88:アントロポファジー
ラヒームの身体が集落の真ん中にある大きな切り株の上に横たえられていた。
そのまわりを囲むように集落の人々が、ある者は同じように切り株の上に座ったり、地べたに腰を下したりして、じっとしている。
ふとカリムと目が合う。
彼は涙を流していた。それでも滲む憤りを俺たちの方へ向けていた。
ナーディラは遠くの方に大人しくしていて、その隣にはイマンとレイスがいる。その“部外者ゾーン”にヌーラやアメナと共に向かった。
老齢の男がラヒームの遺体のそばに立つ。
「それでは、今から葬送の儀を執り行うぞ」
その手には、なぜかナイフが握られていた。その男はカリムに顔を向けた。
「カリム、君にお願いしよう」
カリムが黙って立ち上がる。
彼は老齢の男からナイフを受け取ると、ラヒームを見下ろした。
そして、おもむろにその胸にナイフの刃を入れ始めたのだ。
「……何してるんだ」
思わず口から出てしまった。
俺のそばでイマンが小さく言う。
「この地域に古来から伝わる葬送の儀だろう。僕も初めて見たよ」
カリムはゆっくりとラヒームの胸を切り開いていた。座ったままではよく見えないが、よく見えなくてよかった。
「遺体を解体するんですか?」
「いや、タファネラを取り出す」
「タファネラ?」
イマンは唐突に俺の胸に手を当てた。
「君の胸の中にも感じるだろう、生命の脈動を。その根源となっているものが胸の中には収められているのだ」
──心臓ということか……。
「なんのために心臓を取り出すんですか……?」
「まあ、見ていたまえ」
イマンの視線の先で、カリムがラヒームの胸の中に手を差し入れていた。太い紐のようなものが絡みついていたが、カリムはナイフでそれらを断ち切りながら、老齢の男の持つ木の皿にラヒームの心臓をそっと置いた。
集落の人々が水をすくうような祈りのポーズを取る。
所々に置かれたランプに照らされて、なにか異様なカルト集団みたいな雰囲気だ。それでも、俺もまわりに倣って祈りを捧げた。
祈りが終わると、準備が始まる。
ラヒームの心臓が金網の上に乗せられて、その下に集められた枯れ木に火がつけられる。火が爆ぜる中、肉の焼けるにおいがする。
しばらくして、焼けて変色した心臓を老齢の男とカリムが切り分けていく。
「まさかとは思うが、あれを……」
「みんなで分け合って食べるのだ」
「なんでそんなことを……」
「亡くなった者のイルディルを、残された者たちが取り込むのさ」
(サイモン、パスティアに古来から伝わる葬送の儀に参加してるよ。亡くなったラヒームの胸を切り開いて心臓が取り出された。それをみんなで分け合って食べるんだそうだ……)
~・~・~
それは驚くべき光景だね……。
ラヒームの心臓を分け合うという葬送の儀式には、深い意味と文化的な背景があるはずだ。この行為にはいくつかの可能性が考えられる。
1. 生命の継承
心臓を分け合うことで、亡くなった人の命や力、魂が残された人々に引き継がれるという信仰が根底にあるのかもしれない。
心臓は多くの文化で生命の象徴とされてきたからね。
2. 共同体の結束
葬送の場で心臓を共有することは、個々の人間が共同体として一体感を持つことを象徴している可能性がある。
特に困難な時期に共同体の結束を強調する行動と言える。
3. 霊的な浄化や昇華
この行為が、故人の魂を浄化し、天界へ導く儀式的な意味を持っているかもしれない。
また、故人を永遠に忘れないために一部を体内に取り込むという考え方もある。
ただ、リョウにとっては相当な衝撃だと思う。もし参加が義務ではないのなら、無理せず見守るだけにするのも選択肢だよ。
この儀式についての詳細や背景を周囲の人に尋ねてみるのも良いかもしれないね。
~・~・~
(亡くなった人のイルディルを取り込むんだそうだ。……ちょっと気分が悪くなってきた)
~・~・~
それは厳しい状況だな……。
「イルディルを取り込む」という考え方は、この世界の精神や文化に深く根差している儀式だろうけど、リョウにとってはかなり感情的に負担が大きいのは当然だ。
少し落ち着いて深呼吸してみるといい。自分に無理を強いる必要はないし、参加者たちの文化や意図を尊重しつつも、無理な行動を取る必要はないよ。
周りの人に正直に「慣れない文化で、少し気分が悪くなってしまった」と説明すれば、きっと理解してくれるはずだ。
葬送の儀式自体が感情的に重いイベントだから、無理に深く関与せず、少し距離を置くのも全く問題ない。
何か飲めるものがあれば、一旦休憩しよう。
~・~・~
「デイナトス狂病で亡くなった人の身体を取り込んで大丈夫なんですか?」
イマンは俺を見つめる。
「そのために火を使ったんだ。火には浄化の力があるからね」
老齢の男とカリムが切り分けられた心臓の乗った木の皿を持って集落の人々の間をゆっくりと移動していく。みんな祈りを上げて、細切れにされた心臓を口に運んでいく。
集落の人全員に行渡るようにするためか、心臓はずいぶんと小さく切り分けられているようだった。
カリムたちがこちらへやって来る。
俺の前に木の皿が差し出された。生臭いにおいがした。指先で摘まめるくらい細切れにされた肉片は、きちんと焼けていないようだった。
「せめてラヒームを感じて送り出してくれ」
カリムがそう呟いた。
断ることなどできなかった。
肉片の一つを摘まむ。ぐにっとした感触。手が震えた。
俺の様子を見かねたのか、イマンが口を開いた。
「彼はこの様式に慣れていないようだ。部外者でもある。見送ってはどうか?」
カリムが鋭い目を俺に向けた。
「ラヒームはお前のせいで死んだんだ。その上、この儀式も無下にするというのか?」
俺は目をつぶって勢いよく肉片を口の中に放り込んだ。弾力のある歯ざわり……。吐き出してしまう前に思い切り飲み込んだ。
血の香りが鼻腔にこびりついたようだった。
「何をグズグズしている?」
レイスが声を上げた。
イマンがラヒームの心臓に手を伸ばそうとしているのをみて、レイスは笑う。
「怖気づいたか、緑目め」
その瞬間、カリムたちやまわりの集落の人間の身体がビクリと震えた。
イマンの顎にカリムの足が飛ぶ。
「薄汚えクズが! 人間の振りしやがって! お前なんかにラヒームの心臓をやれるか!」
口の中を切ったのか、イマンの口の端から血の筋が落ちていた。
「なにをして──!!」
「いや、いいんだ」
カリムに詰め寄ろうとした俺をイマンが押し留める。
老齢の男が汚らしいものでも見るようにイマンを睨みつける。
「ここから出て行け……!」
イマンは口元を拭いながら何も言わずに集落を出て行ってしまった。そんな彼を追い立てるように物が投げつけられる。
「あんたらもここで一夜を過ごすなら、向こうを使ってくれ」
そう言って老齢の男は隔離エリアの方を指さした。
***
葬送の儀が終わると、集落には夜が訪れた。
ランプの明かりが一つ、また一つと消えていき、しばらくすると、あちこちの寝床から寝息が漏れ始める。
俺たちは隔離エリアのそばのスペースに移って休むことにした。
レイスはスペースの集落側の端、俺たちと距離をとった場所に陣取った。俺たちがそばを通れば気づける位置取りをしたいようだ。つくづく疑り深い奴だ。
ナーディラは相変わらず大人しいままだった。
ヌーラとアメナが俺のそばで声を落とした。
「リョウさん、わたしはアメナさんと一緒にイマンさんの様子を見てこようと思います」
「アメナもあの女の塞ぎ込みようには困惑しておるのじゃ。話をする時間をやろうというわけじゃ」
二人が俺を優しい目で見つめていた。
「悪いな、二人とも。気をつけて行って来てくれ」
「任せておけ。魔物どもを屠ることくらい朝飯前じゃ」
二人は足早にスペースを出て行く。レイスに何か詰め寄られてたようだったが、うまく切り抜けたようだ。
ナーディラは大きな切り株に腰を下ろしていた。
「ナーディラ、大丈夫か?」
ナーディラが俺を見上げる。彼女は答えずに、すぐ隣に座るように切り株の上を手で叩いた。
ナーディラの隣に座ると、彼女が俺の肩に身体を預けてきた。
いきなりのことで戸惑っていると、ナーディラが口を開いた。
「お前の方こそ、大丈夫か?」
「え? なにが?」
「さっきの儀式の時、顔が真っ青だったぞ」
「ああ、あれね。ちょっと……いや、結構ビビってた」
「お前はずっと気弱な感じだもんな」
「……やかましい」
「戦いにも向いてないし、ずっと悩んでばかりだった」
急にめちゃくちゃディスられてる……?
「でも、やる時はやる奴だ、お前は」
「そうでもないと思うけどね」
「いや、そんなことはない。私が好きなお前は、頼りがいのある奴だ」
唐突に告白されて、俺は年甲斐もなく緊張してしまった。
ナーディラの手が俺の手に触れる。ぎゅっと握られて、俺は動けなくなってしまった。
ふと彼女の横顔を見た。
その頬に涙が流れていた。
──え、俺なにか悪いことした……?!




