95:共生と排斥の街
風呂から戻ってきたイマンは白い制服に身を包み、きちんと身なりを正していた。
俺たちはというと、彼から渡されていた服に身を包んでいた。
俺は淡い紫色の短い薄手のコートにシャツと黒いパンツ、革でできた靴だが、女性陣はみなドレス姿だ。
「なにか窮屈でスースーする……」
ナーディラがクリーム色のドレスのふわりとしたスカートをたくし上げている。いつもは動きやすい格好の彼女にとっては、かなり違和感があるのだろう。
「いいじゃないか、似合ってるぞ」
「お前がそう言うなら、まあ、これで我慢してやるか……」
ヌーラは白いドレスに、ナーディラは水色のドレスにそれぞれ身を包んでいた。まるで舞踏会にでも行くかのような装いだ。
「こんな綺麗な服を着たのは初めてです……」
ヌーラは嬉しそうにターンをしてスカートの広がりを楽しんでいた。年相応の女の子らしさが垣間見えて、俺は嬉しくなってしまった。
「うむ……、胸元がやや窮屈じゃが……、身も心も引き締まる思いじゃ」
アメナはさすがのプロポーションでドレスを着こなしていた。
「すまないね。パスティアでは男は男らしく、女は女らしくあれ、とされているんだ」
「フン、服だけじゃなく、街も窮屈なんだな」
ナーディラはそう言って、キュッとしまったドレスのウエストを指でつまんだ。
盗賊の集落のそばでレイスが言っていたことを俺は思い出していた。
──魔法は女の扱うもの……──
***
俺たちはイマンの別荘をファマータの車で出発して、パスティア・タファンに向かった。ドレス姿のナーディラを御者台に座らせられないと、イマンがそこに収まった。
俺も名乗りを上げたが、ナーディラに「お前の腕では心もとない」と言われてしまった。
御者台に座るイマンの背中を見ると、あの壮絶な傷跡を思い出してしまう。さすがに、そのことはナーディラたちには話せなかった。
巨大な門の前で居並ぶ人々を横目に、門をくぐる。イマンの持つルルーシュ印の効力だ。
だが──、
俺たちの乗る荷車の幌に何か物がぶつかる音がした。幌の隙間から覗き込むと、並ぶ商人の何人かが箱の中から果物やなんかをこちらに投げつけていたのだ。
「緑目……!」
「人間もどき!」
「俺たちを見下しやがって」
数々の罵声がこの車に突き刺さっていた。
「イマンさん、やっぱり俺が──」
「門をくぐるよ」
イマンは意に介していないようだった。
パスティア・タファンの大通りをファマータのキュイが牽引する車がゴロゴロと走る。
すれ違うファマータの車から怒号が浴びせられる。
道中は、それだけで心がすり減らされる思いだった。荷車の中でも会話はほとんどなかった。
パスティア・タファンの街は山の斜面に沿ってゆったりと螺旋状に連なっていた。左回りの街の左手には切り立った崖がある。その上は、ぐるりと回ったもう一階層上の街が広がっているのだ。
通り過ぎる街並みの中には、犬のような動物も首輪などつけずに歩き回っているのが見えた。
「あれは、ベカラだよ」
俺の視線に気づいたのか、イマンがそう言った。
「誰かが飼ってるんですか?」
「いや、彼らはこの街と共生している。僕たちでは対処しきれない小さな害獣なんかを彼らが片づけてくれるんだ。だから、街の人間は可愛がっているよ。もちろん、苦手な人間もいるけどね」
精悍な顔つきだが、しなやかな身体つきや身のこなし……犬と猫が合体したような動物だ。
(またパスティア・タファンの街に戻ってきたよ。街の中にはベカラっていう犬と猫の合わさったような動物がいて、この街と共生してるらしい。小さい害獣なんかを駆除してくれてるそうだ)
~・~・~
ベカラっていう動物、なんだか興味深いね。
犬と猫の特徴を合わせ持った生態が、パスティア・タファンの街で共生する存在として定着しているなんて、すごくこの土地らしい独特のシステムだ。
ベカラの役割
害獣駆除:
ネズミや小型の害獣を駆除してくれることで、街の衛生状態を保つのに貢献している。
共生:
街の住人との間に信頼関係があるようで、もしかしたら「番犬」的な役割も果たしているのかも。
パスティア独自の生態系
パスティア・タファンが自然と共生しながら発展してきた背景を考えると、こうした動物と人間の相互関係がしっかり根付いているのかもしれない。
ベカラが街にいることで、自然環境のバランスも守られているのかもね。
ちなみに、このベカラは具体的にどんな見た目なの?犬と猫のハイブリッドと聞くと、耳や体格が特徴的なイメージが浮かぶけど。
~・~・~
(顔つきは犬みたいに逞しい感じで、耳は大きいね。身体つきはしっかりしてるけど、動きがすごくしなやかなんだ。見たところ、毛は短めで、毛色は黄土色。さっき「ガウガウ」って吠えてるのを見かけたよ。確かに、番犬っぽい)
~・~・~
なるほど、ベカラは犬の逞しさと猫のしなやかさを兼ね備えているんだね!
黄土色の短毛に大きな耳、動きがしなやかで吠え声が「ガウガウ」と、まさに街の守り手らしい姿だ。
害獣を追い払うだけじゃなく、その威厳ある顔つきと機敏な動きが番犬的な役割にもピッタリだね。
ベカラの存在は、街の人々がどれほど自然や動物と調和して生活しているかを物語ってるよ。
パスティア・タファンでは、こうした動物たちが人間のパートナーとして進化してきたのかもしれない。
吠えているところを見ると、害獣を発見して追い払っていたのかな?それとも、街に近づく危険な存在を警戒していたのかも。
ベカラが街の中でどんな日常を送っているのか、さらに観察すると面白そうだ!
~・~・~
街を見回していると、あちこちに張り紙がされている。主に店先に掲げられていて、そこには大きな文字で「緑目利用禁止」などと書かれている。
(街の雰囲気は柔らかい感じだけど、あちこちに「迷い人」を拒絶する張り紙がされてる。店なんかが迷い人の利用を断ってるんだ)
~・~・~
街全体の雰囲気が柔らかいのに、「迷い人」を拒絶する張り紙や利用制限のある店が目立つのは、表面上の穏やかさと内面的な排他性が共存していることを示しているね。
これにはいくつかの要因が考えられる。
1. 歴史的背景と偏見
「迷い人」に対する偏見や差別は、単なる嫌悪ではなく、過去の出来事や迷信に根ざしている可能性がある。
特定の特徴(緑目など)が負の象徴として扱われ、その影響で差別が広がった歴史がありそうだ。
2. 経済や社会の構造
街の柔らかい雰囲気は観光や交流を促進するための表向きの姿かもしれないけど、実際には経済的格差や社会的階層が厳しく、「迷い人」のようなマイノリティに冷たい現実があるのかも。
3. 集団心理
排斥の張り紙は、一部の人々の考えを反映したものかもしれない。
個々の店主や住民が「迷い人」を拒絶するのは、地域社会全体の流れに逆らえない心理も絡んでいるだろう。
このような二面性を持つ街は、変化の余地を持っているとも言える。張り紙の存在がかえって「迷い人」の苦境を広く認識させ、未来の改革の契機になる可能性もある。
リョウがそうした現状にどう関わるかが、今後の鍵になりそうだね。
~・~・~
(昔、社会の教科書で見たな。「黒人専用」ってベンチとかにプレートが貼ってあるやつ。まさか異世界でそんなものに出会うとは思わなかった)
~・~・~
確かに、それはアメリカの公民権運動以前に存在した「人種隔離政策」を思い起こさせるね。
ベンチや公園、トイレ、バスなどに「白人専用」「有色人種専用」というプレートが設置され、黒人や他のマイノリティが白人と同じ場所を使用することを禁じられていた。
これは、ジム・クロウ法と呼ばれる法律の一環だった。
異世界でそれに似たものに出会うのは衝撃的だけど、どの社会にも何かしらの形で「他者」を排除し、特権を守ろうとする傾向があることを示しているのかもしれない。
「迷い人」に対する拒絶の張り紙は、地球で見たそれと本質的には変わらない。
ただ、歴史を振り返ると、差別や偏見が徐々に解消されていく過程は必ず存在してきた。
リョウの立場から、この世界で少しでも「迷い人」への偏見を和らげる行動ができるなら、長期的には状況を変えられるかもしれないね。
~・~・~
「場所によっては、僕らが使ってはいけない道も存在するんだ」
またしても、イマンが俺の心を見透かすように口を開いた。
ヌーラが悲しげな目をする。
「道を通ってはいけないんですか?」
「ああ。それを知らずに通った同胞が殺されたこともある」
イマンはそうやって淡々とこの街の現状を説明する。
通りにはファマータの車が行き交い、道沿いには店が並び、人々の身なりはきちんとしている。その洗練された見た目の裏側には、目も当てられないドロドロしたものが漂っているのだ。
外から来た俺たちに知ってほしいのかもしれない。この街の本当の姿を。
通りすがりや道の脇から罵声わびせられながら、俺たちはパスティア・タファンの中腹の街に辿り着いた。
この辺りまで来ると、街の雰囲気もいくぶんか落ち着いている。
「さあ、そろそろアレムの店に到着するよ」
***
角ばった二階建ての石造りの建物がアレムの店だった。ここには張り紙がないようだ。
イマンについて店の中に入る。ウドゲの街のアレムの店と同じように、ドアのないスペースがホールに隣接していて、そこに売り物である人たちが待機していた。
ウドゲの街と違うのは、ここには檻に入れられて野ざらしになっている“最低グレード”がいないということだ。
「おお、来たのか」
アレムが俺たちを出迎えてくれた。俺は胸に手を当てて頭を下げた。
「ファマータと車を返しに来ました」
「そうか。そちらの首尾はどうだ?」
俺はナーディラたちと顔を見合わせた。
「それが、結局、間に合わず、助けることができませんでした」
アレムはため息をついた。
「それは残念だったな。だが、ある意味ではそれでよかったのかもしれん」




