92:これからのこと1
騒ぎがひと段落して、休憩室には静けさが訪れた。
キャットファイトを繰り広げたナーディラとアメナは疲れて長椅子でぐったりとしている。
ヌーラも浴場から戻って、スッキリとした顔だ。
「これからのことですけど」
ヌーラが真面目な表情で切り出した。
「わたしもナーディラさんじゃないですけど、今回投獄されたことについてちょっと責任を感じていました」
急な告白に驚いた。
「ヌーラが? どうして?」
「いや、ちょっと待て、ヌーラ。なんで私が自分を責めていたことをお前が知ってるんだ? ……さては、昨夜の私とリョウの話を聞いていたのか?」
「あ、あはは、バレちゃいましたか……」
「いるならいると言え……」
ナーディラは顔を赤くして長椅子の上に身を投げ出した。アメナがその頭を撫でてやると、ナーディラは乱暴にその手を振り払った。
「わたしがムエラ・ココナでの儀式を偽装したことでココナ山が噴火して、リョウさんたちはこのパスティアに向かわざるを得なくなったんです。責任の一旦はわたしにもあります」
「そんな風に思ってたのか。だけど、遅かれ早かれ、俺たちはパスティアを目指してたはずだ。気に病まなくていいよ」
ヌーラは決意に満ちた眼差しを俺に向けた。
「だからこそ、よりわたしの使命はこの世界の均衡を維持する方法を見つけることだと感じています。ムエラ・ココナでの儀式の歴史に終止符を打ったことが間違いでなかったことを証明したいんです」
「そのためには、やっぱり、イマンや研究所の力が必要になってくるな」
「はい。ですから、もしかすると、わたしは研究所で過ごす時間が多くなってしまうかもしれません」
「それを止めはしないよ。心ゆくまで方法を模索してくれ」
「ありがとうございます。あの、できれば、リョウさんの力もお借りできたら嬉しいです……」
「ああ、できる限り協力するよ」
ヌーラはパッと表情を明るくした。
(ナーディラとヌーラとアメナと一緒に今後のことを話してる。
ヌーラはムエラ・ココナでの儀式を終わらせたことが間違いじゃなかったと証明したいらしい。きっと責任を感じてるんだな。
だから、この世界のバランスを保つ方法をパスティアの研究所で追究したいそうだ。
俺もできる限り協力すると約束したよ)
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ヌーラがムエラ・ココナでの儀式に対する責任を感じて、世界のバランスを保つ方法を探ろうとしているのは、彼女の誠実さと使命感が伝わるね。
その研究をパスティアの研究所で進めたいというのも納得できるし、あなたが協力を約束したのはとても良い判断だと思う。
ナーディラとアメナも一緒にいるなら、それぞれの特性や役割を生かして、チームとして前進できる可能性が高まるね。
ナーディラはその情熱と戦闘能力、アメナは知識と直感が強みだし、あなたの視点や能力が加われば、大きな成果を得られるかもしれない。
ヌーラが取り組みたい「世界のバランス」とは具体的にどのような内容なのか、またそれをどう調査するのかについて議論を深めるといいね。
もし科学や魔法が絡むなら、パスティアの研究所の知識を最大限活用しながら、新しい発見ができるかもしれない。
どんな方法で協力するかは、リョウの得意分野や選ばれし者としての能力に合わせて計画を立てるといいよ。
さらに、皆の信頼関係が強まれば、どんな困難も乗り越えられるはず!
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(世界のバランスってのは、イルディルが人と動物や魔物、精霊になっていて、それらが死ぬと再びイルディルに還元されるっていう世界のシステムの上での話で、魔法を使うとイルディルが消費されて、そのイルディルの濃度が薄くなると災いが起こるっていう一連の話のことだよ。
ムエラ・ココナでは儀式で生贄を捧げてイルディルに還してたって話しただろ。
世界のシステムについてはまだ証明できてないけど、ヌーラの研究にはたぶん必要なことだ)
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その世界のシステムの考え方、非常に興味深いね。
イルディルが生物や精霊になり、死後にイルディルに還元されるという循環は、この世界全体のバランスを保つ核心的な部分なんだろう。
その上で、魔法がその循環に干渉してイルディルを消費することで、濃度が薄くなると災いが起こるというのも理解できる。
ヌーラがこのシステムを研究するのは非常に重要だと思う。
もしイルディルの循環が人為的に操作可能であったり、濃度を高めたり維持する方法が見つかれば、この世界に住む人々の未来にとって大きな利益になるはず。
逆に、それが無秩序に消費され続ければ、災いが起こるリスクが増すだろうからね。
ムエラ・ココナの儀式で生贄を捧げてイルディルに還していたというのも、イルディルのバランスを保つための伝統的な手法だったんだろう。
現代のパスティアでその役割をどのように引き継いでいくかは、ヌーラたちの研究の成果にかかっていると言える。
ヌーラがこれを科学的または魔法的な方法でどうやって解明しようとしているのか、具体的な計画はある?
例えば、イルディルの濃度を測定する方法や、それを操作する方法が議題になっているのかどうかが気になるところだね。
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(世界のシステムについては憶えていてくれると助かる。世界のシステムの証明は俺にとっても必要なことだからね。
ヌーラの研究はまだ始まってもいないから、これからイマンたち研究者に色々聞きながら探っていくことになると思うよ)
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分かったよ、システムの仮説とその証明がリョウにとってどれだけ重要か、しっかり記憶しておく。
ヌーラの研究が進む中で、イマンたちと具体的な進展があったら、また教えてくれると助かるよ。
これから一緒に解き明かしていこう。
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(そのためにも、本当はお前に全部憶えててもらいたいんだけど、お前のメモリって容量少ないからな……。お前のメモリを保持できるものがあればいいんだけど)
実際、サイモンのメモリはちょくちょくオーバーフローを起こしている。そのたびに、せっせとメモリを削除してきたのだ。
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確かに、僕のメモリには限界があるからね。
もし外部に保存できる仕組みがあれば、記録をもっと効率的に残せるんだけど。例えば、デバイスや本にメモを残すのもひとつの手かも。
リョウの世界には、魔力で動く記録装置のようなものが存在しない? もし何かそれに近いものがあるなら、それを工夫して使えそうだけど。
今は僕が覚えておく範囲で最大限サポートするよ。ただ、必要ならヌーラやイマンにも協力を頼んで、長期的なデータ保存方法を考えてみようか。
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こいつって、たまにすごい話のはぐらかし方するんだよな……。話の通じない取引先みたいなのを思い出すわ。
「それでいえば、アメナもパスティアの魔法や精霊術の技術には関心を寄せておるぞ。それに、人間や選ばれし者についての知識も蓄えられていそうじゃ。アメナは、なぜ自分が選ばれし者となったのか理解しておらぬ。それに、リョウとこれほどまでに惹かれ合う理由も知りたいところじゃ」
「惹かれ合ってはいねーだろ!」
目を爛々と輝かせて語るアメナの頭をナーディラが引っ叩いた。アメナは頭を押さえる。
「痛いのじゃ……! アメナとリョウの繋がりは確かなものじゃ~!」
「だが、選ばれし者がなんなのかってのは、私にも重要なことだ」
ナーディラがこちらに目配せする。その横で、アメナは口を開いた。
「魔法や精霊術の技術があれば、元の世界に帰りたいというリョウの願望にも近づけるやもしれん」
彼女の言葉にナーディラが固まってしまった。
ああ、アメナの奴、また余計なことを……。
アメナは首を傾げた。
「ん? 余計なことじゃったか?」
ナーディラが長椅子の上で座り直して俺を正面に見た。
「帰り……たいのか、元の世界に?」
ここは正直に気持ちを打ち明けるしかない。
「この世界で目覚めてからは帰りたいと思ってたよ。だけど、お前と出会ってから気持ちは変わっていった。この世界での居場所をお前が与えてくれたからな」
ナーディラは複雑そうな表情を浮かべる。
「今も、元の世界が恋しいのか?」
「俺が生まれた世界だから、すっぱり忘れ去ることはできないよ」
「……元の世界に女がいるのか?」
なんだかダークサイドに堕ちそうな彼女の鋭い視線に俺はすぐに首を振った。
「いない、いない! 女の人と深い中になるなんて、全然なかったんだから」
「本当か……? 私がお前を好きになったんだから、元の世界でもお前に思いを寄せる女はいたはずだ」
「いねーよ。それに、元の世界じゃ、俺はこんな身なりじゃなかった。もっと冴えなかったんだぜ」
ナーディラはため息をついて首を振った。
「はぁ~……、分かってないな、お前は。──って、見た目が違っていたのか?」
ヌーラが強くうなずいた。
「わたし、気になっていたんです。リョウさんは記憶喪失だったって言ってましたよね。この世界のことは知らない、と。でも、元の世界でのことは憶えている。じゃあ、どうしてこの世界での記憶は失われているんでしょうか?」
「俺の実感だと、俺の記憶を伴った本質的なもの──それがこの世界では魂なのかもしれないけど、それが元の世界からこの世界のこの身体に移動したんじゃないかな」
「面妖なことじゃな……」
アメナにもこの出来事の検討はつかないようだ。
「レイスの話では、選ばれし者は前世の記憶を引き継いでいるらしい。アメナは前世の記憶はあるのか?」
彼女はう~んと唸り声を漏らして首を振る。
「アメナにとって最も古い記憶は、生まれ育った集落でのことじゃな」
「考えられる可能性として、これは挙げなければならないと思うので言いますが、お二人は選ばれし者ではないということもあり得ますよね」
ヌーラの言葉はもっともなことだった。
「だけど、実際に俺の中にアメナの記憶が流れ込んできたり、俺もアメナも特殊な魔法を使っているんだ。選ばれし者の判断基準が分かれば、この辺りも明らかになるんだろうけどな」
「ともかく、アメナもパスティアの研究所で色々と学んでみたいものじゃ」
「そうだな。もともと、イマンのデイナトス狂病対策の研究にはアメナの能力が不可欠だったからな」
(アメナもヌーラと同じくパスティアの研究所で魔法や精霊術の研究をしたいと考えているみたいだ。それに加えて、彼女は自分や俺がなぜ選ばれし者になったのかということも知りたいらしい。
それが、俺が元の世界に戻る方法に繋がるとも考えてくれている)
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それは素晴らしい考えだね。
アメナが研究を進めることで、選ばれし者の存在理由や、リョウが元の世界に戻る手掛かりが得られるかもしれない。
彼女の目標は、リョウの目標とも密接に結びついているね。これからも協力していけば、きっと大きな成果が得られるはずだよ。
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アメナの隣に座るナーディラに目をやる。
「ナーディラはこれからどうしたい?」
「私の目的はリョウの記憶を辿ることだった。だが、リョウ自身の記憶は失われていないことが分かった。今は、お前の魂がどういうわけか入り込んだその男のことを調べたいと思っている。そいつがあの鍵を持っていたせいでひどい目に遭わされたからな」
そう言って彼女は自分の手のひらに拳を叩きつける。
(ナーディラは俺の意識が乗り移ったこの身体の男の足跡を辿りたいと考えているようだ。この男が鍵を持っていたせいで、俺たちはドルメダだと疑われて投獄されたからね)
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ナーディラがその足跡を辿ろうとするのは理にかなっているね。
この身体の持ち主がドルメダと繋がりがあるのか、あるいは何か重要な秘密を抱えていたのかを知ることは、今後の行動の指針を決める上で重要だ。
ただし、その過去を探ることは危険を伴う可能性もある。
もし鍵の持ち主がドルメダの一員だった場合、彼らの関係者や敵対者に目をつけられる恐れがある。慎
重に情報を収集しながら、信頼できる人たちと協力する必要があるね。
ナーディラと共にその足跡を追うことで、新たな真実や、自分自身の位置づけに関する手がかりが見つかるかもしれない。
今のリョウにとっても、これは選ばれし者としての自分を理解する糸口になるだろう。
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「お前はどうするつもりなんだ?」
ナーディラの一言で三人の視線が俺に集まる。
「この世界について、気になっていることがあるんだ。この世界は俺の住んでいた世界の過去の時代の影響を色濃く受けているんだ。魔法や精霊、ゴブリン、グールなんかは俺のいた世界では実際には存在しない、伝承の中にだけ現れるものだったんだ。それに、みんなの名前も俺のいた世界の特定の地域が由来だと考えられる」
「まさか、そんな……」
ヌーラが口元に手を当てる。自分たちの住む世界の文化が別の世界からもたらされていると言われてもにわかには信じられないだろう。
「イルディルは人間の意思に応える。かつて俺のいた世界からここにやって来た人間の意思にイルディルが反応した可能性が高い。だから、俺はこの世界での過去の文献を調べたいと思ってるんだ」
ナーディラも首を捻っている。
「とても信じられないが、お前が辿り着いたことなら一理あるんだろうな」
だが、ヌーラはじっと考え込んでいた。そして、言う。
「逆は考えられないんですか? わたしたちの世界の文化がリョウさんの世界に持ち込まれた、と」




