
ネオンは事情を説明しようとするが、キアラの首元に短剣を突きつけられ、慌てて言葉を飲み込んだ。
『満を持して地中から観測すると、人間の存在を認識した。おおかた、瘴気が弱まったのを機に、領土を広げようとしたんじゃろう。このようなガキに妾たちの土地が奪われるかと思うと、非常に憎らしい。その命を持って、誇り高き地底エルフに謝罪の意を示すんじゃー!』
キアラの喉元に突きつけた短剣を、ネオンに対して振りかぶった。
ブリジットが全力で走り出そうとした瞬間、ネオンは全身に魔力を巡らせる。
「それでも……僕の大切な仲間は僕が守ります! <神器生成>!」
白い光が輝いた後、頑丈な盾がネオンの前に生み出された。
<封じの盾>
等級:神話級
能力:神話級以下の攻撃を防ぐ強固な盾。敵の攻撃を反射させることができる。
ガギンッ!という重い音とともに、短剣を弾き飛ばす。
短剣が宙を舞うと同時に、ジャンヌの全身を激しいショックが襲った。
『な、んじゃ……この衝撃は……!』
立つことさえできず、ジャンヌはくたりと地面に膝をつく。
キアラは涙ながらにネオンの下に駆け寄った。
短剣を突き付けられてはいたが、身体は無傷なことがわかる。
「ありがとうございます、ネオンさん! あなたのおかげで命が救われました!」
「お怪我がなかったようで良かったです。さあ、念のため僕の後ろに」
ネオンがキアラを腕で庇うと、負けを確信したジャンヌは苦しげな声と表情で語り出した。
『くっ……殺せ! 恥を忍んで生きるのならば、むしろ殺してもらった方がいいんじゃ!』
「殺しなんてしません。ただ、領地を襲ったことはよくないことなので……」
『ああもう、負けじゃー! 妾の負けじゃー! 妾は地底エルフの主を失格じゃー!』
「あ、あの、ちょっ……泣かないでくださいっ」
ジャンヌは人目も憚らず、わいわいと泣き叫ぶ。
他の地底エルフたちもまた、彼女と同じように涙を流す。
――な、なんで、みなさん泣いているの!?
ネオンは突然の事態にしどろもどろだったが、彼の隣に合流したブリジットは喧噪に顔をしかめる。
「騒がしいですね。切り捨てますか? ただでさえ、ネオン様の命を脅かそうとしたわけですから」
「いやいや!」
ネオンはこほんっと咳払いすると、ジャンヌの前に跪いた。
「あの……ジャンヌさん。どうか、落ち着いて聞いてください。僕たちは瘴気に汚染された土地を開拓しているんです」
『…………なに?』
ジャンヌの疑問に思う声が宙に消える。
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