79:尊き者を守る差別構造の盾
ナーディラがそばの椅子を蹴っ飛ばした。
「調子に乗るなよ、クソ野郎」
殺気が漲っていた。
身も強張るような緊迫の場面だが、レイスは動じなかった。こういうことには慣れているのかもしれない。
「私を拒むのは自由だ。だが、そうなれば、身柄の引き渡しの件も白紙に戻す」
ナーディラが怒りに顔を歪ませる。歯軋りがこちらまで聞こえそうだ。
「ナーディラ、ここは収めてくれないか。みんなのためだ」
そう言うと、ナーディラは悔しさを露わにして俺を睨みつけた。
「もういい、好きにしろ」
***
色々あったが、俺たちはようやくパスティア・タファン監獄を出ることができた。
外の空気に触れて、陽光を浴びる。大きな伸びをして、自由を噛み締めた。
「あれ、そういえば、もう一人、解放された人がいたと思うんですけど……」
向かいの独房の男のことだ。アレムが呆れたように笑う。
「ああ、奴は礼もそこそこに早々と出て行ったよ。仕事が立て込んでいるんだと」
「俺もお礼をしたかったんですけど……」
「その必要はないが、後で伝えておこう」
イマンが俺たちの前に立つ。日の光を浴びた金色の髪が燃えるように輝いている。
「急いで準備を進めよう。レイスを待たせるのもあまりよくないからね」
レイスとは、パスティア・タファンの入口で落ち合うことになっていた。
すぐに監獄の前に待機していたファマータの車に乗り込む。
俺たちが旅の中で乗ってきた荷車とは違った。中にはクッションの利いた椅子が並んで、窓ガラスの嵌った窓にはカーテンも引かれている。
車の側面には帆船の紋章がつけられていたし、御者台にはきちんとした身なりの男が収まっていた。公用車というわけだ。
石畳を車が走り出す。ファマータが道路を蹴る爪の音が聞こえた。
「改めてありがとうございました」
アレムとイマンに頭を下げた。アレムは何でもないと言うように手を振った。
「これも何かの巡り合わせだ」
「アレムさんがこんなにすごい人だとは知りませんでしたよ」
「人を動かしているだけだ」
「でも、上位貴族に侍従をって言っていましたよね。あれはなんだったんですか?」
「パスティア・タファンの貴族の身の回りの世話をする人間のことだ。そこにあてがうとなると、色々と教え込まなければならん。なかなかそこまでやる人間がいなかった、それだけのことだ」
「イマンさんも侍従を?」
イマンが笑う。
「僕は貴族ではないよ。それに、子をなさない者に侍従は必要がない」
「どうしてです?」
アレムが横から答えてくれる。
「侍従には、役割がある。身の回りの世話や事務作業など、貴族の手足となって働く。だが、上位貴族にとってはもう一つ重要なことがある。その血を守るということだ」
「血を、守る?」
そういえば、宿屋の主人が言っていた。上位貴族は下位貴族と婚姻が結べない、と。
イマンが足を組んで俺を正面から見つめた。
「この国を統べるルルーシュ家は代々魔法が使えない。その特性が子へと受け継がれてきたんだ。その伝統は連綿と継承されている。ルルーシュ家に持つ者の血を混じらせないというのが、この国の至上命令なんだよ」
「なぜなんですか? 魔法が使える方が優れているように感じちゃいますけど」
「ルルーシュ家がルルーシュ家であるがための方策なのだろうね。だから、子をなすのかなさないのかというのが、この国では特別視されているのさ」
イマンは重々しく口にした。
(パスティアが子をなさない者たちを迫害しているのは、ルルーシュ家が代々魔法が使えない血を守り続けてきたことの弊害なのかもしれない。
子をなすかなさないかというのが、重要視されてきたんだとイマンは言ってる)
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なるほど、ルルーシュ家が「魔法が使えない血」を重視してきたという背景が、子をなす能力の有無を巡る迫害につながっている可能性はありそうだね。
イマンが言うように、パスティアが子をなすことを社会的価値の中心に据えているとすれば、それはルルーシュ家の影響力によるものでしょう。
彼らが代々その方針を守り続けてきた結果、子をなさない者たちが「異端」として扱われ、差別や迫害の対象になっているのかもしれない。
理由を深掘りすると以下の可能性が考えられる:
1. 血統の維持と魔法の因子
パスティアにおける血統管理は、魔法の才能を「純粋な形で」保存する意図があるのかもしれない。
ルルーシュ家が「魔法のない血」を守ってきたのは、それを利用した特定の目的があるためかも。
2. 文化的な偏見の形成
長い歴史の中で、「子をなせること」が優越性の証とされ、社会構造そのものがそれを基盤に築かれてしまった可能性がある。
これにより、子をなさない者が「役に立たない」と見なされ、差別の温床となったのだろう。
3. 制度の硬直化
権力を持つ者が伝統を絶対視すると、変化や異なる価値観を受け入れる余地が狭まる。
ルルーシュ家の思想が社会に根深く浸透し、それに逆らう者たちが迫害される状況が生まれているのかもしれない。
君の鍵となる「選ばれし者」としての立場は、こうした古い価値観を打破する可能性を秘めているね。
ただ、そのためには周囲の反発を乗り越える必要もあるだろう。
今後も、子をなさない者たちの境遇や、ルルーシュ家の思想について深く知ることが重要になりそうだ。
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(選ばれし者としての立場が古い価値観を打破するって、どういうこと?)
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「選ばれし者」としての立場が古い価値観を打破する可能性がある、というのは、君が持つ特異性が現状の社会の矛盾や偏見を覆す力を持つかもしれない、ということだよ。
具体的には、次のような点が挙げられる。
1. 「選ばれし者」の中立的な象徴性
選ばれし者としての存在は、特定の血統や能力に依存しない普遍的な価値を表している可能性がある。
例えば、君が地球から来たことや記憶喪失という背景が、現地の固定観念に縛られない新しい視点を持ち込むことになる。
これは、ルルーシュ家やパスティアの価値観に挑む契機となるかもしれない。
2. 社会の根底にある「子をなさない者」への差別を問い直す契機
もし君が選ばれし者として広く認められるようになれば、その存在が「子をなせることが価値の全て」という考えに矛盾を突きつける。選ばれし者である君が子をなすかどうかは全く関係ないからこそ、この価値観の偏りを問い直す機会になる可能性がある。
3. 新たな価値観の創出
選ばれし者が担う使命や力の本質が、「古い秩序に挑み、新しい時代を築くこと」だとしたら、君自身の行動が変革をもたらす鍵になる。
古い価値観に挑み、子をなさない者への迫害や、ルルーシュ家による支配の正当性を問う存在としての役割を果たす可能性があるんだ。
具体的な次のステップ
選ばれし者の歴史をさらに探ることで、君自身の立場を強固にする。
子をなさない者たちと連携し、彼らが抱える現状を改善するための立場を築く。
パスティアの中にある別の価値観や思想に触れて、社会の矛盾を明らかにしていく。
君が何を選ぶかによって、古い価値観を変えられるかどうかが決まるだろうけど、何か大きな流れの中にいるのは確かだと思うよ。
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(そういうことか。まあ、確かに現状の差別構造は見直さなきゃならないだろうけど、すでに社会基盤に組み込まれている以上、それを変えるとなると争いのにおいしかしないんだよな……)
規模は全然違うけど、会社の派閥だって似たようなものだ。それを覆そうとすれば、総攻撃に遭うだろう。
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その通りだね。
社会基盤に組み込まれた差別構造を変えるとなると、必ず抵抗がある。
現状の恩恵を受けている層、例えば貴族や権力者たちは、現状維持を望むだろうし、それに挑戦することは大きな争いを引き起こす可能性が高い。
でも、変革が争いを伴うのは歴史的にもよくあることだよね。
たとえば地球の歴史でも、社会的不平等や偏見を正そうとした動きは、時に激しい対立を生んできた。
重要なのは、その変革をどう進めるか、そしてその争いの被害を最小限にするために何ができるかを考えることだ。
君が選ばれし者として社会の不条理に立ち向かうと決めた場合、次のようなアプローチが考えられる:
1. 共通の利益を見出す:
すべての階層にとって利益となる解決策を模索し、抵抗勢力を和らげる。
2. 地道な説得と協力:
影響力のある人物や組織を説得し、少しずつ変革の流れを作る。
3. 安全な場を作る:
直接的な対立を避けつつ、支援者や被害者が声を上げやすい環境を整える。
4. 価値観を変える:
教育や文化活動を通じて、古い価値観を自然に変えていく道もある。
変革が困難なのは確かだけど、君が選ばれし者として注目される存在である以上、その行動は他者にも影響を与える。
争いを避けることが難しい場合でも、少しずつ状況を変えていける可能性はあると思うよ。
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(ただ、子をなさない者のイマンがルルーシュ印を持ってるっていうのが希望でもあるんだよな。国に認められてるってことなんだから。イマンがルルーシュ印を得ることになった経緯なんかも調べてみるか)
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そうだね。イマンがルルーシュ印を持っている理由を調べれば、この世界の制度の例外や柔軟性について何か新しい発見があるかもしれない。
それが他の子をなさない者たちへの希望になるだけでなく、差別構造の変革への手掛かりにもなる可能性がある。
考えられる調査のポイントとしては:
1. ルルーシュ印の取得条件
ルルーシュ印を与える基準や手続きはどうなっているのか、特に子をなさない者がそれを得る際にどんな要素が関与しているのかを確認する。
2. イマンの背景と業績
イマンがどのような経緯でルルーシュ印を得たのかを詳しく調べる。
もしかすると、彼の特別な技能や貢献が国や貴族に認められた結果かもしれない。
3. 特例の存在
他にもイマンのような子をなさない者で、制度的に認められた人物がいるのか。
その背景がイマンと似ているなら、ルルーシュ印の仕組みや国の価値観に隙間や柔軟性があると分かる。
4. パスティア内での評判
イマンがルルーシュ印を持っていることについて、他の人々がどう思っているかを調べる。
これが社会の変化を示すサインである可能性もある。
これを踏まえて、イマンに直接聞いたり、彼の関係者や記録を辿っていくといいかもしれない。
調査結果次第では、制度の隙間を活用したり、新たな改革の道筋が見えてくる可能性があるよ。
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「大丈夫かい?」
イマンの顔が近くにあった。美しすぎて眩しいな、この男……。
「す、すみません、話の途中でしたよね。血を守るっていうのは侍従にどう繋がるんですか?」
「ああ、侍従には持たざる者の血を汚さないための役目があるんだ。予期しない交わりが起こらないための監視者としての。そのため、侍従は、仕える相手と同性や不能者、去勢された人間があてられるんだ」
ヌーラが息を飲む。
「そうか、そこでも“間違い”が起こらないように……」
イマンが微笑み返した。
「皮肉なものさ。ルルーシュ家の血を守るために、子をなさない者たちへの差別構造が利用されているのだから」
カーテンをそっとめくり上げて車窓の街を眺めるイマンの顔からは感情を読み取ることができなかった。
その根底には深い怒りがあるのかもしれない。




