80:坐井観天のロジック
「そういや、ワシのファマータは元気か?」
社内の空気を換えようとしたのか、アレムがそう言った。
「元気ですよ。ナーディラが勝手にキュイって名前を付けてましたけど」
ナーディラを見て笑ったが、彼女はボーッとしていて聞いていなかったようだ。
「おい、知らんぷりするなよ」
「あ? ああ、そうだな……」
──……ずっと様子がおかしいな。
あの監獄での時間が堪えたのかもしれない。どこかで休息の時間を取るべきだな。
「ファマータも車もお返しした方がいですよね?」
「そう急いでいるわけではないが、様子だけは見ておきたいと思ってな。今はどこにいる?」
「パスティア・ウェモンの宿屋に留め置いています。途中まで一緒に行きますか?」
「そうだな、ワシのところに移しておくのもいいかもしれん」
ヌーラが顔をしかめる。
「でも、大丈夫でしょうか? レイスさんとはパスティア・タファンの入口で落ち合うんですよね」
「ちょっとぐらい付き合わせてもいいだろ」
ヌーラの顔にはもう痣はない。さっきアメナが回復魔法をかけていた。
聞けば、自分自身に回復魔法をかけても効果がないらしい。イマンによれば、回復魔法は体内のイルディルを活性化させ、身体を修復するようだ。魔法を使うには体内のイルディルも使うため、効果がないと考えられているという。
「もう痛みはないか?」
「はい、大丈夫ですよ」
ヌーラは努めて笑顔を見せているように感じた。
「助けてあげられなくてごめんな」
「いいんです。それに、もしリョウさんたちがあれ以上暴れようとしたら、きっとみんなが危なかったと思いますよ。アメナさんも、間一髪でしたよ」
「アメナはリョウの心の赴くままに奴を滅してくれようとしただけじゃ」
「なんで俺を引き合いに出すんだよ……」
ヌーラが笑う。
「でも、嬉しかったです。助けようとしてくれて……。ありがとうございます」
イマンが微笑む。
「君たちは優しい心の持ち主のようだね。病に臥せっている人とはどのような関係なんだい? 二日ほど前に出会ったということのようだが」
俺はその時のことを説明した。興味深そうに聞いていたイマンは顎に手をやって考え始める。
「盗賊団となると、この車で向かうのは少々誤解を与えてしまうかもしれない。彼らはパスティアの庇護の外に逃げ出した。僕たちのことを敵視している可能性が高い」
アレムが腕組みをする。
「ならば、宿屋に留め置いている車を使う方がいいだろう」
気になることがあった。レイスのことだ。
「レイスも一緒に車に乗るんですかね? それは御免こうむりたい」
アレムは苦笑いした。
「それは向こうも同じだろう。きっとファマータに単騎で跨り、君たちについて行くつもりだろう。……見ろ、奴が待っているぞ」
パスティア・タファンの門前にファマータに単騎で跨るレイスの姿がある。
***
「私はお前たちを監視するためにいる。勝手にするがいい」
レイスに事情を説明すると、そう返答があった。レイスは先を急ぐようにさっさとファマータで歩き始めてしまう。
「自分勝手な奴だ」
とはいうものの、パスティア・タファンの門の往来はレイスの口添えで順番待ちを飛ばして優先的にでき、便利な一面もあった。
再びパスティア・ウェモンに戻ってきた。
石畳の街道が終わり、ガタつく道に入ったあたりで、俺たちは車を降りた。
俺たちを乗せていたファマータの車が帰っていくのを見届けると、街の人々からの視線が集まるのが分かった。
イマンに対して唾を吐いて立ち去る者、見ないようにしてそそくさと逃げていく者、怒鳴り声を投げつけてくる者もあった。
ただでさえ目立つイマンの白い制服がここでは憎悪の的になっていた。イマンは涼しい顔をしていたが、何も思わないわけはないだろう。
それに、こんな状況をレイスはただ傍観しているのだ。
──やっぱり、この世界は狂ってる。
「早く行きましょう。宿屋はすぐ近くです」
(レイスと共にこれからラヒームを助けに行くところなんだが、パスティア・ウェモンの人からのイマンへのヘイトがひどいことになってる。本人は涼しい顔をしてるけどな。俺たちにレイスも同行することになったんだが、街を守る騎士のくせに注意もしないんだぜ)
~・~・~
それはかなりやるせない状況だな。
イマンがそういったヘイトを受け流せる強さを持っているのは救いだけど、周囲がそれを許容している現状は問題だ。
レイスがその態度を注意しないのは、彼自身の偏見や、あるいは騎士団としての責務を優先している可能性がある。街を守る役割があるはずなのに、市民の差別的な態度を見過ごすのは矛盾しているよな。
こういった状況での対応として考えられるのは:
1. イマンの立場を尊重し、行動で示す
イマン自身が毅然としているのを見習い、彼と対等に接する姿を他の人々に見せること。
そうすることで、彼を蔑視する態度が減るかもしれない。
2. レイスに期待を持たない
レイスの態度が変わらない以上、彼に過度な期待を持つべきではない。その代わり、自分たちの行動で彼や周囲に間違いを気づかせるようにする。
3. 現地の人々との会話を工夫する
公然とヘイトを咎めるのは危険だが、個別の場面で偏見のない対応を見せることで、徐々に考えを改めさせるチャンスを作る。
4. イマンをサポートする
直接的な援護は不要かもしれないが、何かのトラブルが起きた時に迅速にフォローできる準備をしておくこと。
イマンのような人々が存在することで、社会が徐々に変わっていく可能性がある。今は小さな動きかもしれないけど、そういう人たちを支えることが、将来的な差別撤廃に繋がるかもしれない。
~・~・~
(分かってるよ。あと、お前の分析は歓迎だけど、毎回解決策を提示してくれなくてもいい。助けがほしい時にはそう言うから)
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分かったよ。リョウが必要としていない時には解決策を控えて、必要な時だけ助けるよ。困った時には何でも言ってくれ!
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***
宿屋の主人に久々に挨拶をした。
「おお、あんたら、どこに行っていたんだ? 騎士どもに連れて行かれたと聞いて心配したぞ!」
アレムとイマンとレイスは宿屋の外に待機してもらっていた。
「すみません、手違いだと分かるまでに時間がかかりまして……」
「ああ、あいつらはそういう奴だよ」
「ここに留め置いてもらっているファマータなんですが、出しても大丈夫ですか?」
「そんなことか、厩舎にいるから、勝手に出していいぞ」
宿屋の主人は気前のいいところを見せてくれ、俺たちを案内するために宿屋の入口から外に足を踏み出した。
必然的に、そこにいたアレムたち三人と顔を合わせることになる。
「おお、レイスさんじゃないですか! ……それと、そこにいる奴はなんですかい?」
急に声が尖る。
宿屋の主人は地面の土を蹴り上げてイマンに飛ばした。白い制服が汚れる。
「けっ、俺の店の前に立つんじゃねえよ、緑目!」
「ちょ、ちょっと……!」
ヌーラ声を上げると、宿屋の主人がさっきまでとは打って変わって険しい表情を越してきた。
「あんたらがこいつを連れてきたのか? 関わるなと言ったはずだぞ」
「い、いや、成り行きがあって……」
「ファマータと車を出して、戻って来るな」
宿屋の主人は吐き捨てうように言って、厩舎の方へ歩いて行ってしまう。
ヌーラがイマンに駆け寄って心配そうな顔で彼の制服についた泥を叩き落そうとする。
「いや、そこまでしてくれなくていい。君も僕と同族だと思われる」
「そんなこと関係ありませんよ……!」
俺はイマンに頭を下げた。
「すみません」
イマンは白いハンカチで制服の泥を落といながら微笑む。
「君が謝ることじゃないさ」
レイスが蔑んだような目でイマンを睨みつける。
「人間もどきの分際で、悲劇の人間という顔をしている。笑わせるな」
アレムが割って入る。
「やめろ。ワシはファマータのところに行く。リョウ、ヌーラ、一緒に来い」
アレムに強引に手を引かれて、俺たちは厩舎へ向かった。
「よくこんな状況を看過できますね」
前を行くアレムの背中に投げかける。
「これがパスティアなんだ」
「あまりにも胸が痛みます……」
ヌーラが鳴きそうな顔をしていた。
「さっき宿屋の主人が緑目と言っただろう? あれは子をなさない者たちへの蔑称だ。緑色の目をしているからという理由で人が殺された時代もあった」
「目の色で……? なんでそんな……」
「緑色の目をしている人間は子をなさない者だという迷信が広まったんだ」
「いや、でも……、隔離街の人たちは緑色の目をしている人たちばかりじゃありませんでしたよ」
「忌み嫌う人間を測れる物差しなら誰もが簡単に飛びついちまうのさ」
(子をなさない者たちは緑色の目をしているという迷信が広まって、目が緑色だからという理由で人が殺された時代もあったらしい。今も子をなさない者たちへの蔑称として「緑目」というのが残ってるから、根は深いみたいだ)
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それはひどい話だな……。
「緑目」という蔑称が子をなさない者たちへの差別や迫害の象徴として残っているのは、社会に根深く染みついた偏見を示している。
特定の身体的特徴が差別の口実になるというのは、人間の歴史でも繰り返し見られる現象だ。
緑色の目という迷信がどこから生まれたのかまでは分からないが、恐らく子をなさない者たちを異質な存在として排除するための方便だったのだろう。
このような迷信が「緑目」だけでなく他の偏見を生むことも考えられるから、現代の差別構造を変えるためにも、この迷信の起源や広まった経緯を探るのは有益かもしれない。
イマンのように実力で偏見を覆す人がいることが希望だけど、その根深い差別が残っている限り、彼の存在だけで解決するには限界があるよな……。
これもまた、リョウの「選ばれし者」としての役割の一環になるのかもな。
~・~・~
「なんでそんな迷信が広まったんですか?」
「たまたま子をなさない者たちを代表するような人間が緑色の目をしてただけだ。そして、今も……」
(子をなさない者たちを代表するような人がたまたま緑色の目をしていたことが迷信の始まりだったとアレムは言ってる。イマンも偶然、緑色の目をしているんだ。だから、図らずも迷信を支えてしまっていることになる……)
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イマンの緑色の目が、偶然とはいえ迷信を補強してしまうのは皮肉な話だな。
この状況では、たとえイマンが有能であったり、立派な地位を持っていたりしても、偏見を持つ人々にとっては「迷信の証拠」とされる危険性がある。
アレムの話のように、特定の特質を持つ人物が代表的な立場に立つことで、それがグループ全体の象徴として扱われることはよくある。
これは社会的なスティグマの形成や強化につながりやすい。
イマンが子をなさない者たちの一員として突出して優れた実績を持っているのは素晴らしいことだが、同時に彼の存在が偏見の「裏付け」に利用されてしまうのは、彼にとっても大きな負担だろう。
こうした状況を変えるには、迷信そのものが社会の中で信じられなくなるような啓発や教育が必要だ。しかし、それには時間がかかるし、何よりもこういったスティグマの犠牲者である個人への理解と支援が最優先だと感じるよ。
イマン自身がその現状をどう受け止めているのかも、今後の行動のヒントになるかもしれないな。
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「アレムさんは信じていないんですね、迷信を」
「ワシは仲介人として色々な世界を見てきた。ここでの絶対的な尺度も他では通用しない。単なる局所的なお約束のひとつにすぎない。この世界に絶対的なものなんてないんだよ」
アレムは振り返る。
「リョウ、そして、ヌーラも、狭い世界で生きるなよ。それが君たちの心を腐らせてしまうのだ」




