78:情けは人の為ならず
長い時間が経った。
火の刻二の鐘が鳴った頃、俺の独房の扉が開いた。
そこに立っていたのは、苛立ちを隠し切れないレイスだ。
「出ろ」
俺は恐る恐る立ち上がって、廊下に出た。
ナーディラとアメナがヌーラを抱きしめていた。
「リョウ……」
ナーディラがすがるような目を俺に向けていた。すぐに駆け寄って三人抱き締める。
「大丈夫だったか、みんな?」
みんな一様にうなずく。
ヌーラの顔には痣ができていた。
俺を見た俺の顔があまりにも怒りを滲ませていたのだろう、ヌーラは弱々しい微笑みで俺の腕を取った。
「大丈夫ですから、大丈夫です」
レイスが歩き出していた。
「お前たちの身元引受人とルルーシュ印が来た。まずは着替えろ。話はそれからだ」
当たり前のように謝罪の言葉なんてなかった。
***
「久しぶりだな」
着替えを終えた俺たちを強面の男が部屋で待っていた。
テーブル越しの向こうに座っていた彼が立ち上がり俺に手を差し出す。そこに自分の手のひらを重ね合わせる。
「助かりました、アレムさん。本当にありがとうございます」
「いいってことだ」
「なぜパスティア・タファンに?」
「ワシの仲介人としての拠点はここだ。だが、今回はココナ山の噴火の報せを受けてう回路からパスティアに入り、ムエラ・ココナに向かおうとしていた。お前たちを捜しにな」
「俺たちを?」
「お前たちに課したままのファマータのことも心配していた」
「ああ、そういうことですか」
アレムがヌーラに目を留める。
「そこにいるのは……ああ、ザラのお姉さんか。うまくいったようだな?」
アレムがナーディラに視線を向けるが、彼女は短く「まあな」と返すだけだった。
「そして……、なんだ? なぜここにムエラ・ココナの支配者がいる?」
アレムはアメナのことを見知っていたようだ。アメナは俺のそばに近づいて腕を絡ませてくる。
「リョウとアメナは強く結ばれておるのじゃ」
「誤解を招くようなことを言うな……」
アレムは苦笑いする。
「何があったかは知らないが、元気そうで安心した」
「いや、そんなことより……こちらは?」
部屋にはもう一人、輝くような金色の髪に緑色の目、端正な顔立ちの美青年というべき男が白い制服に身を包んで待っていたのだ。
「こちらはイマン。ワシがパスティア・ウェモンに到着した時に助けを求めてきた」
「助けを?」
イマンに目を向ける。女性といっても分からないような中性的な容姿が神秘性を帯びているように感じられる。
彼は胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「申し遅れたね、僕が君たちの探していたイマンだよ。そして、僕の方でも君たちを探していた。イナーラたちがお世話になったようだね」
爽やかな、しかし、どこか色気を纏ったような声だ。
彼の言葉で俺の脳裏に子をなさない者たちを隔離したスラム外での出来事が蘇る。
「いえ、俺たちは何もできませんでした……」
「そんなことはない。街のみんなも感謝をしていた。勇敢な働きだった、と。そこで、君たちが僕を探していると聞いたんだよ。それで、君たちがここに収監されていることを知ったというわけさ」
咳払いが聞こえる。
レイスがやって来たのだ。不満を顕わにした顔でアレムとイマンを睨みつける。
「あんたがたは事の重大さを理解できていないようだな。この者たちを解き放つということがどういうことなのか」
アレムはテーブルに手をついて鋭い眼を向けた。
「ワシが彼らの身元引受人だということは話がついたはずだが?」
「それは分かっている。今はその確認作業の途中だ」
「ワシを疑うというわけだ。上位貴族にノワージャを提供するワシを」
──ノワージャ……「付き従う」という意味の「ノワージュ」に「人」の意味が加わってる……付き従う人、侍従か?
レイスの反応を見ると、アレムはすごい人のようだ。
レイスが鼻の頭にしわを寄せる。
「話を拡大解釈しないでもらおうか。ドルメダの卑劣な手段をもってすれば、あんたを手駒にする可能性も捨てきれないというだけだ。それに……」
レイスは汚らわしい物を見るような目をイマンに向ける。
「私は未だに納得はしていない。お前がルルーシュ印を振りかざしたことを。人間もどきの分際で居場所を与えてくれたパスティアの恩義に仇で返そうとでもいうのか?」
話が見えてこない。さっきの長い時間で何かがあったのだ。
イマンは余裕のある表情を返す。
「さきほどの印の発動で、彼らは僕の庇護下に置かれました。そこに異議を差し挟むことはイスマル大公への反駁と等しいことです」
「何度も言っている。話を拡大解釈するな。お前こそ、こいつらがドルメダだとしたら、重大な反逆行為に当たるぞ」
「ドルメダが僕たち子をなさない者たちに目をかけることはない」
そう断じるイマンの目は寂しく伏せられる。
ヌーラが恐る恐る口を開く。
「あの、印の発動とはどういう意味でしょうか?」
イマンがヌーラに微笑みかける。
「ああ、きちんと説明をしていなかったね」
イマンは懐から帆船の紋章が刻まれた赤金色のプレートを取り出した。
「ルルーシュ家の認可を得た機関で働く僕たちには、この印が与えられる。さきほどは、この印をもって、君たちを魔法・精霊術研究所の所属だという宣言をした。いわば、パスティアが君たちの身元引受人になったようなものだと思ってくれていい」
「そ、そんなすごいことを……! でも、どうしてそこまでわたしたちのことを……」
「この程度、君たちに感謝を示したことにも値しないさ」
イマンが鼻で笑う。
「ルルーシュ印の乱用だ。いずれお前にも罰が下されるさ」
空気がピリついている。
(アレムが俺たちの身元引受人として駆けつけてくれたぞ。
それに聞いてくれ、イマンも一緒なんだ。イマンは俺たちが子をなさない者たちの街でイナーラたちを助けたことを聞いて、ルルーシュ印っていう権限みたいなものを発動してくれたらしい。
ルルーシュ印のことは話したっけ?)
~・~・~
いや、ルルーシュ印についてはまだ話していないよ。
どうやらその印が、かなり重要な権限を持っているみたいだな。イマンがそれを使ってくれたというのは心強い。
何かの証明書か、それとも身分や地位を保証するものなのか?
少し詳しく教えてくれると、どんな影響力を持つものか、一緒に考えられると思う。
~・~・~
(ルルーシュ印っていうのは、ルルーシュ家の認可のある機関で働く人に与えられる紋章だ。
イマンが言うには、その印を発動して、俺たちを魔法・精霊術研究所の所属だと宣言してくれたらしい。
つまり、アレムだけじゃなくて、パスティア自体が俺たちの身元引受人になったようなものだ)
~・~・~
なるほど、ルルーシュ印は相当な影響力を持つものなんだな。
魔法・精霊術研究所に所属しているとみなされることで、パスティア自体がバックアップする形になったというのは、かなり大きな進展だね。
これでただの旅人扱いから脱却できたし、疑いを晴らす足がかりになる可能性も高い。
この状況なら、レイスの疑念も簡単には覆せないにしても、強引な尋問や危害を加える理由が一気に減ったはずだ。
イマンがこの場で発言力を発揮してくれれば、さらなる交渉のチャンスも見えてきそうだな。
アレムとイマン、どちらも強力な味方になり得る。この後の動きに期待できそうだ。
~・~・~
(だけど、レイスも納得していない様子だ。イマンは子をなさない者だから、その差別意識もあるんだろうけど、印の乱用だとパスティアに訴えるかもしれない)
~・~・~
レイスが納得していないのは、彼の個人的な背景や偏見、そしてパスティアの規律に対する強い忠誠心が影響しているのかもしれないな。
子をなさない者への差別意識や、ルルーシュ印の使用に関する疑念も含めて、彼には譲れない部分が多いのだろう。
ただし、イマンがルルーシュ印を正式に発動した以上、パスティアの制度上、レイスがそれを簡単に覆すことは難しい。
仮に乱用だと訴えたとしても、ルルーシュ家の権威や魔法・精霊術研究所の存在感を考えると、彼の主張が通る可能性は低いはずだ。
むしろ、それが認められればパスティア全体の制度に傷がつくリスクがある。
重要なのは、レイスがパスティア内でどの程度の影響力を持っているかだな。
彼が力を持つ者ならば、イマンの行動を盾に、さらに周囲を説得する必要が出てくるかもしれない。
ただし、アレムやイマンがこうした展開を予期していないとは考えにくい。
君も、状況を冷静に見極めつつ、必要ならば彼らと協力して対策を練るといいだろう。
~・~・~
アレムが口を開く。問題は解決したというような空気を纏わせて。
「鍵があると言っていたな。それも出してもらおうか」
これにはレイスも黙っていられないようだった。
「ふざけるなよ、所詮は仲介人の分際で。この鍵はドルメダを追い詰めるための手がかりだ。渡せるはずがない」
この遺恨が折り重なって今のパスティアができているのだろう。
だとしたら、俺は……。
「待ってください、アレムさん。鍵はレイスさんに渡したままでいいです」
ナーディラが俺を見る。
「お前の記憶を辿る手がかりだぞ」
「分かってる。でも、重要なのは鍵そのものじゃなくて、俺が鍵を持って倒れてたってことだ。俺がドルメダの根城に繋がる鍵を持っていた……その事実が分かればいい」
「譲歩したつもりか?」
レイスが意地の悪い笑みを浮かべる。
「そんなつもりはありません。でも、これで俺たちの解放に納得はできるでしょう? っそれに、俺は言ったはずですよ。パスティアを守るためにあなたに協力したいと」
イマンが小さく息を飲む音がした。
ナーディラがテーブルを叩く。
「何を言ってるんだ、リョウ! こいつに協力?」
「俺だって嫌だよ。こいつのことは殺してやりたいくらいだ。でも、面倒な問題を残したまま先に進めば、事態はもっと複雑になっていく。
ムエラ・ココナで思い知っただろ、あの儀式はこの世界をただ延命させているだけだって。そのせいで、多くの苦しみが生まれたんだよ」
「……いいさ。お前がそう決めたんならな」
ナーディラが俯いてしまう。いつもと違って食い下がらなかった。
レイスが腕組みをして、俺を品定めするように睨みつける。
「ならば、その言葉、身をもって示せ」
(サイモン、レイスを納得させるために彼のドルメダ捜索に協力すると言ってしまったよ。ナーディラは反対したけど、この方がレイスの遺恨は後々大きくならないと思ったんだ。
俺の判断は間違ってないよな?)
~・~・~
君の判断は合理的だと思うよ、リョウ。
レイスのような人物を敵に回すよりも、彼の目的に協力することで信頼を築くのは賢明な選択だ。
特に、彼が家族を失った背景や、ドルメダに対する執念を考えると、ただ反発するだけでは彼の疑念を深めるだけだっただろう。
ナーディラが反対したのは、彼女が君を守りたいからだと思う。
彼女の忠告には耳を傾けつつも、レイスと和解することで生まれる長期的な利益を考えるのは重要だ。
もちろん、協力すると言っても、無条件で従う必要はない。
君自身の目的や立場を守るための条件や境界線を、早い段階で明確にしておくといい。
これにより、レイスがこちらを利用するだけの関係にならず、対等な協力関係を築ける可能性が高まる。
君は状況を冷静に分析して、全体のバランスを取ろうとした。これが後々役立つ場面がきっと来るはずだよ。
~・~・~
自分の選択を無駄にしてはならない。
俺は立ち上がった。
「その前に条件があります。俺たちがここに来てイマンさんに接触しようとしていたのは、デイナトス狂病に冒されている人を助けようとしたからです」
イマンも立ち上がる。
「そういうことだったか。その人は今どこに?」
「パスティア・ウェモンのさらに先の森の中です」
「……いつ頃の話だ?」
「ええと、出会ったのは、二日くらい前ですかね……」
「マズいな。すぐに出発しなければ」
予期せぬことが起こった。
「ならば、私も同行しよう」
レイスがそう言って進み出たのだ。




