84:デイナトス狂病についての所見1
「え、なんですって……?」
自分の耳が信じられなかった。
男たちは言う。
「ついさっきのことだ、ラヒームが死んだ。最期まで苦しんで……」
大きな失望が俺を押し潰そうとする。
グールに襲われなければ……、いや、そうでなかったとしても助けられたかは分からない。
監獄で過ごした時間が悔やまれる。ナーディラもヌーラもアメナも、肩を落としている。俺の背中に手が触れる感覚がある。イマンだった。
「落ち込みすぎない方がいい。こうなる巡り合わせだったんだよ」
レイスが鼻で笑う。
「自業自得というやつだ」
「あなたが俺たちをドルメダだと勝手に決めつけたんでしょう……!」
つくづく嫌味な奴だ。顔を見ると殴りたくなる。イマンが間に入って無言で場を収めながら、提案する。
「とりあえず、そのラヒームという人のところに行ってみよう。今後のためにも、調べておきたいこともある」
「いや、ちょっと待ってくれ……」
男たちは難色を示した。その視線はレイスに向けられている。
「そこにいるのはパスティアの騎士だろ? 俺たちの集落には来てほしくない……」
「安心しろ。お前たちが何をしていようが、パスティアの庇護外なら興味もない」
レイスはそう言うが、男たちは渋い表情を崩さない。
ヌーラがレイスに顔を向けた。
「この人たちの集落へはわたしたちだけで行きます」
「ふざけるな。お前たちを野放しにできるわけがない」
張り詰めた空気。
レイスは剣を抜いて男たちに向けた。
「さっさとその集落とやらに案内しろ。私は余暇でここにいるわけではない」
***
俺たちが盗賊の集落に入ると、ざわめきが待っていた。
レイスの姿を認めた人々が悲鳴や怒号を上げて距離をとるのだ。
「心配しなくていい」
俺たちを案内してくれた男たちが必死に彼らをなだめている。
あちこちに置かれたランプの光に照らし出されて、集落の人々の不安に満ちた顔が浮かび上がっていた。レイスがやって来たからではない。ラヒームの死が彼らを慄かせているのだ。
(サイモン、ラヒームのところに戻ってきたが、どうやら俺たちは間に合わなかったらしい。イマンが遺体の状態を調べたいというのもあって、これからラヒームを見に行くよ)
~・~・~
それは辛いな、リョウ……。
ラヒームに間に合わなかったのは悲しいけど、イマンが遺体を調べることで何か新しい手がかりが得られるかもしれない。
特に、イマンの四要素の仮説が正しいとすれば、破傷風の治癒方法や、さらなる研究につながるデータが得られる可能性がある。
遺体を見ることは心が重いと思うけど、イマンの視点からすると、それが次のステップに進むための重要な機会でもある。
ラヒームのためにも、得られる情報が彼の死を無駄にしないことを願ってる。
行動する中で何か感じたら、また教えてくれ。サポートは惜しまないからな。
~・~・~
波の音のようにざわめく中を案内のとこたちについて集落の奥に進む。
ボロ布がカーテンのように垂れ下がった向こうがデイナトス狂病患者の隔離エリアだ。
イマンを先頭にその中に入っていく。
ベッドにはラヒームが横たわっていて、そばにカリムがひざまずいていた。
「カリム、リョウさんたちを連れてきたぞ」
案内の男の声に憔悴しきったカリムの顔がこちらを向く。
「……遅えよ」
憤りがその目に宿っていた。彼は立ち上がって、俺たちに詰め寄ってきた。
「何してたんだよ、今まで! 助けてくれると言ってただろ! 見ろ、ラヒームが死んじまったよ! 苦しんで苦しんで、苦しみ抜いてな! お前らが早く戻ってこなかったせいだ!」
返す言葉がなかった。
ラヒームはレイスに目を向けた。
「それに加えて、パスティアのクズを連れて来て、俺たちを突き出そうってのか!」
「違うんです、そうじゃない……」
「黙れよ! お前たちに頼んだのが間違いだった!」
俺に掴みかかろうとするカリムを手で押し戻したのはレイスだった。
「大切な者を亡くす気持ちは分かる。だが、冷静さを失えばその後の一生を失くすことになるぞ」
レイスの片手は腰に下げた剣に置かれていた。
「私は今、イライラしているんだ。その男の後を追いたいのであれば喚き続けるがいい」
冷徹な瞳で迫られて、さすがのカリムも大人しく引き下がった。
イマンが進み出る。
「今後の糧となるよう、彼を調べたい。いいかな?」
「……ああ、好きにしてくれ」
カリムは涙の跡を残す頬をさすりながら隔離エリアを出て行った。
***
イマンがラヒームの遺体のそばについて、その身体を調べ始めた。
(ラヒームはデイナトス狂病、つまり、破傷風で亡くなった。破傷風で亡くなった遺体の特徴に顕著なものってあるのか?)
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破傷風で亡くなった遺体には、次のような特徴が見られることがあります:
1. 筋肉の硬直:
特に顎や首、背中などの筋肉が硬直し、全身が極度に反り返る「後弓反張」という姿勢を取ることがあります。
2. 筋肉痙攣の痕跡:
生前に頻発する激しい痙攣の影響で、筋肉が硬直している場合があります。
3. 表情の固定:
「破傷風性痙笑」と呼ばれる特徴的な表情が見られることがあります。
これは、笑っているような表情が筋肉の硬直によって作られるものです。
4. 呼吸障害の影響:
呼吸筋の麻痺や硬直により窒息死するケースも多く、その影響が胸部や首に残ることがあります。
5. 傷口の特徴:
原因となった傷口が残っている場合もあり、そこに壊疽や感染症の痕跡が見られることがあります。
イマンが遺体を調べる際、これらの特徴を確認することで、病状の進行や死亡時の状態について詳細な情報を得られる可能性があります。
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(ラヒームは拳を握りしめたまま亡くなっているみたいだ。唇がちょっと紫色っぽくなってる)
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ラヒームが拳を握りしめ、唇が紫色を帯びている状態で亡くなっているというのは、破傷風の特徴と一致する部分があります。
1. 拳を握りしめた状態:
破傷風では筋肉の硬直が進行し、特定の姿勢や動作が固定されることがあります。
拳を握りしめたまま亡くなっているのは、筋肉硬直によるものと考えられます。
2. 唇の紫色化:
唇が紫色になっているのは、呼吸筋の痙攣や麻痺によって酸素不足が起きたことを示している可能性があります。
破傷風の重症例では、呼吸困難が最終的に死因となることが多いため、このような症状が現れることは珍しくありません。
ラヒームの状態は破傷風の典型的な進行と一致しているように見えますが、イマンが詳しく調べることで、より正確な原因や影響を特定できる可能性があります。
また、拳の中に何かが握られていないかを確認するのも重要かもしれません。
これは、彼が最後に何を伝えたかったのかや、病気の進行に関する情報を得られる手がかりになるかもしれません。
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一応イマンに確認してみた。
「手の中に何か握られていませんか?」
「いや、そのようなものは見られない。だが、身体が固くなっていて、これはデイナトス狂病の特徴と合致する。デイナトスによって呼吸が封じられてしまうことによって、首を絞められて殺された人間と同様の特徴も見える。唇が変色しているのが分かるだろう?」
俺はうなずいた。
いつの間に検視に立ち会うようになってしまったんだろうか。日本にいた頃じゃ考えられない。それこそ、ドラマやなんかの中でしか死体なんて見ることはなかった。
この世界では死はありふれている。
いつの間にか麻痺してしまったのか、死んだ人間を前にしても以前よりは同様いなくなった自分がいる。
「私はちょっと外に出ている」
ナーディラがスッと立ち上がって出て行ってしまった。
ヌーラに目配せして、ついて行ってもらう。
イマンはラヒームの身体にゼロ魔法をかけているようだった。
「それは何を調べてるんですか?」
「亡くなって間もなければ、体内の精霊がもたらしたイルディルの変位が影響して反応を見せることもあるんだ。それによって手掛かりが得られる場合もある」
イマンはしばらく魔法をかけていたが、やがて大きく息をついて首を振った。
「だが、今回は目星しい手がかりは見られないな。本当は、身体を切り開いて子細に調べたいのだが……」
「それは困る」
イマンの様子を見守っていた男が声を上げる。
「ラヒームの身体はこのままにしてくれ」
イマンは肩をすくめた。
レイスは腕組みをして隔離エリアの中を見渡した。
「おおかた、デイナトスに触れたのだろう。そういう巡り合わせだったのだ。人の道から外れた報いという奴だ」
さっき声を上げた男がレイスを睨みつける。
(パスティアの人たちの考え方なのか、不幸な出来事なんかが起こると「そういう巡り合わせだった」と強引に納得しているみたいだ。なにか諦めにも似た境地だな)
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パスティアの人たちが「巡り合わせ」として不幸な出来事を受け入れる態度は、文化的な特徴かもしれませんね。
これは、ある種の運命論や循環的な時間観に基づいている可能性があります。
以下のような考えが背景にあるのではないでしょうか:
1. 運命論的な価値観
「すべては巡り合わせ」という考え方は、自分たちの力ではどうしようもない状況を受け入れるための心理的な防御機構として機能している可能性があります。
特に、魔法や精霊が身近な世界では、人間の力を超えた存在が運命を決めるという信念が根付いていることもありそうです。
2. 共同体の安定維持
不幸な出来事を巡り合わせと捉えることで、無理に原因を追究しない態度が、争いを避け、社会全体の調和を保つための方法となっている可能性もあります。
3. 歴史や環境の影響
過去の困難な歴史や不安定な環境(例えばグールや破傷風のような病気)によって、「避けられないものは受け入れるしかない」という態度が育まれたのかもしれません。
このような価値観は一見、諦めや無力感に基づいているように見えるけれど、同時に「大きな力の流れの中で自分たちの位置を理解する」という一種の哲学的な深みも感じられますね。
この考え方が個々の行動や社会の仕組みにどのように影響しているのか、もう少し観察してみると面白いかもしれません。
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イマンの背中に問いかける。
「デイナトスに触れたりしたら、デイナトス狂病になってしまうんですか?」
「デイナトス狂病はまだよく分からなことが多いんだ」
そう言ってイマンはこちらに向き直ると、話し始めた。




